2012.01.17

ステマが露わになって、本当によかった。(ネットde選挙運動にNoを!)

外食評価サイトを皮切りに、あれよあれよと芋づる式に"クチコミ偽装"事例が露見しているこのごろ、皆様いかがお過ごしでしょうか。

あまりの展開の速さに、むしろ「旬の話題」にすることで、桜の頃…は無理でも、五輪の頃には完全に"はるか過去の一事件"になるよう"マーケティング"しているんじゃないかと思ったりもいたしますが、実情はなにひとつ変わらないままで、ね。


いやぁ、でもね。
こういう言い方は当事者には悪いけど、こんなレベルの話で露わになって、本当によかった。

それが「邪なもの」であり、しかし「決して明確に識別も根絶もし得ないもの」という共通認識が育まれる結果になって、本当によかった、と思います。


……そう、だから、次々明らかになるこのような事態を目の前にして、
まだ「ネットでの選挙運動を解禁しろ!」なんて寝言を言うひとは居ませんよね?

(少なくとも本邦において)ネット上でなにかをオープンに評価する試み、というものがどういう事態を招くのか、皆様、よーくお分かりになったことと思います。


もし仮に、まだ「解禁しろ」なんてさけぶ奴がいたら、そいつはカネをもらえる予定の"工作員"に違いない。
ステマ叩きが「是正処置」だとすれば、そいつらを全力で叩き潰し、いまのうちに完全に芽を摘んでおくべきです──「予防処置」として。

『ごく少数"真に受ける"ひとがでてくるのは致し方ないとしても、圧倒的多数にとっては実際の投票行動に一切の影響を与えるものではなく、ただただ娯楽として、デマと工作のカオスを楽しむためだ』と誓えるのであれば別ですけど。
……無理ですよね。

ならば、わたしたち自身を守るために。
"ネットde選挙運動"に、明確な「No」を突き付けましょう!


ブログやTwitterを「選挙運動」に使うことには、明確に反対します。(2010.04)
夢想への反論(2011.08)


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2012.01.09

もういちど、「純粋」だった、あの頃に。

かつてパソコン通信の頃、メジャーなホストでは、特別に許可された以外の個人IDが「営利目的の書き込み」をすることは、規約で固く禁じられていました。
わたしが始めた15年ほど前にはそれほど厳格でもなかったですが、その頃あまた出版されていた関連書籍によると、それ以前はユーザー同士の"相互監視"も相当に厳しかった、といいます。

やがて各事業者がプロバイダを兼ねるようになり、ホームページ開設、そしてブログサービスにおいて「※商用利用可」という注釈がついたとき、"方針の大転換"と驚きをもって受け取られたものです……


Googleの検索ワードで「ステマ」が第一位になったとか。
ステルスマーケティング とは - ネットマーケティング・キーワード:ITpro

ただ昨今の使われ方を見ると完全に「今月の大喜利素材」と化しているようで、あまりに真面目に論考しているのは見ていて痛々しいと思わなくもないですが(笑)。

ステマ連呼して叩く、じゃあ【広告】とキャプション入れてればいいのか、って、それならもう見ない(参考にしない)んじゃないかと思うんですね。完全スルー。

ということは、つまり、なんであれ(そして、最初に長々書いた昔話につながるのですが)。

『ネット上に(個人の立場で)個人が発信するものが、営利(カネ)に"汚されたもの"であってはならない』という心性は、いまだ"時代遅れの少数派"などではないし、"正統かつ正当"だと胸を張っていいんだ、と、すこしだけ心強く思った次第でありまして。


そりゃあ昔だって人脈作りに精を出していたひとは少なくなかったですし、
それがあるからこそ今(の生活)がある、というひとも直接間接存じておりますが、
それも普段のコミュニケーション(雑談と言い換えてもいい)あってのことだったし。

ただ、最初に長々書いたような「本邦におけるネットコミュニケーションの出自」からすると、
今もっと直接的に「ブログで(効率的に)稼ぐ!」とか言われることに対する違和感、はっきりいえば嫌悪感というのを、どうしても感じるわけです。


もういちど、ネットコミュニケーションが「純粋」だった、あの頃に。
……まぁ、戻らないでしょうね。
そもそもコミュニケーション自体が死にかけだしなぁ。


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2011.12.29

雑談が消え、コミュニケーションが消えた。

かつてのパソコン通信ではたいていどこでも、一番にぎわっていたのは「フリートーク」の会議室でした。
そのフォーラムのテーマとは関係ないことを話す場、すなわち"雑談部屋"。

