2016.12.02

なんとか生きてます──ココログ13周年

この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます。
ココログは──そして1日遅れで始めたこのブログも──13周年を迎えることができました。


何年も前からどう見ても敗残兵としか言いようのない存在だったにもかかわらず、あの人もこの人もみんな消えていった、昔日のコミュニケーションをもう一度、と書き続けてきたわけですが、
ひとの興味は移ろいゆくもの、十年も同じ場所で続けるほうがオカシイともいえるわけで(まさか否定はできまい?>同輩各位)。

ブログなるものにわりと早い段階から飛びついて、振り返れば先行利益をそれなりに享受できていたんだな、と今になって思うわけですけれども、
衰退期になってもまだしがみつく者を"アーリーアダプター"と定義できるわけもなく、自分(達)は一体何と呼ばれるのが似合うのでしょうか?

先月ついに日間アクセス数「1」という最低記録を樹立するに至り、さすがに潮時かと思い始めつつも、自分の意志で止める理由もことさら見当たらず。


この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます、と、ただそれを報告するだけの周年エントリでございます。

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2016.05.28

Oldies but Goodies

タイトルの叫びには心から同意するんですよ、
ましてや私はもっと先鋭的に「消費者然とした個人ユーザーがカネ稼ぎに走るなんざ"さもしい"以外の何物でもない」って立場だし。

「営利目的のカキコミ」は禁止です。(2015.11)

だからネガティブな反応するのは丸2日迷ったんだけど、
なにかの手段じゃなく『ブログする(=自分の書きたいことを書く)ことそのもの』を目的とする、そういう姿勢のブログがいまから増えて、かつ、その姿勢を尊いものだと多くの人が認めてくれる、そんな時代がくる、なんて思えますか?

「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城

「俺が!俺が楽しいから!俺にしか書けない、この記事を書いてるんだ!!!!」

というくらいに、俺の俺による俺感が溢れたブログが、ブログ界隈にどんどん増えていくことを、願ってやみません。
何よりも、私自身が「ブログの読者」であり続ける為に。

("不特定のだれか"に読まれてほしくて)自分の言葉を書く、それをブログというのなら、どんなに引っ張っても、そのブームは2000年代で、すでに……。

……それでも、というのなら。
自分にとって面白いブログは自分で発掘して、読者であり続けようというのなら、育てないと──そのブログが"不特定のだれか"に読まれてほしいと思っていることが前提ですけれども。
2016年の今、どういう距離感がいいのかわからないけど、折に触れてTwitterからリンクするくらいが精いっぱい?
もちろん、一番いいのは、いにしえの(!)ブログ・コミュニケーションの作法であるところの『言及してトラックバック送る』っていうやつであって──ブームが去ったおかげで、いわゆるスパムトラバもほとんどなくなりましたし(※個人の感想です)。

だからせめて、わたしたち絶滅危惧種であるところの「個人ブログ」相互で言及しあったり、そういう意味での"互助会"はあってもいいかなと思ってはいるんですけど、この界隈ですら感覚失ってしまって、トラックバックなんてむやみにできなくなってるじゃないですか、あなたもわたしも含めて(苦笑)。
(はてなブログに逃げて、はてなのドメインの中でキャッキャやってる古参連中は知らんよ、システムとしてトラバ機能排除した場に引っ込んでおいて"コミュニケーション志向"の看板掲げたままとか、自己矛盾も大概にしやがれ)


繰返しますけど、ブログが(経済的な)なにかの手段じゃなく『ブログすることそのもの』を目的としていたのが多数派だった牧歌的な時代が、さすがに戻ってくることはないでしょう。
J-POPの歌詞ではボロクソに言われる(笑)ところの「昔は良かった」という思い出を抱えたままで、自分たちのリアルを生き続けるより他ないんじゃないかと、わたしはそう思っています。

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2016.04.23

「包丁が悪いわけではない」、けれど(Twitterと過ごした8年)

なにか災害が起こったりすると、ちかごろはもうTwitter社自身が「情報インフラであれ」と張り切るようになりましたが、
そこはアメリカのいち私企業の"私物"ですから。

使う側も「ちゃんとした情報」だという送り手の自負があるなら、「きちんとオーソライズされた組織しか取れないドメイン」の下で発信してくださいよ、そんなところで【拡散希望】していないで!


