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2006.12.28

ビフォー・スタート・チェックリスト

【キーボードに向かう前に】

□ 余暇の一部であることを忘れていないか
□ 趣味の一つであることを忘れていないか
□ 時間と費用を使ってまで(より)不愉快になりたいか





揉め事だとか、傷だとか。
本当に反応するに値するコトなのかどうか。
ヒコーキのエンジンを回すわけではあるまいし(タイトルはそこからとった)ミスってもまぁ命まで取られるわけでもないでしょうから毎回毎回の必要まではないかもしれませんが、時々でもこのチェックリストを実施したならば、傷をずいぶんと防ぐことが出来るのではないでしょうか。

ヨノナカのナニカに"あえて"反応しないでおく、一部界隈で言うところのスルー力とか、
自分に向けられたものでさえサッとかわせる"受け流しスキル"(FF11からの転用です)の向上を。

書きたいことを書きたいように書くんだ、というのはいいのですが、『他愛もないことを最大限穏やかな表現で綴る』という領域を外れた時点で、意に沿わない反応が返ってくる危険は極端に増すのです。

……ある程度までのバトルならば、後々の思い出作りという側面はあるのですが(笑)


(関連:プラスにはならないなら、せめて。。。(2004.4)、
君散りたもうことなかれ(2006.12)、
その他多数)

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2006.12.23

ノスタルジー:「横レス」「亀レス」「こん**は」

五・七・五の調子で読んでくだされ>タイトル

もとは『斬(ざん)』 コメントにおける「はじめまして」について考える

ついでに「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」は、相手がいつ読むかで、返答に迷う場合があるので、こちらも極力しないです。

 「やー」とか「どうも」というのもいいかなとも思いますが、なんか馴れ馴れしさもあるんですよね。いつでもどこでも誰にでも使える適切な挨拶ってなんかないでしょうかね。

を読んでいてつらつら思い出したこと。
リンク先と話がずれるのでTBはしませんが。


コメントを入れるときの挨拶ですか……。
パソコン通信時代の標準は
『(コメント先)さん、皆さん、こんばんは。(自ハンドル)です。』
ってしていました。
なじみが薄い場/相手に対する初回のみ『~(自ハンドル)と名乗っている者です。』に変えて。
今は大体いきなり本題から書き始めることにしているかなぁ(めったにコメントしないけど)。



パソコン通信の頃は「こんにちは」「こんばんは」両用の意味で「こん**は」なんて表記、結構多かったのですが。
いかにもネット独特、の薫り高き(笑)表記ですが、いまや死語ですねぇ。
私も一時期使っていましたが、なんとなく「自分の書いた(又はアップした)時間」を優先させたくなって止めました。

で、死語つながりで思い出したのが、「横レス」「亀レス」とか。
(レス、というのは(おそらく)"レスポンス"の意味かと)

「亀レス」。
時間が経ってからのコメント、およびそれをすること。「化石レス」等の発展形もあり。
反対語は「即レス」。(もしかしてこれは死語じゃない?)
『即レスできないことを卑屈に思う必要は無いんじゃないの?』という批判もなきにしもあらずでしたが、ブログ時代になって流れが速くなった今、あえて亀の歩みで話をする猶予もしくは寛容が欲しいなと思ったり。

「横レス」。
会話の流れの当事者以外が話に加わること、およびそのときにひとこと断りを入れるあいさつ。
レス、というのが死語なだけで、「横入り」という表現に変わって生きているかもしれません。
ですので『かりにもオープンな場で話をしているのに(以下同文)』と憤る意見を今でもたまに読むことがありますが、ブログのコメントにおいて、『(オーナー)さん、皆さん、こんばんは。』などとそのオーナー以外の読者にも意識を向けて書いていますよ、と言える人って、どれくらいいるのでしょうね。

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2006.12.20

光と、闇と、「その他大勢」

『匿「顔」性』というフレーズが出てきて思わずニヤリ。
前世紀から使って来た言葉がやっとメジャーデビューしたかと微妙に先発明権を主張しておく……というのは冗談ですが。

