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2006.01.30

白紙のプロフィール-唯一、読み手に強制できること

キーワード検索で、だけが理由でトラックバック送ってこないで!
ネガティブな反応なんてしないで!
反応に困る反応もしないで!
手出しできないところ(含:ソーシャルブックマーク)で晒したりしないで!
無断リンク禁止!
黙って見るだけで足あと残さないなんて!
8割以上はネタですから信じないで

などなど読み手へのお願いは数あれど、どれも実際の読み手の行動を縛ることはできません。
(そのうちリンクなしTBは弾けるようになるんでしたっけ>ニフティさん)
縛ることができないから、何かとモメゴトの種になるわけですね。


でも、
書き手のプロフィールを白紙にして、発した文章を先入観なしに、ただ、画面に映る文字のみで受け取ってほしい、という願いだけは、唯一実効性を伴って読み手に強制できること。

まぁ、そういう(先入観を持って欲しくないという)考えではない方々には意味のないことかもしれませんし、逆に、発した文章を"このように書くに至った背景を分かったうえで"受け取ってほしい、という人、あるいは記事の存在があることももちろん理解はできます(でも、その背景をちゃんと読み込んでもらえるかどうかが不確定なのは、これまた首記のネタに同じ)。
私もフォーラム信者、という思想の偏り(笑)だけは公言しているのですが、これはまぁ例外的というかそもそもの(ブログを始めた)きっかけなので・・・

とにかくリアルの何やかやとは切り離して見て欲しい、という層が多いのか少ないのか定かではありませんが。


「こういうことについて気にしてくれる人同士においては」という非常に限定された条件付きで、ではありますが、こんなポリシーも各個明記しておくと認識の行き違いの防止に多少なりとも役立つでしょうか、ちょうどトラックバック・ポリシーのように。


ということを
Blog向上委員会:プロフィールは必要か
を読んで考えたのでした。

将来的なリスクの話についてはまた「実名vs匿名」論が吹き上がったときにでも。予定稿準備中。

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2006.01.26

それより、あたらしい遊び場を。

むだづかいにっき♂:関連仲間文化圏が多数派になると、ブログは死滅する

読んでもいないブログに読まれもしないトラックバックをひたすら送りあうな(少なくとも送ってくるな)という趣旨ですが、

彼らが自分の仲間内で馴れ合いトラックバックを送りあう事に対しては、僕も文句はありません。

というのに関しては、ココログが重かった件の事情説明を見たりするとトラックバックというものは受ける側のシステムにとっては相当に負荷のかかることのようで、めったやたら撃ちまくるのは文化がどうのという以前に考え直す必要はあるかもしれません。

が、それより何より、

憤ってもブログの将来を憂いても詮無いことのような気も。


啓蒙といってもエスカレーターの自動放送のようなもので、「良い子の皆さん♪……」って良い子なら最初からそんなことせぇへんし悪い子が端(ハナ)からそんなもん聞きまっかいな、といったムード。
それにコミュニティの規模(+経過時間?)が膨らむにつれて質の低下だの内部での意見の食い違いや諍いだのが問題になる、というのは「経験則」でもあることですし...


ブログ(のコミュニケーション機能としての部分)が死にそうになれば、(やりとりを求める部分はそれが出来るような)「別の何か」に移ってゆくだけでしょう。それが「今は想像もつかないような何か」なのか、もうすでにある何かなのかは分かりませんが。

そりゃぁ愛着もあれば未練も残るでしょうが--私がフォーラムに対してそうであるように--、まさか「ブログに殉じる」わけでもないでしょう?

個々のブログが、というのもさることながら、ブログそのものが「追憶」になるときもきっと来るはずですし。

考えるほどに「今を楽しむ」より他に無いんじゃないかな、という気がします。まぁ"空気"がおかしくなったと見るや放り出して次の遊び場、と表現すると下流な考えかもしれないとか道徳的にどうなのか、とかいう気もしなくはないですが...