……さて、いくら「娯楽のプラットフォーム」だとしても、本邦の現行法規は守らないといけないわけですが。

あまりにもカジュアルに──かつ大量に──著作権の観点からは限りなくクロに近い画像ツイートがあふれるようになった、この一年でした。

日々もう、
放送かアニメソフトか知らんが画面のキャプチャも、
マンガ本のあるカットの写真(これも電子書籍のキャプチャ?)も、
溢れるように上げるひとがいて、
溢れるようにリツイートで拡散されておられる。

「実態にそぐわない悪法は既成事実で圧倒して空文化してしまえ」という意志があってのことなのか、
公式に、名指しで、警告受けたら悪態のひとつふたつと引き換えに止めてあげるのか、
みんなが(表面上問題なく)やってるから自分もしてるだけなのか知りませんけれども、
せめて本邦の現行法規に照らせばなにがしか後ろめたい行為、って自覚だけはあるんですよね?
なにも考えてないの?まさか。

おそらくは、道具は悪くない、いわゆる『「包丁で人を刺したからといって包丁が悪いわけではない」理論』で反論されるんでしょうけれども、
画像つきツイートという機能が、その道具が悪いわけではない、とはいえ、
ここらへんで相当に強力な警告を出しておかないと、なんか妙なとばっちり受けそうな気がするんですけど、ねぇ……。


──Twitterをはじめて8周年の日に。

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2016.03.02

「ワン」でも「マン」でもないだろう?

わたし自身は「音楽を持ち歩く」という習慣が無いだけでなく"No Music, No Life"なる心情も理解できないような人生&生活を送っているわけですが、そんなわたしのTwitterタイムラインになぜか「ワンマンライブ」の文字がひんぱんに踊るわけです。

その「ワンマンライブ」をするのは、いつも『バンド』もしくは『女性グループ』なんですね。

いや、グループやったら、「ワン」マンちゃうやろ、と。

ましてや女性グループが「ワン」でも「マン」でもないだろうと。

……ねぇ、だれか。
漢字で「単独公演」、せめて「単独ライブ」と表記しない?できない?してはいけない?客観的・合理的な理由がどこかにあるのなら、ぜひとも教えていただきたく、よろしくお願いいたします(笑)。

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2015.12.03

今はただ、エンドロールを見る日まで──ココログ12周年

ブログを始めて3ヶ月やそこら、どころか、ときにはほんの3週間ほどで、わかったような雑感エントリをものしているブログを見ると、「愛いやつ★」なんて思ってしまうTristarです、こんばんは。

……まぁ、だれしも通る道、ですわね。
ここにも、こうして12回目の周年エントリを書いているひとがいます。


ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも、12周年の日を迎えることとなりました。

もう、年に数エントリというアクティブとはとてもいえないペースに落ちてはや数年、
図らずも「大いなる遺産」となった以下の『3大雑学エントリ』でアクセスを維持している状態。

しらない間に訴えられて被告になっていたでござる、の巻(2010.05)
胸骨圧迫(心臓マッサージ)に最適なBGMを探せ【J-POP編】(2011.11)
【季節の?トリビア】『大掃除』は法律に規定された義務でございます。(2008.12)


ネット&ブログで起こるあれやこれやを書くブログは激減し、言及しようにもできる相手はすでに無く。
……2010年代にブログデビューしたひとにしてみれば「しらないだれかに言及される」なんて、もしかしたら恐怖でしかないのかもしれませんが(苦笑)。