今いずこ。


移りゆく「インターネットの一番の問題点」 - 琥珀色の戯言:

僕がネットをはじめた10年前くらいには、弱音を吐くと、共感してくれたり、励ましてくれたりする人が多かった。
ところが、今は、「弱音を吐いた人や、ちょっとおかしなことを言った人」は、容赦なくバッシングされる。
「共感」どころか、「隙をみせずに発言する」ことが要求される。
「隙を見つけたら、とことん引きずり下ろそうとする」人たちがたくさんいるから。
(中略)
10年前は、現実が戦場で、ネットは野戦病院だった。
でも、いまは、ネットこそがもっとも油断のならない戦場になっている。
現実も、相変わらず戦場のままなのだけれども。

この"空気"、すごくわかります。
単純に「しんどい」「疲れた」とは書けない"なにか"を感じるんですね。
「でも頑張らないと」と付け加えないと許されない、ような。

外資系コンサルや金融の特徴としてよくいわれるところの「Up or Out」を連想します。
昇進か、さもなくばクビか。

ネットが、そこで発信する個々人までもが、強烈な上昇志向に憑りつかれているように感じるんですね。

理由は存じませんが、もしこの見立てが当たっているとするなら、巷にあふれる"日本没落論"は、一笑に付していいのかもしれませんが。


それはそれとして。
そもそも、いまの大多数のひとって、ネットに"雑談"を求めているのでしょうか?
それどころか、コミュニケーションさえ。

Twitterだって、「(双方向の)つながり」を目的としているひと、けっこう希少なのではないですか?
3桁後半も4桁もフォローしていて、「やりとり」がそう簡単に成立するはずがないし、だとすると、別の目的、それこそ上昇志向にもとづく情報収集など、に使っていると見た方がいいわけで。

……理由を考えてみました:


  • かつてわたしたちは、ネットに居場所を求めに来た。

  • だから雑談が成り立ったし、コミュニケーションが主目的になりえた。

  • 時代が下り、"一般人"──若年層・そしてリア充──が大量に入ってきた。

  • かれらにとって当たり障りのない雑談は「友達と」「リアルで」(ケータイメールで)するものであって、

  • ネットはネタ集め、情報収集、そして誰憚ることなく他者を斬りつけるためのもの。

いかがでしょうか。
昔から人脈作りに躍起なひとは居ましたし、今わたしのTLにはリアルご近所さんと「改変しまくりの非公式RT」を駆使してキャッキャしているひとも居ますけれども、
全体として雑談が消え、コミュニケーションさえもが消えていった理由としてつじつまは合うように思いますが。

この先この国がどうなっても、この流れはもう止まらないのかもしれません。
庶民が個人の立場でアウトプットすることなんて、結局たいしたことなんてないのにね。
ああ。

わたしは「読む落語」のようなものをネットに求めているのかもしれない。(2008.11)


でも、「雑談をできる相手」を探すのは、ほんとうに難しいですよ。
リアル近所と違って、育ちも、常識も、まるでちがうわけですから・・・
テーマを定めずに、それでも話が合う、というのはものすごい奇跡だと。

だからこそ見つかれば"安住の地"になり、そして、
外野からは"常連のたまり場"と非難されもするわけですけれども(笑)。

私の居場所はどこですか(2007.08)

わたしはまだ、探しています。
……いや、"探して"はいないかもしれません、
ガツガツ探しに行くものじゃなく、「気がつけばそこだった」という性質のものだと思うから・・・


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2011.12.26

今年は慣例で上げる、自選エントリ2011

なんというか、ブログブームの下降線がはっきり見えだした、と言っていい昨今ですが。
だからこそまなめさんにはもう一度トラバ企画を復活していただきたく思ったりもしますが……"古参"しか集まらなかったりして(^^;。

まぁそれはともかく、何年も続けていると「しないとどうも落ち着かない」みたいな心情でお送りする、2011年自選エントリ3つでございます。


ひとつめ:

諸君 私は娯楽が大好きだ(2011.09)

改変ネタとしてはかなり頑張ったつもりの一品(笑)。
あ、ちなみに原典であるところの『ヘルシング』は1ページも見たことがありません(^^;
どころかそれが漫画であることをこの参照元をさがしている過程で知った、という……


ふたつめ:

