« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008.05.29

無制限に「オープンで」「フラットで」あることの妥当性を再検証すべきだと思いませんか?

結局blogなんて、クソの役にも立たなかったわけだ。

「届くべき人」に届かないようなメディア、いや、メディアと言うのさえ白々しい、そういうものの存在意義は皆無と言ってよい。

うん。
ほんとうに届けたければ、書いたことで効力を持たせたければ、こんなところを舞台に選ぶべきではないですね。

濃い話のある薄い世界で(2007.11)


目的を達したい人、目的を拒絶したい人。

公開の場になにかを書くことは、すなわち「誰かの、もしくは世間の役に立つのが目的」だ、と思っている人からすれば「ただ書きたいから日記を書いてるだけ」という人のことを理解できないのでしょう。もしかしたらその存在すらも。
同じように、「書きたいから書いてる」人からすれば、「役立つべき(だけど役立つことないんだからやめちまえ)」と言われても、一体何のことかも分からないのです。たぶん。

何度も書きますけれども、なにがしか世事に言及したとして、
その是正が実際に成されることを真剣に望んでいるが故の言及なのか、
居酒屋談義のネタ程度に考えてみただけなのか、
一見でそれほどはっきり見分けがつくものでもなくて。


それら、おたがい相容れない考えでつむぎ出された文章が、
このオープンな場に、
このフラットな場に、
見た目で識別できるわけでもなく混在している。

そこが問題だと思いませんか?
だから無用な軋轢が起こるのだと思いませんか?
無制限に「オープンで」「フラットで」あることの妥当性を再検証すべきだと思いませんか?

どうして棲み分けを考えようとしないのですか?
このままだと、目的を達したい人、目的を拒絶したい人、どちらの不満も高まるだけじゃないんですか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.27

このブログは、「ネットの私」です。

ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね): このブログは私です。
よりタイトル拝借。

やわらかい語り口につい引き込まれそうになるのですが、あぶないあぶない(^^;。

……うーん、「ネットの私」は、やっぱりどこかで「私」とは違う感覚があるんですよ。

リアルでも言いまくってるような本音と、
この場でしか書けないような本音と、
リアルでも言うようなタテマエと、
ネットだから書けるタテマエと、
淡々と述べただけの事実と、
脚色しまくった物語と。

それらを織り交ぜて"創り出した"私。
「嘘」ではないですよ、けれど「虚像」と言い切れないわけでもない、そんな感覚。


……ああ、「ネットの」ですら無い、な。

オンラインゲームでの私。
SNSの中での私。
などなど・・・

やっぱり、すこしずつ違うんです。
お互い、他の場では「合わない」ことがほとんどなのは、そんな違いゆえ、でしょうか。


……そのほうが精神衛生上いいかもしれないのです。
前稿の話ではありませんが、
『「私が」死に筋』なのかと思ってしまうよりは、
『「その場における私の発信が」死に筋』だったんだと思うほうが、
まだ救われますから……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.24

全体にとってはロングテール、しかし個々人からは"コンビニのPOS"。

そう、ロングテールとして全体の品揃えの列に並ぶことは許されるのだけど。

人気ブログには●●●●が必要:Garbagenews.com

アクセス数が無いとブログの機能が減ったり、ペナルティを受けるわけではないのだから。

でも、
アクセス数から何かを予想するのは難しい - 北の大地から送る物欲日記

アクセス数がいくつであろうとも、どこかの検索エンジンに拾われたり、更新情報が他の場所に掲載されたりして他の場所からのアクセスの可能性を持っているサイトであれば、それは確かにネット上に存在しており、それが広まる(読まれる)かどうかってのは「その記事に書かれている情報に対する需要」と「そのサイト自体が持っている影響力」を掛け合わせて得られる確率のようなもので表されるんじゃないか?

そう、アクセスする個々人から見れば、需要とか影響力とか、コンビニのPOSのごとく厳しい取捨選択の荒波に揉まれているわけで。


閑話休題。
ネットに11年半浸かってきた中でなぜか強烈に思い出に残っている話なのですが、
「コンビニのPOS」って、何のためにあるかご存知ですか?

