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2005.10.01

誰かが拾ってくれるのをただひたすら待つ、ということ

おそらく他のあらゆることにおいて決して褒められたことではないそういう態度が、
ブログにおいては肯定的に受け取られるかも?


アクセスはエントリを更新したから来る、のではない。
たとえばいわゆるニュースサイトであったり、言及リンクありの"正統な"トラックバックであったり、それは決まってどこかで取り上げられたタイミングで来るもの。

そして拾ってもらえるかどうかなんてこと、基本的にはこちらからの関与が効くようなことでもない。
よくいえば「人事を尽くして天命を待つ」と言えるし、
悪くいえば「他の誰かの胸三寸で決まる」とも言える。サーチエンジン・アルゴリズムも含めて。

"相手がいかにも好みそうな"というのを狙って出来る人はまぁいいのかもしれませんけどね...
わたしがソレ(計算高いコト)をやると必ずどこかで計算間違いをやらかすという特技(しかもどこで間違えたか本人全く分からない)が・・・(涙

#これが最近のいい例。
  「個人情報付きの興味の履歴」
もう未練たらたら(自爆)。アップした時点で脳内でははてブ2ケタ(10 users)はゲットしたはずだった...

自分語りはともかく。
一般的に言ってそんな「拾ってもらえるのをただ待つ」などという態度はあまり褒められるようなものではなくて「自分から行かんかい、コラ!」と気合を入れられることになるはずだし、なによりそういうのに耐えられる人などそう多くはない。

地道に更新を重ねていれば、いつかきっと、誰かが拾って取り上げてくれる?そんなこと信じられない。じゃぁ一体いつまで待てばいいの?そんな悠長なコト言ってられない。
世間一般には「アピールするには自分から前に出る積極性が必要」ということになっているし...積極的なアピール?

・・・という理屈からするといわゆる「検索トラックバック」という手段に出るのも分かるような。もちろんほとんどの場合結果は逆効果であって、撃ち込まれた側にとって迷惑な存在であることもまた事実ですが。


書いたからには読んでもらいたいと思う。その感情を責められるいわれは無い。絶対に無い。
でも「大勢に嫌われないような積極的アピール法」となると絶望的かもしれない。
奥ゆかしく「いつかどこかで(肯定的に)拾われること」を夢見つづけるよりほかにないかもしれない--"群衆の中の孤独"に耐えながら。




誰かと話がしたいなら、ブログよりは...
まだフォーラムの利点を信じたい。
@niftyのIDを持っているのなら。

原点に立ち返る意味をこめて。

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