2012.05.22

一酸化二水素にも一分の理、の巻。

まとめを見た限りでは「本気で」釣られていたとは思えない……のはわたし自身の願望が投影されたからか(各人のその後(のツイート)を確認してはいない)。

各地の水道水から一酸化二水素が検出されましたw - Togetter

まぁ、でも、ねぇ。
『リテラシー』を国語力と狭義に解釈すると、これは釣られた側にも一分の理がありませんかね、という。

だって、『検出』という言葉の意味はですね:

微量の成分などを検査して見つけ出すこと。
by デジタル大辞泉

(微量の物質・成分などを)検査して見つけ出すこと。
by 大辞林

となっていることからして、
主成分を、まして圧倒的な主成分を「検出」と表現するのは通常の日本語として絶対的な誤りでありまして。
#分析化学の表現としても主成分を「検出」はありえないですよね>その道のみなさま

何かしら微量の成分、と解釈する方が合理的、むしろ日本語としては正しいのですから(笑)。


それに……
おいらも理系のはしくれ、みんなそれくらい知っといてーや、と思いますけれどもですね、
「水はH2Oですね、Hは水素でOは酸素ですね」まではともかく、
それと「(水素の)酸化物」という表現(および理解)との間には相当の高い壁があるような気もいたします。

そこまで知っとけ、というのはもしかしたらこっち側(理系)の傲慢かもしれなくて。


これ単独の話であれば日本語として破綻していますので「下の下」ですけれども、たぶん世の中にこのレベルの詭弁(?)はあふれているような気がしなくもなく、またこの類の発生も爆散も「予防」は出来ないわけで(だからネットで選挙運動なんて断じて(以下略))、
むずかしい時代に生きているなぁ、と思うわけでして。


おもろうて やがて哀しき ネットデマ。

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2012.05.17

静かに眠れ、ノスタルジー(と破れた夢)を抱いて。

ネットがかつて「(自分にとって)有益、かつ真実の」情報を受け取る場であった頃へのノスタルジーと、
もう来ることのない"ネットの未来"への破れた夢を抱いて、いまは静かに眠りなさい。

そして目覚めたら、この惨状に向き合いなさい。


どこにリンクしようかと思っていたらこんなまとめが。

試される虚構新聞: やまもといちろうBLOG(ブログ)

発端の嘘ニュースへの是非はどちらもそれなりに"ごもっとも"ではあるわけですが、
言っちゃ悪いが"たったこれしき"のことで3日もネットが沸騰してる、ということは。

このままネットを「情報源」として扱うかぎり、
たぶん次の大災害のときにはネット情報が元で相当悲惨なことが起こってしまうだろうねぇ、と。
そりゃまぁ、ネットで救われるひとも1000人くらいはいるかもしれませんが、
それと同時に、混乱の中で数万、数十万がニセ情報の"犠牲"になるかもしれません。

あなたとあなたの周りは前者だなんて、なんでそんな無邪気なこと思えるんですか???

虚構新聞は風刺サイトじゃないよね - novtan別館:

それを無条件に許容するのはウェブの将来にとってマイナスであると

『ウェブの将来』なるものは、あきらめるべき時です。

先月書いた通り、わたしもわたしの手の届く範囲では個別撃破を試みることもあります、だから本件においても「虚構新聞けしからん」と声を上げることが全くの無意味であるとは申しませんが、
かといって"ネットの未来"といったような大きな話であれば、もうどうしようもないわけですよ。

前稿でTwitterに限定していた話が、1か月もないうちにソーシャルメディア全体の話として言い換えないといけない事例が出てきました。

ホントいいかげんこの惨状に向き合いなさい
そしてネットとの向き合い方を考え直すべきです。


そしてこの騒動の中でまた意を新たにしたことは、
ソーシャルメディアは選挙活動には断じて、絶対に解禁してはならない、ということ。

"たったこれしき"のことでネットが沸騰するんですよ?

