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2007.12.29

いつの日か、あのブログから!

言及されるように。

……こちらから言及したことの返信とかではなく、相手に(言及先として)見つけてもらうの。
いつも読んでる、仰ぎ見てる、あのブログから。

あなたが2008年にやりたいことを教えてください - 遥か彼方の彼方からに答えて。


以前書いたいつの日か、あのブログへ。(2007.10)の裏返し版なんですが、はるかにハードルの高い話。自分だけでどうなるものでもなし。


あれ?
これって「やりたいこと」じゃなくて『2008年にされたいこと』か(笑)
まぁいっか。予定通りトラックバック送ろ...



あれもやりたい、これもやりたい。
そのための、そう言えるための、

生活の基盤を維持すること。

"ごく普通"に生きてゆくことが難しくなりつつあるヨノナカで、明日も"今日の続きの日常"であること。

来年の今頃になっても、同じ調子で、「よいお年を(^^)」と、お互いに言葉を交わせる状態であるように。
そうありたい、と思います。

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2007.12.25

「ネットする」時間には限りがあって。

それが、ながれゆく情報量に対して(たぶん絶望的に)不十分なのが根本的な問題なんだろうな、と思います。

すちゃらかな日常 松岡美樹 あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか?

ある程度メジャーなもの(SBMやニュースサイトですでに選ばれているもの)しか読まなくなるのでは? という危惧がひとつ。
 もうひとつは、これだと「自分にとって本当に読む価値のある記事」を見逃すんじゃないか? というのもある。

ああ、そういえばそんなこと書いたこともあったなぁ、と。
「誰かのオススメ」からの離陸を(2006.02)

結局離陸しないままの私です。
でもまぁ、そういう「他人の目」に載っているのを見たときには自分のブックマークで巡回したあと、だったりすることも多々あるので、今はもうそれでいいかな、という日々ですが。

それに、「他人の目」を通すのは、異質なものとの出会いというのですか、自分の感性では思いもしなかったような考え方を見つけること(見た結果がいいか悪いかは別として)にもつながりますしね。
それが、(一般に言われるところの)「ネットの魅力」のひとつ、でしょ?
……というか、そちらのほう(異質なもの)にばかり目が向きすぎてしまって、という悩み、かな。


自分の目、いいかえれば価値観とか感性とか人によっては仕事目的とか、に適うものを見つける方が苦労しますしね。
ブログを「ネットに置いた自分の分身」と表現した方が居られましたが、分身といってもいまのところ"そこに在る"だけで動き回ってくれるわけでもなくて。
能動的に動き回ってくれる"自分の目"があればいいのですけれど。
前に書いたんですけどね。

感性をコピーできたら。【原題:欲しいのは、愛(AI)?】(2007.09)


「ネットする」時間には限りがあって。
"自分に合ったもの"と"異質なもの"、その両方ともを取りこぼさずに拾い上げるなんてもう誰にも無理なほどの情報量になっていて。
それぞれの『「ブログする」ことの目的』に照らして「自分にとって本当に読む価値のある記事」がどちらに多いかを考えて、"自分に合ったもの"と"異質なもの"のどちらを重視するかを絞るしかないんじゃないかなぁ、という気がします。

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2007.12.22

「とりあえず」の「すばやい」アウトプット

ということじゃないのかしら。

他人の不幸は蜜の味: 「当たり前」のレベル

要は、世の中には「当たり前のことにすら気付いていない人」が多すぎるのだ。そういう人は「当たり前」のことにショックを受け[これはすごい]なんて書いたりする。
こんな事をすごいと思ってちゃあ、先が思いやられる。

その[これはすごい]と思われている先が「頭の中でだけこねくり回してないでとりあえずいくつもアウトプットして並べてみろよ」という意味の叱咤だったりするのがなんとも皮肉というか。

ほんとうの正否や善悪はわからないけれど、『なにかのインプットに対して頭の中に浮かんだこと』は「とりあえず」そしてできるだけ「すばやく」、どんどんアウトプットすることが"総表現時代"の"正義"……とまではいかないかもしれないけれど、ともかくそういう態度で出力し続けてゆくことを、この世界の成功者兼扇動家(笑)は勧めることが多いようです。