毎年の繰り言もアレなので、コミュニケーションどうこう、とは書かないことにします。


今はもう──って前にも書いたかもしれないですが──自分が使っているそれぞれのサービスが終了するその日まで、自らアカウント消去する事態に陥ったりすることのない、そんなネット人生を全うしたいと、ただそれだけの想いでいます。

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2015.11.04

「営利目的のカキコミ」は禁止です。

──『「嫌儲」と呼ぶなかれ、「純潔」と称呼すべし。』改題

21世紀どころか、2010年代にネットデビューした諸兄姉には何のことか理解できないだろうけどね……

かつてのパソコン通信では、特に許可されない一般ユーザーが「営利目的で参加する」ことは(たいていの事業者あるいはホストでは)厳しく禁じられていました。

『「営利目的のカキコミ」は禁止です。』
わたしが始めた1996年冬の時点では"原則"程度の扱いになっていましたが、そのころ数多出版されていたハウツー本の中のコラムなどの記述を見るかぎり、それ以前においては、ユーザー同士の"相互監視"も含めてほんとうに厳しい『掟』であったようです。

ですから。
(少なくとも日本の)ネットコミュニケーションにおいては、その出自にかんがみて、
「一般ユーザーが──"一般ユーザー風情"が──その借りたスペースになにかを書くことで直接に稼ごうとする、あるいは将来の稼ぎ目的に使えそうな情報and/or人脈漁りにシャカリキになっている」ことに不快感を示すのは、
まことに正当かつ正統な感情
であります。

ましてや他人にもそういう(テメェの稼ぎ目的の)使い方をすべきなどと力説し、
さらには稼ごうという気のまるでない「ただ楽しむ目的」の層を陰に陽に見下すが如き物言いをするなど言語道断!

たとえば。
ブログで本1冊紹介するのに、その題名または書影(表紙画像)に付けるハイパーリンクが、版元(出版社)サイトの書籍紹介ページではなく「amazon.co.jpで始まり個人idらしき記号で終わる長ーいurl」でなければならない、その根拠は何か?
「合法的に書影を貼りたいだけ」、そんな言い訳は見飽きた。
わたしは今までのすべてにおいて「版元に」リンクした。

本の紹介と書影画像が同一エントリ内でセットでなければならず、かつアフィリエイトしなければならない根拠が「稼ぎ目的のエントリ」以外のどこにあるのか、答えてみろ!

または。
夢見るだけならまだほほえましいが、本当にブログがきっかけで本を出しただと?ビジネス人脈と仕事を得ただと?

……そういうのが、かつて厳しくご法度であった「営利目的のカキコミ」なんですよ。

だいたいが、無料(もしくは低廉月額)で、いかにも全くの「消費者」を装ってホスティングされておきながら、実際は銭勘定してます、なんて、さもしいの4文字で表現する以外のなにものでもない。
ブログで稼ぎたけりゃ、せめて正しく「ビジネス向けプラン」(として契約できるホスティング事業者)でブログしやがれ。


もちろん、時代は移り、そのホスティング事業者において規約などで明確に禁止されていないかぎりは、当然どう使おうとダメ出しされる謂れはないのでしょうが、しかしながら……
一見趣味娯楽メインのようでいて仲間とつるんでおバカな掛け合いを表向き全力で楽しんでいたりしながら、実は「切磋琢磨」志向だった、とか、「使エソウナ人脈漁リ」してた、とか、そんなんいちばん『やらしい』わ、と思うんですよ。不純ネット交遊やん。
(かつて某所へ軽いノリで絡みに行ってえらい怒られた怨みも無くはないですが)


「何のために」ネットコミュニケーションをしているのか、という問いが浮かぶ時点で、すでに"汚れている"のです。
『コミュニケーションそのものを目的』とし、楽しむことこそが、ネットで何かを書き、交流する態度としてもっとも純粋なのです。


──という予定稿を寝かせたまま数年、いまやすっかりブログからコミュニケーション色は消えましたが、それでも。

「嫌儲」という、どこかネガティブな響きを持つ命名には強烈な不満を表明し、
書き込みで稼ぐことを忌み嫌う感情に対しては、出自に忠実であることを、好ましくは「純潔」と称呼され敬せられることを願うものであります。

