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2006.04.27

主人と読者で|読者同士で|みんなで

304 Not Modified: 読者間コミュニケーションへの憧れを読んで図が浮かんだので。

1.コメント数がある程度多くないとダメ。

必ずしもコミュニケーションの矢印が双頭とは限りませんが。
世間一般に思い描くところの"人気ブログ"ですね。

…もうすでに至難の業。コンマ何%の存在(^^;。


3.管理人-読者から、読者-読者へ。


望むのは、「ブログ主の個性に惹きつけられて集いし者」同士のコミュニケーション。

…雲上人が更に見上げる存在、のような。


・みんなでコミュニケーション

管理人はネタを提供し、読者はそれについてあーだこーだ盛り上がる。(中略)そんなブログを提供できたらいいなと思い、そんなブログに読者としても参加してみたいと思う。

と言って思い浮かぶのは(場の所有者の存在をことさら意識することもなく)場に集う者でワイワイ、という図。

こういうコミュニケーションを望むならブログでは却ってその形式が邪魔をするかもしれません。
凡百の掲示板(失礼)のほうが機能を果たせるでしょうし...そういうかたちのコミュニケーションを望むなら、そのココログ(フリーを除く)が開設できる@nifty IDがあるならフォーラムのほうがはるかに適しているはずで、という久々の繰り言はともかく。

下2つは「多対多のコミュニケーション」の2形態、ですが、雲上人ならぬわたしたちが(稀にでも)話のネタを振る立場になることが出来るのは現実には後者の形態だけですから、"みんなでお喋り"を望むなら向かうべき場所はブログではないのではないか、と書き続けること約2年半。
ブログはまだまだ増え続けているようです。

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2006.04.25

普段、一顧だにされない存在に

REVの日記 @Hatena::Diary-ニュースサイト:落ちモノ論(2006/04/22):

ニュースサイト経由のアクセスは、観光バスの観光客みたいなもので、店を目当てに来るというより、旅行会社の企画で訪問するようなものか。顔が見えづらいだけで、顔が無いわけじゃない。「観光バスを運営している、旅行会社」の顔はよくみえるけど。

添乗員の名前で集客できるような人など全国に100人も居ないと思いますしガイドの名前でとなるとさらにさらに少ないでしょうけど(あ、リアルの話ね)、
さしずめ大手ニュースサイトはカリスマ添乗員というところですか。
……便宜を図ったりすると効果があるのでしょうか(笑)

今後とも下車休憩地としてご指定賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
つ[リベート]


おちゃらけはともかくこれは事実誤認だと・・・(TBもコメントもできないみたいですが)

「観光バスを運営している、旅行会社」

え?

ほとんどの場合において「バス会社」と「ツアーを企画する旅行会社(代理店)」は全く別でして。
企画した旅行代理店がバス会社からバス(と乗務員)を借り上げるものでして、当然そこには立場の強弱が発生しますので以下略。

というか、実際、そのバスに興味なんか一切持ってないでしょ、みんな。
下車して次乗るときに「2号車と4号車を間違える」ならまだしも「塗色も(当然会社も)まるっきり違うバスに乗り込んで"あれ?"」っていう人の何と多いこと!
そうかといえば(まぁ第一原因事故は論外としても)ちょっと急ブレーキとか果ては渋滞すらもバス会社へのクレームになったりして。
何事も無くて当たり前。平時には一顧だにされない存在


ニュースサイトが名物添乗員orガイドだとしたら、そういうバス&ドライバーは何に相当するのでしょうか。
スムーズに繋がって当然、ちょっとトラブルが長引くと罵詈雑言の嵐・・・というと、回線接続/ブログサービス事業者でしょうか。

そんなことを考えてるところにこの文章にぶち当たって泣きそうになりました:

404 Blog Not Found:はてなに入りたくても入れないみなさんへ#4

たまには「その環境を整えたひと」のことを考えないとね。
たまに、でいいんですよ、ほんと。
せめて・・・

内田樹の研究室: 即戦力といわれても

「即戦力」のみなさんは「自分に相応しくクリエイティヴな仕事」だけをやりたがり、「雪かき仕事」を厭がった。
でも、会社の仕事の90%は「雪かき仕事」である。
誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないとみんなが困るタイプの仕事。

そういう「雪かき仕事」のことを「しょーもない仕事」などと無邪気に口走らないように。しかも本人の前で。


あれ?何でこんなこと言ってるんだっけ.....(自爆)