たとえば槍玉に挙げているような「その反応」なんて、まさに寄ってたかってそれを実施してみた、という結果のひとつなのではないかと思うのですね。ちょっと考えたら「当たり前」のこと、だったかもしれなくても、その"考える"前の瞬間の(あるいは、巧い言い回しへの)反応をかたちとしてアウトプットしたのかもしれないし。"扇動"されるままにね。

そして、そんな結果(が並ぶことに)・・・

腹を立てるひともいる。

関連→真に受けすぎだと思うよ。(2007.03)


文字なんだし、チャットでもないんだし、(お互い)じっくり考えてアウトプットしようよ、と私なんかは思うわけですけどね……


私はこれに反応しようかどうしようかと3日考えました。
ブラウザ画面を言及先にしたまま頭の中でどうしようかと……
迷って、
迷って、
迷って、
ブラウザ閉じてピンボールに逃避。

を繰り返した挙げ句、やっぱり書いてみた次第。


あ、ついでに。
後段のライフハック云々について前に書いたこと→真に受けすぎだと思うよ:その2。(2007.08)

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2007.12.20

ある覚悟とともに送る、おすすめエントリ2007

3時間考えました。キーを叩く手よりなぜか足が震えているのはきっと寒さのせいだけではなくて……

304 Not Modified: 【TB企画】あなたのブログの中でおすすめのエントリを教えてください2007

理由はなんでも良いですので、お気軽に参加させてください。

あるひとつの重い気持ちとともに参加させて戴くことをお許し戴ければ幸いに存じます。


まず2つ。
今年どころか今までの全485エントリ(これ自身を含む)のなかで唯一対「公共に資する」と言えるエントリ:

※Google通貨換算についてのメモ
http://concorde.air-nifty.com/first/2007/02/googlecurrency.html(2007.02)

※Google単位換算(度量衡換算)についてのメモ
http://concorde.air-nifty.com/first/2007/02/google_calc.html(2007.02)


そして残る1つは、まなめ さん、
かつてあなたに"言及を断られた"──届いたことを現認した言及トラックバックを削除された、の意──エントリを挙げます:

※文句の深層
http://concorde.air-nifty.com/first/2007/09/deep_layer.html(2007.09)

もし(削除した)覚えが無ければついでの操作ミスか何かかもしれません。私より先に2つほど英語の迷惑TBがついていたことも憶えていますから。
もし意識してのことであればあなたにトラックバックするのはこれを最後にします。


……そんな"粘着"を演じることと引き換えに、かつて何度か取り上げていただいたまなめはうすとの、のみならずもしかしたら共通の読者たる他の方々との、"縁"が切れるかもしれない覚悟とともに。

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2007.12.19

まぁ、今よりは「だいじに聴く」ようには、なるかもね。

以下の仮定の前提条件:
「音楽を聴く」という需要そのものは減退しない

これだけあまねく携帯音楽プレーヤーが浸透していますし、「ずっと(何かを)聴いていたい」という需要はそう簡単には減らないのではないかと。


『いままでは(知ってか知らずか"裏ルート"で)廉価でライブラリを増やしてきた』層がどう動くか、の問題として。


1."正当な対価"で入手するようになる。

可能性はあると思います。もう「携帯(略)が手放せない」ひとは少なくないはずで、嗜好品かつ中毒みたいなものでしょう(笑)。例えは悪いですが、「1箱1000円になっても買うヤツは買う」ってのと同じで。

→送り手(のみならず流通に関わるひとたちも)の実入りが増えるならまぁ悪くはないかと。


2.(今までのようには)ライブラリを増やさなくなる。

→送り手の実入りはほぼ現状維持のはず。(もともと実入りが入ってこないから"裏ルート"として問題になっているわけで)

さて、
ライブラリは増えない、でも音楽は浴び続けたい(というか今更やめられない)。
……ということは、一曲一曲の(消費の)ライフサイクルは長くなる。
情緒的な表現に言い換えると、今よりはだいじに聴くようになる

それはそれで、送り手にとっては悪いことじゃないんじゃないの?という気はします。
あくまで想像ですが。


というか。
規制強化で供給を絞る(まぁ、権利者側からすれば裏口を塞いで正常を保つということでしょうけど)ってのは、この2番目の意図が隠されていたりしないのかな、なんて(^^;。
今はあんまりにも消費のサイクルが早すぎると。