Facebookは滅びるべきである。(2011.02)

<(リアルの)属性によるしがらみ>からの解放、などという考えも今ではそれこそ敗残兵ようなものなのかもしれませんけれども……
遠からず、
あまねく人々が、個人情報を、そしてGPS座標つきの行動履歴を、
それがどう利用され自身にどのような対価があるのかも知らされないまま、
しかし嬉々として逐一差し出さないと、一定水準以上の社会生活が送れない、
そんな未来が来るようで、、、

あ、ちなみに「バルス!」ネタを使いましたが原典であるところの『天空の城ラピュタ』は1秒たりとも見たことがありません(^^;

この2つあたりは、まぁ、"ネット民としての嗜み"的な知識として使ってみた次第。


みっつめ:

「お上」が来る、ということ(2011.04)

娯楽・大喜利と、今やデマも多いですが、それらと「公の情報」が共存できる、そんな国でも民族性でもない、ことは誰もが認めるはずです。
いわゆるアーリーアダプター・インフルエンサーと称される方々にはもう一度考え直していただきたい。
あなたがたはそんな未来を望んだのですか?


──「自分のパソコン」を手に入れ、電話回線からネットにつながってから、15年と数日目に記す


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2011.12.22

自炊代行訴訟を嗤うひとたちに思うこと

盗人猛々しい、と書いたりしたら怒られるんですかね。


『時代遅れだ』

それはまぁあるかもしれない。
だけど。

『さっさとDRM(著作権保護機能)つけた電子書籍作れや』

へぇー!
どの指がそんな文章タイピングできるんですか???

あなたがた、過去に「DRMつきで出てきた音楽ソフトやデジタル放送」をただの一度たりとも悪罵しなかったとでも?その指で。

DRMつけてきたらその不便さに呪詛吐くんじゃないんですか?
自由に複製させろ、とまたわめき散らすんじゃないんですか?

その先にあるのは何?

だれかの故意であれ過失であれ、その電子書籍が、あるいは"自炊"したファイルが、ネットに出てくることを織り込み済みなんじゃないの?
"ネットに落ちてるものを拾う"時代が来ることを期待していないと言い切れるの?

……盗人猛々しい、と書いたら邪推が過ぎますかね。


記者会見では背表紙を断裁されることへの感情論が取り上げられる結果になったようですけれども、
自前であれ代行であれ、「無劣化で無限に複製可能なデジタルデータ化されること」への恐怖感、というのは全く正当だと思うのです。
ネットに流れ出てしまったらもうそこで食い上げなのですから。


何度書いても誰も答えてくれないのでまた書くのですが:
『「○○(=歌手または演奏者)のファンなんです」と公言しながら、(ほぼまちがいなく)著作権侵害でアップされたそのアーティストの動画サムネイルを嬉々としてブログなんかに貼り付ける』というよくある行為、あれはいったいどういう心情なんですか??

あんたの好きな○○の著作権が侵害されてることには何も思わんのか。
それを貼り付けて侵害に手を貸すというのはどういう神経か。


これからは本についても同じことが起こるのは確実でしょう。

「感動したんです!ぜひ読んでください!」とか言って"共有"しようとする連中がやまほど出てくるのは間違いないわけです。

音楽なら、一応は「ストリーム再生されるPV」と「買えるmp3ファイル」が別物ですが、……

過去にも未来にも「断じて脱法アップされたネット動画は見ない」と言い切れる人だけにしか、「(書籍の)デジタルデータ化への恐怖感」を嗤う資格はないと思うのですが。


でもまぁ、「きちっとしたDRMが整備されたうえでの電子書籍化」ならメリットは多大かもしれません。

"ポケットの中に何千曲"を自慢する馬鹿と同じように、(時間的に)絶対に聴けもしない/読めもしないデータでも、ちょっと煽られれば争うように"ポチって"くれるでしょうから(笑)。



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2011.12.16

帰宅途中にふとコンビニに寄るとなにかふんいきが違う。
ふと上を見ると、……

店内照明が全部LEDになってた!
実店舗で使っているの初めて見たよ。

……おかねのあるところはちがいますね(苦笑)


頑張ってはいるんだろうけど、いきなり違和感感じたくらいで、やはり蛍光灯とは違うんですね。
もともと蛍光灯に比べて青暗い感じはあるけど、棚に向けて光が向くようにかなり傾けて配置しているせいもあるのか、通路は体感2割くらい暗い。まぁ節電アピールには却って好都合、という戦術なのかどうかまでは存じませんが。

