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2006.09.28

複数のソースを!

ふと「そういえば道上さんの予後どうなったんやろ?」と思い出して調べたら(←実家に聞けよ)、ちょうど今週から復帰だそうで。まずはめでたい。
そしてこういうことには無駄に詳しい(笑)Wikipedia。
おはようパーソナリティ道上洋三です - Wikipedia


関連でふらふらさまよってどうたどりついたのかこんな話:



asahi.com: 中濃ソース、関西に少ないのはなぜ? - かきくけこどものはひふへほんま? - 関西
(略)なぜ、関西で中濃は根付かないのか。東京の大手メーカーの社員は「関東以北は中濃1本で何でも済ます家庭が多いが、関西では食べ物によって、使い分けが進んでいる。食文化の違いでしょうか」。(中略)知り合いに聞いても、複数のソースがあるのは普通のよう。ちなみに近畿の05年の2人以上の世帯あたりのソース購入量は2.2リットル余り。実に北海道の1.8倍だ。

へぇーへぇーへぇー。初耳。

というか「複数のソース」って当然じゃないんですか……?
1本で何でも、って、そんなわけにいかへんでしょ……?

最低でもとんかつソースとウスターソース位はあるもんだと……あとはお好み焼ソースとか。
だって「お好み焼」と「焼そば」にだって使うソースは違うじゃないですか。
・・・って、家でお好み焼作るなんて関西人ぐらいですかそうですか。
#ウチはお好み焼用のソースだけはなぜか自作でしたね。ケチャップとウスターととんかつを適当に(笑)混ぜて。

いやほんまカルチャーショック。

・・・で、「中濃」って知らんよ?なにそれ?(^^;;;


そういえば醤油なんかと違ってソースは全国的シェアをもつブランドって無いらしいですね。
知名度としてはオタフクがそこそこ全国区でしょうか、
あとは一時の『「そばめし」ブーム』(名物なんて意識なかったけどなぁ)に伴って「どろソース」(登録商標)が有名になったオリバーぐらいか。
なんだかんだ言っても人口比だけでなくネットユーザーという意味でもおそらく首都圏がダントツであろうと思いますが、少なくとも関が原より西においてブルドックの知名度は関東(以北)人の想像以上に低いですよ。

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2006.09.23

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(1200万編)


※あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
600万:2005.09.18:63日
700万:2005.11.09:52日
800万:2006.01.04:56日
900万:2006.03.08:63日
1000万:2006.05.10:63日
1100万:2006.07.18:69日
1200万:2006.09.22:66日

(末尾の日数は各100万区間に要した日数)
glaph

*グラフの末尾数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)


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2006.09.22

It's a friday night

ふと「血栓は金曜日」って思いついて、
念の為ぐぐってみたんですね。

・・・・400件近くヒット(苦笑)。


ふと思いついたような単語って、きっとすでに誰かが思いついてて、そしてこんな時代、公開されてる。
(例:[Where have all the bloggers' gone](ブロガーはどこへ行った)とかね
CONCORDE: 風に吹かれて

ふと思いついたような視点だったら、文章だったら、・・・それも、やっぱり?

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2006.09.16

震えて眠れ明日はもうないさ

この世界、いつまでも「今日の続きの明日」ということはないでしょう。

F's Garage:消費されないブログ記事を書こう

・自分が有用と思われる情報を書いておけば、ひょっとしたら数ヶ月後、半年後にgoogle経由でその情報を必要とする人が出てくるかもしれない。

その期待は"スタートダッシュ"に失敗して公開直後に注目されなかったときのせめてもの拠り所なのですが、

果たしていつまで検索結果の上位であり続けるでしょうか?
そしていつまでブログなるものが存在しうるでしょうか?
個々の、という意味においても、(メジャーな)システムとして、という意味でも。

リアル世界の天変地異や争乱、はたまた個々人の(アクティブ)寿命まで言い出すと子供のケンカになりますからそれは考えないことにしても。


確実なのは「今」だけ、でしょう?

「公開後すぐに」注目されるかどうか=即ち"瞬発力"でほぼすべてが決まる、と考えるのは、それが理由の一つなのです。


まぁ、字面通りの半年後-平成19(2007)年3月-くらいであればそう激変していないと思う、というよりそう信じたいですが・・・

時が過ぎるにつれて、「いつか見てもらえたら」というような、そんな"未来への期待"を持てるだけの猶予は確実に、そして加速度的に縮まってゆくのではないかと、そんな気がします。


※関連: 「今日の続きの明日」はいつまで続く?-「ブログ・リテラシー」の有効期限(2005.11月)

そなたの画面に映りしは、足抜け叶わぬ我が姿(2006.5月)

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2006.09.15

たばこと酒とクルマの違い


飲酒運転が時事問題として騒がしいからというわけではないが。
(むしろリアル世間の時事ネタは避けたい方だが)

酔うぞの遠めがね: 酒酔い運転問題

誓約書を取るといったシンボル的な運動あるいは言い訳的運動をするところもあって、現実の問題としてどうやって運転させないか、といった根本的な解決を目指すとは言い難いところがあります。

そう。
「飲酒」も「運転」も、「たばこ」のように『元から断て』という話が一向に出てこないのはどういうことなのか?