ずれた話かもしれませんが、ある世代以上になると、"国民的愛唱歌"という漢字は使わなくとも、世代関係なく「みんなが知っている歌」があった時代へのノスタルジーってのは絶対あるわけですよ、"識者"のみならず庶民感情でも。
今はそういうのがないから、端的に言うと、「紅白」見ても全然分からへんやん、おもろない、みたいな。

ここからは完全に妄想ですけれども、
供給を絞って一曲一曲の"寿命"を延ばせば、あわよくば昔日のような「誰でも知ってる歌」が復活するかも……なんて。
そうなったら歌番組の数字は上がるかもしれないし、とりあえず「紅白」は蘇生するし。


まぁそこまで考えてはいないでしょうけど、そんなシナリオもありかもしれないと、ネットの反応を眺めつつ、つらつら考えたのでした。

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2007.12.17

分別ある分別のためのもの、でしたよね確か。

ブログのエントリに限らず、ネットのカキコミなんてものは基本的にゴミだ
もちろんゴミにも宝にもなりえるゴミなんだけど、あくまで「ゴミ」なのである。

さて、リアル世間ではこんなスローガンを目にしたことはないだろうか:

分ければ資源、混ぜればゴミ

もしネットのカキコミにもこのスローガンが応用できるなら、そのままでは種々雑多な「ゴミ」であるものをどうにかして分ければ「資源」に、うまく分ければ「宝」になるかもしれない、ということが出来るだろう。

その「分ける」という行為を、発信側で行うひとつのアイデアがかつて私の提唱した棲み分けであり、そうではなくて受信側で行うものの一方法がフォークソノミーなのだろう。そしてソーシャルブックマーク(以下SBM)というのはそのフォークソノミーの道具の一つであるはずだ。

先日、こんな問いかけを見かけた。
すちゃらかな日常 松岡美樹 ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか?

ソーシャルブックマークは自分の領域なのか? それとも公的空間なのか?

筆者の松岡美樹さんはこの前後いくつかのエントリを通してSBMのコメント欄に着目した話を進めているのだが、SBMというのはもともと何のためにあったのだろうか?

答えはこうだ。

上で書いたような出自からすると、SBMというのはあくまで『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』を目指すためのものであり、したがって公共的性格をもつものであるはずだ。
そして、目指すものが「分類」である以上、『タグ付け』が"主"でありコメントは"従"、あくまで余興として考えるべき領域だ。


もちろん道具をその開発意図通りにしか使ってはいけないなんて法はないし、開発者が思ってもみなかった使い方でヒットすることは世の中にいくらでもある。私だってSBMのコメントを読むのはネット巡回における楽しみの一つだ。
だけど、本来の目的であるフォークソノミー、雑然としたゴミの山を資源に、宝にする『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』に役だっているのか、を忘れないでいたいものだ。


【本日の結論】
SBMにおいてはタグ付けが"主"である。コメントの悲喜こもごももよいけど、『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』に資することを考えよう。


文体を真似るのは難しいね……

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2007.12.12

むしろじわじわと蝕まれ…もとい、変わってゆくこと。

承前

反論を喰らって、あるいは何かを読んで、コロリと意見が変わってしまうなんてことはまず無い。
それが集中砲火であったり、信者集会と見紛うばかりの賞賛の嵐だったりすれば尚更(笑)。

それよりも。

それなりに長い時間をかけて、"何百何千のエントリを浴びる"うちに、じわじわと考えが変わってしまう、変えられてしまっている、そんなことはあると思う。
自分の気付かないうちに……

それが、"ブログする"ことの、
ネガティブに見れば怖さであり、
ポジティブに見れば醍醐味ではあるのかもしれません。

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2007.12.11

闘いになるとき

きっかけは、ほんの気軽な気持ちで反応しただけのこと、なのに。

いつしか"己が存在を賭けた闘い"になること、ありませんか?

ブロガーに意見して考えが変えられるなんて思ったら大間違い - novtan別館

まぁ、それはそうなのですが。

「心情」は理解できない、それは仕方ないこと。お互い様だし。
ただし。
「そういう心情のひとが存在すること」自体は、せめてそれだけは(真っ当なものとして)認めてはもらえまいか。
そういう願いが(拒まれて)泥沼になってしまうこと、わりとよくあるかもしれません。

早いものでもう半年ほど経つ、NOV1975さんも私も加わったあの話(の全体を「実名匿名論」の冠名でくくるのはおかしいと今でも思っていますけれど)を例にすれば、『そういう考えもあるだろうけれど、しかし(現実の属性に紐付けられない)匿名の存在も認めてよ』というのが"こちら側"の言い分としてあったのは確かで。

