2017.12.02

あしたの平穏のために─ココログ14周年

数日連続で来襲したマルウェア誘導メールの後で、「セキュリティに注意を」という題名のマルウェア誘導メールが来る、という事態に、あらためて"インターネットの光と闇"ということを考えたTristarです、こんばんは。


ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、14周年を迎えました。

意味のあるなしはともかくも、ずっと(移転なしに)続いているブログがどれだけあるのだろう?と思いますが……
手芸や園芸の方面だと、それこそネットのない頃から(リアルの)展示会-ホームページ-ブログ、そして今や動画、と続いている方々も少なくないのだとか。
ネットに頼らないのがいちばん強い、ということでしょうか(笑)。


話は変わって。

本邦に限らず、政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースが、オープンなインターネットにあふれる時代になってしまいました。

"わるい熱狂"に塗りつぶされて、
極端をエスカレートさせていって、
ただただ増幅させた自分のヘイトを一方的にぶちまけるだけで、
「他愛無いことで普通に話をすること」がどんどんできなくなってしまいました。


……さて。

先日来、どこかで「冷笑的な態度は何も生み出さない」なる批判がホットワードになっていました。
たしかにそうかもしれませんね。

でも、そうだとしたら。
政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースに対しては、声高にアツく反論するのではなく、
冷笑的な態度で接することが、わるい熱狂を生み出さない唯一の方法であるかもしれません。

極論には、皆で冷笑的に接しましょう。そして積極的な冷笑の声を。

これ以上わるい熱狂を生み出さないために
これからもわたしは、世事批評に対して、冷笑的なスタンスに立ち続けたいと思います。


明日も「平穏なインターネットで、平穏に」あなたとコミュニケーションができますように。




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2017.10.20

投票に関する「いい子発言」圧力と、危険な棄権デマに震える。

投票日が近づくと沸いてくるんですよね、

「自分が票を投じても(思うようには)何も変わらない」
当たり前やろ、その1票で変わるようなら、あんたすでに一般人ちゃうわ(笑)

……そこで。
おまえの願いを通したけりゃ「闇将軍」「フィクサー」「財界総理」目指してのし上がれよ!なんてゲキ飛ばすひとの10人や20人、居てもいいんじゃないの、と思うんですけどねぇ??


回答が揃いも揃って「それでも選挙には行きましょう」って、もうね。

日常どれだけふざけて、どころかモラル逸脱上等な発言繰り返していてさえも、投票行動──ただし国政の、しかも総選挙限定──についてだけは、揃いも揃って「道徳的」「優等生」発言しかしない(できない)、のは見ていて痛々しいんですが。

そういう発信しか許されない"暗黙の同調圧力"を、何とも思わんのかあんたら。

それが怖くて怖くて、ほんと身も凍りますわ。


「それでも選挙には行きましょう」、そこまでで抑えているなら別にいいんですよ。天下の正論だ。
だけど、これまた投票日が近づくと沸いてくるんですけれども、

棄権や白票は白紙委任に等しいから、今後そいつは政治(家)について一切の物申す権利を失うんだとか、そういう悪質なデマは断じて許されませんよ
日本国憲法第十六条(前段)に自分勝手な前提条件つけんといてくれるか?

闇将軍はともかく、そして選挙をないがしろにしていいわけじゃないけれども、
政治への参画は、自らの影響力の行使は、なにも選挙に行くだけじゃなかろうが。
ましてやモノ申す資格として「毎回選挙に参加し、かつ有効票を投じることが前提になる」とか、いいかげんなデマをまき散らすのは止めてほしい。


知っていますか?
物申すやり方、権利の行使のやり方、というのもいろいろあるんですよ。
たとえばなにかの圧力団体(という単語は義務教育で習ってるはず)に属することで要望を伝えていく、というのも真っ当な道のひとつ。
陳情や請願や署名を出したとして、だれかがそいつの選挙権行使履歴をいちいち照査するの?