「売れ筋をつかむ」ためじゃないんですって。
「死に筋を切る」ためにあるのだそうです。

コンビニの店舗面積は狭いので棚に並べられるアイテム数は非常に限られます。
したがって「並べていても売れないもの」を置いておく余裕などありません。

POSデータの意味は、そういった売れないもの、すなわち「死に筋」をすばやく排除し、そのスペースを別の商品のために使うこと、にあるのだそうです。


話を戻します。

個々人にとって「ネットに割ける時間」は限られます。
数多のページを彷徨うことに確たる目的などないとしても、しかし、できれば何かしら自分の"琴線に触れる"ものを選んで見たくなるのは道理でしょう。なにかの拍子に飛んではみたけれど読んでもべつに心を動かされなかったもの、すなわち自分にとっての「死に筋」は視界から抜いて。
……そう、コンビニのPOSのごとく。

そう考えてゆくと、書けども書けども、
それがブログなら平均アクセスが伸びない、とくに常連さんからと考えられる(ローカルの)ブックマークやRSSリーダー等からのアクセスが増える気配がない、
あるいはSNSやら何やらであればいつまでたっても反応がもらえない、のであるならば、
私──の書いたものが、であればまだ救いはありますが──はほかの誰にとっても「死に筋」なんだろうか、とひどく落ち込むこと、なきにしもあらず、で。


いやほんと、冷厳な実力主義の世界ですよねと、改めて。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.05.22

全体を母集団にすると「仲間」の多さについ安心しがちだけど。

読まれたいのは何割なのか。
そのうちで、読まれていないのは何割なのか。

iMiリサーチバンク: ブログに関する調査。7割以上のブログは1日の平均アクセス数が50以下、週に1回以上更新を行なうブログは6割以上。: PC・インターネット
という調査結果ですが。

7割以上、の文字に「なんや、結局"みんな"読まれてないんやんか」と、ついつい仲間にしてしまいそうになるのですが……

読まれたくなくて読まれてないのか。
読まれたいけど読まれてないのか。

どうせなら「理想、もしくは目標とするアクセス数」も設問に入れておいて、実情との乖離をマトリックスにしてみてほしかったり。

読まれたくないのに読まれて、というのもまぁ稀にあるでしょうけれども(苦笑)。
あと、記事はいいから広告やランキング誘導をクリックしてほしい向きもあるでしょうけど。


それと「どういう経路で来て欲しいか」。
ブックマーク/URL直接入力/RSSリーダー等"常連さん"がいい?
キーワード検索で?
ニュースサイト経由で?(そんな希望の仕方はないか(笑))


……「アクセスがあった」と「読まれた」はイコールではないのですが、そこまでは分かりづらいからねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.20

実効性、という幻影。

思考実験にすぎないんだ、という共通認識を皆が持てればいいのにな、と思うことがあります。

政治的発言を制限するもの - novtan別館

基本的に、政治的発言というのはある立場において、如何にして社会から自分の立場にとっての利益を引き出すか、という意図があってなされるものだ。

そうとは限らないのではないでしょうか、というか、現実にはそうでない場合のほうが多くないですか?
発言(の影響)に実効性を期待するなんて、「然るべき状況下で」「真顔で」発言したときに限られるでしょう。


ネットでそういう、政治に限らず世事のシリアスな話題について意見を表明するのでも、2種類に分けられると思うのです。
発言したことの反応やら何やらの影響が現実社会における(自分にとって好ましい)実効性を伴うことを期待してのものか、
思考実験として、とか、単なる感想とか、ともかく実効性は考えていないものか。

さて、
前者がどれくらいの割合で有るのでしょうか、
そして、
実効を成し得た例がどれだけ有りましょうか、
その可能性は今後増えることが有りましょうか。

濃い話のある薄い世界で(2007.11)

そう考えると、誰かの"政治的な"発言を、誰の発言であっても、皆もう少し気楽に受け止めることができるのではないかと思うのです。それこそ前稿ではないですが反論するにしても「ディベートの訓練」くらいの気持ちで。


罵倒のための罵倒、ではないけれど、しかし発言することを許さないがごとき激烈な反応をしてしまうのって、その対象が書いたことが(現実に)実効性を持ったらどうしよう、という恐れから来るものでなないかと思うのですね。
だから、それは幻影だよと、結局は(お互い)思考実験以上になることはないんだよと、それに皆が気付きさえすれば、もっと"おとなしい"議論ができるようになるのではないかな、と思うことがあります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.17

世界観は広がります。だからこそ、固まるんでしょう?