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2015.04.23

ダークサイドに堕ちないで(Twitterと過ごした7年)

ったく、もう……
公式からして #統一地方選 のハッシュタグ作って、さらに #選挙に行こう ってかい。
アメリカ(生まれ)のいち私企業に、そんなこと指示されたくはない!
大きなお世話じゃ(Googleもやで!)。

そしてそれは「ダークサイドへの第一歩」ではないのですか。


以前から何度も繰り返し繰り返し書いてきた(リンク先はほんの一例)けど、(リアル世界の)政治/選挙に関わろうとするなど、どうか踏み止まっていただきたい。
向こう側からの要請に対して場所を貸してあげる、ならまだしも、自らすり寄る・主体的に関わろうとするなど。

幸いなことに「いま現在は」かつて憂慮したほどには本職の側で本気で活用しようという状態にはないようですが……


十年ほどの昔になりますが、
「ウェブの希望」を語ったいくつかの著書で日本のネット世界を席巻したものの、「残念」の捨て台詞を遺してオープンな舞台からお隠れあそばされた"職業オプティミスト"さんが存在しておりまして。

その彼の御著書に曰く、
『ギークは"スター・ウォーズ"の世界観に依拠する共通言語を持っている』

とのことでしたが、それは嘘でしたか。
それとも「残念なウェブ」の技術者からは消え去ったのですか。

あの映画から──特にEpisode1~3から──導き出されるものがあるとするなら、政治に色気を出すというか、自分たちが主体的に関わろうとする野心、それこそが「ダークサイドへの第一歩」だ、ということではないのですか?
光明面を保つためには、ある程度浮世離れ(憂き世離れ)しておかないといけない、ってことではないのですか?


それぞれがいち私企業にすぎないウェブサービス各社に「無色透明であること」を求める、というのも過剰すぎる期待であるのかもしれませんし、ユーザーが無料で使えていることの意味を考える必要はあるのですけれども、
カジュアルに使っている、オープンを標榜している、それぞれのサービスが実はなんらかの党派性を持っちゃってたりするとか、特定のイデオロギーに深くコミットしている、もしくは排除している、なんていうのは、「見たくない光景」です...よね?


……ということで、Twitterのみならずネット業界の皆々様には、今一度、「政治との距離」というものをご確認いただきたく。


──Twitterをはじめて7周年の日に。

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2015.02.19

逆に『何年も見ているような個人ブログ』しかないです。

もう何年も『ブックマーク(←ソーシャルじゃなくて、ローカルの)にあって、定期巡回している』ブログしか見ていないです、ほとんど。

何年も見ているような個人ブログってある?(はてな匿名ダイアリー):

好きだからだとか、なぜか何年も見てしまっているだとかで。

わたしもココログ初期組ですけど、あの頃の「ブログ黎明期」にブックマークに加えてそのまんま、という巡回先ばかりですね。
結局「RSSリーダー」なるものは使わずじまいで、毎日毎日、ブラウザの"ブックマーク"メニューからたどり続けて10年余。

で、なぜかっていえば、うーん。
あえていえば、(誰に強制されたでもなく)自ら選んでブックマークに入れたからには、……ってところですかねぇ。
その「巡回に入れた自分の選択」が間違っていなかったと信じたいから読み続けてる、みたいな(笑)。

前稿はじめ何度か書いたけど、新規開拓をしていない(いま確認したら少なくとも7年半以上新規に巡回に加えたブログがなかった...!)から、実稼動リストは痩せる一方で。
いわゆる個人ニュースサイトやソーシャルブックマーク経由で覗きに行くことももちろんあるけれども、自分にとってのメインは
、勝手に義理を感じて一方的に親近感を持っている、『いつもの巡回先』です。それがどこかはここで書かないけど。