選挙棄権したら政治に対して一切の物申す権利を失うんだとかデマをまき散らす馬鹿者どもへ。
日本国憲法第十六条を一読(できれば声に出して三読)したなら、己の不明を恥じて即時取り消していただきたい!
相当えげつないデマ言説じゃないんですかね、これ。
道徳もちだして他人の権利を、ましてや憲法に保障された権利を奪いにかかるとか、ほんと止めてほしい。


同調圧力かけてなにがしたいの?なにかいいことあるの?
……いいことあるんならイッチョカミさせてよ、しょーもないデマでも黙っといてあげるから。

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2017.08.02

電子書籍や配信音楽における版管理について【素朴な疑問】

電子書籍になっても、誤字はやはり「誤」としか表現されないのでしょうか(笑)。


古書であれ新刊であれ、紙の本であれば「初版マニア」は一定数存在します。
逆に、辞書は初版本は避ける、というひとも居るようです(誤字やミスのリスク回避だそうな)。

また紙の本の場合、重版や文庫化に際しては、加筆修正は当然のように行われますが……

電子書籍の場合、こういった「版管理」とその「入手権」ってどうされているのでしょう。買ったことがないのでわからないのですが。
やはり「奥付」があって、『2017年8月2日 第三版』なんて表記があるのか(第4刷、はありえないけど)。
ものすごい勢いで修正版が出て版数すごい数字になっていたりしないのか。
でも引き続き読めるのはあくまで「ダウンロード購入した時点の版」だけなのか。


……さて。
いままではリリースされたといえば「円盤に信号が物理的に固定された」ものであった音楽も、データとして配信されるようになり、なかには「配信限定」というものまで出てきたわけですが……

いったんリリースされた以上、従来通り微修正さえもすることってないのでしょうか???

たとえば、
「ミックスに"技術的修正"を加えた『Ver.1.05d』」とか、
「歌詞の"てにをは"を変えた『第二版』」とか。

データになった以上、そういう発想もアリだとは思ったのですが、ニュースの観測範囲では見聞きしないので、世界規模で実例有りや無しや?と、ふと。


べつにだからどう、ということはない、素朴な疑問です。

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2017.05.14

よのなかにSNSのなかりせばひとのこころはのどけからまし

生活のためにブログ&ツイートしているわけでは断じてないし、
「営利目的のカキコミ」は禁止です。(2015.11)
ブログ&Twitterのために生活しているわけでもないのですが、
書くネタは日々の暮らしからしか出てこないのもまた本当のところで、
読んだニュースに、見聞きしたできごとに、「このネタいただき!」とごく自然に考えてしまうようになって幾年月。

一日を終えてやっと「自分のパソコン」でTwitterにログインしたあとで、今日ツイートするネタが無い(あるいはその時間にはきれいさっぱり忘れている──わざわざメモするのもアレだし)ことに焦るのもよくあることで……というのはある程度共感いただけるのではないかとささやかな承認欲求を吐露してしまうわけですが(笑)。


幸か不幸か"自分のリアル知り合い"と"自分のネット嗜好"が重なることがないので、
リアルで話せりゃ、ブログは書かぬわ。(2014.03)
そのぶん「承認されなければという焦り」や「ムリヤリでもいいね!する義理」からは縁遠いのですけれども、
世間一般──リアルとネットが直結しているひとたち──の、日々の焦りや負荷というものは相当のものなんだろうなぁ、と、街を歩けばちかごろのポスターによくある「とにかく単語の前に#つけてハッシュタグ化」を見るたびに思ったりするのであります。


表向きは喜々として自発的に──でもホンネでは頑張って無理をして──競ってプライベートをSNSに曝すことで、危険を買って、ビッグデータに無償協力をして。
『バカッター』よりも恐ろしいこと(2014.04)
「フツーの人」ほど、自分を高く売るべきだ。(2012.03)
その先に何が待っているのでしょうか?

これはどこまで続いていくのでしょうか。
どこかで反動がくるのでしょうか、
それともエスカレートしたままなんでしょうか。

SNSがなければここまでは……。
しんどい時代ですね。

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2016.12.02

なんとか生きてます──ココログ13周年

この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます。
ココログは──そして1日遅れで始めたこのブログも──13周年を迎えることができました。


何年も前からどう見ても敗残兵としか言いようのない存在だったにもかかわらず、あの人もこの人もみんな消えていった、昔日のコミュニケーションをもう一度、と書き続けてきたわけですが、
ひとの興味は移ろいゆくもの、十年も同じ場所で続けるほうがオカシイともいえるわけで(まさか否定はできまい?>同輩各位)。

ブログなるものにわりと早い段階から飛びついて、振り返れば先行利益をそれなりに享受できていたんだな、と今になって思うわけですけれども、
衰退期になってもまだしがみつく者を"アーリーアダプター"と定義できるわけもなく、自分(達)は一体何と呼ばれるのが似合うのでしょうか?