ネット選挙解禁を叫ぶ夢想家連中は「デマは厳罰で規制すればいい」なんて寝言を簡単に言いますが、
公選法違反で実際に動き出すのは絶対に投票時間が終わった後なんですけど?(ポスター破り以外は)
実影響が出る前にどうやってそれを削除するんですか?
ネットに国境は(ほぼ)ないのに、どうやって規制するんですか?
誹謗とホメ殺しをどうやって線引きするんですか?
投票結果に影響が出てからいくら厳罰に処したって遅いんですよ!!!

どこかの新聞のコラムで解禁派が
『未来永劫解禁しないわけじゃあるまいし、こんなことすら変えられなくて何が政治か』
みたいなことを書いていましたが、冗談じゃありません。

寝言は寝てからにしてほしいと、心底思います。

もう来ることのない、来てはならない、ネット選挙への破れた夢を抱いて、いまは静かに眠りなさい。

そして目覚めたら、この惨状に向き合いなさい


……冷笑家は何も生まない?
そうかもしれません。

だけど、「変えなくていいものを変えることによって起こる不幸」を生み出すよりはマシです。

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2012.04.23

「デマッターでいいのか!」って?…答えはYesだ。(Twitterと過ごした4年)

いいかげん諦めろよ、おまえら。

いつまで「正しく教導できる」なんて夢見てるわけ??
ましてや、意志を持ってヘンテコな言説を流す奴らに。

……もちろん、触法事案はダメですよ。
脅迫も名誉棄損も侮辱も、リッパな刑法犯ですぜ、旦那。


「デマッター」「馬鹿発見器」という蔑称が定着して相当の時が過ぎました。
『Twitter事件簿』というにはあまりにも多い事案が生まれました。

(あいつらを)なんとかしろ、という声は高まる一方ですが。

……なんともなるわけがないでしょう。
犯罪告白はともかく、デマといわれるものの多くは(少なくともその発信源は)、それなりの意志を持ってツイートされたものじゃないんですか。
誰がどうやって「正しく教導」できる、というのですか?

常々「発想を変えろ」って言ってるでしょう。

むしろ、「真顔を排除」したらええやん。(2011.06)

具体名を出して悪いけど。
『東スポ』や『ゲンダイ』の見出しを(電車の中なんかで見て)真に受けちゃって騒ぐひとはどうしたって一定数出ますけれども、
だからといって「なんとかしろ」だの「リテラシー向上が望まれる」だの言うの?
そんなの真顔で言ったとしたら、そっちの方が嗤われるでしょうが。

同じように考えればいい、それだけの話なんですよ。

そこを見るすべてのひとが、そこの信頼性を"タブロイド紙程度のもの"と心得る、そうすることでしか、(意志を持って為された)デマを無力化する方法はありません。
「デマッター」でいいんですよ。……正確にいえば、よくはないけど、今更どうしようもないんだから。
(繰り返すけど、触法事案はダメよ!)

だから、
"フツーの人"にとっては、もう、バカで暇な部分の発露(『バカと暇人』じゃないよ!)にしか使えないし、
"公的機関の中の人"がこんなところで発信することで自身の信頼を汚す必要はないことに早く、一刻も早く気付くべきだし、

(ほかのソーシャルメディア含めて)こんな代物を選挙活動に使うなんてことは、断じてあってはならないんですよ。

ブログやTwitterを「選挙運動」に使うことには、明確に反対します。(2010.04)
夢想への反論(2011.08)


念の為申しておきますが、わたし自身のタイムラインはデマRTなども飛んでくることのない、非常に平和なものにございますので、誤解なきよう。
(清く正しく美しく、かつ楽しい、かどうかについては、微妙だけどね(暴言))


──Twitterを始めて4年目の日に記す

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2012.04.17

競馬は常に美しい……のか?