心情はともかく存在まで否定されたら"闘い"にもなってしまうわけで……全否定するヤツの存在は否定しなきゃならん、というか(笑)。


「よのなかにはさまざまなかんがえかたをもったひとがせいかつしているのです」ということを、そんな教科書の棒読みではなく実感するのが"発言の敷居が下がったこと"の結果じゃないですか、その部分は認めてよ(とりあえず非合法でなければ)、といった感じでしょうか。


ムキになるだけその目的からは遠ざかってゆきそうなので不毛といえば不毛なんですが、いろいろ頭を使うことも事実だったりして、たまにはトレーニングに役立っているのかもしれません。
関連→この広い訓練場で(2006.06)

……傷さえ残らなければ、の話ですけれども。

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2007.12.08

それは、「画面に差し出した時間」の中。

たしかに検索ワード/フレーズの履歴を見ていると"ああ、この人は『情報』を求めてうちにたどり着いたんだろうな"というのは結構あって、心の中で"ごめんなさいね"と思うことは多々ありますけれども……

不倒城: 書くということは、読む人の時間を削り取ること。

お金をもらうこともないし、お金を払うこともないし、それでも読んでくれる人はいる。それは本当にありがたいことだと思うんだけど、「人生を削りとる覚悟」というものは、依然として、あるいは前以上に重要であり続けている。

うーん。
私も以前には"画面に時間を奪われる"という表現をしたような気もするのですけど、しかし。

真顔で使うな、笑顔で使え。(2007.09)より再掲:

「人気記事」や「おすすめ」などというのを見て回るなんて、(何度も書いていますが)圧倒的多数にとっては「趣味」の領域であり「余暇の一部分」でしょう。「不快なものを見た」という不快感は(余暇であるだけに尚更)分からなくはないですが、しかし「ノイズ掴まされた、時間の無駄」などという理屈はそもそも成り立つのかどうか。

「その無駄をしなかったら有意義に時間を使えた」のかといえばそんなことはないと思うのですよ。きっと別の無駄に費やしてますって(笑)。

「自分には」この(ネット)世界を生活の糧を得るために使おうという気が一切無いからそういう考えになるのかもしれないですが、
あまりに重い決意や覚悟を背負ったりするのは、却ってよろしくないこともあるんじゃないかなぁ、と思うのですね。


だって、逆の立場でいうと。
「人生削って」書いたって軽~くスルーされたりネタにされたりするじゃないですか、そりゃ精神衛生上よろしくないですよ。
「素通り禁止」の次に来るもの(2007.04)

そういうのもあって、読み書き両方ともに、"ブログする"ということの位置づけは、かなり軽い場所にとどめておくべきじゃないかなぁ、と、私はそう思っています。

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2007.12.03

しずかな4周年

昨日(2007/12/02)、ココログが4周年を迎えました。
翌日に登録した私のこのブログも、本日、4周年になりました。

ココログトップページ(日が過ぎるとあまり意味がないのでリンクなし)にはさらりと記述があるだけの、しずかな"誕生日"のようです。
とはいえ懸賞つきアンケートに飛ぶ特設ページはあるのですが……

URLの"4nd"って何なのさ(笑)
1st,2nd,3rd,4th,...ですよね?そうではないとしたらいったい何の略なのか……


まる4年時点での状況:
利用ディスク容量15.457MB(この記事の投稿前)、
記事数479(この記事を含む)=平均3.05日に1記事のペース。

3年目の感想とあまり心境の変化はありませんが、
結構、繰り言も書いてきたとはいえ(だって反応ないんだもん?)、これだけの期間10記事/月のペースを維持できたな、と。

"中の人"。
サービス事業者。
炎上リスク。
などなど……さまざまな因子があって。
そのどれもが事故なく継続できたことに感謝。

ということで、5年目に入ります。
いつまで続くか、続けられるかは分かりませんが、
あまり多くはないと思われる(ということは、その分愛おしいということです(^^))固定読者の皆様におかれましては、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
ふらりと訪問された皆様。
あまり明るいことは書けませんが(苦笑)、そういうものの見方もある、ということでよろしければ今後ともよろしくお願い申し上げます。

(日本では)日一日と寒さが厳しくなってまいります。
どちらさまも、お体にはどうぞご自愛いただきますよう。

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