2009.07.11

ネットとリアルと趣味と実利と

ちょっとここは誤認だと思ったのでお返事。
インターネットでのコミュニケーションに関する違いをぶつけ、見付けた6つのもの - どんなジレンマ

「切り離したい」のは地続きだからこそ、ですよね。オンラインとオフラインは地続きである、という合意が取れたかなと

ちょ、ちょっと待って...
『匿"顔"性』という言葉を前世紀から使ってきましたし、
「リアルでの属性(のしがらみ)からの解放」がネットワークコミュニケーションの大きな特徴のひとつだとお話ししたことがありますし、
今回の対話の中でもネットではネットのことを/ネットのことはネットでということも挙げましたように、
原則「ネットとリアルは別世界」という思いで十数年続けてきています(何食べた、どこ行った、という、それこそ本当に"他愛のない"話は別にして)。

表現が悪かったなら、「切り離したい」は「(できるだけ)切り離された状態(のまま)でありたい」に修正します

ですから「企業利用」も「個人が稼ぎのタネを漁る」のも「政治利用」も同じ感情でもって嫌がるのですよ。


「話をすることそれ自体が目的であり楽しみ」から、「やりとり自体が目的」に表現が変化しましたね。
ここはツッコマれても仕方ないので甘受するとして……
コミュニケーションに、殴り合いや怒鳴り合いまで含めたいとは思わないからです。
それは…… 分からないわけではなくて、そりゃーモメる当事者になるのも見るのもイヤなのはわたしも同じですけれども、 それこそ20年も前からバトルと運営批判はネットの華であり続けているのもまた現実でしてですね、それこそ「ネバーランド」を望・・・

もしかして営利とか政治とかいう"オトナの世界"を忌避するのをピーターパン・シンドロームと皮肉っての「ネバーランド」だったりしました?
いまのいままで単純にユートピアの別名称として受け取っていましたが(苦笑)

・・・えー、それこそ「ユートピア」を望むがごときものではないですかと。
むしろ利害もしがらみもないからこそ妥協なくとことんまでこじれることはありそうです。


僕らがそれを嫌だなともし感じた時に、どうしたらいいでしょうか。リムーブ・ブロックではいけませんか?
「見たくない・あなたとは関わりたくない」と表明することは出来ても、「Twitterなんだから、そんなこと書くなよ」と相手に要求するのは無理があると僕は思います。
要求することが無理筋であることは理解しています、「自由」ですから。 なので個人に対してはかなり難しかろうと思いますが、

営利組織や政治での利用を考えた場合、「敵を作る」こともできるだけ避けなければならないことであるような気もします。
「熱狂的に支持されるが、激しく嫌われてもいる」というのはいかがなものかと。
Twitterでいえばやたらリムーブやらブロックされるという状態が相当しますね。
ここに入ってくるなんて嫌ですよ、という表明をしておけば、それでも入ってくることで敵を作ることは避けたいという心理が働いてくれるのを営利組織や政治には期待してもいいのではないかと思いますが。


繰り返しになりますが、「絶対的に趣味の領域だ」と言明する同士でこんなやりとりを──飽きもせず──繰り返すのが、繰り返せるのが、いちばんの、そして正統な醍醐味なんじゃないか、今までも今も、そう思っています。

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2009.07.10

そう、だから、営利にも政治にもネバーランドじゃない。

どっちも「結果を出す」ためにやってるのに、そうするための理想郷でもないし、むしろあまりにも非効率な場だ、ってことでもありますよね?

インターネットはネバーランドじゃない - どんなジレンマという返答を頂きまして、「そう、Neverじゃない、"有り得る場"なんだ」とか「半径ワンクリックの理想郷」というフレーズを思いついたのですが元の話と関係なくなることに気付いてタイトルに使うのは自粛。

id:rhbさんが言及してくれたので、問題点を箇条書きに。 - どんなジレンマ

インターネットに対するとらえ方が違うのではないかと僕が延々書きましたが、話があっちいったりこっちいったりして読みにくいこと山のごとしだと思います。

こちらこそすみませんね、話を発散させてしまって(^^;……というのも営利/政治利用に向かない理由のひとつではあろうかと思うのです。特に制限のつけようもない場で、話をまとめようもないじゃないですか。つまりは議論の「生産性」とか「効率」だとか、そういうものを必要とするようなたぐいの話をするにはあまりにも不向きなんですよ、こういうところって。

短い言葉でいいことを書かれる:
Twitterを嫌う人が間違っている理由 - はてな読み

「Twitterで政治を変えよう」「Twitterで革命を!」なんて言い出す人がいたら、それは「電話で政治を変えよう」「電話で革命を!」って言ってるのと同じだと思いますw