※「飲酒」の件。

ねぇ酒は?酒の規制は?再掲:

軽犯罪レベルからいわゆる"ご乱行"から果ては殺人に至るまで、「酔った上での」犯罪は枚挙に暇がない筈ですが。
(タバコ吸ったからってそんなことがありますか?)


もう「公共の場所に酒に酔った状態で存在すること」自体を規制してほしいと心底思うのですが、 迷惑行為以前に。

その害悪を上回るほどの「公共の場所に酒に酔った状態で存在すること」のメリットがどこにあるというのか。
そもそもどんなメリットが存在しうるというのか?

運転だの何だのという「その後の行為」と切り離しても、酒酔いという状態そのもの(さらには飲酒)を憎み、規制すべきではないのか。
……喫煙を憎み、規制するように。


※「運転」の件。

逆に「飲酒」とは切り離しても、普通に120だの140だのの数字がスピードメーターに存在し、軽自動車でさえ踏みさえすれば当然のようにそこまで加速することに疑問を感じないのか?
大型貨物自動車に「だけ」速度抑制装置、というのはどういうことなのか。
生活を支える立場たる緑ナンバーを先に締め上げてどうするのか。

そして根本的に、あまりに安易に免許が取れてしまうからなのではないか。
そもそも運転というものは、もっとプロに任せるべき行為ではないのか。
自営や介護や何やらで必要ならばその業務と路線(orエリア)限定の免許を出すなり出来ないのか。

……要するに、『公共交通の復権』にもっと真剣になるべきではないか


すこし検索してみたくらいではこういう疑問に出会わない。
いかに該業界の"力"が強いか、ということなのだろうか、
それともたばこ業界が弱すぎたのか。

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2006.09.14

瞬発力は「あるのが前提」、なのかも。

どこ経由であろうが、
何がきっかけであろうが、
結果として「話を続けることの出来るつながり」を得ることができるならば私としては満足なのですが。
(もう少し欲を言えばそういう「場を得る」ということであって相手が何人居ればいいということではないし、メールのような非公開/一対一ではないほうがいいけど)

それを前提にして、それでも。


シナトラ千代子 - 消費されるブロガーは消耗する、つまり短命になる。

「あんま瞬発力みたいなのは鍛えずに、じっくりエントリを煮こむような方向で書くほうがお互いにとっていいんじゃないの?」

そうありたいと切に願います。
ですが、まず瞬発力を鍛えないことには……


アクセス数やブックマーク数に一喜一憂するのは馬鹿げている、というのをよく目にします。
確かに馬鹿げているかもしれません。
それはゴールではないのだから、やっとスタートラインに立つことができたというだけで。

「アクセスがあった」というのは「見た」という数を示すにすぎませんが。
ですが、これは何度も書いていますが、見られもしないものが読まれることはないわけで。
「消費される」なんて嘆きますが、「消費を実感できるほどに流通した」というだけでも実は大したもの、圧倒的多数はそこにもたどり着けず淘汰される中で。

それはともかく、そのスタートラインに立てるかどうかは、公開して数時間の内にどこかのソーシャルブックマークに(複数人によって)クリップされるかどうかでほぼ決まってしまうのではないかと、経験的に見て。
たとえていえば、玉は最初から光っているもので、何ヶ月か経ってから輝き始める、などということはまずありえない。(外的要因による例外もあるでしょうが)


……話が続くかすぐ消えるか、その後のこともいろいろあるけれど、すべてはスタートラインに立つことができてから。

瞬発力と持続力というのは相反するものではなくて、まずスタートラインに立てるだけの瞬発力を持つことがその後のすべての前提なのかも、という、厳しい、あまりにも厳しい話。


鍛えて鍛えて、たどり着いた先にやっと見えたものは、果たして.....

