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2005.09.23

「いいかね、ジョナサン」

と、説いてきかすような口調で父親が言った。
「まもなく冬がやってくる。ブログも少くなるだろうし、浅いところにいるネタもだんだん深く潜ってゆくようになるだろう。もしお前がなにがなんでも研究しなきゃならんというんなら、それは"つながり"のことや、それを手に入れるやり方だ。もちろん、お前のその、ブログ論とかいうやつも大いに結構だとも。しかしだな、わかっとるだろうが、攻撃的なルール/マナー論は相互コミュニケーションの足しにはならん。そうだろ、え? わたしらがブログするのは、"つながる"ためだ。ひとつ、そこんところを忘れんようにな。いいか」

<パロディ元の原典=リチャード・バック著/五木寛之訳:かもめのジョナサン(新潮文庫)>



原典の論旨(笑)からして、こんな部分を抜き出して元ネタに(ましてや諫言として!)するべきものではないかもしれません。

ただ、まぁ「退屈」はしないかもしれませんが、「恐怖」と「怒り」に自らの寿命を削るのは"群れ"のほうではないでしょうね、原典と違って。


たとえば、わたしはトラックバックするのに、事前の「~させていただきます」コメントなど必要ないと思っています。思っていますが、ふらふら彷徨っていてどうしても言及したい記事を見つけたとして、そのサイト主が事前コメントを欲しがっているのであれば、別に頑なに拒否して"無断で"撃ち込むほどのこともなかろう、という程度には考えています--いいじゃないですが、それでストレスがちょっとでも減るのなら。
確かにちょっと手間ではありますし、そういう「ルールの原理原則を上回るほどのキモチ」を持つことが実際にありえるのかどうかは分かりませんが。

その程度だと蹂躙されちゃうんですかねぇ?
・・・というか、原理原則にこだわるとするなら、「コミュニケーションがあってなんぼ」ということについて、ではないのかな?と。






原典へのたとえに戻って、「"つながる"ためにブログする」のではなく、「"ブログすることそのもの"を極める」って、どういう状態を指すのでしょうか(笑)

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コメント

言及したい相手のリテラシーにもよると思います。

ネット上のルールやマナーを知らないで主張するのと知っていて主張する場合とでは、前者には、そういったことが在る事を知らせるのは、悪いこととは思いません(ま、教えたがり君ですが)。それで、再考してもらえれば良いわけでして。後者の場合は、知った上でそういったコミュニケーションを望んでいるのなら、そのように対応することもあると思います。

でもまぁ、その場合はあまり深いコミュニケーションになることは稀だと思いますけどね。

投稿: souryuusei | 2005.09.23 21:15

現実に有り得るかどうかを棚に上げて言うのですが(笑)、むしろ後者に対して、あわよくば「自分が正しいと信ずるところの」こっち側に引き込めたら、と考えつつ"つながり"を維持して、それがストレスなく実現できたら理想かもしれません。

その「いかにストレスなく」にはどうすればいいのだろ?というのがここ最近のエントリの意図だったりします。

投稿: Tristar@管理人 | 2005.09.24 19:27

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確かにちょっと手間ではありますし、そういう「ルールの原理原則を上回るほどのキモチ」を持つことが実際にありえるのかどうかは分かりませんが。  原理原則だけではやっていけないと、現実世界で思い知らされているせいか、出来る限り理解できる事であれば対応はしたいと思っていはいる……いるけれど、理解してなければそういったその次に来るであろう対応も取れる筈も無く……私の壁だなぁ。  感情的になってしまう場合もあるだろうけれど、そうでなければ、例に挙げられているようなパターンであれば、私も全く同じ考えだな... [続きを読む]

受信: 2005.09.23 22:11

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