公営ギャンブルを俗に三競オート(競馬・競輪・競艇・オートレース)と申しますが、中央/地方/ばんえい競馬はそれぞれの持つ"空気"が全然違いますので、「五競オート」と表現した方がいいんじゃないかと個人的に考えているところでありますが、

さて。

従来の一般マスコミにおいてもまたネット上の個人においても、競馬──とくに中央競馬──に対する扱いが良すぎる、あまりにも美しすぎるような気がして仕方がないのでございます。

それぞれの馬の、あるいは騎手の物語、そして想いというもの、
それを理解できないわけではないのですが。

それがギャンブル、賭けの対象なんですよ、ということがキレイに、あまりにも綺麗に拭い去られているような気がするのです。
なぜそんなにも一様に扱いが美しいのでございましょうか?


法的には同列には扱えないと申しましても、実質的には「ギャンブルのもう片方の雄」といえるパチンコの、とくにネット上での扱いとの、そのあまりの差は一体……。
まぁ、ネット上でのパチンコ叩きは、いわゆる「特定アジアへのヘイト」が乗っかっておりますゆえ、その点でも別格というか別問題なのかもしれませんけれども。


ギャンブルであり、酒タバコ等と同じく本質的には「のめり込んではいけない対象」であるはずにもかかわらず、「アツく語る」ことがこんなにも受け入れられている、ということが、どうにも不思議なのでございます。


なおフォローしておきますと、
当方としても首記「五競オート」すべてにおいてライブ観戦経験があるのみならず、
とくに中央競馬においては開催全10競馬場を完訪した程度には興味を持っておりますし、

カップルと家族連れとを問わず、ギャンブル抜きで「競馬場にピクニック」に行くのは、とくにこれからの季節、なかなかのお勧めだと思ってはいるのでございますが。

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2012.04.14

卒業のない熱病の果てに

その昔、子供になにか言いつけたら「先生はこう言ってたもん!」と反抗されてムカついた、という経験をしなかった親はいないんじゃないかと思いますが──でも"先生の威厳"が落ちたいまはどうなんでしょうね?──、
振り返ればむしろほほえましい、一時の熱病みたいなものでございますが。

こちらは大のオトナのお話でございます。

国の発表を信じるな!という人が、見ず知らずの人の一ツイートを頭から信じ込んでいるのは何故だろう: 不倒城:

回りまわってきた見ず知らずの人の情報を頭から信じこんで「やはり国の発表は嘘だった!!」とか脊髄反射するのは、若干純真過ぎるのではないか、と思ったりもするわけである。

んー、見かける範囲ではその情報の「一つ一つは」そんなに信じてはいないのではないか、と感じますけれども。
時流のネタに乗っかれ!というノリ。

のちに誤報が判明したとしても(圧倒的多数は)訂正も反省もしない、
「むしろ全力で釣られろ」
「ネタをネタと(略」
というフレーズを好んで使う、というところから見ても。

どれほど深刻な話であっても、どこかそれを楽しんでいるような気がするんですよね。
大予言2011、みたいな。(2011.04)


ただ、これって、卒業のない熱病、なんですよね……

一つ一つはネタとして扱っていても、それを繰り返すうち、信じる、というよりむしろ「叩く対象に対しての憎悪」を際限なく深めていっているような気がします。

政府・与党に限らず、特亜/パチ/煙草/史観/公務員/日教組/生活保護/...あと何があったっけ、ともかくそんな対象に対しての。

でもあくまで「一つ一つはネタ扱い」だから、諭したところで「ネタにマジレスしやがって」とブロックされるのが関の山だったりして。

しんどいねぇ...


まぁ、ネット全体としては、とうの昔に諦めているんですけどね。
そこを見る全員がタブロイド紙/ゴシップ誌程度の情報源だという認識をさっさと持てよ、という意味で、
「"デマッター"でいいのか?」という問いには「イエス」と答えるし、
ひろくオープンな空間がどうしたって政治や社会に関してはヘイトスピーチとデマにまみれることは確定だし
(だから「ソーシャルメディアで選挙運動解禁」なんて全力で反対するんですよ!!)。


でもね、
かつてささやかなりとも関わりをもった相手さんが、そういった憎悪とデマの拡散屋に堕ちてゆくのは、ただ黙って見ているには忍びなくて。

そこで問うのですが。
徒労だし、しょせんネットつながりだし、ただしずかにフェードアウトするのがいいのか、
やっぱり「手の届く範囲」だけでも矯正(個別撃破、ともいう(笑))することに多少の意味はあるのか。
みなさんは、どう思われますか?