先月ついに日間アクセス数「1」という最低記録を樹立するに至り、さすがに潮時かと思い始めつつも、自分の意志で止める理由もことさら見当たらず。


この文章を投稿する時点では、この文章を投稿できる程度には生きてます、と、ただそれを報告するだけの周年エントリでございます。

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2016.05.28

Oldies but Goodies

タイトルの叫びには心から同意するんですよ、
ましてや私はもっと先鋭的に「消費者然とした個人ユーザーがカネ稼ぎに走るなんざ"さもしい"以外の何物でもない」って立場だし。

「営利目的のカキコミ」は禁止です。(2015.11)

だからネガティブな反応するのは丸2日迷ったんだけど、
なにかの手段じゃなく『ブログする(=自分の書きたいことを書く)ことそのもの』を目的とする、そういう姿勢のブログがいまから増えて、かつ、その姿勢を尊いものだと多くの人が認めてくれる、そんな時代がくる、なんて思えますか?

「その人にしか書けないこと」が読めるのがブログであって欲しい: 不倒城

「俺が!俺が楽しいから!俺にしか書けない、この記事を書いてるんだ!!!!」

というくらいに、俺の俺による俺感が溢れたブログが、ブログ界隈にどんどん増えていくことを、願ってやみません。
何よりも、私自身が「ブログの読者」であり続ける為に。

("不特定のだれか"に読まれてほしくて)自分の言葉を書く、それをブログというのなら、どんなに引っ張っても、そのブームは2000年代で、すでに……。

……それでも、というのなら。
自分にとって面白いブログは自分で発掘して、読者であり続けようというのなら、育てないと──そのブログが"不特定のだれか"に読まれてほしいと思っていることが前提ですけれども。
2016年の今、どういう距離感がいいのかわからないけど、折に触れてTwitterからリンクするくらいが精いっぱい?
もちろん、一番いいのは、いにしえの(!)ブログ・コミュニケーションの作法であるところの『言及してトラックバック送る』っていうやつであって──ブームが去ったおかげで、いわゆるスパムトラバもほとんどなくなりましたし(※個人の感想です)。

だからせめて、わたしたち絶滅危惧種であるところの「個人ブログ」相互で言及しあったり、そういう意味での"互助会"はあってもいいかなと思ってはいるんですけど、この界隈ですら感覚失ってしまって、トラックバックなんてむやみにできなくなってるじゃないですか、あなたもわたしも含めて(苦笑)。
(はてなブログに逃げて、はてなのドメインの中でキャッキャやってる古参連中は知らんよ、システムとしてトラバ機能排除した場に引っ込んでおいて"コミュニケーション志向"の看板掲げたままとか、自己矛盾も大概にしやがれ)


繰返しますけど、ブログが(経済的な)なにかの手段じゃなく『ブログすることそのもの』を目的としていたのが多数派だった牧歌的な時代が、さすがに戻ってくることはないでしょう。
J-POPの歌詞ではボロクソに言われる(笑)ところの「昔は良かった」という思い出を抱えたままで、自分たちのリアルを生き続けるより他ないんじゃないかと、わたしはそう思っています。

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2016.04.23

「包丁が悪いわけではない」、けれど(Twitterと過ごした8年)

なにか災害が起こったりすると、ちかごろはもうTwitter社自身が「情報インフラであれ」と張り切るようになりましたが、
そこはアメリカのいち私企業の"私物"ですから。

使う側も「ちゃんとした情報」だという送り手の自負があるなら、「きちんとオーソライズされた組織しか取れないドメイン」の下で発信してくださいよ、そんなところで【拡散希望】していないで!