いちど広がるんですよ。でも、広がったままではない(かもしれない)。

ネットやってても、キミの世界観は広がらない - Attribute=51

他分野にわかってアクセスしているように思えて、実は自分の好きな情報にしかアクセスしていない。
「無限に広がる知識」にアクセスしているようで、「自分好みの情報」しか得ていない。

『人は自分の見たいものしか見ない』とはよく言われますね。
でも。
本当に「見たいものだけ」を見るわけにはいきません。
ネットは多様性に富みすぎているし、抽出技術は充分ではないですから。
どうしたって、見たくないものも見えてしまうのは、皆さんご経験の通りですよね。

結局、否応なく『ヨノナカにはいろいろな考え方の人がいるものですね』ということを"知ってしまう"ことになるのだと思います。
世界観が広がるということの意味を、そういうことと取っていいのですよね?(^^;

その棒読みの感想のままで、広がったままに留まっちゃうと自分を失くすかもしれないですね。
なんかそんな歌詞ありましたよね。とか書いたら世代バレしますかね。


さて、それで。

他人と意見交換していると、どうしても自分と違う意見にぶつかる場面も多く、
余計に「自分の考えを守ろうとする」力が働くんじゃないかなーとか。

(中略)

世界観を「広く」せずに「深く硬く」すると思うんですが、どうでしょうか。

自分のことでいえば悲しいかなそれほど読まれもしない(どころか、見られてすら…)ゆえに直接の意見交換というのはあまり無いですが、
しかし、"自分と違う意見"というのはあちらこちらと見ていると確かにぶち当たるわけでして。
そうなると、多くの場合は直接じゃないから文字にすることは少ないけれども、頭の中で、あるいはやりあっている人たちの意見を読んだりして、そんな反論に負けないようにがんばって考えることにはなります。
そう、ディベートの演習をしているような気分。

「世界観を硬く」とはニュアンスずれるかもしれませんが、「考えを固める」方向には進みますね。

ネット見て 広げて固める 世界観、なんてね。
いちど広がるんです。だからこそ、(一点に)固まるんだと思いますが、どうでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.13

【ネタ】The level of Twitterer

Twitter始めて20日目の感想がわりに。
本気の反論はご遠慮ください(笑)


従前から(ブログ等で)見たことのある人をfollowして、follow返しが来ればレベル1
(直接やりとりした経験のない相手だと経験値ボーナス)

勇気を出して(?)@返信。それへの返信が来たらレベル2
定常的に来るようになればレベル3
(なかなか来ない相手から来るようになると経験値ボーナス)

疑問形のつぶやきや、「起きた」「ただいま」等に@返信が来るようになればレベル4
定常的に複数から来るようになればレベル5

誰に向けたわけでもない、純粋なつぶやきに@返信が来ればレベル6
(但しツッコミ狙いだった場合経験値補正。スルーされたら経験値ダウンw)

つぶやく前から@指名(?)が降って来るようになればレベル7
もう、戻れない……


眺めているとコミュニケーションレベルとしてはこんな感じかな、と。
ほんとに純粋に「自分のつぶやき」オンリーの使い方もあるので[やりとりするのが前提のひと]であることが前提になるネタですけれども。

大抵のひとは、こちらから積極的に@返信で"絡んで"ゆけば(follow相手/人数にもよるけど)まぁレベル5まではなんとか上がれそうな気がするわけですが。

私?いまのところレベル2かな……。
自分にとって『反応がモチベーションになっている』ことが改めてよくわかりました。
ブログでも、SNSでも、Twitterでも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.09

思想信条を刺激するような話題を避けるって現実社会では常識なのですが

少なくとも日本(日本語文化圏)の世間一般において。
いわゆる[ビジネスマナー]としてはもちろんのこと、
業務とプライベートとを問わず、それほど親しくもない──そんな話をしても大丈夫だという確信を持てない──相手との話題に、
"政治と宗教と野球の話はするな"という警句は昔々からの常識であります。
(平成になってからはサッカーも加わったようですが)

ネットでは、誰が読むかも分からない全くオープンな場でもそれらの話題を配慮なく大っぴらにできるようにすべきというお話なのだと思うのですが、そんな現実社会では通用しないルールを押しつけられても困ってしまいます。

la_causette: 中国共産党と梅田望夫さんが考える表現の自由

制裁が加えられるのがいやであれば政治や宗教の話をしなければ良いだけなので

なぜこのフレーズがネガティブな文脈で出てくるのでしょうか。
決して制裁を肯定するものではないことは当然のこととして、しかしリアルであれネットであれ思想信条を刺激するような微妙な話題を、相手を限定する気もなく行おうとするのであれば、