『ウェブ人間論』、読みました。

話題になった梅田さんの前著(『ウェブ進化論』(以下同じ))のときはあえて<件の本>と表現したのですが、
(ちなみに→ニャンコはニャンコ(2006.05)、およびそれ以降のいくつか)
(今確認したらリンク先の筑摩のページ消えてら・・・)
今回はちゃんと書名を出して感想などを。


パソコンを保有してネットにつないでからあと数日で丸10年になりますが、時が経つほどに平野さんの視点に近づいてきた、そう思います。
特に「話題のパワーの行く先」(p.86-87,187)やネガティブな評判に接したときの感情(2章全般)、そして人脈のリンクの序列が『人間観そのものにまで拡張されること』への危惧(p.57)だとかいう辺り。

逆に3章全体では梅田さんの説になるほどと思える部分が多かったし、2章の『ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思うんですよ。』(p.70)というのは、もう図星すぎて・・・(泣

ただ、全体的に、ひとつひとつの話題が平野さんの出した疑念を梅田さんが楽観論で"軽くかわした"ところで打ち切られている、ように見えてしまったのがなんとも。特に2章の話などは自分が一番興味があるところでもあるし、平野さんの視点と梅田さんの視点の違いが際立っていた部分だと思うので、そこで違いをぶつけ合って終わっているような感じを受けたのが物足りなかったかなと。
計16時間もの対談ということですので、実際はそこで終わっていないのでしょうし、だとしたらそこで切っているのはなにかを意図してのものなのでしょうけれども。

加えて、どうも話がかみ合っていないような印象もあったことについて。
思ったのは、お二方の見ている(気にしている)世界が実は全然違うのではないか、ということ。

梅田さんは"玉石混淆の玉の方"ということを前著から言い続けています。
手元に前著が無いのでうろ覚えですが、前は"大学の五百人くらいの大教室で面白い(ことを書く)五人"というような表現で上位1%あたりのことを、また今回は『十人に一人くらいの層』という表現で。
まぁ1%と1割ではえらい違いかもしれないですが、ともかくその程度に『ハイエンドで読むに値する』レベル(の集合体)というのが大前提に有るのではないか、と読めたのです。残りの(石として淘汰された)90~99%というのはまさに視界の外、即ち「存在しないのと一緒」。

翻って平野さんはその残りの有象無象も含めて、というよりむしろそちら側のことを重きにおいている、そんなふうに思えたので。

だとしたらそりゃぁすれ違った話になるはずだし、そして私が平野さんの方により共感できるはずだわ、と(苦笑)。


そして、ひとつ前著から感じていたことを再確認できた、というか確信が持てたこと。
梅田さんが語るような「"さわやかな刺激とオプティミズム"に彩られた希望の未来図」は、そういった上位1%だか1割だかの光る「玉」(と、その光の強さゆえにダークサイドに堕ちた者)のみに関わりのある話でしかないのだ、ということ。
著書や著者の批判ではないので念のため。そういう層を見てそういう希望を発信する、という生業にケチをつける意図では断じてないので。
前著を我が事のように読んで勇気づけられたとか感動したとか、そういう受信側の90~99%にとってあの本の世界は決して「我が事」などではないのだ(まぁ、稀に多少の恩恵に浴する可能性はあるかもしれないけど)、ということ。


わたしたち「その他大勢」にとっては、そのそれぞれのささやかな営みがたいした変わりばえもなく続くことがすべて。
願わくばさらっとした『犠牲者が出ますよね。』の一言のもとに斃れるようなことがありませんように、
そしてささやかな楽しみがネガティブな刺激を多少なりとも上回れますように。

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2006.12.15

いったりきたりで日が暮れて

「言及リンクでのつながり」をたどっていけることこそが『「ブログというもの」の特徴』だったはずなのにね。

『斬(ざん)』 トラックバック記事は、ホント読まれていないなぁを読んで思い直してみたことなど。

結構な知名度のブログにものすごい逡巡した挙句勇気を振り絞ってトラックバックを打ち込んだ、そのドキドキのわりにはそこ経由のアクセスがゼロ、という経験が数度あったりしますが・・・


(どこかのハイパーリンクをたどって、)どこかのブログの記事を読む。
その記事の言及先である他のブログへの、あるいはそこに飛んできたトラックバックの、リンクをクリックすることの何と少ないことか。
……自分の巡回スタイルを振り返っても。