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2006.04.22

原動力は、叶うことなき夢への想い


アクセスには顔がない-日々是自己主張

顔のないアクセスというのはちょっと不気味だ。とはいえ、すべてのアクセスに顔があったらそれはそれで困るかもしれない。

うん、実際困ると思いますよ(笑)。
だって、そのすべてに対応、なんて、出来るはずがない。

……なのに、願ってしまう。


定期/不定期にわたしが見てまわるブログに「直接の反応の少なさ」を嘆く記事が多く見られるような気がするのは"類は友を呼ぶ"のか"同病相哀れむ"のか単にそういった記事ばかりが記憶に残るせいか。

……きっと増えれば増えたで応対しきれなくなるのに。


個人ニュースサイトが更新されると同時に、水道の蛇口をひねるようにしてアクセスの流入が始まり、やがてピークを迎えて、数日後に終息を迎える。(中略)そんなことが続くうちに、だんだんとアクセスの流入に無感動になる。(中略)通勤に慣れるとともに電車の混雑に何らの感懐も抱かなくなっていくのと同じように。

感動を覚えていたはずの数字にいつか麻痺してしまうであろうことも、
常に自分自身が満足できる(反応の)レベルが上がり続けてゆくというのは『余暇のもの』としてどうなの?という自問の答えも、
ほんとうはこれが実力だということも、
みんな頭では分かっていても・・・

アップロードし続ける。
カウンタの数を好意の数と信じながら、
きっと満たされることのない『「自分が賭けた熱意に見合うだけの評価と反応が来る日」への希望』を原動力にして。


こうして文字にすると、何と「痛い」ことでしょう。
でも、「違う!」とも言えないでしょう?

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2006.04.20

続きを詠む?

でぐぐったら意外に多くヒットした件。
ほとんど「読む」の誤変換でしたが。


ひきつづいて、ということもないのですが百人一首のパロディ。


ブロガー、想定外のきつい反応に凹みしときに詠める:

書くことの 絶えてしなくば なかなかに
人をも身をも 恨みざらまし

(あのエントリを上げなければ、あなたの仕打ちや私の辛さを、こんなに恨むことがあろうはずはなかった。書いてしまったばかりに...)


またブロガー、反応の無さに凹みしときに詠める:

空気(かぜ)に乗り 岩うつ波の おのれのみ
砕けてものを 思ふころかな

(風に乗った波が(岩は動じることもないのに自分ひとりだけ)砕け散ってしまうように、空気を読んだエントリのはずが上げた端からことごとくスルーされて、私ひとり心が砕け散るばかりのこの頃。)


…続きを詠む?




書くに当たって百人一首の対訳があるサイトを眺めていたのですが、半分くらいは何とまぁ深い情念といいますか...これ成人向けコンテンツよね(笑)。とくに上のほうの歌(もとは「逢ふことの~」)とか。
幼い頃の坊主めくりから、今はそんな先生も居ないのでしょうか、中学くらいだとかるた取り大会対策に覚え(させられ)たり、伝統芸としての百人一首にそれぞれの歌の意味なんてものを教わることも興味もなかったにせよ、『コドモのアソビ』の題材としてはなかなかにディープだよなぁ、と、改めて思ったのでした。

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2006.04.17

それは時間と知恵を賭けたギャンブルに似て

カキコした のちのこころに くらぶれば
むかしはものを おもはざりけり


こにのつぶやき:ブログの魅力

反対意見や荒らしに出会ったときに、(中略)自分の中でどれだけ受け入れて、解釈し、どう反応を返すか、他の読者にその反応振りを試されている気がするんで、うかつなこと書けないなとか結構いろいろ考えたりして、なかなか異なる意見や反対意見の時は、すごい修行をさせられている気がするw
仕事や育児の息抜きにならないこともあるかも・・・(笑)

修行、というのは昔フォーラムでちょっとやり合ったときに実感したこと。
いかに伝わる書き方をするか─出来れば冷静に─というのはホント難しいもので。

ただ眺めているだけではなく何かを書き始めたときから、ただ「楽しい」だけではなくなる。
アップした次の瞬間から"書いてしまったこと"をあれこれ考えてしまうもので、そのわりに反応が無ければ無いで寂しいし、有れば有るで話のつなげ方に悩んだり(苦笑)。

なかなか思い通りの反応なんて返ってこないもので、なんとか『そうやって画面に向かい、キーボードの前であれこれ思い悩んだ時間や振り絞った知恵』のせめて"モト"を取ろうとしてどんどん"投資"の深みに嵌まってゆく。

物凄いリターンを得る人が居る一方で、
コテンパンにやられる人も少なくはない。

これぐらいの投資でこれだけ遊べたからいいや、というのがモラル的な(?)ギャンブルの楽しみ方らしいですが、まぁ…何にしても…それで済ませられはしないですよね(笑)。

