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2007.06.13

バトルの後味、バトラーの後味

古式ゆかしい(笑)長文応酬型の"ネットバトル"も希少になって久しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
(もっともウォッチャーは増えこそすれ減った感じはないですけど)

不倒城: 何故Webで揉め事が盛り上がるかというと に反応。

しかし一つだけ気になるのだが、Webの揉め事に「終わった後のカタルシス」ってものは大抵の場合皆無ですな。あれはなんでだろ。

みっつ考えてみました:
一つ目は「マンガでもNHK教育の学校放送向け道徳番組でもない、生身の人間が織りなすノンフィクションだから」というミもフタも無い理由--現実世界でめでたしめでたし、の結末はまず考えにくいでしょう。
二つ目は「観客(ウォッチャー)にとっては連綿と続くエンターテイメントの一つであって、後味というほどの終わった後の感情は存在しない」可能性。

そして三つ目、
案外当事者にとっては皆無とは限らないかもしれません。

禍根が残っちゃうとダメですし実際そのほうが多いのでしょうけど、たとえば5年ぐらい経ってそんな時代もあったねと"同窓会"でもしてみたら結構いい雰囲気になったりして。
以前にも書きましたがかつてはそういうこともあったらしいんですよ、5年といわずリアルタイムで楽しくオフれたよ、なんて話。
(自分自身のこととしてはちょっと考えられないですが……表でバトっておいて裏でそれかよ!みたいな(苦笑))

だから、まぁ、バトるのはせっせと「未来に向けての思い出作り」をしているのかもね・・・なんて表現はさすがに皮肉が過ぎるでしょうか。


話は変わって、ちょっと思い出話的なこと。

議論が揉め事に発展すると、双方がお互いの弱点を指摘し始めるから、議論は更に分かりやすくなる。

かつて(ネット)会話の中でこんな概要の表現をしてきた人がいました:
『必死の喧嘩の中で自分を一番知ろうと、分析、解釈しようとしてくれているのが、その相手なんだ』と、
『(その相手に)また分析してほしくなる』と。

今とは比べようもなく「"ネットワーカー"という仲間意識」が根底にあった時代のことですが、「そう思えるつよさ」がこの世界で残っていける条件なのかなという思いは当時からありました。

そのカキコミを読んでから7年半、幸か不幸か消えも消されもせずくすぶり続けている私ですが、未だその境地にはとてもとても遠くて。

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コメント

不倒城のしんざきです。こんにちは。

カタルシスに関しては、実際のところ、「きちんと負けを認めるヒトが殆どいない」→「きちんと終結すること事態が極端に少ない」ということなんじゃねえかなーとは思いながら書きました。一億総フリーザ。

>『必死の喧嘩の中で自分を一番知ろうと、分析、解釈しようとしてくれているのが、その相手なんだ』と、

それは心底同感ですね。議論=勝ち負け、と考えなければ、そういう風に思えるんだろうとは思うんですが。

投稿: しんざき | 2007.06.15 00:22

「負けを認める」もなにも、モメゴトになったら大抵『(議論が)始まったときのテーマ』なんてとっくの前に吹き飛んでいるわけで、もとの主張の勝ち負けだの終結だのの話じゃなくなってますから(笑)。ディベートだったらとっくの前に両者失格してまっせ、みたいな。

だから同じ問題が解決しないまま何度もループし続けるのでしょうが、まぁ、それが、「ネットの流儀」なんじゃない?と、そんな気分です。

投稿: Tristar@管理人 | 2007.06.17 12:29

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