もっとも、その「楽しむ」ということには、当然「ブログ論を読む/書くことで」というのも含まれるわけですが(自己弁護込み)。

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2006.01.24

追憶のブログ

いつもの巡回が済んでふと空いた時間に思い出すことがある。

いくつかは宣言とともに消えてしまった。
いくつかは移転先を追いかけなかった。
いくつかはやはり更新が止まったままでそこに在る。

今はどうしているのでしょう。
伝えるすべもないけれど。


いつか更新を止めたあとで、
あるいは消したあとで、

ここは誰かにふと思い出してもらえるでしょうか。
知るすべはないけれど。

「ブログする」ことからの離脱が"ハッピー・リタイア"ではなかったとしたら、そんな妄想を支えにして生きてゆきそうな気がする。
・・・願わくば、スパッと明るくやめられる日が来ることを。

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2006.01.23

ブログが「簡易」ではなくなりつつあるらしい。

「読む」というほどもなく新聞を見ていましたら。

『・・・ブログ(日記風ホームページ)・・・』

お?
以前は(日記風簡易ホームページ)って注釈でしたよね確か?

ざっとぐぐってみたところ、どうやら今年(2006年)に入って「簡易」を取りはじめた様子。
それどころか注釈自体がないものもチラホラと。ただし同一社内でも記事によるバラツキが相当見受けられましたが。


マスコミ的視点からも多少は地位向上、というところでしょうか?(笑)

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2006.01.21

飲んだら書くな。


ネタ元

(特に揉め風味(笑)のものを)勢いで投稿するなという戒め、の意味合いだと思いますが。


まぁただでさえアルコール嫌いの私には想像すらしがたい情景だったりしますが、酒を呷りながら(あえてきつめな表現)巡回しぃの原稿作ったりしぃの、って方々も意外と多かったりするんですかね。

FFしてるとたまに飲みながらプレイしてるひともいたりして「燃料切れたー」とか「つまみウマーw」とか言ってますが(事実かどうかまでは知りませんよ、画面の向こうのことなんて)。

いわゆる"酒の勢い"がたとえば揉めにどれだけ影響するのかどうかはともかく(アルコールだけに燃え...いやなんでもないです)、純粋に興味として「飲みながら」ってのが多いのかレアケースなのかとふと思ったもので。

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2006.01.20

A long,long story -とある迷惑メールのはなし-

前略

さきこ さん、あるいは さきこです さん、とお呼びすればよろしいでしょうか?
少し調べた範囲でも十種類前後の名前とアドレスを使い分けておられるように見受けられましたので呼びかけにも苦労します。

さて、
このたびの連続メール攻勢には感銘を覚えました。

多少の破綻がみられたとはいえ、何日もの間、数時間おきに、それなりにストーリー性のある題名と文面を送り続けてこられるとは、日に100通近く来ることもある<info@(ランダムな文字列).com>からのメールなどに比べればはるかに考え抜かれた出来でした:いつもは開封したことにして捨てるものを、ここ数日分は実際に開けて見ましたから。

一度や二度のメールならよくある話ですが、「数日にわたり数十通」という作戦も画期的であったと思います。
文面は"いかにも"であったとはいえ、さすがにこれだけの期間および量では「耐えかねて」何らかのアクションを取った方も従前よりいくぶん多かったのではないかと思いますがいかがでしたか?・・・もっとも、後述のように、もう通用することのない文面作成の努力に見合うだけの手応えであったかどうかは分かりませんが。
「巧妙な手口」と表現するにはやや強引な力技ではありましたが、いろいろ考えるものだと感心いたしました。

ひとつ謎なのは、初期にはlovely-eden.com/(以降忘れました)であった誘導先URLが、ある時期からkakikomi.net/lego/(以降忘れました)に変わったことです。前者のままであれば(数日前の時点では)いくら検索してみてもヒットがなかったがために「もしかしたら迷惑メールではないのではないか?」との本来ありえない疑いをキープさせることができたものを、後者になったことによっていくつもの事例がヒットしてバレバレ、という点は面白みに欠けましたので。

私に接続元IPの隠蔽ないし偽装技術、もしくは生活圏を推測されることのないインターネット接続環境があれば、その努力に敬意を表して、記載URLのクリックの一回でもしてあげたのちに『感動した!』のワンフレーズも残すことができたのですが、このたびは当方にそのような持ち合わせが無かったことを残念に思います。

なお、このようにブログネタにした時点以降においてはうぜぇの三文字に尽きますので、今後のメール送信は不要でございます。また、上記の通り既にいくつものブログその他で公開された事例であることを考えますと、もう使えない手口であろうこと、一言申し添えます。

さようなら
どうかご自分を大切に...