……さて、いくら「娯楽のプラットフォーム」だとしても、本邦の現行法規は守らないといけないわけですが。

あまりにもカジュアルに──かつ大量に──著作権の観点からは限りなくクロに近い画像ツイートがあふれるようになった、この一年でした。

日々もう、
放送かアニメソフトか知らんが画面のキャプチャも、
マンガ本のあるカットの写真(これも電子書籍のキャプチャ?)も、
溢れるように上げるひとがいて、
溢れるようにリツイートで拡散されておられる。

「実態にそぐわない悪法は既成事実で圧倒して空文化してしまえ」という意志があってのことなのか、
公式に、名指しで、警告受けたら悪態のひとつふたつと引き換えに止めてあげるのか、
みんなが(表面上問題なく)やってるから自分もしてるだけなのか知りませんけれども、
せめて本邦の現行法規に照らせばなにがしか後ろめたい行為、って自覚だけはあるんですよね?
なにも考えてないの?まさか。

おそらくは、道具は悪くない、いわゆる『「包丁で人を刺したからといって包丁が悪いわけではない」理論』で反論されるんでしょうけれども、
画像つきツイートという機能が、その道具が悪いわけではない、とはいえ、
ここらへんで相当に強力な警告を出しておかないと、なんか妙なとばっちり受けそうな気がするんですけど、ねぇ……。


──Twitterをはじめて8周年の日に。

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2016.03.02

「ワン」でも「マン」でもないだろう?

わたし自身は「音楽を持ち歩く」という習慣が無いだけでなく"No Music, No Life"なる心情も理解できないような人生&生活を送っているわけですが、そんなわたしのTwitterタイムラインになぜか「ワンマンライブ」の文字がひんぱんに踊るわけです。

その「ワンマンライブ」をするのは、いつも『バンド』もしくは『女性グループ』なんですね。

いや、グループやったら、「ワン」マンちゃうやろ、と。

ましてや女性グループが「ワン」でも「マン」でもないだろうと。

……ねぇ、だれか。
漢字で「単独公演」、せめて「単独ライブ」と表記しない?できない?してはいけない?客観的・合理的な理由がどこかにあるのなら、ぜひとも教えていただきたく、よろしくお願いいたします(笑)。

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2015.12.03

今はただ、エンドロールを見る日まで──ココログ12周年

ブログを始めて3ヶ月やそこら、どころか、ときにはほんの3週間ほどで、わかったような雑感エントリをものしているブログを見ると、「愛いやつ★」なんて思ってしまうTristarです、こんばんは。

……まぁ、だれしも通る道、ですわね。
ここにも、こうして12回目の周年エントリを書いているひとがいます。


ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも、12周年の日を迎えることとなりました。

もう、年に数エントリというアクティブとはとてもいえないペースに落ちてはや数年、
図らずも「大いなる遺産」となった以下の『3大雑学エントリ』でアクセスを維持している状態。

しらない間に訴えられて被告になっていたでござる、の巻(2010.05)
胸骨圧迫(心臓マッサージ)に最適なBGMを探せ【J-POP編】(2011.11)
【季節の?トリビア】『大掃除』は法律に規定された義務でございます。(2008.12)


ネット&ブログで起こるあれやこれやを書くブログは激減し、言及しようにもできる相手はすでに無く。
……2010年代にブログデビューしたひとにしてみれば「しらないだれかに言及される」なんて、もしかしたら恐怖でしかないのかもしれませんが(苦笑)。

毎年の繰り言もアレなので、コミュニケーションどうこう、とは書かないことにします。


今はもう──って前にも書いたかもしれないですが──自分が使っているそれぞれのサービスが終了するその日まで、自らアカウント消去する事態に陥ったりすることのない、そんなネット人生を全うしたいと、ただそれだけの想いでいます。

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2015.11.04

「営利目的のカキコミ」は禁止です。

──『「嫌儲」と呼ぶなかれ、「純潔」と称呼すべし。』改題

21世紀どころか、2010年代にネットデビューした諸兄姉には何のことか理解できないだろうけどね……

かつてのパソコン通信では、特に許可されない一般ユーザーが「営利目的で参加する」ことは(たいていの事業者あるいはホストでは)厳しく禁じられていました。

『「営利目的のカキコミ」は禁止です。』
わたしが始めた1996年冬の時点では"原則"程度の扱いになっていましたが、そのころ数多出版されていたハウツー本の中のコラムなどの記述を見るかぎり、それ以前においては、ユーザー同士の"相互監視"も含めてほんとうに厳しい『掟』であったようです。

ですから。
(少なくとも日本の)ネットコミュニケーションにおいては、その出自にかんがみて、
「一般ユーザーが──"一般ユーザー風情"が──その借りたスペースになにかを書くことで直接に稼ごうとする、あるいは将来の稼ぎ目的に使えそうな情報and/or人脈漁りにシャカリキになっている」ことに不快感を示すのは、
まことに正当かつ正統な感情
であります。

ましてや他人にもそういう(テメェの稼ぎ目的の)使い方をすべきなどと力説し、
さらには稼ごうという気のまるでない「ただ楽しむ目的」の層を陰に陽に見下すが如き物言いをするなど言語道断!