インターネットはネバーランドじゃない - どんなジレンマ

企業がTwitterに参加したら、「他愛もない双方向コミュニケーション」は維持できなくなるだろうか。例えば、ラジオ番組。リスナーからのハガキ・FAX・メールを募集して、「誕生日おめでとう××」なんて読み上げながら、番組を進めている

ちょいと例えが無理筋では。DJなりパーソナリティーなりが社員アナウンサーであっても、「聞いたリスナーが放送局に対して取る行動」が直接は放送局の利益につながらないハズで。放送局がおカネをもらうのはスポンサーから、でありますからね。

Twitterの場合は、企業がスポンサーとして参加するわけではありません。ただ1ユーザーとして企業アカウントを取得するのです。
むしろ「だからこそ」嫌がっているのでして……。キャンペーンサイトであったり、Twitterでもタイムラインの「外で」なにかをする分にはまぁしゃーないかな、程度に思うのですが、ともかくビジネスとしてはっきり区分していてくれたほうがまだマシかなと。 だからむしろ個人が「使エソウナ情報/人脈漁リ」してる、ほうが嫌悪感は大きいかも。それも変態postしつつ実は...とか、そんなんいちばん"やらしい"んとちゃうの、とか思いますけど。
「守りたい」と掲げられた二つの「だいじ」は、本当に実在しますか? そして、企業が参加することで壊れてしまうほどヤワなものですか?
バトルであっても「やりとり自体が目的」の部分は"ネットから出ない"限りにおいて守られていると言えるでしょうし、"リアルの利害"が入ってくることでそれがいくらか毀損されるのは間違いないでしょう。
オフラインの世界に、「オンライン」というレイヤーを被せただけで、地続きだと考えています。
ああ、この点、わたしは「切り離したい」派です。
代表してひとつだけ→画面の枠の中にとどまることを、私は「純粋」と呼びたい。(2008.03)
実力主義ですから、当然、表現力・コンテンツ作成力が弱ければ相手にされません。差が広がります。インターネットはネバーランドじゃないです。
その絶望は骨身に沁みています→群衆の中の孤独-ひとりでウェブに立ち向かうということ(2003.12)
個性の実力−「理想のコミュニティ」改題(2006.03)
上手にやれば、生協の白石さんみたいな感じでやりとりを楽しみつつ+αもあるような対話が成立するだろうと僕は想像しています。
これはお詫びしないといけないと思うのですが、どんジレさんは元から、企業(アカウント)であっても雑談や珍問答をする、むしろそっちをメインにすることを想定しておられたのですね。私はもっと「利益に貢献」を意識した「企業活動っぽいこと」を念頭に置いていたところから食い違いが生じていたように、今になって思います。
インターネットをどう捉えているかという点で、立場の違いがあるように思いました。
これはまさに仰るとおりで…… どうにも締まらない〆で申し訳ないですが、元が違うからちょっとずつ食い違った話になってしまう。

まぁ、でも、わたしにとってもこれだけの長文の応酬は久々で、これぞネットコミュニケーション!という感じではありました。感謝。

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2009.07.09

純粋であれ!と願うこと。

他愛もない双方向コミュニケーションを、
話をすることそれ自体が目的であり楽しみであることを、
その価値を守りたい。

示された憂慮は企業に届くように、「Twitter利用をしないと企業は得をする」記事を書かれてはいかがだろう? - どんなジレンマ

「Twitterを企業が使うと、これだけ無駄があるよ!」という記事をお書きになられてはどうだろう。憂慮示されるよりも、企業に対して声が届く可能性があるのではないでしょうか。

うーん、憂慮のニュアンスというか方向性はすこし違うのですが(後述)、せっかくなので考えてみると……

(営利)企業として使うとなると、使うことで利益に貢献しないといけません。
広告出稿ならばTwitterの収入になりますし出稿企業にもクリック誘導が売り上げにつながれば単純にそれでよし、ということになりましょうが、
そうではない、「タイムラインに溶け込んだ双方向コミュニケーション」を目指すのだとすると、少なくとも短期の利益には貢献しません。
必然、長期的なイメージ戦略の一環としての利用、ということになりましょうが、そうなると、
人気に火がついてはならず(せいぜい数日の旬として消費されたらオシマイ)、
しかしある程度には目立ち続けなければ意味がない(完全に溶け込んでもダメ)、
という綱渡りを必要とします。
事前にそこを狙った戦略を立てることがはたして可能でしょうか?
またコミュニケーションには継続的に人的資源を必要とします。
遅延や表示の抜けが感情的トラブルに発展するリスクまで考えると、
「労多くして益少なし」になるんじゃないかなぁ、とは思いますけどね。