草々

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2006.01.18

下流ブログ?

話題の『下流社会』なる本を読んでも買ってもいないのですが著者が各紙誌のインタビューにひっぱりだこのようで、そのキーワードはそれらに書いてあったことなのだろうと。

今でもそこそこのアクセスあるからいいや、とか、そんなことより自分らしさ優先だとか、それってもしかして...下流ブログですか?

断じて(経済的な)生活の糧にリンクさせたくはなく、むしろ「気楽であるべき余暇のさらに一部分」という領分をはみ出てはならないという意識が強いがゆえだとしても、
振り返ってみれば確かに「ブログで自分を」あるいは「自分のブログを」"向上"させよう、なんて概念にそもそも乏しいわけでしで、そういえばなんとなく続いてますアハハ、といった程度で。


まぁ、ブログにおける向上心とは?あるいは「上を目指す」というときの"上"とは何を指すのか?ということになるのですが:
人気(にんき=アクセス数や被ブックマーク数といったもの)か、
人気(ひとけ=(コミュニケーションとしての)コメントやトラックバックのにぎわい)か、
あるいは想いをどれだけ的確に(および/または速く)文字にできたかどうか、などなど、
他にもその人なりの指標があるかもしれませんし、
「ブログ界での(ブロガーとしての)」と「人としての」とでは違う話になってくるかもしれないですが。

他のブログを読んで、あるいはやりとりを経ての「内なる成長」は分からないでもないですが、上を目指すというのとはニュアンスが違う気がするんですよね...

必死になったら負けかなと思っている…とまではいいませんし、むしろたまたま訪れて頂けた方への"一期一会の誠意"という言葉もちかごろは頭に思い浮かべつつ、さらには右肩上がりのアクセス数(それも瞬間風速ではない"読んでもらえた"アクセス)を夢見つつも、さりとて具体的な"営業努力"みたいなことは何か邪なものと思ってしまうのは、やはり・・・?


でも向上心に燃えて"営業努力"にがんばるのはハングリーブログとか?
それはそれで語感悪そう。舌もつれそうだし。

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2006.01.12

トラックバックは読んだ後に。


○○○は読む前に。と頭につけたくて、思いつかなくて、結局あきらめた...というのはともかく。

いわゆる"言及リンク文化圏"独特の考えなのかもしれないですが、

トラックバックは「読んだあとの判断として」送るものだろう、と考えるし、
トラックバックが来たら、それは「読んでくれた結果として」のもの、であってほしいから。
好ましくは、「いくつかの」記事を読んでくれた結果として・・・

日々是自己主張より空気とトラックバック

検索トラックバックについては、僕自身、日ごろから好ましくは思っていないのだけれども、僕がそれを好ましくないと感じる最大の要因は、明らかにこちらの記事を読んでいないにもかかわらずトラックバックを送ってくることであって、それが「空気を読めない」言動だからではない。別にリンクがなくても言及がなくても構わないけれども、せめて送信先の記事を読んでからトラックバックしろよと思うのだ。

久々に来た!と思ったのも束の間、いかにもキーワードで拾われただけ、のものだったりするとどうしてもガッカリしてしまいますね。
根底に「読まれたい」という気持ちがあるから。
・・・まぁ、読まれた結果某所でネガティブな単語1つでバッサリやられていたりするのを見つけては凹みもするわけですが。

304 Not Modifiedより検索トラックバックありがとうございます。

私は関連トラックバックを否定はしません。(中略)しかし、普通のブログでは拒否する人もいます。それを判断するためにはどうしたら良いでしょうか。それは、過去ログをいくつか見てみるのが良いと思います。
(中略)トラックバックは相手のブログに自分のブログへのリンクを強制的に挿入する行為とも言えます。ですので、トラックバックを送る前に、相手のブログの雰囲気くらいは調べてみる努力をしましょう。

えてして送っても大丈夫だろうかと思い始めると悪い結果の妄想とそれでも送りたい気持ちのせめぎあいで無駄に時間を費やしたりするわけですが(苦笑-今のこれだってそうです)、
それでも送ってもよさそうかどうかちょっと考えてみる。そもそもブログで何のためのやりとりをしたいのか、という原点に立ち返りながら。