たとえば。
ブログで本1冊紹介するのに、その題名または書影(表紙画像)に付けるハイパーリンクが、版元(出版社)サイトの書籍紹介ページではなく「amazon.co.jpで始まり個人idらしき記号で終わる長ーいurl」でなければならない、その根拠は何か?
「合法的に書影を貼りたいだけ」、そんな言い訳は見飽きた。
わたしは今までのすべてにおいて「版元に」リンクした。

本の紹介と書影画像が同一エントリ内でセットでなければならず、かつアフィリエイトしなければならない根拠が「稼ぎ目的のエントリ」以外のどこにあるのか、答えてみろ!

または。
夢見るだけならまだほほえましいが、本当にブログがきっかけで本を出しただと?ビジネス人脈と仕事を得ただと?

……そういうのが、かつて厳しくご法度であった「営利目的のカキコミ」なんですよ。

だいたいが、無料(もしくは低廉月額)で、いかにも全くの「消費者」を装ってホスティングされておきながら、実際は銭勘定してます、なんて、さもしいの4文字で表現する以外のなにものでもない。
ブログで稼ぎたけりゃ、せめて正しく「ビジネス向けプラン」(として契約できるホスティング事業者)でブログしやがれ。


もちろん、時代は移り、そのホスティング事業者において規約などで明確に禁止されていないかぎりは、当然どう使おうとダメ出しされる謂れはないのでしょうが、しかしながら……
一見趣味娯楽メインのようでいて仲間とつるんでおバカな掛け合いを表向き全力で楽しんでいたりしながら、実は「切磋琢磨」志向だった、とか、「使エソウナ人脈漁リ」してた、とか、そんなんいちばん『やらしい』わ、と思うんですよ。不純ネット交遊やん。
(かつて某所へ軽いノリで絡みに行ってえらい怒られた怨みも無くはないですが)


「何のために」ネットコミュニケーションをしているのか、という問いが浮かぶ時点で、すでに"汚れている"のです。
『コミュニケーションそのものを目的』とし、楽しむことこそが、ネットで何かを書き、交流する態度としてもっとも純粋なのです。


──という予定稿を寝かせたまま数年、いまやすっかりブログからコミュニケーション色は消えましたが、それでも。

「嫌儲」という、どこかネガティブな響きを持つ命名には強烈な不満を表明し、
書き込みで稼ぐことを忌み嫌う感情に対しては、出自に忠実であることを、好ましくは「純潔」と称呼され敬せられることを願うものであります。

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2015.04.23

ダークサイドに堕ちないで(Twitterと過ごした7年)

ったく、もう……
公式からして #統一地方選 のハッシュタグ作って、さらに #選挙に行こう ってかい。
アメリカ(生まれ)のいち私企業に、そんなこと指示されたくはない!
大きなお世話じゃ(Googleもやで!)。

そしてそれは「ダークサイドへの第一歩」ではないのですか。


以前から何度も繰り返し繰り返し書いてきた(リンク先はほんの一例)けど、(リアル世界の)政治/選挙に関わろうとするなど、どうか踏み止まっていただきたい。
向こう側からの要請に対して場所を貸してあげる、ならまだしも、自らすり寄る・主体的に関わろうとするなど。

幸いなことに「いま現在は」かつて憂慮したほどには本職の側で本気で活用しようという状態にはないようですが……


十年ほどの昔になりますが、
「ウェブの希望」を語ったいくつかの著書で日本のネット世界を席巻したものの、「残念」の捨て台詞を遺してオープンな舞台からお隠れあそばされた"職業オプティミスト"さんが存在しておりまして。

その彼の御著書に曰く、
『ギークは"スター・ウォーズ"の世界観に依拠する共通言語を持っている』

とのことでしたが、それは嘘でしたか。
それとも「残念なウェブ」の技術者からは消え去ったのですか。

あの映画から──特にEpisode1~3から──導き出されるものがあるとするなら、政治に色気を出すというか、自分たちが主体的に関わろうとする野心、それこそが「ダークサイドへの第一歩」だ、ということではないのですか?
光明面を保つためには、ある程度浮世離れ(憂き世離れ)しておかないといけない、ってことではないのですか?