もし、「その人目当て」で長く見ているような個人ブログがあるのでしたら、「なんでその人目当てで見ているのか」を教えていただきたい。

昔書いたことがあるけれども、
個性の実力-「理想のコミュニティ」改題(2006.03)

そりゃー、読んでいて自分に心地いいからの一言に尽きるんじゃないですか。
信仰じゃあるまいし、エントリの全部が全部頷けるものではないし何書いているのか理解すらできないエントリもあったりしても、なんか"合う"ものが感じられるからでしょう。
理由?「好きな理由」って、なかなか言語化できませんよね?
そういうこと。……に、しておいてください(笑)。

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2014.12.03

それでも、コミュニケーションを待つ執念──ココログ11周年

ブログに「5年後」はない、と断言してから5年が過ぎてしまったような気がします。
あの頃の未来では、ブログ(ホスティング)サービスを止める事業者が続出している、はずだったのですが……。

どっこい、生き残っています。

ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも11周年の日を迎えることとなりました。

ネット世界でこれだけの齢を「大過なく」重ねてこられたのはたしかにひとつの能力なのでしょうが、
自分のこととしてみれば怠惰を重ねてきた結果であったりもするわけでして。


……もちろん(?)寿ぐこともなく、後ろを振り返るばかりの、執念の周年エントリ。


そのブログもあのブログも静かに更新を止めてしまい、
さりとて新規開拓することもなく、
「巡回」という言葉が中身を失って、もう何年。

言及したいなぁ、と思うことは今でもいくつかあれど、
「言及先リンクを含めて140字以内に収める」術をうまく身につけてしまった。


わたしにとって「ネット歴」はそのまま「ネットコミュニケーション歴」であって、
なにかを書くのはいまでも「コミュニケーションを期待して」であって、
いまでも断じて、絶対に「自分のための備忘録」ではない。

とはいえコミュニケーションなんてものが消え去ってしまったブログ世界に抗う元気もなく、
「コミュニケーションについてのあれやこれや」というネタが無くなり幾歳月、
それでも毎日欠かさず管理画面にログインしてはアクセス数をチェックして、
記憶の限りの最低日間アクセス数をついに今年更新することに。

それでもなお。
言及しあうことができて、毎日見ていたあのブログに勝手に親近感を持つことができた、『幸せな時代』にデビューしたがために、やめるという決断ができない。


たぶん積極的に動くことはないけれども、積極的に動かないことによって、こうして「あえてやめる決断をする」必要に駆られないおだやかさを、平和を、守り続けてゆけたらなぁ、というところ。


まだしばらくよろしくおねがいします──くれぐれも「燃やさないように」よろしくおねがいします(笑)。

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2014.04.22

『バカッター』よりも恐ろしいこと(Twitterで過ごした6年)

周年とは何の関係もないかもしれませんけれども……


もちろん、ブログブームの昔から、どこに行きました、なに食べました、と逐一写真を上げるひとたちの存在は当たり前にありました。
いまも、不用意に自宅あるいはその周辺の写真を公開することへの苦言はたまに見られますが。


Twitterの時代になって、まぁその中でも変遷はあり、現在のわたしのTLでは『I'm at ○○○』と『○○○にタッチ!』が優勢ですが、総称してジオタグ(giotag)と呼ばれるサービスをカジュアルに使うひとが激増しました。

なぁ、あんたがた。
何がしたいの?襲われたいの?

いわゆる『バカッター』、犯罪告白系のそれを「公開の場でそんなこと書く愚か者」と嗤うそのひとが、片方ではせっせとその指でリアルタイムの位置情報を発信し続けている、というのは、どう考えても矛盾やろ、違うか?
『事件』が起こらないまま、ずーっとそれが蓄積されていく、っちゅう点で、『バカッター』よりよっぽど恐ろしいことやと、なんで気づかへんの?