ここ1年くらいの、ひそかな悩みごとだったりします。

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2012.03.23

「フツーの人」ほど、自分を高く売るべきだ。

「自分を曝け出す」ということを、もっと経済行為としてとらえたらいいのに。

横文字でいうところのライフログというのですか、位置情報サービスも花盛りですし、みなさん嬉々として投稿していらっしゃいますけれども。

どこに行って(いま居て)、何をして(誰と会って)、何を食べて(どんな食生活・好みか)。

ネットを通じて稼ぐためにソーシャルメディアを使っているひとにとってみれば、そうやっていちいち投稿することは自身の市場価値を高めるための『手段』あるいは『投資』であって、なにもそれそのものに対する見返りなどなくてもいいのでしょうが、

圧倒的多数にとってはそうではないでしょう?

たとえばTwitterを使う(使い続ける)ことがひとつの『目的』であって、その先には特になにもないはず……と書いたら怒られるかもしれませんが(苦笑)。

どっちにしたって「フツーの人」の、どこ行って、何食べて、という行動履歴は、集めて分析することでたぶんものすごいカネになっているはずなのですから。

「自分を曝け出す」ことが手段や投資ではないからには、個人情報に紐づけたGPS座標付き行動履歴なんてものは、もっとちゃんとした「見返り」をもらえるまで、もったいぶって、レートを吊り上げるべきじゃないかと思うんですよ。
「mayorの称号」とか「○△×シール」に満足している場合じゃなくて。


……つきつめていくと「安易に行動記録をアウトプットするべきじゃない」という話になるのですが、それはまた別の意味も持ってくるものでありますし、いずれ別の機会に。

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2012.03.14

「ネットの中の」あなたが見る、「ネットの中の」私。

それで、いいじゃない、と思います。
その脆さ儚さにさみしくなるときはあるけれど。

読者が見える人、読者に見える人: 304 Not Modified:

読まれる人に対して自分がどのように見えているかを考える人は少ない。

それがプロフィール的なことを指すのであれば、15年あまりずっと、
「謎」でありたいと思い続けてきました。

ただ、画面に映る文字のみで。(2004.04)
白紙のプロフィール-唯一、読み手に強制できること(2006.01)
このブログは、「ネットの私」です。(2008.05)

ネタ切れで軸がぶれたこともあり、もしほんとうに長期の読者がいらっしゃるのであれば、相当詳しく「プロファイリング」されているだろう、とは思っていますが(苦笑)。


『画面の向こうに人がいる』のは当然忘れてはいけないことですけれども、
言い方を変えれば、大原則は『画面を通じたおつきあい』だ、ということでもあって。

それはたしかにすごく脆くて儚いものではあるけれど、
それで、いいじゃない、と思います。

どういう人なんだろう、と思いを募らせて深入りしていくのは、いろいろと……

オフは、慎重に。(2008.12)


読者に見える人になれとは言わないが、読者は文章を通して、だんだんとブロガー自身を見えるようになっていると思う。
自分を見せる、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「自分の(ブロガーとしての)市場価値をアピールする」というように、
ブロガー自身を見る、というのが、
ブログでも稼ごう、あるいはブログで稼ごう、というひとが「こいつは自分のビジネスに有用か?の値踏みをする」というように、

それぞれ見えてしまうのは、そういうところから最も遠くありたいと思うわたしのひどい偏見でしょうか?

『ネット』と『生きる糧』との距離(2007.11)


誰もが一から順に読んでくれるわけでもないので、自分が見えるエントリは必要だと思うようになってきた。私らしさを感じる文章ってなんだろう?

一から順に読んでくれるわけのないことを逆手にとって、一番伝えたいことを繰り返し繰り返し書けばいいし、逆にそうでもしないと「私らしさ」は出ない(認知してもらえない)、そう思っています。

ブログ=繰り言2.0(2006.07)


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2012.02.19

これってやっぱり"黒歴史"?