それぞれがいち私企業にすぎないウェブサービス各社に「無色透明であること」を求める、というのも過剰すぎる期待であるのかもしれませんし、ユーザーが無料で使えていることの意味を考える必要はあるのですけれども、
カジュアルに使っている、オープンを標榜している、それぞれのサービスが実はなんらかの党派性を持っちゃってたりするとか、特定のイデオロギーに深くコミットしている、もしくは排除している、なんていうのは、「見たくない光景」です...よね?


……ということで、Twitterのみならずネット業界の皆々様には、今一度、「政治との距離」というものをご確認いただきたく。


──Twitterをはじめて7周年の日に。

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2015.02.19

逆に『何年も見ているような個人ブログ』しかないです。

もう何年も『ブックマーク(←ソーシャルじゃなくて、ローカルの)にあって、定期巡回している』ブログしか見ていないです、ほとんど。

何年も見ているような個人ブログってある?(はてな匿名ダイアリー):

好きだからだとか、なぜか何年も見てしまっているだとかで。

わたしもココログ初期組ですけど、あの頃の「ブログ黎明期」にブックマークに加えてそのまんま、という巡回先ばかりですね。
結局「RSSリーダー」なるものは使わずじまいで、毎日毎日、ブラウザの"ブックマーク"メニューからたどり続けて10年余。

で、なぜかっていえば、うーん。
あえていえば、(誰に強制されたでもなく)自ら選んでブックマークに入れたからには、……ってところですかねぇ。
その「巡回に入れた自分の選択」が間違っていなかったと信じたいから読み続けてる、みたいな(笑)。

前稿はじめ何度か書いたけど、新規開拓をしていない(いま確認したら少なくとも7年半以上新規に巡回に加えたブログがなかった...!)から、実稼動リストは痩せる一方で。
いわゆる個人ニュースサイトやソーシャルブックマーク経由で覗きに行くことももちろんあるけれども、自分にとってのメインは
、勝手に義理を感じて一方的に親近感を持っている、『いつもの巡回先』です。それがどこかはここで書かないけど。


もし、「その人目当て」で長く見ているような個人ブログがあるのでしたら、「なんでその人目当てで見ているのか」を教えていただきたい。

昔書いたことがあるけれども、
個性の実力-「理想のコミュニティ」改題(2006.03)

そりゃー、読んでいて自分に心地いいからの一言に尽きるんじゃないですか。
信仰じゃあるまいし、エントリの全部が全部頷けるものではないし何書いているのか理解すらできないエントリもあったりしても、なんか"合う"ものが感じられるからでしょう。
理由?「好きな理由」って、なかなか言語化できませんよね?
そういうこと。……に、しておいてください(笑)。

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2014.12.03

それでも、コミュニケーションを待つ執念──ココログ11周年

ブログに「5年後」はない、と断言してから5年が過ぎてしまったような気がします。
あの頃の未来では、ブログ(ホスティング)サービスを止める事業者が続出している、はずだったのですが……。

どっこい、生き残っています。

ココログと、そして、1日おくれで始めたこのブログも11周年の日を迎えることとなりました。

ネット世界でこれだけの齢を「大過なく」重ねてこられたのはたしかにひとつの能力なのでしょうが、
自分のこととしてみれば怠惰を重ねてきた結果であったりもするわけでして。


……もちろん(?)寿ぐこともなく、後ろを振り返るばかりの、執念の周年エントリ。


そのブログもあのブログも静かに更新を止めてしまい、
さりとて新規開拓することもなく、
「巡回」という言葉が中身を失って、もう何年。

言及したいなぁ、と思うことは今でもいくつかあれど、
「言及先リンクを含めて140字以内に収める」術をうまく身につけてしまった。


わたしにとって「ネット歴」はそのまま「ネットコミュニケーション歴」であって、
なにかを書くのはいまでも「コミュニケーションを期待して」であって、
いまでも断じて、絶対に「自分のための備忘録」ではない。

とはいえコミュニケーションなんてものが消え去ってしまったブログ世界に抗う元気もなく、
「コミュニケーションについてのあれやこれや」というネタが無くなり幾歳月、
それでも毎日欠かさず管理画面にログインしてはアクセス数をチェックして、
記憶の限りの最低日間アクセス数をついに今年更新することに。

それでもなお。
言及しあうことができて、毎日見ていたあのブログに勝手に親近感を持つことができた、『幸せな時代』にデビューしたがために、やめるという決断ができない。