それを、昨日今日ネット始めた──ということは、自分のツレとのみしかつながることを知らない──連中はいざ知らず、わたしよりもネット上のキャリアがはるかに長く、かつはるかに濃いひとびとでさえうれしそうに使っている、というのがどうにも理解に苦しむところ。

写真上げるならExifの日付とGPS情報は消しとけ、とか、
旅の感想書くなら時系列シャッフルしとけよ、とか、
いまの時代に「公開の場でなにかを書く」にあたっての危機管理の基本の基本じゃないんですか。

昨日今日のひとはともかく、ベテランならベテランの矜持として、そこらへんの意識を持っといてほしいんやけどなぁ。
なんでもかんでも座標つき、って流れ、考え直してくれへんかなぁ?




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2014.03.30

「○○さん、皆さん、こんばんは。」

「AかBか」じゃない、「AもBも」ってやり方もあるんやで?

(言及したとシステム的に伝えられない"はてなブログ"ユーザーに物申すのもアレですが……)


ブログの読者をどう呼ぶか。「あなた」か、それとも「みなさん」か。 - Hike×Hack

私は何よりあなた個人に向けて語りかけたいのですから。
つまり私は、
「”あなた”を使いたい」けど  「気恥ずかしい」から
「無難な」道である  「みなさん」を使おうとするのです。

気持ちはわかります。
だけどね、
読者は"あなた"だけじゃないということをかたちで意識し続けておくのもまた大事なことだと思うんですよ。


パソ通の昔はね。
「ここには、やりとりしている相手だけが居るんじゃない、何十何百のROM(Read Only Member)も見ているんだ」ということを、折につけ意識づけられたものです。

だから、わたしだけじゃない、ヘッダに「<相手のハンドル>さん、皆さん、こんばんは。」というあいさつ文を、多くのひとが設定していたものです。

ヒートアップしてくると(笑)ついついやりとり中の相手だけを意識してしまいがちなんですが、そういう時にこそずっと読んでいるROM(野次馬ともいう)にも向けた書き方をすることが大事ですよ、とか。


……ええ、古参兵の戯言にございます、
そして、ブログなるもの、どうしても「一対一」になってしまうのがシステムの限界かなぁ、とも思うのですが。

主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)
「みんなでワイワイ」やろうよ、「ネットワーク」なんだから。(2011.02)


元に戻すと、

画面の向こうのあなたに読んでほしい。
だけど、
ほかの皆さんにも読んでほしい、裏を返せば、誰に読まれているかわからない。

公開の場になにかを書くのであれば、ROMが居るということ、その自覚と危機意識を持たなくてどうするか!!と思います。

そのためにも、「皆さん」ということを忘れたらあかんよ、と。




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2014.03.06

リアルで話せりゃ、ブログは書かぬわ。

違いますか?


このあたりのことは書いた記憶があるけど、いい題材が見つかったので(笑)繰り返して。

誰にも内緒でブログ書いてる人手挙げて - 明日は明日の風が吹く:

誰にも内緒でブログを書いている人の中で
家族にも内緒でブログを書いている人に挙手をしていただいたなら

挙手。
だけどね、ひとついい?
「手挙げて」っていう、コミュニケーションを望んでいながら、それをトラックバック機能をポリシーとして持たない"はてなブログ"で言いますか、という……

関連→「言及しあう文化」を終わらせたいのですか。(2011.11)

それはともかく、「リアル知人だからこそ」知らせないです。
こっぱずかしい、というのももちろんですが、こちらの方の言い分と、全くおなじ。

ブログと恥 - ウラガミ:

「所属するコミュニティごとに独立したペルソナがあって、そこをはみ出すのが恥ずかしい」って感じでしょうか。
Aというコミュニティ用の自分と、Bというコミュニティ用の自分は別で、その変わり様を人に見られたくないといいますか。

(ここは"はてなブログ"にもかかわらずトラックバック機能をつけているみたいなんですが、どうやったら飛ばせるの?→非公式・個人的な機能実装で、かつはてな内限定とのこと)