で、やはり見え方が違ってくるわけで、
いままでの蛍光灯の下では色映えしたのに、LEDの下ではどうもうまそうに見えない、なんて事例はこれからやまほど出てくるのでしょうねぇ。

関係各方面におかれましては当分の間「蛍光灯映え」「LED映え」の両にらみで考えないといけなくなりそうで大変でしょうね(あるいはとっくの前に始まっているのか)、なんてことを考えた帰り道でした。


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2011.12.03

ココログ8周年─長く続けるということは、さみしさを貯めてゆく、ということ。

ココログは8周年を迎えました。
ことしもトップにはそれらしき表示がありませんが……中の人たちはあんまり周年に興味がないのか、はたまた異動などで開始当初のスタッフはもう居られないのか。


そしてこのブログも8周年。

今年になって急減したエントリ数&アクセス数ではございますが、なんとか続いております。
……周年ごとの振り返りはなぜかいつも暗いトーンなのですが(苦笑)今年もまた例外ではなく。


ぶつぶつ更新 - S嬢 はてな:

そんなこんなで改めて自分のネット利用を眺めたりして思うこと。最近RSSリーダーがつまんない。ものの見事に女性ブロガーがごそっとみんな更新しなくなった。はてなブックマークや個人ニュースサイトをつらつら眺めにいっても、情報系やなんとか論とかばっかりで、なんつーか小粋な生活ブログみたいなのがホントに見られなくなったと思う。リーダーに入れなくてもあんなにいっぱいあったのに、ってのがいくつもあって。

そりゃそうでしょうよ、と思うのです。

情熱なんて、何年も続くもんじゃないです。
生活環境の変化もあれば、体調の変化もあれば、……もしかしたら生死もあれば。
ましてや、圧倒的多数にとって、
始めるにあたって『ブログをしてみたい』以上の目的なんてないでしょうから。

まぁ、でも、さみしいですよねぇ。
こちらが(いくぶんは減ったといえど)情熱を保ち続けているときに、伴走してきた(と思っていた)相手方が醒めていってしまう、というのは。

ほんとうに新規参入が減った(ように思える)いま、続けている側にとって、
長く続けるということは、さみしさを貯めてゆくということ、なんだなぁ、と思っています。
……安っぽい失恋ソングみたいですが(笑)。


それでも、なぜか、わたし(たち)は続けているのですが。


ブログを七年書いてみて分かったこと: 不倒城:

言葉にしなくては思いが伝わらず、しかもその言葉がなかなか伝わらないのであれば、言葉に言葉を重ねるしかない。
ボールをどう受け取るかは、受け取る人の自由。それでいい。それでいいと、最近思えるようになった。
となれば、受け取って欲しいボールを山ほど投げ、下手な鉄砲を撃ち続けることが私のするべきことだ、というのが、7年書いてきての私の結論である。

同意なんです。

ブログ=繰り言2.0(2006.07)
「伝わらない」ことを実感するために、ネットに挑むのもいいかも。(2010.03)

でも、伝わらないそのさみしさに、
飽きずに、折れずに、それを年の単位で続けていられる、というのも、なかなか奇特なんですよねぇ、と、周囲を見ていて思います。
ましてや、ブログなんてところで、
伝わらない言葉を繰り返してまで、わたし(たち)はいったい何を伝えたいんだろうか?と思うと、ね……。
ほかのひとはどうだか知りませんが、アクセス減の現実の中で。

(まぁ、今は『実名・真顔の議論・リアル連携』勢力とたたかっていかなきゃならん、と思ってはいますが)


それでも、なぜか、わたし(たち)は繰り返し続けているのですが。
そなたの画面に映りしは、足抜け叶わぬ我が姿(2006.05)


もとよりわたしは使ったことはありませんが、今年は人気のあったブログパーツがいくつか、サービス終了のときを迎えました。

たぶん「ココログの10年」は迎えられる気がしますが、
「いまから10年」は、たぶん"無い"と思っています。

……その時を迎えるまでは、どうかよろしくお願いします。

そして、"立ち並ぶ墓標のひとつ"の側に並んだとき、
さみしく思っていただける誰かが居てくれますように。

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2011.11.19

「言及しあう文化」を終わらせたいのですか。

パソコン通信から連綿と続いてきた「お互いが相手の発言を引用しながら発言する」という文化を、亡きものにしようというのですか。

それがニーズだ、サービスの個性だ、といえばそれまでですが、残念に思うところであります。

なぜ今、ブログなのか - jkondo's blog


ちょっとその前に:

日本のブログブームが本格的に始まったのは、はてなダイアリーをリリースした2003年から。まさにはてなダイアリーが日本のブログブームのきっかけでした。

えっ!
面倒なんで過去ログ掘り返しませんが、そこから数年が経った後でも、京都駅で「『はてな』って知っていますか?」とアンケートしまくって、誰も知らなかったとしょげていたのは他ならぬ社長さん、あなたじゃなかったのですか?

日本のブログブームは、わがココログを皮切りに、大手プロバイダ各社が軒並みサービスを開始したから、でしょう。


さて。

はてなブログにはトラックバックを組み込みませんでした。しかしベータ版開始以降、一度も「トラックバック機能を付けて欲しい」という要望をもらっていません。ブログから、「コミュニケーションツール」としてのニーズが消えてきている事をよく表しています。

ともだちだけが社会ではありません。人は(中略)もっと社会とつながりたいと思っています。ともだち以外の人とつながりの生まれる場所に行きたいと感じています。
ソーシャルネットワークは、"social"という言葉を持ちながら、あまりこういうニーズには応えていません。既に知り合ったソーシャルな関係を定着させることには使えても、新たなソーシャルネットワークを開拓する事には使えません。
新しい社会とのつながりを提供しているのは、むしろオープンインターネットの領域です。
(中略)オープンインターネットの中に、ブログという人格を持つことで、社会との新しい接点が生まれ、人生に新しい展開が生まれるのです。
えーっと……
  • ブログはコミュニケーションツールではなくなってきている
  • ブログは"新しい社会とのつながり"に役立つ
矛盾すぎやしませんか、旦那。
コミュニケーションなしで、どうやって新しいつながりが作れましょうか?

方法はトラックバックだけではないし、言及しあうだけが"つながりのスタート"ではもちろんないにしても。

コミュニケーション性を否定しておきながら、他方では「つながり」だ、と仰る。
もう、わけがわかりません。

おまけに、
言及先には(いま現在)はてなの会員でないとコメントもできません。
したがって、こうして言及していることを知らせるすべは(ブログ同士のやりとり、という意味で)ありません。
前身となる「はてなダイアリー」でも、かなり長い間、コメントの入力欄にアドレス(URL)の入力欄がありませんでした。
コミュニケーションをとる相手が「はてなの会員である」ことを当然の前提にしているのでしょう。

その「新しいつながり」とやらも、はてな会員限定ですか?
……まぁ、それでもいいのかもしれませんけれども、
他社ブログにもかかわらず「はてなブックマーク」や「はてなスター」を最上段に置いているひとはやまほどいますから(個人的に『はてな中華思想』と呼んでいますが)。

関連→それぞれのIDの下で(2006.07)

#そういうのが「村」とか揶揄される遠因じゃないですかね


話がそれましたが、ともかく、

「ライフログ」であれば要りませんが、「つながり」を志向するなら、"引用しつつあれこれ言い合う"というかたちのコミュニケーションは有用であるはずです。

それがニーズだ、サービスの個性だ、といえばそれまでですが、
ブログはコミュニケーション性を失いつつある、という判断も、
言及しあう、という文化を過去のものにしようという動きも、
あまりにも寂しい気がいたします。


そうそう、ココログのスパムフィルタは結構優秀だと思いますので、
"引用しつつあれこれ言い合う"文化を尊ぶ皆様におかれましては、ぜひともこちらココログをお使いいただきますよう。



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2011.11.15

ネットでも 義理人情に 絆(ほだ)されて

『絆』は「きずな」と読むと同時に「ほだし」とも読み、その場合束縛というようなネガティブなニュアンスに転化する、とは
大平 健:『やさしさの精神病理』(岩波新書:1995年)
で知った知識ですが。


相当な頻度で「Twitter 全部読む」だか「~見る」だか、ともかくそういった検索フレーズでこのブログに来訪される方がいらっしゃるようで、たぶん

Twitterのタイムライン、全部読むことを前提にすると、叩かれるらしい。(2010.08)

がヒットしたものだと思うのですけれども(たしかにググったら3番目くらいに出てきた)、
ということは、『タイムラインは全部読むものか否か』でお悩みの方は相当数いらっしゃるのではないかと思料するところで。