設置当初こそ話題になったものの、その後一向に話のネタにのぼらないですが。

ピンボケでアレですが、
東京は台東区、浅草寺のお隣にある浅草神社境内にひっそり佇む、
漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の主人公、"両さん"こと両津勘吉巡査長の石碑。

なにやら他の場所では銅像が建立されたとも聞きますが……

話題にならないのはやはり神社が場違いだったのか。
もしかしてジャンプファン、あるいは"こち亀"ファン、"両さん"ファンにはいまだ人気のある場所なのか。
なんか、微妙に、不憫なんですよね……。

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2012.02.15

公式なお知らせのためのアカウントは、そろそろTwitterから撤退すべき。

熱狂の時は終わりました。それぞれの在るべき場所へ帰りましょう。


「デマッター」「馬鹿発見器」という蔑称が定着してかなりの時間が経ちました。
そしてそのはるか前から大喜利会場でもありましたが。

とくに国の省庁から村役場にいたるまで、公的機関が公式なお知らせを流すために存在しているアカウントは、さっさと撤退すべき時期だと考えます。

本邦においては、デマと犯罪告白と大喜利の巣窟のなかに溶け込んで存在することは、自分で自分の信頼性を汚しているに等しい、ということに、いいかげん気付くべきです。


(私企業であれ公的機関であれ)「組織としてのニュースリリースあるいは宣伝」と「個人が個人の立場で発信する文章」とは、はっきりと峻別されなければならない、という点については、多くの同意が頂けるはずです。
(だから、いわゆるステマが叩かれるんでしょう?)

その点においても。
『(肩書がどうあれ)「個人が個人の立場で発信するための」場として生まれ、そしてそれが間違いなく大多数を占めつづける』いわゆるソーシャルメディアからは、「組織の公式見解としての発信」は指弾されるべきもの、と言っても過言ではないでしょう。


いますでにそうなっているからタイトルは「Twitterから」としましたが、遅かれ早かれほかのソーシャルメディアにおいても「デマと犯罪告白と大喜利の巣窟」になっていくのが自然な流れであるでしょうから。

「組織が、組織として行う発信」は、それぞれの"本家"たるサイトから発信するのがスジだ、と考えます。


熱狂の時は終わったのです。みんな、それぞれの在るべき場所へ帰りましょう。
そう、考えます。

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2012.01.17

ステマが露わになって、本当によかった。(ネットde選挙運動にNoを!)

外食評価サイトを皮切りに、あれよあれよと芋づる式に"クチコミ偽装"事例が露見しているこのごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

あまりの展開の速さに、むしろ「旬の話題」にすることで、桜の頃…は無理でも、五輪の頃には完全に"はるか過去の一事件"になるよう"マーケティング"しているんじゃないかと思ったりもいたしますが、実情はなにひとつ変わらないままで、ね。


いやぁ、でもね。
こういう言い方は当事者には悪いけど、こんなレベルの話で露わになって、本当によかった。

それが「邪なもの」であり、しかし「決して明確に識別も根絶もし得ないもの」という共通認識が育まれる結果になって、本当によかった、と思います。


……そう、だから、次々明らかになるこのような事態を目の前にして、
まだ「ネットでの選挙運動を解禁しろ!」なんて寝言を言うひとは居ませんよね?

(少なくとも本邦において)ネット上でなにかをオープンに評価する試み、というものがどういう事態を招くのか、皆様、よーくお分かりになったことと思います。


もし仮に、まだ「解禁しろ」なんてさけぶ奴がいたら、そいつはカネをもらえる予定の"工作員"に違いない。
ステマ叩きが「是正処置」だとすれば、そいつらを全力で叩き潰し、いまのうちに完全に芽を摘んでおくべきです──「予防処置」として。

『ごく少数"真に受ける"ひとがでてくるのは致し方ないとしても、圧倒的多数にとっては実際の投票行動に一切の影響を与えるものではなく、ただただ娯楽として、デマと工作のカオスを楽しむためだ』と誓えるのであれば別ですけど。
……無理ですよね。

ならば、わたしたち自身を守るために。
"ネットde選挙運動"に、明確な「No」を突き付けましょう!


