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2007.12.17

分別ある分別のためのもの、でしたよね確か。

ブログのエントリに限らず、ネットのカキコミなんてものは基本的にゴミだ
もちろんゴミにも宝にもなりえるゴミなんだけど、あくまで「ゴミ」なのである。

さて、リアル世間ではこんなスローガンを目にしたことはないだろうか:

分ければ資源、混ぜればゴミ

もしネットのカキコミにもこのスローガンが応用できるなら、そのままでは種々雑多な「ゴミ」であるものをどうにかして分ければ「資源」に、うまく分ければ「宝」になるかもしれない、ということが出来るだろう。

その「分ける」という行為を、発信側で行うひとつのアイデアがかつて私の提唱した棲み分けであり、そうではなくて受信側で行うものの一方法がフォークソノミーなのだろう。そしてソーシャルブックマーク(以下SBM)というのはそのフォークソノミーの道具の一つであるはずだ。

先日、こんな問いかけを見かけた。
すちゃらかな日常 松岡美樹 ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか?

ソーシャルブックマークは自分の領域なのか? それとも公的空間なのか?

筆者の松岡美樹さんはこの前後いくつかのエントリを通してSBMのコメント欄に着目した話を進めているのだが、SBMというのはもともと何のためにあったのだろうか?

答えはこうだ。

上で書いたような出自からすると、SBMというのはあくまで『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』を目指すためのものであり、したがって公共的性格をもつものであるはずだ。
そして、目指すものが「分類」である以上、『タグ付け』が"主"でありコメントは"従"、あくまで余興として考えるべき領域だ。


もちろん道具をその開発意図通りにしか使ってはいけないなんて法はないし、開発者が思ってもみなかった使い方でヒットすることは世の中にいくらでもある。私だってSBMのコメントを読むのはネット巡回における楽しみの一つだ。
だけど、本来の目的であるフォークソノミー、雑然としたゴミの山を資源に、宝にする『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』に役だっているのか、を忘れないでいたいものだ。


【本日の結論】
SBMにおいてはタグ付けが"主"である。コメントの悲喜こもごももよいけど、『分別(ふんべつ)ある分別(ぶんべつ)』に資することを考えよう。


文体を真似るのは難しいね……

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