全部は読めなくなると悩む程度までにフォローしたのはほかならぬ"あなた自身"なんでしょう、検索してないであなたがお決めなさいよ(苦笑)、と思う一方で、

ほかならぬ自分自身が(読みたくて)フォローしただけに、(それが純粋な個人アカウントであれば)"読まない"のも"気軽にフォロー解除する"のもいまひとつ気が引ける、という、いささかクラシックに思える日本的心性──それは、インターネットのイメージとはかけ離れたものでもあるのだけど──も、個人的にはよく理解できる感情であって。


ネットでも義理人情に絆(ほだ)されて。
まぁ場がどこであれ「人」は「人」なんだから当然、なのかもしれないですけれども。



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2011.11.13

胸骨圧迫(心臓マッサージ)に最適なBGMを探せ【J-POP編】

職場で「救命講習に行って来い」と命令されまして。

内容は割愛(そーいうブログじゃないし)。
……一点だけ。
胸骨圧迫で肋骨折っちゃうんじゃないかと心配して力が入らないひとが居ると思いますが、
肋骨は(あとで)くっつきますが脳細胞は元に戻りません、
遠慮なくやっちゃってください、とのことでした。
現職の言うことは違います……

ちなみに今は「胸骨圧迫」という用語に統一されていて、心臓マッサージとは言わないんだそうです。
なんでも本当に"マッサージ"した(さすった)ひとが居たとか居ないとか……


その胸骨圧迫ですが「1分間に100回(以上)」と言われます。

(フォントでは四分音符が出ないので以下BPMと表記)
講習では『アンパンマンのマーチ』(BPM=96らしいが詳細求む)と言われましたが、……


なおアメリカでは『Stayin' Alive』(Bee Gees)が最適だという真面目な研究成果があるようで、講習では必ずこの曲が使用されるのだとか。

Ken Jeong AHA Hands-Only CPR video:



彼の国ではこれがTVCMで流れているそうです。ブッ飛んでます……


さてわが国でテンポを取るのに適した"BGM"は何か?と考えて図書館へGO。
……楽譜には必ずしもテンポが明記されているものではないのだ、ということを知りました。

メゲずに探し出したのが以下の候補(BPM=100±4)。

下記テンポ根拠は:全音楽譜出版社『全音歌謡曲大全集』(6)~(9)より。

  • 男と女のラブゲーム(日野美歌&葵司郎)(BPM=100)
  • 百万本のバラ(日本語版:加藤登紀子)(BPM=96)
  • 心の旅(チューリップ)(BPM=100)
  • ff(フォルテシモ)(HOUND DOG)(BPM=104)
  • TOMORROW(岡本真夜)(BPM=104)
  • 地上の星(中島みゆき)(BPM=100)

本当なら全部にYouTubeサムネイルでも貼り付けるところですが、著作権法上たぶん限りなく黒に近いグレーだと思いますので自粛。

他にもたくさんありましたが、まぁ"超有名曲"ということでチョイスしました。

もしも!の時にはどうぞご利用ください……。



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2011.10.24

いつか乗る!


予約はまだない。


希望は年内。


いまからどんどん増えるのだから焦る必要はない、とはいえ。


"本来の職務"であるところの国際線に転出する前に……


ANA Boeing787:乗員訓練でのヒトコマでした。

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2011.10.08

ソーシャルメディアが、「こだわりのある」「妥協しない」ひとを産み出してゆく。

特養なんかに行くと、1フロアにひとりくらいは「起きてる間中すーっと険しい顔してひたすらなにかに怒りつづけている」入居者さん、というのがどこでもいてはりますけど、

ああいうひとって、2ちゃんねるで、ブログで、Twitterで、日々ヘイトスピーチを繰り返していらっしゃる方々の数十年後の末路なんかなぁ、なんて。

……ということで、タイトルは『不寛容』を美しく言い換えたものです、こんにちは。
潔癖、というのは褒め言葉なのか貶し言葉なのか。


多種多様なひとが居て視野が広がって……なんて幻想で、「ソーシャルメディアは島宇宙」「人は見たいものしか見ない」とはさんざん言われてきたことではありますけれども、それがこう、どんどん「他者の排除」に形を変えていくんですね。
利用者が増えるにしたがってますます、その『不寛容』が加速しているような気がします。

国や国籍、思想信条、果てはタバコ(の煙)や"クチャラー"まで。

ホント、皆さん育ちがよくていらっしゃいますこと、オホホホホ・・・
……そんなん気にし始めたら自分のテリトリーから一歩も出られへんなるで?