たぶん積極的に動くことはないけれども、積極的に動かないことによって、こうして「あえてやめる決断をする」必要に駆られないおだやかさを、平和を、守り続けてゆけたらなぁ、というところ。


まだしばらくよろしくおねがいします──くれぐれも「燃やさないように」よろしくおねがいします(笑)。

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2014.04.22

『バカッター』よりも恐ろしいこと(Twitterで過ごした6年)

周年とは何の関係もないかもしれませんけれども……


もちろん、ブログブームの昔から、どこに行きました、なに食べました、と逐一写真を上げるひとたちの存在は当たり前にありました。
いまも、不用意に自宅あるいはその周辺の写真を公開することへの苦言はたまに見られますが。


Twitterの時代になって、まぁその中でも変遷はあり、現在のわたしのTLでは『I'm at ○○○』と『○○○にタッチ!』が優勢ですが、総称してジオタグ(giotag)と呼ばれるサービスをカジュアルに使うひとが激増しました。

なぁ、あんたがた。
何がしたいの?襲われたいの?

いわゆる『バカッター』、犯罪告白系のそれを「公開の場でそんなこと書く愚か者」と嗤うそのひとが、片方ではせっせとその指でリアルタイムの位置情報を発信し続けている、というのは、どう考えても矛盾やろ、違うか?
『事件』が起こらないまま、ずーっとそれが蓄積されていく、っちゅう点で、『バカッター』よりよっぽど恐ろしいことやと、なんで気づかへんの?

それを、昨日今日ネット始めた──ということは、自分のツレとのみしかつながることを知らない──連中はいざ知らず、わたしよりもネット上のキャリアがはるかに長く、かつはるかに濃いひとびとでさえうれしそうに使っている、というのがどうにも理解に苦しむところ。

写真上げるならExifの日付とGPS情報は消しとけ、とか、
旅の感想書くなら時系列シャッフルしとけよ、とか、
いまの時代に「公開の場でなにかを書く」にあたっての危機管理の基本の基本じゃないんですか。

昨日今日のひとはともかく、ベテランならベテランの矜持として、そこらへんの意識を持っといてほしいんやけどなぁ。
なんでもかんでも座標つき、って流れ、考え直してくれへんかなぁ?




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2014.03.30

「○○さん、皆さん、こんばんは。」

「AかBか」じゃない、「AもBも」ってやり方もあるんやで?

(言及したとシステム的に伝えられない"はてなブログ"ユーザーに物申すのもアレですが……)


ブログの読者をどう呼ぶか。「あなた」か、それとも「みなさん」か。 - Hike×Hack

私は何よりあなた個人に向けて語りかけたいのですから。
つまり私は、
「”あなた”を使いたい」けど  「気恥ずかしい」から
「無難な」道である  「みなさん」を使おうとするのです。

気持ちはわかります。
だけどね、
読者は"あなた"だけじゃないということをかたちで意識し続けておくのもまた大事なことだと思うんですよ。


パソ通の昔はね。
「ここには、やりとりしている相手だけが居るんじゃない、何十何百のROM(Read Only Member)も見ているんだ」ということを、折につけ意識づけられたものです。

だから、わたしだけじゃない、ヘッダに「<相手のハンドル>さん、皆さん、こんばんは。」というあいさつ文を、多くのひとが設定していたものです。

ヒートアップしてくると(笑)ついついやりとり中の相手だけを意識してしまいがちなんですが、そういう時にこそずっと読んでいるROM(野次馬ともいう)にも向けた書き方をすることが大事ですよ、とか。


……ええ、古参兵の戯言にございます、
そして、ブログなるもの、どうしても「一対一」になってしまうのがシステムの限界かなぁ、とも思うのですが。

主人と読者で|読者同士で|みんなで(2006.04)
「みんなでワイワイ」やろうよ、「ネットワーク」なんだから。(2011.02)


元に戻すと、

画面の向こうのあなたに読んでほしい。
だけど、
ほかの皆さんにも読んでほしい、裏を返せば、誰に読まれているかわからない。

公開の場になにかを書くのであれば、ROMが居るということ、その自覚と危機意識を持たなくてどうするか!!と思います。

そのためにも、「皆さん」ということを忘れたらあかんよ、と。




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«リアルで話せりゃ、ブログは書かぬわ。