……さて本来の意図について。

ここ最近集中的に、ブログでもTwitterでも、わたしとしてはかなりの嫌味を込めたつもりで「自分(ノ稼ギ)ニ使エソウナ情報/人脈漁リ」という表現を使ってきました。ただし可視化された反応を見るかぎりどうもこの部分完全にスルーされているようでがっくりきているのですがそれはともかく。
そんな流れを踏まえての前稿だったのです。


手元に無いので記憶だけですが、『美味しんぼ』のかなり初期の頃に【"美食倶楽部"で(倶楽部に憧れている)外国要人との首脳会談を行いたいとの師匠を通じての申し入れにも「食事をしながら政治の話をするなどいちばん不純なことではないですか」と海原雄山が頑として拒んだ】エピソードがあったはずですが、まぁそれと似たようなもので(笑)、

企業と個人であるとを問わず、政党と個別の議員であるとを問わず、
少なくともこのような場──"他愛のなさ"を価値とするはずの場──における「コミュニケーション本体」の部分を営利や(リアルの)政治で"汚される"ことへの憂慮、なんですよ。


私が企業をTwitterに呼び寄せているように見えるのだろうか。
そりゃアイデアまで出してるんですもの、誘っているようにしか見えませんってば(^^;;;
どのような意図で始まっても
踏みにじる人はいる
相手のモラルに期待せず
「仕組み」や「代案」を考える方が現実的
現実に対するその諦観は共有しますが…… 娯楽と、真顔にならざるを得ないような議論、あとビジネスとはそれぞれもっと「棲み分け」をしようよ、それぞれの"純度"を上げるのがお互いのためだから、という提案も続けていますし、その流れからも、

できるだけ長く「純粋」であれ、と言い、"侵食"に対して異議を申し立てた、と、そういう意図を汲んでいただければ幸いです。

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2009.07.08

深い憂慮を表明します。

Twitterの企業利用とか、日本でも積極的に使う政治家が出てきた、それTwitterの政治利用だ、とか。

そーゆーの、正直勘弁してほしいんですけど。
まぁイヤならフォローしなきゃ済む話でしょ、ではあるのですが。

圧倒的にTwitterを使いこなしている一人勝ち企業が出ないうちに、Twitterを試したい企業は試行錯誤すればいいのに。キーワードは「白石さん・社内横断的なチーム・ASAYANメソッド」 - どんなジレンマ
んー、おもしろそうね、と全く思わないわけではないのですがね……


ビジネス(営利)目的だとか、政治でもそうですけど、リアルでの利害関係・利害対立がものすごくあるモノゴトだと思うんですが、
どうしてそういう「ガチで利害対立があるもの」をタイムラインに混ぜ込みたいなんて思うんですか???
それはなにもTwitterに限ったことではないのですよ、『タイムラインに』を『ネットワークコミュニケーションの「コミュニケーションの部分」に』と置き換えても同じこと。

関連→ネットではネットのことを/ネットのことはネットで(2008.06)

何度も引きますけれども、
そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)で逐一示したように、
あくまで「ゆるい」コミュニケーションの基盤として存在するものであって、ですね……

まぁ右サイドの広告に『企業でのご利用のご相談は~』なんて広告も存在するくらいですから、それもまた「公式に認められた使い方」の地位は得ているのでしょうが、広告出稿に留まらず「コミュニケーションの部分」そのものにまで"侵食"されるのは、正直、ちょっと勘弁願いたいんですけどねぇ……

混ぜ込みたいですか?
他愛もないつぶやきと全く区別なく、そういうのも。


ですから、私は、
インターネットと政治 - Voxの末尾、「嘘ニュースだった」として取消線が被さっている部分に強く共感したりします。

嘘だというなら嘘なのでしょうが嘘でもそれが流通したということは、Twitterに対して私のように考え、望んでいるひとが少なくとも私だけではないことの証左にはなるのではないか、というのは牽強付会に過ぎるでしょうか?