ソーシャルブックマークの人気/注目ページであったり、いわゆるニュースサイトであったり、そういったところを言わばベースキャンプにしてしまって。
そこのリンクのいくつかをクリックしてリンク先に飛ぶのだけれども、さらにそこから先に飛ぶことなく、ベースに還ってくる。

図示してみると以下のイメージ。

(図1-普段の巡回スタイル)
図中「ホームポイント」という縦長の青味がかったひし形になっているのはFF11の影響(笑)。

もはや巡回(ぐるっとまわる)とは言えないかもしれない。
単なるベース(あるいはホーム)とのいったりきたり。


ただ、結果的にそういうスタイルで可使時間いっぱいいっぱい、というひと、少なくはないのでは?とも思うのです。

いつ頃の誰の記事だったか探せないのですが、かなりの"アルファ"な方が「文中リンクのクリック率など良くて1%かそこら」と書いていたのを読んだ記憶があって、自分でもそれを実感するようなことがあったりして何となくそれを信じていて、うちへのリンク元として表示される数のだいたい100倍がそのリンク元自体のアクセス数なんだろうな、とか勝手に想像していたりするのですが。

アクセス数に対する興味の有無の割合、というのももちろんあるのですが、多少興味のある話だったとしてもその1ページ(1記事)にざっと目を通してオシマイ、さあ(全く別の)次の話、という程度にしか時間がない、というのもあるのではないかなと。

トラックバックというのはたいてい記事の最後のまだ下に位置するものですから、そこまでクリックしてくれる人がどれだけの割合かというと・・・


リンクをたどっていくことによる「つながり」や「広がり」が、ブログというものの特徴であり、たどってたどってあちこちの意見を読むことが「本来の」楽しみだった"はず"なのですが。

(図2-どんどんリンクをたどっていく、「理想の」楽しみ方)

実際にはリンクした/された当事者同士のつながりができれば御の字、くらいのものなのかもしれません。

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2006.12.10

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(1300万編)


※あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
600万:2005.09.18:63日
700万:2005.11.09:52日
800万:2006.01.04:56日
900万:2006.03.08:63日
1000万:2006.05.10:63日
1100万:2006.07.18:69日
1200万:2006.09.22:66日
1300万:2006.12.09:78日

(末尾の日数は各100万区間に要した日数)

グラフ


*グラフの末尾数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)

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2006.12.09

【小ネタ】シシトウは国際語?

略さずに 漢字で書くと 獅子唐辛子。
字余り。

メインの付け合わせに載ってきた炒め物3本が3本とも辛かった件について。
こういうのはヒキが弱いというのか強いというのか。

昔は確かに3割くらいは辛いものがあった気がしますが、
今のこの時代に3本中3本はあんまりだろうと
あまりのあり得なさに頭にきていろいろ検索(笑)していると...

なんと英語圏でも"Shishito"である程度通用するらしいことを発見。

参考:shishito - Google 検索

料理レシピ(らしきもの)へのリンクがちらほらと。


以上、本日のトリビアでした。


ちなみにwikipediaによると辛いのは約1割、
エキサイトニュースにある実測値(^^;で12.5%(8分の1)だったそうで。
3本が3本ともってのは確率的に1000(10の3乗)~512(8の3乗)分の1ということに。
やっぱりありえん...

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2006.12.08

for MY luxury-(満たされぬ)居心地を求めて


ここはどこ? - 自己主張のためのブログ論

・ そもそも何のためのブログ論なのか

それが明確ではありません。時には、「何のためにそんなこと言っているの?」と思うこともあります。どうせ結論なんて出るものじゃあありませんし。

「何のため」でもありません。
それ自体が目的だから。

→関連:ブログの目的?ブログ「が」目的、もうそれで十分。(2005.8月)


あるいは、それを書く個々人の(アンテナにかかる範囲が)自分にとって居心地良いものであれ、という願いの発露かもしれません。

こういうのがいい。
ああいうのに憧れる。
……というのは書く原動力に乏しいので実際にはあまり無いでしょうが、

ああいうのはおかしい。
こんなのは問題だ。
……それらが影響力をもつことによって、自分にとっての居心地を侵されるかも、と感じたときに、その憂いや怒りが原動力となって"攻撃的な"ブログ論が書き上げられる、そんな気がします。