まぁ、いったん気になり始めたものをもとに戻す、というのはおそろしく困難なことのはずなんですけどね……

かくいうわたしもそういう書き込みを見ていると気になり始めるんです、頭が侵蝕されるように(苦笑)。


話は変わりますが潔癖ついでに。

「若者よもっと海外へ!」なんて識者は煽りますが、

お皿に髪の毛一本発見しただけで食欲全喪失したり、
物心ついた時から洗浄便座に頼り切ってきたひとたちが、

いったいこの国以外のどこで生きてゆけると思うんです?

遊びで(海外へ)行くのすらムリになってきているんじゃないですか。


ネットばかりが「世間」ではないのは当然だとしても、
この『不寛容』と『潔癖』の行きつく果て、というのは、あまり明るいものではないように思うのですが、どうでしょうか。

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2011.09.30

諸君 私は娯楽が大好きだ

No Border : お題 第9回:

「あなたを崇める信者達に対してステージ上から語りかけてください」

……となるとコレしかないでしょ!

よろしいならば戦争だとは (ヨロシイナラバクリークダとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


諸君 私は娯楽が好きだ
諸君 私は娯楽が好きだ
諸君 私は娯楽が大好きだ

ほのぼのする話が好きだ オチのある話が好きだ
嘘ニュースが好きだ 珍道中日記が好きだ
大喜利が好きだ 駄洒落が好きだ
いぬ画像が好きだ
ねこ画像が好きだ
ネタ画像が好きだ

ホームページで ココログで
livedoor blogで はてなブックマークで
Twitterで mixiで Google+で Tumblrで
日本で 世界で
このネット上で行われるありとあらゆる娯楽行動が大好きだ


まとめられた一発ネタの一斉表示が爆笑と共に憂鬱を吹き飛ばすのが好きだ
ためいきとともに沈んでいた腹筋が笑い過ぎでガタガタになった時など心がおどる

まとめブログの操る動物画像の88枚が不機嫌を撃破するのが好きだ
悲鳴を上げて萌えさかる心から飛び出してきた笑顔をほのぼの話で固定した時など胸が温まる気持ちだった

ハッシュタグをそろえた大喜利のお題がTwitterのトレンドを蹂躙するのが好きだ
無敵状態の新入りが既に埋まったTLを何度も何度も非公式RTしている様など感動すら覚える

真顔で怒る「意識の高い」連中をソーシャルブックマーク上に吊るし上げていく様などはもうたまらない
釣られた馬鹿達が私の振り下ろした手の平とともに揶揄にあふれたタグ付けにばたばたと薙ぎ倒されるのも最高だ

哀れな抵抗者達が雑多なブログで健気にも立ち上がってきたのを800ピクセル四方の480枚ネタ画像弾がドメインごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

天災や選挙関連に滅茶苦茶にされるのが好きだ
必死に守るはずだった村々が蹂躙され遊び心が犯され殺されていく様はとてもとても悲しいものだ

Facebookに押し潰されて殲滅されるのが好きだ
実名主義に追いまわされ害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ


諸君 私は娯楽を 地獄の様な娯楽を望んでいる
諸君 私に付き従う大隊戦友諸君
君達は一体何を望んでいる?

更なる娯楽を望むか?
情け容赦のない糞の様な娯楽を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし現実世界の人脈作りを殺す嵐の様な闘争を望むか?

『娯楽! 娯楽! 娯楽!』

よろしい ならば娯楽だ

我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ
だがこの暗い闇の底で半世紀もの間堪え続けてきた我々にただの娯楽ではもはや足りない!!

大娯楽を!! 一心不乱の大娯楽を!!

我らはわずかに一個大隊 千人に満たぬ敗残兵に過ぎない
だが諸君は一騎当千の古強者だと私は信仰している
ならば我らは諸君と私で総力百万と一人の軍集団となる

我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけている連中を叩き起こそう
髪の毛をつかんで引きずり降ろし眼を開けさせ思い出させよう
連中に娯楽の味を思い出させてやる
連中に我々の爆笑の声を思い出させてやる

天と地のはざまには奴らの真顔では思いもよらない世界があることを思い出させてやる
一千人の笑いの鬼の芸人魂で
ネットを燃やし尽くしてやる

主機 スタンバイ
旗艦ホノボノ・ソシテ・オーギリ 始動
離床!! オールラインレッコ(係船索すべて離せ)!!

