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2004.04.20

我とひとしき人しなければ~「覚悟」ふたたび


自分と同じ人は居ないのですから。

普通の人が普通に何かを書いたとしたら、八割方、とまではいいませんが「予想せざる反応」のほうが半分以上にはなるのではないでしょうか、

自分の思う「核心」には触れられもしなかったり、
考えてもなかったような「曲解」をされたり、

自分だけでは気付くことのなかった新しい発見があったり。

「ミウチ」で閉じているのでない以上、「合わないヒト」も来ます。必ず来ます。何かについて厳しい表現をしたのだとすれば、見知らぬどこかで槍玉に挙げられているかもしれないのです。

合わないことを説明しても、その思いなど伝わることなく(もともと"合わない"んだから当然)、双方ただただ泥沼にはまりこむだけかもしれない。
さらりと受け流したつもりでも、はぐらかすなと怒らせる結果になるだけかもしれない。
ただ黙殺しても、逃げるなと怒らせる結果になるだけかもしれない。


みんな、楽しいつながりを求めてはじめるのだと思う--ホントにそうなのか最近疑問に思い始めていますが(苦笑)--のですが、始めてしまったが最後、「いいことばかり」で終わることは、たぶん、ないと思います。


思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ 業平

「伊勢物語」に出てくる和歌ですが<自分と同じ人など居るなずもないのだから、思いなど口にせず黙って去る>といった意味でしょうか。


それもまた出来ないとするなら。
「ROMに徹するだけでは得られない何か」は確かにあるかもしれない。だけど、それにたどりつくまでの、あるいはそれより数の上では多いかもしれない「イヤな何か」に遭う"覚悟"もまたあったほうがいいのではないでしょうか...無邪気に始めて傷つく前に。


決していいことばかりではなかったから...まだこうして続いているのだから大したことではなかったとしても。

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