……繰り返しますが「禁止」されているわけでもないのですから「そう使うべきではない」とは申しません。
ただ、ひとつの意見として、そういう流れに対しての「深い憂慮」を表明します。
『つぶやきを流してみるツール』として生まれたものは、ずっとこれからも『つぶやきを流してみるツール』であってほしいと思うのです。

関連→
純粋になろうよ。(2009.03)
『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』(2009.06)


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2009.06.28

結論は似てるけど、うーん……

ふむ、まぁ、実数の多寡はともかくとして、そういう使い方(をしてるひと)が幅をきかせているらしいのは同感ですけれども。
twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい - シロクマの屑籠(汎適所属)

タイムラインを全部読まなければならないとか、返答義務を意識してしまうような状況も少ない。特にfollowersの人数がそれなりに多い人同士の繋がりの場合などは、殆ど応答が無い状況がいつまでも続いたとしても、殊更問題になるようなことは無い。また、removeのしやすさという点でも、よほど人数が少ないtwitterユーザー同士の間でもない限りは、かなり簡単に実行することができる。仮にremoveのような事態が起こったとしても、followersが十分に大きければそれほど打撃にはならないし、そんな事に拘泥していられない程度にはタイムラインのログの流れは速い。

それってもはやコミュニケーションとは言えない状態であって、「コミュニケーションツール」ではなくなっているんじゃないですか。
読みも、どころか見もしない相手(の投稿)とコミュニケーションを取るなど不可能なはずでして。

じつは『(自分(の稼ぎ)に)使えそうな情報漁りツール』として使ってるんじゃないの、と邪推してみたりするわけですが、まぁいいや、別の話。


具体的な根拠は先に書いたので繰り返しませんがですね、
参考→そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)
本来はTwitterだからといって他のネット(コミュニケーション)サービスと何ら変わらない性格のものであるはずで、
上述のような"もはやコミュニケーションとは言えない状態"を『twitterでさえ』という謎の最低基準にして、「まともな」──設計企図通りの、という意味──コミュニケーションをめざすひとを指して『インターネットは難しい』なる判断をなさるのは、なんだかなぁ、と思ってこのエントリを書いた次第。


傷つきたくも傷つけたくもない、という思いは確かにあるけど、他方で、摩擦のひとつもなくて何がネットコミュニケーションか、というのも真実であるわけで、前者の思いがあまりにも強いなら(それはTwitterとは何ら関係なく)『インターネットは難しい』かもしれませんけど。

まぁしかし、Twitterだと「傷つく」のはともかく(フォローの少ないひとを)removeでもしない限り「傷つける」ことはあんまり心配しなくていいと思うんですけどね。
上述のような理由で、何十何百とフォローされていたってあなたのつぶやきは、あなたが思うほど読まれてはいないわけで(苦笑)。
#おいらは読んでるけどね、前回ログアウトしてからのものも含めて

実際のところは(明示的に"つながって"いてさえ)なかなかコミュニケーションには至らない、という"群衆のなかの孤独"を体感するにはうってつけだとは思いますし、それに耐えられなければオープンな(=しらないひととの)コミュニケーションは難しい、とも思いますけれども、しかし、Twitterが"最低攻略レベル"だとは思わないんですけどね。

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2009.06.24

『そんな延期は延期しろ!』

……確かこれ、
灰谷健次郎『兎の眼』(理論社:1974年)
で出てきたセリフだったはず...

ええ、いま、何に向かって言いたいかと申しますと。

日本語ではこれが一番早いか→787のテスト飛行延期 米ボーイング、納期影響も - 47NEWS(よんななニュース)

そしてボーイング公式:
Boeing Postpones 787 First Flight - Jun 23, 2009

しかしまぁ、5度目ですか、どないなっとんねん、という...

米本国でもえらい言われようのようで:(一例)
Boeing 787 Dreamliner dubbed 7-late-7, nightmareliner, & more
上手いですよね、eight→late/dream→nightmareって……感心してる場合ではないのですが。
あとは"Hangar Queen"(格納庫の女王)とか……




……まぁ安全第一でよろしく>各位

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2009.06.20

『生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。』

引用するのは二度目、あるいは三度目か。

タイトルは<リーナス・トーバルズ[Linux開発者]+デイビッド・ダイヤモンド・著/風見潤・訳/中島洋・監修:『それがぼくには楽しかったから』:小学館プロダクション:2001年>より。
(出版社が社名変更していたうえに書籍検索に出てこなかったのでリンク省略)


前世紀に通り過ぎた「社会化」のフェーズにいまだ夢を託し、なおかつそこで「進歩」を留め置こうとするほうこそ、よほど『残念』と言えるんじゃないんですかね、見方を変えれば。

日本のネットで本当に残念なこと 「梅田発言」の波紋 インターネット-最新ニュース:IT-PLUS

本当に残念なのは、(中略)粘り強く中高年に可能性を伝え、若い経営者には問題を解決して社会とのコンフリクトを減らすように助言・指導する「大人」が少ないこと

かつては居た、と思いますけど?
パソコン通信の昔にはね。

ビジネス上の地位もそれなりに高いひとは数多おられたように感じましたし、
ということは参加者の比率でいうと今とは比べ物にならないくらい高かったはずなのですが、
それでも世の中──セージケーザイ方面を指すのですよね──を変えられなかったわけですよ。

