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2006.03.19

長考の不幸

まぁ、不幸、ってこともないかもしれませんが。

あんたジャージでどこ行くの: ノンテリブロガーの主張

・しかし、彼らは多分、本心では「やっちゃったかな」とか「書きすぎたかな」、「誤解を受けるような事書いたな」とか思ってるんだよ。
・でも、インテリ故にそれを認めない。

いやそれはインテリでなくとも・・・
文章にしなくとも長考してしまったり、ましてや長文にしてアップしてしまったり、なんてことになると、どうしても自己愛というか何がしかのコダワリというか、そういうものから無縁でいられなくなると思うのですが(経験者談)。

で、異論反論、特にストレートにぶつけられるようなものをなかなか素直には受け取れなくなってしまう。
ネタがシリアスであればあるほど、あるいは自分が費やした時間や行数に比例するように。


本当に差し迫った話ももちろんあるだろうけれど、ネットでやいのやいのと湧き上がる「騒動」なんてものの多くは"ためにする議論"といってキツければ思考実験というか、まぁそういうたぐいのものであって、
だとすれば「ネットの良い点」として昔からいわれている「多様な意見を読むことが出来る」ということそのものを楽しむ(楽しむと書くと語弊があるような騒動がちかごろ多いけど)というか、まぁいろんな見方についていちいち素直にナルホドと目からうろこを落とすような、そんな読み方が本来なんだろうと。

それがそのネタについてなまじ自分"でも"あれこれ考えてしまうと、どうしてもそれに引っ張られて「多様であること」そのものを楽しめなくなる弊害が出てくるのかな、とも。


ワイドショー的というと道徳としては良くないのかもしれませんが、あえて話題に乗って考えたりせずに神の視点ネットウォッチ的な見方をするほうが後々の考えの広がりにつながるのかな、とか(^^;。

・・・ということを1日ほど考えていて、書こうかどうか2時間ほど迷って、文面作成に1時間ほどかけている私。

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コメント

 なんらかの前提(立ち位置)がなくては議論ができない、というのは分かるのです。
 しかし、その前提は見直し続けなければいけない。考え続けるという事は、前提を見直し続けると言う事だと思います。
 しかし、先に書いたように議論は前提から生まれる物であって、議論好きな人というのはそれに囚われがちなのかも知れません。

投稿: LSTY | 2006.03.23 13:43

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文章にしなくとも長考してしまったり、ましてや長文にしてアップしてしまったり、なんてことになると、どうしても自己愛というか何がしかのコダワリというか、そういうものから無縁でいられなくなると思うのですが(経験者談)。  この箇所を読んだ時に、物凄く納得する自分がいる。私の長文って長考の過程すらも書いてるから、必然的に長くなってしまうのであって、本当はあれをきちんと纏め直す方が読者ウケは良いのだろうなぁと思うのだけれど、その過程を残したいというコダワリとか、それでもここまで書いたんだよなという自己... [続きを読む]

受信: 2006.03.20 21:31

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