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2004.07.13

「"話が続く場"への愛着」ということ

とあるフォーラムでひさびさに「沸く」という場に居合わせて、「パソコンを使ってしている他のこと」をすべてほっぽりだして追いかけていた。
まぁ発端からして穏やかならざる類の話だったのである意味不謹慎といえばそうなのだけれども、やりとりが枝分かれしつつ広がってゆくのを見るのは、そして一部なりとも参加できるのは、やはり「楽しい」。

そう、たとえ穏やかとはいえない話でも「キレずに」比較的長文の--"原稿用紙2枚"くらいならなんということはない--コメントが続けられるのはそもそも「話をしに」来ているからであり「それに応える相手(たいていは複数)」がいるからこそ、だと思う・・・そんな「場」、そして「それが集まっている場」というのはやはり稀有なんだと思う。

「相手があってこそ」だから保証はないし、相手がある以上いいことばかりでは(たぶん絶対w)ないけれども、我々--あえてそう表現する--が"愛着"をもつに至るひとつの要因としてそういうこと--量/時間ともにセケンイッパンの平均よりは長く続くことが期待できる--があるのではと思っている。
(あと、背景として運営がどう、とかいう点もあるが、普段そんなことを気にする必要はないので)

かつての賑わいはなくとも、「話」がしたければ、場所さえ間違わなければ(こればかりは--自分の気に入る場所は--自分でしか見つけられない、としか言いようがないが、いろいろな場所があるから)、話題を続けていける「場」、それがフォーラムだと思う。

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