あのひとたちは本当にどこへ"消えて"しまったのか、
なぜ「インターネットでのコミュニケーション」には出てこなかったのか、
それは分かりませんけれど、

現象として(日本語文化圏では)「社会化」のフェーズはパソコン通信の時代に通り過ぎてしまった、そう言えるのではないですか?
だから、「インターネット時代」になったときには既に娯楽のフェーズに「進歩」したあとだった、のです。

さらに言うと。

世界有数のブロードバンド環境と高性能な携帯市場

それも「娯楽化」を加速させた一因ではないのですか?
敷居が下がるとなぜか"上"が隠れる(鴨居に頭をぶつける人が出てくる、という名言を読んだことがありますが)のは経験則からみて「法則」と言っていいと思いますけど?

とにかく。
「娯楽」にたどり着いた進歩がいまさら「社会化」に逆行することなどあるものか、と正しく認識すべきではないかと思うわけであります。
関連→ナニヲイマサラ。(2009.06)

といっても、エンタメ・サブカル方面には有効なんでしょう?
それで、いいじゃない。


過ぎ去りし「社会化」のフェーズにいまだ夢を託したければ、新たに仕切った場で(人の)流入と(情報の)アウトプットを絞ってやればいいのに、と思いますけれども、オープンなネットコミュニケーションで、ということであれば、
「ヨノナカヲ動カス為」などという"目的意識"や「(稼ギニ)使エソウナ情報and/or人脈ネットワークヅクリ」などという"邪な考え"には一刻も早く絶望していただき、コミュニケーションそのものを目的とする純粋な使い方に一刻も早く立ち返っていただくことを、心より願ってやみません。
関連→純粋になろうよ。(2009.03)


もう一度繰り返しておきましょう。

生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。


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2009.06.19

a scene of SHIKOKU

Shikoku

なにも言わずとも「これぞ四国」ということを雄弁に語る1枚。

……といいますか、いわゆる「へんろみち」沿いの国道の何百とあるキロポストの大半に札所への案内がくっついていたりとか、.go.jpドメインで結構"使える"ガイドがあったりですとか(→四国88NAVI)、他宗教からクレームついたりしないのかと妙な心配をしてしまった次第(苦笑)。


おまけ。
バス待ち中のひとこま。
ちょっとした外界の変化にいちいちする後ずさりするこねこがかわいくてですね、もう.....
Cats

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2009.06.18

はぁ...『パパ耕作』でございますか...

件の超級商店におきましてですが、山と積まれた某高級ビールの、その頂上に鎮座します大画面液晶にですね、繰り返し「父の日」のキャンペーンCMが流されてございましたが。

その「お父さん」のイメージキャラクターを勤めておりますのがですね、現在"初芝五洋ホールディングス株式会社代表取締役社長"であります『島 耕作』氏でして。
ええ、たしか昨年より引き続き、でございましたね。

しかしまぁ...『パパ耕作』でございますか...

巷の噂...もとい、Excite Bit コネタWikipediaによりますと、相当(婚外の)女性遍歴をお持ちのようでございまして、ですね...

二年連続起用、という実績を見るに、"世間"においてはそれほどの違和感もなく受け容れられているものとは存じますが...
『ビジネスマンとしての「憧れの対象」』であるかどうかはさておき、家庭人として、ましてや「プレゼントを贈る対象」としては、その、何と申しますか、それは道徳的にいかがなものか、という思いに至った次第でございまして、はい。

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2009.06.05

「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?

「上の人」にとって、議論(コミュニケーション)はなにかを生むための「手段」だと思っていましたが。
だから生産的だの何だのという評価基準が出てくるのだろうと考えていましたが、違うのでしょうか?
つまり、手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行うメリットありやなしや、という問いかけです。

梅田望夫氏の開き直り - 池田信夫 blog

実名の生産的な批判より匿名の悪罵のほうが圧倒的に多いことが「上の人」を萎縮させ、日本のウェブのレベルを下げているのだ。その結果、アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり、大手メディアに対抗する存在になりつつあるのに、彼も嘆くように日本のブログはますます劣化している。
(中略)
そして、はてなブックマークの「書き捨て」に適したアーキテクチャが、結果的にはこういう卑怯者がreputationのコストを負わないで他人を罵倒するのに最適のツールになっている。

そういう点なきにしもあらず、とは見ていて感じますが、しかし……

なんでソーシャルブックマークの『コメント』ばかりいつも主議題になるんでしょうね?(2009.01)