自分にとってよりよい居心地を作る(守る)ということ。
趣味の領域であればなおさら、その追求は際限のないもの、常に満たされることのないものになるのでしょう。


リンクやトラックバックについて、といってブログ作法的なものの乱れの蔓延を憂う記事を目にするたび、そもそもブログなるシステムがいつまでメジャーであり続けると思っているのか、などとかなり揶揄してきた私ですが、個々人(の目にする範囲)の居心地の悪化に対する危機感のあらわれであったか、と思うと、表現にも考え直す点があったかもしれません。

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2006.12.03

君散りたもうことなかれ

-揉め事の中に在る総てのブロガーを歎きて-

ああブロガーよ 君を泣く
君散りたもうことなかれ
ネットに出でし君なれば
人のなさけはまさりしも
文字の刃をにぎらせて
人と揉めよとおしえしや
ネットの華と散れよとて
Weblogまでをおぼえしや

(一段略)

君散りたもうことなかれ
Silent Majorityは 戦いに
おおみずからは出でまさね
かたみに人の血を流し
ネットの華と散れよとは
燃ゆるをblogのほまれとは
コストに思い至りせば
もとよりいかで思されん


なんてね。

改変元は『日本の近現代で初といわれる反戦歌』として有名ですからまぁ常識の範囲として(というよりむしろ検索避けのためですごめんなさい)明示しませんが。


十年も前から「バトルはネットの華」と言われてきました。
今は「揉め事と炎上はブログの華」といったところでしょうか、その本質は変わらないようです。
きっとこの先十年経っても(ブログやSNSがはるか過去の遺物になろうとも)変わらないものかもしれません。

まぁ、適度(?)の"アツいやりとり"は後々の思い出づくりと言えないこともないのですが(笑)、揉めたor燃えた挙句"ネットの華"と散ってしまってはきっと癒えない傷になりますよ、と。

文字だけで「中の人」の"本気度"を分かるわけもなく、そもそも他人事と言やぁ他人事なのですが、
ハラハラすることも少なくないわけでして。
ネット環境の構築にはそれなりの費用もかかっておられることでしょうし、その結果が「傷」というのは・・・

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2006.12.02

3年前の冬の日から

3年前の冬の日に、ココログは誕生しました。

1周年のときにはあまり派手に記念日を謳わなかったような。
2周年のときには重すぎて(プラスその他いろいろ)とても祝えるムードではなく。
そして3周年。
めでたく公式(?)にお題が……

トラックバック野郎:祝・ココログ3周年 俺の私のブログヒストリー

実は来る12月2日で、ココログがサービスを開始して3周年を迎えるんだそうだ。この3年間といやぁ、日本中がブログブームに沸いた時期とほぼ重なるんじゃねぇのかな?

まさにそうですね。
3年前の冬の日が、『「知る人ぞ知る」から「誰も彼も」への転換』の、大きなしるしだったと思います。

社長のブログが話題になりました。
そしてあの方は初期のココログ界を風靡しました。
またあの方は<女王>と呼ばれました。

システムトラブルも(いっぱい)ありました。
炎上なんて言葉が出来る前から人的トラブルもありました。

そして、そして・・・

「俺の私のヒストリー」よりも、表も裏も含めた「ココログヒストリー(というか事件簿)」のほうがよっぽど面白く、懐かしさに浸れるのではないでしょうか(笑)。

・・・だけど、つらつら思い出した挙句に出てくる言葉が「諸行無常」「盛者必衰」なのはどうしたものか。


ブログを始めてみて変わったこと、気づいたこと、面白い体験などなどを

スタート翌日に登録した私は、あす3周年を迎えます。
このエントリを含めた記事数が363、(やや意地気味に)3日に1コのペースを維持してきました。

自分で書いて、あるいはいただいたコメントが、トラックバックが、そして得たつながりが、というよりもっと大きな変化は、

『ネット巡回に際限がなくなったこと』かもしれません。

自分も「ブログしてる」から、
ほかのブログが気になる、興味がある。

いわゆる個人ニュースサイトがあり、ソーシャルブックマークサービスが出来、...

読む量が格段に増えたこと、
正直、それが大きな変化であり面白さだと思っています。

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