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2006.03.14

畏れよ、未来を

FF11をやっている人にしかニヤリとできないタイトルで申し訳ないです


たけくまメモ: 西村博之氏という存在

俺にとって、昔からどうにも不思議なのは、「実名」を晒すことを、多くの人が過剰に恐れすぎているんじゃないかということです。

私たちには『過剰に恐れる』くらいが実はちょうどいい塩梅、なのではないか、少なくとも「業として、あるいはその補助として、もしくは職を得るために、というような方々」と同列に考えていい話ではないはずだから。

私たちは充分過ぎるほど気付いているはずだ、
ひとたび公開された情報は、劣化、紛失することのない記録として、読みやすく、容易に識別可能で、検索可能な状態に保たれることに、
そしてそれが発掘につながることに。

実名だろうが匿名だろうが、他人に非難されるようなことを書かなければいいだけの話なんじゃないでしょうか。

それは常に守るべき基本だと思うが、「いつも、いつまでも」を保証はできまい?
プロとして、ならそんなことは許されないかもしれないが、あくまで「余暇のさらに一部分でのこと」である私たちには「気の緩み」や「想定外の反応」などいくらでもあるだろう。

「いま」何の気なしに、もしくは話を多少有利に進めるために出した個人(の特定につながるような)情報が、たとえば2年後や5年後にしてしまうかもしれない失言やトラブルのあとで、自ら暴露していたこれ以上ないような攻撃材料として使われるかもしれない、という恐怖に、もっと自覚的であるべきだろう。

『まあ、そんなものをわざわざ読むほどみんな暇ではないですが、読むかどうかではなく、読もうと思えば読めるということが危険なんです。』
──某ビジネス誌に載っていた某ネット系人気企業社長(CEO?)のインタビューのパロディ

その頃にブログがまだ存在しているのか、ということは問題ではない。
検索の「偉大さ」とその裏返しの「恐ろしさ」ということについてもまた、
私たちは充分過ぎるほど気付いているはずだ。


ネットで「日記」を公開するということは、ほとんどの場合、リスクがリターンを上回るだろう。-業として、あるいはその補助として、もしくは職を得るために、というような方々を別にすれば。
「実名か匿名か」などという単純な次元ではなくて。
いわゆる身辺雑記や昔語り-ネットなんてなかった頃の、リアルの-のひとつひとつが将来においてリスクになりかねないのだから。

思い出したように出てくる「実名主義者からの挑発」などに決して惑わされることなく、私たちはもっともっと個人情報のコントロールに注意深くなり、リアルの身辺に関わらないで済む題材にシフトすべきだろう。


もちろん最大のリスク排除は「読み手に徹すること」であり、「ブログしてる」時点で既にアウト、といえなくもないのだが、一度は書いてみたい、とりあえずブログなるものをやってみたい、というのであれば。

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