悪罵云々以前の問題で、(トップシェアとなり事実上(日本の)標準形になったのは結果論であるにしても、)SBMの出自と本来の目的からすれば「主」であるべきタグ付けを脇に追いやり、コメント(でのコミュニケーション的なもの)をメインに据えたはてな(ブックマーク)の"罪"は重いとは思いますが、

もうはてな(ブックマーク)を潰したところで他社がポータルの座を奪うだけでしょう、そこをいまさら憤っても嘆いても仕方ありません

さて

アメリカのブログは著名人が既存メディアの枠を超えてリアルタイムで議論する場になり

の部分。

わたしは"衆愚の一"としてネットワークコミュニケーションはそれ自体を目的として楽しむべきものと思っていますが、
やはり「上の人」にとっても、『「議論」それ自体が目的』なのでしょうか?
違うと思っていましたが。
あくまでなにかを生むための「手段」、だと。

だとしたらですよ、
手段にすぎないはずの「議論の過程」を"下々"に公開で行う必要がどこにありましょうか?
議論といえばキレイですが、主張が揺れたりときには喧嘩したり、という、そんな過程を──それが悪罵の対象になるのであれば尚更!


いいこと書いている人がいます。
アテネの学食? え、学堂?  - はてな読み

専門家たちは専門用語の飛び交うコミュニティで研鑽すればいいじゃないですか。どうしてシロウトをそこに混ぜる必要があるんですか。それに、シロウトが乗り込んでいってすぐに「知的エリートになれる」ような分野はどんだけレベルが低いんだってことになるでしょw

ですから。
『「議論」それ自体が目的』でないのなら。
過程、コミュニケーションは「志を同じくするひとびと」で存分におやりになればよろしい、それぞれのゲーテッド・コミュニティで。
そのほうがよほど「生産性」に資するでしょう。

そして、その目的であるところの「成果(物)」になってはじめて(もしそうしたければ)わたし(たち)のような"下々の世"にも広く明らかにすればよい、のではないでしょうか。

議論の過程でヤジられて潰されるのが損失であるなら、そういう考え方もできるのではないでしょうかと、僭越ながら提案させていただく次第であります。

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2009.06.04

そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。

公式に推されてる使い方を全否定してみせる、ゆうのはなかなか豪気やけど、やっぱりそれ、アカンことやと思いますねん。

Twitterを楽しむ10の方法(初心者ver) - 隠フェミニスト記(仮)
読まさしてもろたんですけど。

(1)twitterはチャットではない。
(中略)
はっきりいいます。会話をする場所じゃありません。
のっけからすごいことをおっしゃる。
(3)知人・友人は誘わない。
(8)会社の人には絶対に言わないでおきましょう。
(9)つぶやきは自分の状態の「実況中継」じゃない

……あのね。
ログインする前のhttps://twitter.com/の画面になんて書いてありますか?

Twitterは「いまなにしてる?」という質問に短い文章で答えることによって、友だちや家族、職場の同僚とつながり合うサービスです。

そして、Twitterヘルプになんて書いてあるのか、もう一度じっくり読んでみてくれませんか。
ついったーはソーシャルネットワークではありません。社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワークです。

つまり「りんごをかじっている」「週末が楽しみ」「郊外に出かける」といったつぶやきが,Twitterのユーザーにとって大切な情報なのです。

身近な人たちの「いま」を知ることで,お互いにまるですぐ近くにいるかのように,つながり合えるのです。

わかります?
あなたのその"Twitter指南"、公式に推されている使い方を全否定していることに気付いてますか?


自分と同じ情報網の人はフォローしない。
自分と同じカテゴリーの人はフォローしない。
コミュニケーションしなくていいから。
情報網を築き上げよう。
興味があるのはあなたが「何を考え」「何を知っていて」「どんな情報を持っているか」です。
……等々から推測するに、 『((自分に?)使えそうな?)情報漁り』のための基盤、としてTwitterを見ているし、みんなもそういう使い方をすべきだ、ということなのでしょうが……

いや、そういう使い方自体を、やったらアカン、というわけじゃないんですよ(禁止されてるわけじゃないし)、
たぶん現実に(日本の)いわゆる"アルファ"なひとたちはそういう使い方がメインなのでしょう──だから3桁4桁フォローしても"平気"でいられるんだ、とあなたのエントリを読んで気付きました──し、
ある商品やサービスが『「開発者の考えもしなかった使われ方」によって大ヒットする』なんて例は世の中にやまほどあるわけですから。

だけど、そういう使い方は、"こっそりと"されるべき、やと思うで?