「最後の大隊 大隊指揮官より 全空中艦隊へ」

目標 実名本土 フェースブック首都上空!!

第二次レッヒェルン(えがお)作戦 状況を開始せよ

征くぞ 諸君



……わりと本気なんでございますですよ?

Facebookは滅びるべきである。(2011.02)
『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)
純粋になろうよ。(2009.03)



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2011.09.03

心ある者たちよ、ソーシャルな場から「志」を叩き出せ!

今月も恒例の繰り言のコーナーですよ、っと。

夢想への反論(2011.08)
むしろ、「真顔を排除」したらええやん。(2011.06)


……ったく、2011年にもなって、まだそんなこと考えるひとが沸き続けるわけ?

No Border : お題 第5回:

これからの日本を良くするために、ブロガーでこそ出来る事を提案してください。

ひとりひとりを詳しく知るものではありませんが、"No Border 12人衆"の皆さんも、
そんなブログを嬉々として読みにいく皆さんも、
ネット歴、そして『「しらないだれか」とのネットコミュニケーション』についても相当に豊富な経験値をお持ちのことと思います。
だったら。

ブログが「デマ」と「異民族排斥」と「2chまとめ」に覆い尽くされている現状を、
Twitterが「デマ」と「犯罪告白ウォッチ」と「大喜利」に覆い尽くされている現状を、
そこにちょっとばかりの「志を持った提言」を入れたところで無駄無益の極みだということを、
理解していないわけじゃないでしょう???


"日本を良くしたい"という心があるならば。
そのための「志を持った提言」を、ブログをはじめとするオープンなソーシャルメディアに無邪気に上げようとするひとに、団結してその無益さを説得し続けるべきでありましょう。
シリアスな話は、それ相応のディスカッションができる「閉ざされた場」に行くべきだ、と。

現実世界へのメリットや有益有能が前提なら、それ専用の場でするのが効率的だと思うよ、という図示。(2007.08)


日本(日本語圏)の『「ソーシャルなんとか」に書き込んだ内容そのもの』によって、世の中に(プラスの)影響を与えたり、あるいは筆者が(好ましくは経済的裏付けを伴って)高い評価を得る、そんな可能性は、際限なく低下の一途であると思うんですよ。

諸国事情は存じませんが、もし仮に「ブログで世界を良くする」ことがこの先実現したとしても、「日本を良くする」ことはできない、そう思っています。

それをするには、もう、日本のインターネットは、進歩しすぎたのです。

『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)

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2011.08.29

白き雲、黒き雲

個人で使えばネットストレージ、組織で大規模に使えばクラウドサービスというのですか、
予定表からデータからまるごとぜんぶ"ネットの向こう側"に預けてしまいましょ、というやつ。
こんなに便利、あの有名大企業も使い始めました、と宣伝しきりですが……

なにも感じないの?

弊社情報担当も、彼から"クラウド"なる用語を聞いた某氏も、開口一番、
「それってなんか怖いよね~」

……そんな「生理的な薄気味悪さ」を、感じる方が異常なの?


使い方を詳説するどこかの記事には、そんな(漠然とした)不安を取り除くような記述は一切なく、ただただ使い方が書いてあるだけで。
わたしが見て回るウェブの範囲にも、そんな不安がちゃんと文字にされているのを見たことがなくて。

そりゃ普通にネットサーフィン──は死語でも、ウェブブラウズしてるだけで、逐一『「誰かが稼ぐための統計的データ」の資料』になっているはず、なんてことは重々承知ですよ、だけど、
ほんとうにプライベートな写真やらなにやら、あるいは、
経理資料──は半分公開資料のようなのもかもしれませんが、たとえば原価資料だの人事資料だのを、
「ほんとはよく分からない雲の中のどこか」にぶん投げちゃう、ってのは……???


それに抵抗を感じる、なんて、<時代に対して不適合>ですか。

先行事例のみなさんは、ほんとうになにも感じなかったのですか。


……クラウドは、ほんとうに便利なだけの"白き雲"なのでしょうか。


まぁ、今はまだ、「気味悪かったら知らん顔してたらええやん」で済む、とはいえ。

関連→そういえば(流通系)ポイントカードのこと(2009.05)


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