ブログやTwitterを「選挙運動」に使うことには、明確に反対します。(2010.04)
夢想への反論(2011.08)


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2012.01.09

もういちど、「純粋」だった、あの頃に。

かつてパソコン通信の頃、メジャーなホストでは、特別に許可された以外の個人IDが「営利目的の書き込み」をすることは、規約で固く禁じられていました。
わたしが始めた15年ほど前にはそれほど厳格でもなかったですが、その頃あまた出版されていた関連書籍によると、それ以前はユーザー同士の"相互監視"も相当に厳しかった、といいます。

やがて各事業者がプロバイダを兼ねるようになり、ホームページ開設、そしてブログサービスにおいて「※商用利用可」という注釈がついたとき、"方針の大転換"と驚きをもって受け取られたものです……


Googleの検索ワードで「ステマ」が第一位になったとか。
ステルスマーケティング とは - ネットマーケティング・キーワード:ITpro

ただ昨今の使われ方を見ると完全に「今月の大喜利素材」と化しているようで、あまりに真面目に論考しているのは見ていて痛々しいと思わなくもないですが(笑)。

ステマ連呼して叩く、じゃあ【広告】とキャプション入れてればいいのか、って、それならもう見ない(参考にしない)んじゃないかと思うんですね。完全スルー。

ということは、つまり、なんであれ(そして、最初に長々書いた昔話につながるのですが)。

『ネット上に(個人の立場で)個人が発信するものが、営利(カネ)に"汚されたもの"であってはならない』という心性は、いまだ"時代遅れの少数派"などではないし、"正統かつ正当"だと胸を張っていいんだ、と、すこしだけ心強く思った次第でありまして。


そりゃあ昔だって人脈作りに精を出していたひとは少なくなかったですし、
それがあるからこそ今(の生活)がある、というひとも直接間接存じておりますが、
それも普段のコミュニケーション(雑談と言い換えてもいい)あってのことだったし。

ただ、最初に長々書いたような「本邦におけるネットコミュニケーションの出自」からすると、
今もっと直接的に「ブログで(効率的に)稼ぐ!」とか言われることに対する違和感、はっきりいえば嫌悪感というのを、どうしても感じるわけです。


もういちど、ネットコミュニケーションが「純粋」だった、あの頃に。
……まぁ、戻らないでしょうね。
そもそもコミュニケーション自体が死にかけだしなぁ。


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2011.12.29

雑談が消え、コミュニケーションが消えた。

かつてのパソコン通信ではたいていどこでも、一番にぎわっていたのは「フリートーク」の会議室でした。
そのフォーラムのテーマとは関係ないことを話す場、すなわち"雑談部屋"。

今いずこ。


移りゆく「インターネットの一番の問題点」 - 琥珀色の戯言:

僕がネットをはじめた10年前くらいには、弱音を吐くと、共感してくれたり、励ましてくれたりする人が多かった。
ところが、今は、「弱音を吐いた人や、ちょっとおかしなことを言った人」は、容赦なくバッシングされる。
「共感」どころか、「隙をみせずに発言する」ことが要求される。
「隙を見つけたら、とことん引きずり下ろそうとする」人たちがたくさんいるから。
(中略)
10年前は、現実が戦場で、ネットは野戦病院だった。
でも、いまは、ネットこそがもっとも油断のならない戦場になっている。
現実も、相変わらず戦場のままなのだけれども。