上にも引用しましたが、
Twitterというのは(現時点では/公式には)断じてコミュニケーションの、しかも「ゆるい」コミュニケーションの基盤なんですよ。
繰り返しますが、それ以外の使われ方が許されない、なんて思っていませんよ。
ただし、「公式に推されている使い方を大っぴらに全否定して」((自分に?)使えそうな?)情報漁りツールとして使うべき、などと公言するというのは、それは運営に対する冒涜と違いますか、いくらなんでもアカンと思うわ、と言いたいわけです。

少し方向は違いますがかつてこういうことを書きました:
ならば、それが実現できた世界を、あなたが作って見せればよいのです。(2008.01)

大っぴらにそういうことがしたけりゃ、「自己の発案とマネジメントで」場を立ち上げるがよかろう、と。
違いますか。


わたしも言うほど"忠実に"運営意図に沿ってはいないのですが、リアルで近いひとはネットではあまりにも遠いがゆえに友人同僚の類はフォローには居なかったりしますし。
ただ、「コミュニケーションの基盤」という意味ではまさにそう思って使っていますし、それを全否定するかのような書き方されたんじゃたまらんな、と思ったので反論書かせて頂いた次第です。

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2009.06.03

ナニヲイマサラ。

……そう、勝ち誇ったような言い方してもいいよね?

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia Newsを読みましたけど。
後編はとりあえず「どうでもいい」。)

ものすごく優れた人たちが徹底的に切磋琢磨するプロフェッショナルな世界

だからそれは「オープンな」場じゃ無理なんだってば。
「オープンで」「フラットで」と志向すればするほど、(参加者の)意識レベルに統一が取れなくなっていくのは当たり前でしょう?
なんでそこで「切磋琢磨」なんてことが出来ますか。
無制限に「オープンで」「フラットで」あることの妥当性を再検証すべきだと思いませんか?(2008.05)

「上に上がるため、自分を高めていくため」?
そりゃ無理だね。いままでも、いまも。

すべてが娯楽になった世界に在りて君は何を想うのか(2006.09)

サブカル・エンタメ方面以外に生かせていない?
そんなの最初の最初からじゃないですか。

いますぐ脱出を。さもなくば、感謝を。(2008.02)

『なんとかかんとか2年以上は続いてきた「月に1度は3桁アクセス」が先月ついに途絶した』程度のわたしですらとーっくの前にはっきりと表現できたことを、ナニヲイマサラ申サレマスカ。
あるいは、やっと諦めがついた(と公言する覚悟ができた)のでしょうか?


「優れた人たちが徹底的に切磋琢磨」ってのは、日本でもそこそこあるんじゃないですか。当然、そこから生まれたビジネス、というのも、それなりの数は。
記事としては『有志の勉強会で~』なんてあいまいに表現されたいくつかのものが、実はSNSやMLのことだった、というのはいくつもあるでしょうよ。
取材するほうがマイナーすぎると判断してそう表現したとか、取材されたほうが(今後のレベル維持を考えて)そういう表現にするよう頼んだのかもしれないし。

繰り返し繰り返し書くけど、
ビジネスだ切磋琢磨だというなら、それぞれの(ゲーテッド)コミュニティでやればいいじゃん。
「オープンで」「フラットな」ここいらは、コミュニケーションそれ自身が目的の、上のほうから見れば『バカで暇な』部分を引き受ける場、でいいじゃんか。
ひとりが複数の場に所属したっていいんだよ、それで何の問題があるのさ?

そりゃあ、「多くの人に」感じてもらわなきゃ、動いてもらわなきゃならない、政治や社会問題には限界があるだろうけどね……

濃い話のある薄い世界で(2007.11)


(株)はてなに関わる件は会員でもないのでスルーしますけれど、

梅田さん、たしか著書のどれかで「世の中の大きな流れには逆らいようがないからそこでなんとかサバイブしなきゃ」とか仰ってませんでしたっけ、だったら残念がるだけじゃなくてせめて"サバイブ指南"とかすればいいのに、とか思いましたけれども(まぁ、そこは個々で考えろ、ってことかもしれませんけど)。

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2009.05.31

ニフティにも「瞬!ワード」「瞬!コレ」がございますので。

まぁココログの中なんだし、あなたも十数年来のニフティユーザーなんだし、もうちょっと、こう、場の(ドメインを所有する)事業者のことを優先してみても良かろうと思うんですけどどうでしょう、まなめの旦那。

最新情報を知りたい人が抑えておくべきたった一つのサイト: 304 Not Modified
においてbuzztterを推しておられますがですね、
ここニフティには