再掲
10%の(場の空気を読む)才能、
20%の(不愉快にさせない)努力、
30%の臆病さ、
残る40%は、まぁ...運かもしれませんが。

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2006.01.09

解決できない文化の違いだとすれば、従うべきは自他どちらの文化なのか

そして、そもそも、分かり合えないと分かっている文化圏へわざわざ乗り込んで行くほどのことなのかどうか。

「それもまた(ブログの)楽しみ」という向きもあるかもしれませんが、言及/コメント/トラックバックしたいという衝動のままに動いてしまう前にすこし考えてみるのも悪くないかもしれませんよ...というのはともかく;

トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突――「言及なしトラックバック」はなぜ問題になるのか [絵文録ことのは]2006/01/06

「文化の違い」そのものに正邪はない
(中略)
文化衝突であるならば、それを解決する方法など思い浮かばない。相手に考えを改めるよう強制することなど、とうてい不可能だからである。

さて、そうと分かっていてもトラックバックしたいとして。
ハードボイルドに「自らに課したルールのみ」に従うべきか、コミュニケーション優先で(譲れる範囲で)相手先の"文化"にも配慮するのがいいのか。

まぁ、だいたい、"文化の違う"ところのものを見つける、というのは、キーワード検索にしろニュースサイトやソーシャルブックマーク等を経由したにしろ、いいかえれば「普段の巡回先」以外であることがほとんどのはずで、従って「そのサイトの他の記事、およびそのサイト全体」についての見聞が十分でないことがほとんど、でしょう。
であるなら、そこがどういう"文化圏"に属するのかを他の記事やトップページや「最近のコメント/トラックバック」等から推測してから言及の仕方を考えてみてもいいのではないかと。

それに少々受け手としての不快感を伝えたところで送り手の考えが改まることは期待薄、だとしたら、怒りにエネルギーを使うよりも...という考え方もできなくはないし。放置するか粛々と処置するかは場合によりけりとして。

いづれにせよ最初に書いたように「そこまでして乗り込んで行くほどのことか」と考え直すのもアリだと思うのですが、
もっと「いまを楽しむこと」に集中したほうがいいんじゃないかと--きっとこの華は長くは続かないことを、そしていつか手続き論もリセットされるかもしれないことを前提にすれば、ですが。

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2006.01.06

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(800万編)

*あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
600万:2005.09.18:63日
700万:2005.11.09:52日
800万:2006.01.04:56日

(末尾の日数は各100万区間に要した日数)

グラフ(800万)


*グラフの末尾数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)

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2006.01.05

繊細だった、あの頃を

思い返すときが必要なのかもしれません。

・・・おもいっきり前向きな記事を目にすると「絶対にあのようには考えられない(そしてウソでも書けない)自分」に落ち込んだりして。

さて。
さまざまなことを乗り越えてつよく--あるいは麻痺なのかもしれない--なってしまうと、たいてい、乗り越えられずにいた頃の気持ちを忘れるものなので。

コツだなんだとアドバイスをしてみたところで乗り越えられるかどうかは本人がなんというかヒラメキみたいなものを体得するしかない、というのはたぶん実技系科目に限らない真実で、
だから乗り越えられた人には乗り越えられない人の気持ちが分からないみたいだし、
乗り越えられなかった人には乗り越えられた人の気持ちは分からない、
そんなものだとちいさな頃に身に沁みて感じたわけですが。


まぁ、ネットワークコミュニケーションにおいては「やればできる」という命題が成立すると仮定しても、「まだ弱くて繊細だったあの頃にキツイと感じたこと」を「強くなった自分」がやっていないかどうかを、ふとしたときに再確認してみると、多少は平和裏にコトが進むようになるかもしれません。前段で書いたように「あの頃を思い出す」こと自体が結構難しいのだけど。

「つよくなる」のはまことに結構なことで、
ある程度強くならないと生き残れないのもまた冷厳な現実で、
結局は壊れる前に本人がいろんな意味で「ふっ切れる」ことが出来るかどうかにかかっているような気がするけど。

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