この"空気"、すごくわかります。
単純に「しんどい」「疲れた」とは書けない"なにか"を感じるんですね。
「でも頑張らないと」と付け加えないと許されない、ような。

外資系コンサルや金融の特徴としてよくいわれるところの「Up or Out」を連想します。
昇進か、さもなくばクビか。

ネットが、そこで発信する個々人までもが、強烈な上昇志向に憑りつかれているように感じるんですね。

理由は存じませんが、もしこの見立てが当たっているとするなら、巷にあふれる"日本没落論"は、一笑に付していいのかもしれませんが。


それはそれとして。
そもそも、いまの大多数のひとって、ネットに"雑談"を求めているのでしょうか?
それどころか、コミュニケーションさえ。

Twitterだって、「(双方向の)つながり」を目的としているひと、けっこう希少なのではないですか?
3桁後半も4桁もフォローしていて、「やりとり」がそう簡単に成立するはずがないし、だとすると、別の目的、それこそ上昇志向にもとづく情報収集など、に使っていると見た方がいいわけで。

……理由を考えてみました:


  • かつてわたしたちは、ネットに居場所を求めに来た。

  • だから雑談が成り立ったし、コミュニケーションが主目的になりえた。

  • 時代が下り、"一般人"──若年層・そしてリア充──が大量に入ってきた。

  • かれらにとって当たり障りのない雑談は「友達と」「リアルで」(ケータイメールで)するものであって、

  • ネットはネタ集め、情報収集、そして誰憚ることなく他者を斬りつけるためのもの。

いかがでしょうか。
昔から人脈作りに躍起なひとは居ましたし、今わたしのTLにはリアルご近所さんと「改変しまくりの非公式RT」を駆使してキャッキャしているひとも居ますけれども、
全体として雑談が消え、コミュニケーションさえもが消えていった理由としてつじつまは合うように思いますが。

この先この国がどうなっても、この流れはもう止まらないのかもしれません。
庶民が個人の立場でアウトプットすることなんて、結局たいしたことなんてないのにね。
ああ。

わたしは「読む落語」のようなものをネットに求めているのかもしれない。(2008.11)


でも、「雑談をできる相手」を探すのは、ほんとうに難しいですよ。
リアル近所と違って、育ちも、常識も、まるでちがうわけですから・・・
テーマを定めずに、それでも話が合う、というのはものすごい奇跡だと。

だからこそ見つかれば"安住の地"になり、そして、
外野からは"常連のたまり場"と非難されもするわけですけれども(笑)。

私の居場所はどこですか(2007.08)

わたしはまだ、探しています。
……いや、"探して"はいないかもしれません、
ガツガツ探しに行くものじゃなく、「気がつけばそこだった」という性質のものだと思うから・・・


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2011.12.26

今年は慣例で上げる、自選エントリ2011

なんというか、ブログブームの下降線がはっきり見えだした、と言っていい昨今ですが。
だからこそまなめさんにはもう一度トラバ企画を復活していただきたく思ったりもしますが……"古参"しか集まらなかったりして(^^;。

まぁそれはともかく、何年も続けていると「しないとどうも落ち着かない」みたいな心情でお送りする、2011年自選エントリ3つでございます。


ひとつめ:

諸君 私は娯楽が大好きだ(2011.09)

改変ネタとしてはかなり頑張ったつもりの一品(笑)。
あ、ちなみに原典であるところの『ヘルシング』は1ページも見たことがありません(^^;
どころかそれが漫画であることをこの参照元をさがしている過程で知った、という……


ふたつめ:

Facebookは滅びるべきである。(2011.02)

<(リアルの)属性によるしがらみ>からの解放、などという考えも今ではそれこそ敗残兵ようなものなのかもしれませんけれども……
遠からず、
あまねく人々が、個人情報を、そしてGPS座標つきの行動履歴を、
それがどう利用され自身にどのような対価があるのかも知らされないまま、
しかし嬉々として逐一差し出さないと、一定水準以上の社会生活が送れない、
そんな未来が来るようで、、、

あ、ちなみに「バルス!」ネタを使いましたが原典であるところの『天空の城ラピュタ』は1秒たりとも見たことがありません(^^;

この2つあたりは、まぁ、"ネット民としての嗜み"的な知識として使ってみた次第。


みっつめ:

「お上」が来る、ということ(2011.04)

娯楽・大喜利と、今やデマも多いですが、それらと「公の情報」が共存できる、そんな国でも民族性でもない、ことは誰もが認めるはずです。
いわゆるアーリーアダプター・インフルエンサーと称される方々にはもう一度考え直していただきたい。
あなたがたはそんな未来を望んだのですか?