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2006.09.10

すべてが娯楽になった世界に在りて君は何を想うのか


嘆きの心中お察ししますが、ちと本気/マジメ過ぎやしませんかと思うことその3、
及びFF11をやっている人にしかニヤリとできないタイトルで申し訳ないですその2。


ポケベル、携帯電話、パソコン、インターネット、そしてブログも・・・
何かをしようっていう原動力は、いつだって、初めは生存に関係していて、それから社会的なものへと移り、最後は純粋な楽しみになる。そして、楽しみの後にはもう何もない。
他のどんなものと同様に、進化は、ゆっくりとだが容赦なく、テクノロジーを生存のための地平から上昇させ、コミュニケーションに基礎を置いた社会性を通り抜けて、楽しみの領域へと入っていくだろう
生存。社会化。娯楽。これが進歩だ。
<リーナス・トーバルズ[Linux開発者]+デイビッド・ダイヤモンド・著/風見潤・訳/中島洋・監修: 『それがぼくには楽しかったから』:小学館プロダクション:2001年>より

もう、「娯楽の領域」に、到達してしまったんですよ。


R30::マーケティング社会時評: そろそろ

実際、ぶっちゃけ分かる相手にしか語りたくない、余計な言葉は控えたいみたいなところでもあるし。



 端的に言っちゃうと、要するに「もはや知的生産の道具としては役に立たなくなった」ということなんじゃないかと。


敷居が下がるというのは、とりあえず入ってみよか、といった層が増えるということ。私のように(笑)。
もとより本気度やマジメさやシリアスさを求めても意味がありません。動機が「とりあえず」なのだから。
(念のため申し添えますが、あくまで画面に向かう態度がそうである、ということであり、人格の規定ではありませんので誤解なきよう)
『「とんがった人」同士が刺激を与え合う場』でなくなることは必定、
もう少し普及が緩やかなれば多少延命もできたろうにと思いますが文字通り「後の祭り」。


今から思えばはるかに「濃かった」パソコン通信でさえ成し得なかった『社会(問題)を動かす(改善する)』なんてことが、これだけ拡散し、かつ娯楽の場へと"進化"したネットで、ブログで、成し得ることなどあるものか。

積み上がりゆく事例から学ぶべきことより再掲:

圧倒的多数は「石」として淘汰され、
たとえ残ったとしても 討伐されるべき禍々しい光と判断された為であったりして、
幸い評価されてもエンターテイメントとしてものすごいスピードで消費されるこの世界に、

構造問題を含んでいたり改善に長期を要したりするような、「真にシリアスな話」はそぐわない、ということではないでしょうか?誰が書くか、に関係なく。

もう、「娯楽の場」に相応しい話題と態度で臨むしかない。
誤読されるのもまた楽し、そういう余裕と猶予のある話題にしか向いていない世界、ということ。
いつのまにかそうなったのか、もとからそうだったのかはともかく。

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2006.09.09

予定調和を乱すなら

承前

いまや「とんがったこと」を書くなら2通りの意味で「生活を賭ける」覚悟が必要だろう、
ひとつはサイト炎上で済まずリアル生活に波及するかもしれないという意味において、
もうひとつは印税もしくは原稿料で生計を立てるきっかけに使う、という意味において。

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2006.09.08

ノー・モア・エンジョウ

(大喜利的なものとか、要するに100%遊び前提でなければ)予定調和で成り立っているところに確信犯的に波紋を投げかけたりしたら謝罪and/or撤回要求が大挙押し寄せてしっちゃかめっちゃかになる、なんて、パソコン通信の昔から何度も何度も繰り返されてきた事件でしょう。

どちらの態度が正しいのか、なんて倫理を論じたところで現実には炎上するんだし。
ましてや「その意見が正しいか悪いか」なんてことはもはや問題ではないわけで。


そりゃ、「まさかこれが予定調和を乱すなんて」ってコトも少なくはないでしょうから、ある程度には不可避であって「撲滅」は不可能でしょうが・・・


ちょっとは「防災」ということを考えませんか?
有名(人の)事例だけでも、失敗知識データベースに載せるなりすればどうでしょうかね、いやマジで。
ネットなんだし、"科学技術分野の事故や失敗"だ、って強引に(?)理由付ければいいでしょ。

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2006.09.07

癒。

職場に登場したポスター。

一瞬で癒やされました(^^)


ちなみにこれは中央労働災害防止協会において販売されている売り物であります。(拡大画像へのリンクもあります。)

--基本情報--
【第57回全国労働衛生週間】2006.10/1~10/7(準備期間9/1~30)
スローガン「疲れてませんか 心とからだ みんなでつくろう 健康職場」
主唱:厚生労働省、中央労働災害防止協会
--------

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2006.09.04

オモテで反応?ウラで反応?