そう、それぞれで独立しているし、
そして、つるんでいるからといって、すべての興味の方向が同じわけではないんですよね。

……ということで、ブログする理由として、もう一点言いたいこと:
たとえ知らせたところで、全然理解されないし、興味も持ってもらえないんだ、ということ。

実はね。
勤務先には昔、「バレて困ること書いてないですよー、という証拠の意味で」こっそり社内ポータルからリンクしたことがあるんですよ。
で、何人かは見てくれたらしいんですけれども、感想が

『何書いてるかさっぱりわからん』

と。

そりゃそうだろう、と思いますわ。
(しらない誰かとの)ネットコミュニケーションなんて経験も興味もなく想像すらしていないであろう面々には。

……ええ、それ以来ごくまれにいぢってくるヤツに対しては「分かってたまるか」と開き直っておりましたが。


実際、自分でいえは主に『パソ通から連綿とつながるタイプのそういうネットコミュニケーションだとか、あるいはソーシャルブックマーク方面』になるわけですが、そういうテーマでリアルに盛り上がれる人間関係を持っとったら、だれがわざわざブログなんか書きまっかいな、と思うんですよ。
「分かるだれか」と話がしたいがための、という欲求。

それが、ブログに対する未練の、いちばんの理由、かなぁ。



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2013.12.07

直帰率が高いのはネガティブなんですかねぇ?

その筋の方々(笑)には百万遍繰り返されてきた議論なんでしょうが……

ココログのアクセス解析が変わりまして。
サマリーで「直帰率」なる数字が出てくるようになりました。

意味は読んで字の如しなのでそれを調べたのではないのですが、ちょっとばかりググってみたら結構みなさん下げることに躍起になっておられるようで、ヒトケタ%とかいう成功談(?)も。

でもちょっと考えたのですが、
直帰率が高いのはそんなにネガティブなことなんですかねぇ?
少なくとも、稼ぐ気でやってるんじゃない、ブログなんかの場合。

検索から来たひとは(たいてい)効率を求めています。
話のネタを探しに来たのでもなければ、きっかけに以後ごひいきに...などというのは高望みが過ぎます(笑)。
ならば、「検索でたどり着いたその1ページ」に知りたいことが盛り込んであれば「いいサイト」ということになると思いませんか?
もしそんなひとびとに何度もページ移動を"強いている"のだとしたら、それを不親切なユーザーインターフェースというではないのでしょうか?

また、仮に"常連さん"が多い場合は、「更新されたその1ページだけ」を「巡回」していくものです(わたしはそうやって巡回しています)。

……普段のアクセスだったら、それで、いいじゃない?(滞在時間が分からないこと前提で。)


もちろん(個人)ニュースサイトに紹介されてのご来訪であれば、そりゃーこれをきっかけに以後ごひいきにしていただきたいのはやまやまで、いろいろ見て回っていただきたいのはもちろんですけれども、エントリ書いたごとに紹介されるわけじゃなし、それは特別な状況下でのことであって。



いろいろ回っていただけるのはありがたいことで、この「移動履歴」というの、すごく励みになるものだったのですが、新アクセス解析では無くなってしまうとのことで...


商用サイトはもちろんのこと、ブログでも稼ぎに直結するのか「ページビュー命」な皆様におかれましては手法もさまざま、工夫のしどころではあるのでしょうが、

高い直帰率は悪だ!というのも、あんまりにも"供給側の都合"すぎるんじゃないかなぁ、と思った次第であります。
……だってほら、新聞社のサイトで、ニュースが何ページにも分割されてたら結構文句言うてるやん。


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2013.12.03

たどりついたら先祖帰り──ココログ10周年

もうずっと運営側から周年に関する言及はなかったはずですが、さすがに10周年ともなると記念ページもあるようで。

ココログ10周年 ココログ白書:@nifty

ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも10周年の日を迎えることとなりました。

周年ともなりますと、ココログの──イコール、日本のブログシーンの──スタートを飾ったあの芸能人やあの実業家は今いずこ、という感傷に浸るわけでございますが。
栄枯盛衰。
諸行無常。