梅田望夫×まつもとゆきひろ対談 第2弾「ネットのエネルギーと個の幸福」(前編):ITpro

つまり誰かが信奉している人を批判するとか。そういうことをしちゃいけいないというわけじゃなく,そういうことをする自由はあるんだけど,やるのなら覚悟したほうがいい。

その「覚悟」は当然持っていなければいけないものでありましょう。
微妙な話題を避ける配慮は一切しないが攻撃を受ける覚悟もない、では通用しません。
ましてやネットで、誰が読むかも分からない全くオープンな場で、ブログ等で書こうというのであれば。


さて、仮に覚悟があったとしても。
圧倒的多数は読まれも(どころか見られも)せず、幸か不幸か話題になったとしてすべからく娯楽として消費されますから、発言者が本来企図したであろう「(リアルにおける)シリアスな話に解決の道筋をつける」などということは、皆無とは言わないにしてもおよそ期待できるような確率ではないのであって。


即ち、問題提起や好ましくは解決の意図を以って、思想信条を刺激するようなリアルにおける諸問題を投げかけようとすることは、フラットかつオープンなこのようなネット界隈には相応しくないものであると言えましょう。
問題提起ないしは解決の意図があるのであれば、それ専用の場が必要でありましょう、ということです)
……ということなど、勘のいいひとであれば2,3か月もネットに"住んで"みればわかることのような気がします。鈍い私はそう結論付けるのに8年半ほどかかりましたが。

もちろんネットのことについてはネットで(議論)するよりほかありません。ですから、ネットではネットのことを、というのが第一優先順位であるべきだと考えます(あくまでシリアスな話をするならば、であって、他愛もない日常の記述とかそういうのは好きになさればよろしいが)。


小倉さんにあらためて問います。

それほどまでに繰り返し嫌悪する連中と、しかし、同じフィールドに立ち続け、毎度のように嫌悪と侮蔑に彩られた文字列を出力する理由は、意味は、価値は、どこにあるのですか。

もう一度書きます。
(リアルにおけるシリアスな事象についての)問題提起ないしは解決の意図があるのであれば、それ専用の場が必要でありましょう。

その上で、小倉さんにふたたび提案します。

理想とするネット世界の姿があるのであれば、それが実現できた世界を、あなたが作って見せればよいのです。


関連:
「仕事のネット」と「趣味のネット」(2007.01)
いますぐ脱出を。さもなくば、感謝を。(2008.02)

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2008.05.05

建前と本音、あるいはツンデレ

これねぇ……

J-CASTニュース : 読んでもつまらない 「ブログ」はもう終わったのか 井上トシユキさんに聞く(上)

ネット世論を作るんだ、世の中を変えていくんだ、新聞やテレビを凌駕するんだなどと、甘く囁きつつ上から目線で

うはは(^^;。
まぁ、そういう方面の、「(メディアとしての)ブログ」は言う通り最初から終わっていたのかも。

でも。
そうやって『従前の(マス)メディアに対抗しうる云々』と表立って煽っている人たちのほうが、実のところそれは業務上の発言というか、まぁポジショントークといったら言い過ぎになるのでしょうけれども、本音ではないような気がしなくも……。

逆に常々リアル世間の社会面や経済面や政治面について書きながら、しかし何かあれば『ブログなんてゴミですよ』なんて発言する人たちのほうが、本心はアツい(希望を持っている)ような気がします。

ええ、まったくの印象論ですけれども。

後者はまぁツンデレと表現しても(原意とは違えど)差し支えなかろうと思いますが、前者にふさわしい現代語ってなんでしょうね?(笑)

え?私?
かつて書いたのは、本音です。
濃い話のある薄い世界で(2007.11)


| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.05.02

文字列を 虚空に放つ 変わり者

ブログだけでもないのですけれど。
ミウチというか従前の知人宛てではないものをネットに書き出すと、最初は高揚感でなんとかなるのですが、いつかどこかの段階で、本当に読まれて、どころか見られているのだろうか?という思いに駆られることになります。初っ端から人気が出てしかもそれが長続きして、という特殊例でない限り。

そういった「文字列を虚空に放つこと」に慣れた、その先につながりやら何やらが実は待っていたりするもの、なのですが……

『「文字列を虚空に放つこと」に慣れる』なんて、やっぱり"普通じゃない"ですよね。
そんなことに慣れたひとが人口の多数派を占める世界、なんてのも非常に不気味な感じがしますし(^^;。

嬉々としてこんなことを続けているわたしたちはいつまでたっても「変わり者」なんだろうなと、だからどうだということではないですけれども、改めて思ったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »