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2005.08.31

募るほどに 知りたくなるのは 必然

反応を知りたくて探しに行ってしまうのは--待っていてもなかなか貰えるモノではないから--自然な気持ちではないでしょうか、
自分に向けての文章ではないのであれば。


304 Not Modifiedよりブロガーの憂鬱

アクセス解析を見ていくうちにいろんなことがわかった。
(中略)
気づいたら、そのようなサービスでの 自分のサイトへの反応を気にするようになっていた。

私はどう思われているのだろう。
私の書いたことばどう思われているのだろう。

反応ばかりを、気にするようになってしまった。

知らなければ何も気にならなかったのに…。
私はどこで間違ってしまったのでしょうか?
私はそもそも間違っているのでしょうか?
ブログを書く時間より、自分の書いた記事への
反応を探す時間の方が多いような気がしてなりません。


[コメント(0)|トラックバック(0)]の日々に斃れそうになるからせめてアクセス数を知りたくなる、
アクセス数を眼前にしたらどうしても「昨日より今日、今日より明日」という右肩上がりの呪縛に囚われる、
たとえ「被検索ワードから察する限り七割方はどう考えてもリピーターにはなってもらえなさそうなアクセス」だと分かっていてさえも。

(自分向けの文章でなければ)反応を期待する、
待っていても来ないので探しに行っては一喜一憂する、
たまに(アクセス解析から)読まれてさえいないことを知ってガックリ来る(苦笑)。


運良く「記事への興味」を持ってもらえたなら「サイトへの興味」という"固定客"になって欲しい(*)と願うのだけど・・・

その道があまりにも遠すぎるから、
その壁があまりにも高すぎるから、

過程であったはずの「アクセス数チェック」や「反応探し」がいつしか目的化してゆく。


「志」からすればまぁ間違っているのかもしれませんが、
それらを知らなければきっと[コメント(0)|トラックバック(0)]の日々に斃れていただろうと思えば、
それらが継続の糧になるのも無理はない...と...この部分かなり自己弁護(^^;

#そもそもの存在価値を問われると答えに窮するのでそのツッコミはしないように


「未来予想図」を描けたことはないのですが、今までも今も、眼前を流れるネタをどうしようかということにかかりきりで(もちろん殆どは考えている間に時の彼方へ流れ去った)。
きっとこれからもおなじように...いつか誰かの心に響くことを夢見ながら。


(*)但しその先の「中の人への興味」はちょっと...

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2005.08.30

すべてのブログエントリは試作品である。


えー、タイトルのパロディ元を読んだことがなかったりします。というより、その作家のは一つも...

さてインプットに引き続き(?)アウトプット側のこと。

"何か(文章)を公開する"というアウトプット側も、敷居が低くなった、容量もそれなりにある、両方の面が「とりあえず書いてみる」という気楽さを可能にした、ような。

それ自体は善悪功罪さまざまだと思うのですが...

つまりは、「公開された文章」といえど、完成度としては試作品みたいなもので。アルファ版、もしくはプロトタイプでもいいけど(笑

そして大多数は評価されることもなく終わり、
たまに瑕疵を突かれてえらいことになったり、
ごく一部は有用なフィードバックを貰えたり。

まぁフィードバックを受けて一度上げたエントリそれ自体を改稿また改稿して完成度を上げる、なんてことは滅多にないだろうけれど、"次の試作(=エントリ)"に反映させたり、似たことを表現を変えて"第n回試作"として反応を見たりすることはままあるでしょう。

どこまでも試作の繰り返しで完成がない(見えない)のかもしれませんが...飽きるまで。

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2005.08.29

「とりあえず」のインプットもきっと忘却の彼方へ?

計算したつもりが全然合っていなかったらしい結果に情けない思いのはてなブックマークのことを未練がましく(笑)考えていたら、それはたとえば携帯音楽プレーヤーだのHDDレコーダーだのと似た世界のことかもしれないということに気付いた。

容量を気にする必要がないから「とりあえず気になるから」というレベルでどんどん放り込むのかもしれないと。

"手持ちの音楽ライブラリが全部入る"だの"ン百GBのHDDで百何十時間録画"だのって、それ、自分の可使時間を考えたら見聴きし尽くせる容量じゃないだろ既に、というのときっと同じようなもので。

すでに千の単位になろうかという、そして日々増えてゆくブックマークを、もう読み切れるだけの時間はお持ちではないでしょうと。

吟味「する必要がない」のを喜ぶべきか「しなくなった」のを憂うべきかはまぁそれぞれ良し悪しとして・・・


それなら...ただ忘却の彼方へ消えるよりは...懸念とは逆の発想で、「自らの意思で・自分のために」ブックマークから見える何か--趣味嗜好(もしかしたら思想信条)--を分析できたりすると面白い、かも。






※タイトルの「も」というのは一応これと対にしてみたため


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2005.08.28

今日のイヤミ

成り上がり富と名声を手にすると
道徳を説きたくなるのは

亜州標準(Asian standard)か
古今東西変わらぬ性(さが)か。

・・・何を見てのことかは
どうか聞かないでおくれ、
道徳には逆らえないから。

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2005.08.25

「個人情報付きの興味の履歴」

注目エントリーを眺めてさんざん楽しんでいる立場で言えたことでもないですが^^;
ソーシャルブックマークとやらの日本標準になった感のあるはてなブックマークのこと。

皆さんものすごい勢いでブックマークを増やしているようですが、ブックマークした本人が全部見られるものなんでしょうか?あれだけの数を^^;。
ブログでも時系列で(遡ってまで)はなかなか読まれるものではないとあちこちで言われますし実際その通りですが、そうやってブックマークしたものを過去に遡って...読まれます?本人"さえも"。


気になるのは、あのサービスを使うには氏名年齢住所等、個人情報の登録が前提になっているようなので・・・、

せっせと<個人情報に紐付けられた興味・趣味の指向(&嗜好)のデータ>を供出しているようなもの、のように見えるのですが、分析されて何か--自分の実生活に波及するような--に使われたら、とか不安にならないのかな、と思うのですが。

ブックマーク先を処理してみて、なんらかの指向性を見つけることは(たぶん)機械的にできているのではないでしょうか、もしかしたら思想信条みたいなものまで透けて見えるかもしれません。

それをサービス提供元(はてな)だけが行い得るとは限りません。見たところ多くのブックマーカーは自分のダイアリーなりブログなりを持っているようですから、そこに(ある程度識別できるような)個人情報を載せていたりすれば(はてなへの登録がどうのということとは関係なく)そういう分析が可能になるでしょうし。

もっとも「実生活上不利になること」の具体例も思い浮かばないのですが(笑)、誰かにそういう分析を把握される(かもしれない)ことへの薄気味悪さって、感じないものでしょうか。
せいぜいが「分析結果で性格判断!」なんていう程度の"ぬるい"話で済めばどうでもいいことですが・・・


-*-
近所のスーパーでも「ポイントカード」をやっています。100円ごとに1ポイントで、何百ポイントだか貯まれば何百円分の金券を出します、というアレです。もちろん"紙にスタンプ"でなくて、会員が持つのは磁気カード、記録は店舗側で管理、というしくみ。

皆さん嬉々として使っておられるのですが、それが<自分の個人情報に関連付けられた日々の買い物履歴が吸い上げられている>ことだ、という恐怖感になぜ結びつかないのかと...
もう少し日常から遠いフェーズ(百貨店とか、航空会社のマイレージとか)ならまだしも(*)、ホントに日々のことですよ?

その情報の対価はとても1%やそこらの割引率では割に合わないと、私なんかは思うのですが。

(*)それらも、私はどう考えても特典交換可能な利用実績に達しないのに入会したりはしませんが
-*-


まぁこのご時世、普通に社会生活をしようと思えばまず間違いなくどこかの誰かに生活の何かを把握されてはいるのでしょうが、漏れることを考えればやはり少ないに越したことはないし、せめて供出に見合うだけの対価は、と...いうのはソーシャル何とかの趣旨から言えばダメダメでしょうか?^^;


そもそも恐怖感からして杞憂でしょうか。

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2005.08.22

かつて、「ブロガーのオフ」というものがあった。

※一応説明:オフ=オフライン・ミーティングの略で、ネットコミュニティのメンバーがリアルで集うこと。パソコン通信で盛んだった。

「人への興味」ということで思い出した。
かつて、ブログユーザーのオフ会、というのがあったことを。

もとはココログユーザーの中から出てきた話で「ココログオフ」と言っていたのが他業者のサービス利用者も巻き込んで(?)数十人規模の大規模オフになったとか。
突撃!フォーラムFLASH!編集部:出会いが人の心を動かす 春オフ☆潜入レポート(1)ほかに雰囲気も含め記録が残っています。
#まぁ人物写真もいっぱいな私には鬼門のページなのでざっとスクロールしただけですが^^;

もう今では「ブロガーの」、という程度のことでオフができるほど小ぢんまりとしてもいなければ牧歌的でもなくなったわけですが...
SNSなんかだとコミュニティによっては今でもそういう習慣(?)もあるのでしょうか、メンバー認証の奥のことは知る由もないですが。

ともあれ、局地的、というか、どこかのブログと互いによくコメント/トラックバックすることのあるブログとで、といった感じならできなくはない、ような。


「そのブロガーへの興味」ということであればですね、"画面に映る、フォントとして規格化された文字列"からアレコレ妄想(もとい)想像を巡らすくらいなら、もうオフっちゃったらどーよ、とか思ってみたりするのですが、そういうこととは話が違うのでしょうか?
※あ、もちろん、ホントにオフって何が起こったとしても一切責任は持てませんがー。

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2005.08.21

憧れることはあるけれど

それがその筆者の日常への興味につながるか、というとちょっと違うかもしれないですがやっぱりトラックバック送ります。。。

Blog向上委員会:興味、ありますか?

あなたはあるブロガーに興味を持つ事はありますか?
それはどんな時ですか?

憧れることなら結構あります。

とても自分には書けないような文章のおもしろさとか、
自分には思いもよらなかった視点で書かれた文章とか、
そういうのを連発されると。


相手がそのように書くに至った背景を知ればもっと理解が深まる」とはよく言われることですし、リンク元、とその触発元(?)である304 Not Modified:ウェブ日記を制する者はブログを制す!が力説する『記事への興味がそのサイト、ひいてはそのブロガー(の日常)への興味につながる』ということも、そういう説からすればなるほどそうかもね、とは思うのです。思うのですが...

"自分に無いもの"を持つその筆者の日常をなぞり、生い立ちをさぐったところで、その思考回路に近づけるでしょうか、彼我の差が(拡がりこそすれ)縮まるでしょうか?とも思うのです。
違いではなく共感がベースなら、そもそもそれ以上の興味につながるのかどうか。


かくも否定的になるのは、ほかならぬ自分自身がそういう"人そのもの"に対することを知りたくも知られたくもないという思いをフォーラムで"ネットデビュー"したときからから8年半以上にわたってひたすらに固めてきたが故ではあるのですが、まぁそういう考えの人もいます、ということで。
#ええ、かなり凝り固まっていますとも、一人称として「オレ」とか「僕」とか書かれることにいちいちひっかかりを感じるくらいに(笑


・・・終盤くらいまで書いてふと気付いたのですが、リンク元もその元も、もしかして、
単に<アクセスキープの方法論>だったとか?

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2005.08.17

いつも心にリミッターを


ネットにかける時間とともに、かける情熱についても。

前にも書きましたが、元々は「余暇の一部分」のはずですよね?と。
燃え上がるにしろ燃え尽きるにしろ、それを踏み越えたか忘れてしまったゆえの帰結ではないのかなと思うこと多々。
ついついハマってしまう、あるいは逃げられなくなる(笑)、というのもまた至極自然な流れなのが難しいところですが...

やはり「楽しむ」ところで止めておくものではないかと改めて思ったりするのです。
(もっとも、楽しむ、といっても「ただおもしろおかしく」から「議論を楽しむ」まで千差万別なので・・・『最大公約数』をとろうにもとれなくて「楽しい以前でモメて疲れてしまう」ことにもなるわけですが)


警告:あなたが極端な無邪気または本気で"ネットする"ことは、あなたの実生活に及ぼすかもしれないリスクの危険性を高めます。

考え方はいろいろでしょうし、
まぁ『"ウェブコンテンツ"という"いまどきのもの"』ですから、
製造現場のような<安全第一>という考え方よりは(成功した)ベンチャーの言うような<リスクを取らざる者生きるべからず>という考えの方がお似合いなのかも知れませんがね...


#もちろんビジネス絡みや研究対象でやっておられる方々はこの話の対象外ですので。一生懸命取り組んでくださいませ。

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2005.08.12

楽しもうと思うなら、覚悟が必要。


正式タイトル:
「もしかしたら楽しいことが起こるかもしれない」場に参加しようと思うなら、「もしかしたら予想もつかないような反応に凹まされるかもしれない」ことへの覚悟を持ってから。

ハードル高すぎ、というか矛盾しているようですが、現実のことだし仕方ないですね。


むだづかいにっき♂:ネット上で議論を仕掛ける事について(以下引用元はこのエントリ内について同じ):

ネット上で何かに対する考え方を書いた時には、それに対して異を唱える者が存在する事は、むしろ当然のハナシでしょう。こと、ブログという(中略)
 そういう物を使っている時点で「あたしの意見と違うことは書かないで」というのはなんとも都合のよいハナシです。

いや、そりゃーね、正論だとは思いますよ。
思いますけど...そういう感情を持つのもまた自然ではないでしょうか。

「議論は好まないです」という宣言を出したのだとしたら、その人は何の為にパブリックな場所において「何かを論じている」のでしょう?

何の為、って、そりゃー、「共感(なり同意なり)が欲しいから」ではないでしょうか?異論や反論ではなくて。
そんなの虫が良すぎらぁ、というのはあるでしょうけれども、「"ブログしてる"中での楽しいこと」というのがそういう(共感が来る)ことを指す、というのにもまた同意できる部分が大きいわけでして。

だって大抵は元来<「遊び」の領域でやってること>じゃないですか。遊びという言葉のニュアンスが悪ければ「余暇」と言い換えてもいいですが、ともあれ自分を鍛えるとか磨くとか、そういう方向の目的意識を持たなきゃならん、というわけじゃないでしょう?
そういう場での「楽しみ」をプラスの反応(だけ)に求めたとしても、その感情自体は責められることでもないと思うのですが。

最近、「荒らし」に対する閾値が低すぎる人が多いな、と思うのです。

(参加しようとする側の)技術面の敷居が低くなった(なりすぎた?)おかげで今までの暗黙のお約束が通じない人が大挙押し寄せて来て古株がプンスカ、なんて...何度繰り返されてきた話でしょう^^;
#だから流行らせるべきじゃなかったんですって...

いっそ「とことん激論OK」なサイト(群)と「読み書きともにあたたかい感情でのみOK」なそれとをネットワークレベルででも相互参照できないように分割できれば(いやむしろ「中の人」を物理層で隔...いやなんでもないです)、とかアホな夢想もしてみるのですが、現実にはそんなことはもちろんあり得ないわけですから「公開しておいて同意だけ欲しいなんて虫が良すぎる」というのも事実。


で、冒頭の"真のタイトル"に行き着くわけですが、これも非現実的だしなぁ。

「楽しめる何かを期待して参加しようとするんですよね。でも、残念ながら楽しめるとは限らないのが現実です。もしかしたら不快な反応を受けることになるかもしれない、その可能性を根絶できないことは忘れないで下さい」

とか何とかアカウント取得時に各社揃ってたっぷり脅しを効かせればちょっとは違うのではないか..というのはそれこそ夢想レベルだし、
消えていった人たちの声は見えないし、
それに打ち克ってきた人たちは打ち克ってきたのだから「なぁに、たいしたことありまへんで」と言う声だけが残るだろうし。

始める前に『「ブログなんて気軽に始めるようなもんじゃない」とわめくブログ』を気にかけてくれるわけも無いし(笑

もちろんブログに限らないのですが、ブログは反応が見えやすい、という程度のことでしかないし。
どこかに文字列を出力するなら、ということ。


以上、ごく初期に書いたことの焼き直し。

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2005.08.07

死してなお名を遺す力


そういえば「ツッコマブル/ツッコマビリティ」って言葉、あったな、と唐突に思い出した数日前。
確か木村さん周辺の初期に出てきたはず。
まだ1年半そこそこなのに、遥か昔の記憶。

日々膨れ続ける文章と速い流れの話題の中で、流行語がいっぱい生まれては消えてゆく。
題名に「死語量産装置」と書こうとして、死語として名を遺している言葉がどれだけあるかと記憶をたどっても・・・あんまりなかった(笑)。

今流行りの言葉、たとえば
モヒカン族
○○メソッド
SBM(と、代名詞?としての「はてブ」)
なんてのも、消えるのでしょうか、死語として名を遺せるでしょうか。


そして「ブログ」は。。。これはきっと遺るでしょうね。

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2005.08.02

ブログの目的?ブログ「が」目的、もうそれで十分。


というと「手段の目的化」だとマユをひそめる向きもあるでしょうが。
そういえばココログが始まった前後だったかそんな叱り方をしてた有名ブログがあったような。面倒だから検索しない。

※某所経由某所、経由。
『斬(ざん)』:やりたい事をやりたいようにを優先する

初心に返って、「何故あなたはブログをはじめたのですか?」の問いに戻ってみる。

1、誰かに自分の記事(日記)を読んでもらいたい為?

それとも

2、自分自信を見つめる(見つける)為?

それとも

3、有名になりたい為?

それとも

4、その他

「4、その他:"ブログしてみたかった"から」
というのが結構多いんじゃないかと(笑)。


・・・結局のところ、それで十分なのではないでしょうか?


「ブログをやってみた」ことで実体験として得られるものが、

会心の一撃のつもりがみごとスルーされたりネタ埋めに書き散らしたものが予想外の反応を集める結果だったり、
いくつかの嬉しいつながりといくつかの招かざるコメント/トラックバックであったり、
そして『現実世界で"なにものか"でないのならネットでも"なにものか"には結局なれないのだ』ということなら、

「記事の内容」だの「ブログの方向性」だの--と、それらを考えるのに要した時間や思い入れの強さ--ということとは結局のところ大して関係しないんじゃないかと。反比例、とまでは言わないけれど。


新しいおもちゃを触ってみたかった。
"Just for fun"(楽しいだけで十分だ(*))、それで、そこまでで、いいのではないでしょうか。
それ以上を考えるから義務感だ何だとストレスの素になるし、
それ以上を考えても結局.....



・・・ということを--外野からの僻みではなく、実体験として--伝えるのが目的のブログだったりします。あはは。(乾いた笑い)

(*)もちろんこれは Linus Torvalds一代記、「それがぼくには楽しかったから」の原題から採ったものですが、直訳はそういう意味だそうな

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