──「自分のパソコン」を手に入れ、電話回線からネットにつながってから、15年と数日目に記す


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2011.12.22

自炊代行訴訟を嗤うひとたちに思うこと

盗人猛々しい、と書いたりしたら怒られるんですかね。


『時代遅れだ』

それはまぁあるかもしれない。
だけど。

『さっさとDRM(著作権保護機能)つけた電子書籍作れや』

へぇー!
どの指がそんな文章タイピングできるんですか???

あなたがた、過去に「DRMつきで出てきた音楽ソフトやデジタル放送」をただの一度たりとも悪罵しなかったとでも?その指で。

DRMつけてきたらその不便さに呪詛吐くんじゃないんですか?
自由に複製させろ、とまたわめき散らすんじゃないんですか?

その先にあるのは何?

だれかの故意であれ過失であれ、その電子書籍が、あるいは"自炊"したファイルが、ネットに出てくることを織り込み済みなんじゃないの?
"ネットに落ちてるものを拾う"時代が来ることを期待していないと言い切れるの?

……盗人猛々しい、と書いたら邪推が過ぎますかね。


記者会見では背表紙を断裁されることへの感情論が取り上げられる結果になったようですけれども、
自前であれ代行であれ、「無劣化で無限に複製可能なデジタルデータ化されること」への恐怖感、というのは全く正当だと思うのです。
ネットに流れ出てしまったらもうそこで食い上げなのですから。


何度書いても誰も答えてくれないのでまた書くのですが:
『「○○(=歌手または演奏者)のファンなんです」と公言しながら、(ほぼまちがいなく)著作権侵害でアップされたそのアーティストの動画サムネイルを嬉々としてブログなんかに貼り付ける』というよくある行為、あれはいったいどういう心情なんですか??

あんたの好きな○○の著作権が侵害されてることには何も思わんのか。
それを貼り付けて侵害に手を貸すというのはどういう神経か。


これからは本についても同じことが起こるのは確実でしょう。

「感動したんです!ぜひ読んでください!」とか言って"共有"しようとする連中がやまほど出てくるのは間違いないわけです。

音楽なら、一応は「ストリーム再生されるPV」と「買えるmp3ファイル」が別物ですが、……

過去にも未来にも「断じて脱法アップされたネット動画は見ない」と言い切れる人だけにしか、「(書籍の)デジタルデータ化への恐怖感」を嗤う資格はないと思うのですが。


でもまぁ、「きちっとしたDRMが整備されたうえでの電子書籍化」ならメリットは多大かもしれません。

"ポケットの中に何千曲"を自慢する馬鹿と同じように、(時間的に)絶対に聴けもしない/読めもしないデータでも、ちょっと煽られれば争うように"ポチって"くれるでしょうから(笑)。



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2011.12.16

帰宅途中にふとコンビニに寄るとなにかふんいきが違う。
ふと上を見ると、……

店内照明が全部LEDになってた!
実店舗で使っているの初めて見たよ。

……おかねのあるところはちがいますね(苦笑)


頑張ってはいるんだろうけど、いきなり違和感感じたくらいで、やはり蛍光灯とは違うんですね。
もともと蛍光灯に比べて青暗い感じはあるけど、棚に向けて光が向くようにかなり傾けて配置しているせいもあるのか、通路は体感2割くらい暗い。まぁ節電アピールには却って好都合、という戦術なのかどうかまでは存じませんが。

で、やはり見え方が違ってくるわけで、
いままでの蛍光灯の下では色映えしたのに、LEDの下ではどうもうまそうに見えない、なんて事例はこれからやまほど出てくるのでしょうねぇ。

関係各方面におかれましては当分の間「蛍光灯映え」「LED映え」の両にらみで考えないといけなくなりそうで大変でしょうね(あるいはとっくの前に始まっているのか)、なんてことを考えた帰り道でした。


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