ビギナーズラックのスマッシュヒットを飛ばして勝ち逃げ、が理想かもしれないけれど。

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2006.04.14

解析ショッピング

成分解析が大流行で派生続々の現在。
きっと『気に入った結果が出るまで果てなく各種派生を試し続ける』ヒト続出と推測(笑)

気に入った結果が出るまで占いを渡り歩くのは何て言うのでしたっけ?
タイトルは『ドクター・ショッピング』に引っ掛けてみたのですが。

珍しく(?)"ドクター・ショッピング"は(日本語版)Wikipediaには項目なし(2006/04/14現在)。
英語版Wikipediagoo 辞書

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2006.04.11

此方での近さ、彼方での近さ

「リアルでは決してお目にかかることも出来ないような方たち」と話ができたりするのがネット、とよく言われますが、
リアルでの隣人とは「ネットでは決してお互い出会いそうにない」ほどに見ている方向が違ったり。

こういうのは「逆もまた真なり」というのでしたっけ?


「同じ時代に同じような機材と回線でインターネットにアクセスしている」はずが、興味の対象というか『その先で見るもの』が『全く交わらない世界』だったりするんですね。
あの人はポータルサイトに配信されるマスコミニュースしか見なくて、
この人は趣味の世界のネットオークションを眺めるのに夢中で、
別の人はファイル交換に明け暮れて(笑)、etc...

それなりに「ネットしてる」同士だとしても、「ネットの話題」が通じないことのほうが多かったりする。

考察もオチもない、同僚と話していて改めてそう思ったというだけの話ですが(^^;

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2006.04.10

次こそは?

ポッと出て来て、
パッとスマッシュヒットを飛ばして、
サッと去る。
ささやかな成功体験と美しい記憶だけを残して...

それがいちばん幸せかもしれなかったりして。

こう、「昔」が出てくるほどやっていると、何かと、ね・・・


わたしたちはここで学んでいることを通じて、つぎの新しい世界を選びとるのだ。もしここで何も学びとることがなかったなら、次の世界もここと同じことになる。それはつまり、乗り越えなきゃならん限界、はねのけるべき鉛の重荷が、もとのままに残ってしまうことなんだ

─リチャード・バック著/五木寛之訳:かもめのジョナサン:新潮文庫:1977年

※ちなみに一つ前のエントリの題名もこの引用部より少し前の部分からとったもの


ブログの次には何が流行るのでしょう。

「次」こそは・・・

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2006.04.07

大して変わりばえのないもう一つの世界

どこかのハイパーリンクをクリックして
「どこかのひどい話を憤る誰か」と一緒に怒りを覚えた数分後に、
どこかのハイパーリンクをクリックして
「かわいい画像」にほのぼの癒された数分後に、
どこかのハイパーリンクをクリックして
「感動物語のFLASHムービー」に抑え切れなくて泣いた数分後に、
どこかのハイパーリンクをクリックして
「ネタ書き込みのまとめ」にバカ笑いする。

……心当たりが無いとでも?

えてしてネットワーカー(死語?)ってのはテレビを始めとするマスコミ媒体のショー的演出(と、それを嬉々として見るような視聴者層)を小馬鹿にする態度を取りたがるものですが...

こちら側もそれなりにワイドショー的。

やってることは大して変わるまい、
(時間的に)見られるはずもない番組をHDDにためこむように、
(時間的に)読めるはずもないエントリをソーシャルブックマークにためこんだりして。

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2006.04.04

真剣であれ。ただし、本気になるな。

たかがゴルフじゃないですか
ずいぶん昔に電車の窓から見た屋外広告のコピー。 確かPRGRだったと思う。 なぜそんなものを憶えているのか、ヒトの記憶とは天邪鬼なものだと思う。


バトルと運営批判はネットの華、ではあるけれど。
たかがブログじゃないですか
そう、呼びかけたくなることがある。


検索で来る人。
どこかのリンクをクリックした人。

稀有な存在、だと思う。
字面通りの「一期一会」、だと思う。

だからひとつひとつのエントリには真剣であるほうがいいと思う。
──あわよくば「いつも読んでくれる人」になってくれることを願いつつ。

だけど、「ブログすること」そのものを(それが余暇のものであるならば)"どこまでも本気"で全精力を傾ける存在にしてはならない、そんな気がする。うまく表現できないが。
いつも心にリミッターを、とずいぶん前に書いたが、疲弊したら何にもならないですよ、ホント、と。


それとも『傍目には中傷すれすれの激しい文章のぶつけ合いに見える書き手同士』は『リアルでは「やあやああの時はどうも(^^)」と酒を酌み交わす同士』ばかり、だったりするのだろうか?
実際そういうこともあるらしい、と聞くものの私には想像すら出来ない世界ではあるが、もしかしたらそれが理想的なのかもしれない。リアルに影響しない、という意味においては。

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