瞬!コレ:ネットのイマ!を集めて自動編集
および、
@nifty:@search:瞬!ワード

という、ほぼ同様のコンセプトを持つサービスがございますので。
まぁデザインが少々にぎやかすぎますゆえ、たとえば職場で見ようとするにはきついかもしれませんが……。


当然どちらにも『偏り』はあると思います、たぶん相容れないほどの。
おそらくは読ませるタイトルのセオリーに従ったまで、であろうと推測はしますが、しかし「たった一つ」という言葉に些か反発を感じたものですから反応させていただきました。
「Twitterがすべて」でもなかろう、と思いましたものですから。


関連→それぞれのIDの下で(2006.07)



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2009.05.29

超級商店にて

今に始まったことではないとはいえ……スーパーの食品フロア。

果物売場では童謡『とんでったバナナ』、
野菜売場ではやさいがどうの、とか、
加工肉売場では『ジンギスカン』、
精肉売場ではお肉スキスキ、とか、
鮮魚売場では(いまも!)『おさかな天国』、
惣菜売場ではコロッケがどうの、とか、
少し前には『メロンパンのうた』(そういえばあの女の子の争奪戦してたとかニュースあったけどどうなったんだ?)とか『およげ!たいやきくん』だとかも、
店内全体のBGMもあるのにですね、そんなにテーマソングが必要ですか(苦笑)。
まぁ半分くらいはそれぞれの業界団体が『おさかな天国』の二匹目三匹目を狙ったのでしょうが。

そして酒類売場では大画面TVにコマーシャルが繰り返し(これがいちばんカネかかってるね・・・さすが)。


さて長い前振りはともかく。
普段買うこともないので知らなかったのですが、

ポカリスエットの500mlペットに手を伸ばそうとして(98円)
200mlペットを見つけたので手を伸ばそうとして・・・108円?

え? え!?

ところ変わってレジ前の特設棚。
コーラの500mlペットが98円
やっぱり300mlペットが108円

・・・・・!?(絶句)

棚の値札を何度も確認しました。
この原稿も何度も見直しています。
見間違いでも書き間違いでもございません。




もし、流通関係の方が読まれておられるならば。
(少し前に敵に回すようなこと書いた手前申し上げにくいのですが)
この値付けの合理的な理由をお聞かせ願いたく思います。
……この件に関して悪感情はございません。単純にトリビアとしての興味にございます。

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2009.05.28

ブログの2000日、そしてやっぱり『棲み分け』のススメ。

「ブログ」なるものを始めてから2000日が過ぎていました。

いちばん何を学んだかといえば……、
「書き手の思い入れと読み手のそれとは常に一致しない」
ということ、でしょうか。
"思い"以前に見てもらえたか否か、という時点ですでに、希望と結果にものすごい不一致が生じること。

パソ通(まぁ、そこらの掲示板でもですが)だと「レスをくれるただ一人」さえいればコミュニケーションの実感が持てていたわけですから、
アクセス数や被ソーシャルブックマーク数といった"エントリごとの多寡"を結果として突きつけられるというのは一種のカルチャーショックでしたね。出自として個人ホームページを経由していないからなおさら。


そして、繰り言にはなるのだけど、今、「ブログと過ごした2000日」を踏まえて。

あまりにも広すぎて、
あまりにもオープンすぎて、
あまりにもフラットすぎるから。

『シリアス』と『ビジネス』には、とても使えたもんじゃないのだと。

フラットといえど結構冷厳な"実力による序列"があったりしますけどそれはともかく、
シリアスにしろビジネスにしろ、一定の意識のレベルと議論のレベルにそろっていないと「話をする」ことも出来ない、文字通り「お話にならない」わけで。。
ところが無制限にオープンだからすべてがネタとして消費される方向に流れて、シリアスさが深いほど失望もまた深くなってるし、切磋琢磨だ人脈だと意気込んでいる層にとってもひどく効率の悪いものになってる・・・でしょう?

だからね、やっぱり『棲み分け』を考えませんか、って、
あなたがたのために。
そりゃまぁ軽い気持ちでちょろっと言及してこっぴどく怒られたりする"こちら側"の不幸を避けるためでもあるんだけど。

ここ(無制限にオープンな場)ではあえて強い目的を持たずにね、コミュニケーションそのものを純粋に楽しもうよ。
一定の意識レベルや話のレベルが必要なことはそれぞれの『ゲーテッド・コミュニティ』で存分に"濃く"やればいいじゃない。

なんで"我々を追い出そうというのか!"って受け取り方するんですか?
話をするためには「質の維持」が必要でしょう?
で、「質の維持」のためにはなんらかの関所を設けるのが一番じゃないですか。
そうでしょう?
"お気楽"連中が壁の中に入ったって意味がないんだから。


……何度目になるか分かりませんが。
「ブログを見てきた2000日」を機に、もういちど提案します。

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«「バカやって楽しむ」ことを引き受ける場、という考え方。