これも「文化圏の違い」ということでしょうか、それとも「個人差」もしくはただの「好き嫌い」でしょうか。

日々カタログ。 : mixiでは書けないこと

コメントをつけるにしてもすごい気を遣う。友達のエントリ読んでて「えー,私はそうは思わないけどー」とか書きにくい。

へのトラックバックであるD.T.P.+営業メモ - mixiの日記にコメントを付ける・付けない

メッセージの機能で送ればいいじゃん。
(中略)
いわゆるホームページの時代の管理人へメール感覚でいいんじゃね?

ああ・・・その発想が出てこなかった。ネットにつないで10年になろうかというのに(自爆)。


フォーラムで育ったから、とは必ずしも言い切れないですが、『会議室で起こったことは会議室で(決着を)』、つまり、公開で話しているものへの反応もまた同じ公開の場で、という信条で過ごしてきましたし、それはある程度には共通認識なのだろうと無邪気に信じてもいます(勿論それがプライバシーに踏み込んだり名誉毀損になったりというのはダメですが)。

で、自然とブログだのSNS内の日記だのというものをその延長として考えてしまうので、ウラというか水面下というか、まぁ語感は悪いですが、ともかく非公開のカタチで反応する/されるというのは想定外というかなんというか。

ですが"いわゆるホームページ"の延長と考えると、・・・そうですよね(笑)。
いや想像力なさすぎと言われるとそれまでなんですが。

これが出自や文化圏がどうの、ではなくて好みの問題なのかどうかはさておき、オモテで反応することとウラ(すみませんね語感悪くて)で反応することとでどちらが心理的障壁の高いかというのは人によって見事に逆転しているのだろうな、と。


関連の話を記憶にとどめていたので検索したら出てきた。
(まさかたかだか1ヶ月前のエントリとは思わなんだ。半年くらい前の気分だった……)
ARTIFACT@ハテナ系 - ネットの人間関係可視化が進めば進むほど水面下の駆け引きが激しくなる

ネット上で仲がいいけど…なんてのはよくあることだ。自分の場合、まったく会ったこともない人と仲が良いと思われたこととかがあった。

真逆の話なら数度読んだことはありますが。
「ネットでは激しい言い合い(というか罵り合い)、リアル刃傷沙汰でもおかしくなさそうな"名物"同士はリアルでは結構仲がいい」という類の。


でもねぇ、そういう"見えないところでの関係"があるかもしれないことを想像(というか妄想に近いですよね)しながら、というのも、なんか疲れませんかねぇ・・・

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2006.09.02

積み上がりゆく事例から学ぶべきこと

すこしマジメすぎやしませんか、と思うことその2。

オーマイニュース日本版が存在し、2ちゃんねるが消滅する日本でいいのか。 - スポンタ通信 2.0 - 楽天ブログ(Blog)

万が一、2ちゃんねるが日本から消滅するようなことがあるならば、「自由な言論の場」を求める人たちは何かをしなければならないだろう。

どちらにしても、日本全体をまきこんで2ちゃんねるの存在を真剣に考えていくべき時が来ていることだけは間違いない。


刹那は何度繰り返されてもやっぱり刹那のまま。

"炎上"するのもたかだか数日、
(好意、もしくは人気としての)"津波アクセス"もまた上に同じ。

「ひと夏の思い出」か「春の夜の夢の如し」か、とにかくうたかたのもの、長くは続かないことを、そしてその消費スピードが早まりゆく現状を、いくつも見聞きし、あるいは実感してきたはず。


掲示板であれブログであれ、そのような仕組みがいつまで(メジャーで)ありつづけるのかはともかく、われわれ下々の民もとい一般ピープルが情報発信できることの敷居がしばらくは(下がりこそすれ)上がることはないとしても、日々積み上がりゆくそうした事例から学ぶべきことは、

圧倒的多数は「石」として淘汰され、
たとえ残ったとしても討伐されるべき禍々しい光と判断された為であったりして、
幸い評価されてもエンターテイメントとしてものすごいスピードで消費されるこの世界に、

構造問題を含んでいたり改善に長期を要したりするような、「真にシリアスな話」はそぐわない、ということではないでしょうか?誰が書くか、に関係なく。

文化芸能趣味娯楽といった方面、そしてネット自身の問題に、ならいざしらず、
言及先が想定している(であろう)社会だの経済だのという問題に、では……。
良くても(といっても稀有なる幸運ですよ!)消費されるだけ、というのでは目的としては逆効果であり、どう転んでも虚しさ募るだけ、だと思いますが。


ならそういう話に相応しい場は、と問われても答えに窮しますが、
マスメディアに長期キャンペーンをしてもらうくらいしかないかもしれません……まだ多少の"信頼"の残る今なら。
(今の続きでネット言説が力を伸ばして)いよいよメディアの力が落ちたときには……泣き寝入りしかなくなるかも。

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