振り返ればもう何年になるでしょうか、ブログの世界から、コミュニケーション──あたらしい、しらないだれかとのコミュニケーション──の要素は、すでに消え去っていました。

ココログの優秀なフィルターに止められて表には出てきませんが、こんな更新のないブログにさえ、日々数件もの(妙なサイトへの誘導目的の)迷惑コメントが来ているくらいですから、奴らが(コミュニケーションを)殺した、という点はあるのですが、

あたらしい人とのコミュニケーションの可能性を高めるためにいかに読まれるようにするか、アクセスアップさせるか、という視点は消えました(アフィ稼ぎ目的は知らん)。

ビジネス上の(将来の)人脈作りのためにブログを書くべし、なんて暑苦しいゲキも飛ばなくなりました。

誰に向けて書くのか、いや自分に向けているんだとか、そういう話もすっかり下火になりました。

今……いや、もう何年も前から。
だれかのブログを読んで、ぜひ言及したい、と思ったとして、その「あたらしい、しらないだれか」へコメントを書いて、あるいはトラックバックを撃ち込んで、そこから『新たなつながり』を築ける自信がありますか。
それが技術的に可能だからといって、"古参の流儀"だからといって、数か月前のエントリに言及して、相手に『「おかしい人」扱い』されない、という自信がありますか。
わたしには、とてもありません。


ブログから、コミュニケーションの要素は、いつしか消え去っていました。
残ったのは、『Web に Log を上げる』という、もっとも原初の、そして字義通りの行為だけになりました。

すっとブログの終わりは近いだろうと思ってきましたが、「ブログというかたち」は、まだこれからも残るのかもしれません──原義にあくまで忠実な、先祖帰りしたかたちで。


それでも、わたし個人としては……

長く──そして未練がましく──続けてこられたのは、とくに初期の頃、皆様に言及なり紹介なりしていただいたおかげであって、
ブログは、『そこからのコミュニケーションを期待してなにごとかを書く場』でありつづけます。

まだ、未練が枯れ果てるまで。

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2013.04.23

入口の、「作法の議論」が、消えた場で。(Twitterと過ごした5年)

……せめてわたしたちの余生をお互い楽しく過ごしましょう、なんてね。


わたしのTwitter歴もまる5年になりまして。
累計6000ツイート強。ちょうど3年で3900だったことを思えば結構なペースダウンではあります。

今年は周年記念でなにを書こうかと思ってふと考えると……

『「Twitterつまらない」というグチに対して「そのTLを作ったのはおまえ自身の選択の結果だろうが」という批判』

という、何度も何度も繰り返された様式美(笑)も近頃はめっきり観測範囲にでてこなくなったなぁ、ということに思い至りまして。

最近になって始めるひとはそれをしっかり自覚して始めるようになった?
そんな馬鹿な。


ブログが"ブログ作法"で盛り上がらなくなってはや幾年、SNSも。
入口の「作法の議論」が消えたということは、すなわち新規参入が減ったということにほかならず。
そういう意味で、誰がどう取り繕おうとしても、成熟・衰退期に入ったと結論づけられます。

現時点で「次」がそれほど話題になっていないこともあり、急に閑古鳥が、ということにもならず、来年のこの日もまた似たようなことを書いているかもしれませんが──ただし、わたしがアクティブでいられれば、ですが──

ひとの情熱は長くは続きません。
やがてTLから一人抜け、二人抜け、
いまは"ウザくない絶妙なペース"で挿入されるプロモーションツイートと、
そして今夏からは選挙運動絡みのツイートに席巻されていくのかもしれません。

コトが決まってしまった今となっては昨年のような調子で書く気にもならず、つまりは自身の衰退期でもあるのですが(苦笑)、

TLに「居心地」を見つけたわたしたち同士、せめて穏やかに残りの日々を過ごしたいなぁ、と、そんな心境の5周年エントリであります。

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