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2010.01.22

Twitterに勝手な期待をおっ被せる罪

(少なくとも)原初に企図したことは字面通り「つぶやく」こと(でのコミュニケーション)、であったはずじゃないの?
そこにあれやこれやと政治的経済的な期待を投げてよこす周囲のほうが、よほど罪深いんじゃないの?

Twitterを「つぶやき」と翻訳した罪:日経ビジネスオンライン:

私は、Twitterのコミュニケーションの価値は、その発言の内容がなにげない「つぶやき」であることよりも、「時間軸の共有」にある、と見ています。

たとえばそんな「底しれない可能性」を"勝手に"感じ取ったりして。


いまでは事業として腹をくくったのか単にニュースにならないだけかは存じませんが、少し前までは、たとえば政治的な運動に使われたりすることには運営としてむしろ困惑しているのではなかったかと記憶していますが。

いまでもヘルプにこうあるように:
Twitterヘルプ: 要はどんなツールなの?:

あなたの親友は「●●●の新しいアルバムを気に入った」というTwitterへのあなたの投稿に関心を持つに違いありません。お母さんは,「朝ごはんをカフェラテだけで済ませた」といったあなたのつぶやきを見逃さないでしょう。(中略)「いま」を知ることで,お互いにまるですぐ近くにいるかのように,つながり合えるのです。

こんな用途が(少なくとも)原初の企図であり、いまでも有効であるはずで、
こういう用途を"第一義"に使うことに対して見下すような物言い(Twitterを政治的経済的に利用してやろうという野望を持つひとたちに多いですよね)は、断じてあってはならないはずで。


何度も書きますけれども。
サーバに負荷をかけこそすれ直接にはTwitter Inc.の収益に1セントたりとも貢献するはずのない無料ユーザーの分際で、Twitterをおのれの経済的な、あるいは政治的な活動もしくは野望に利用しようとして、そういう用途に沿ったものであるべきだなどと勝手な期待を投げてよこすひとたちこそ、よほど罪深いのではないかと思うのですが。

そういうことがやりたければ自らのイニシアチブ(と、費用)によって好みの「場」を立ち上げるがよい、のであって。


ある意味いまさら手遅れなのかもしれませんが、日本に限らず世界的に、「Twitterにおのれの利益につながるような勝手な期待をおっ被せ、のみならずたわいない「つぶやき」であることを蔑むひとたち」は、自分たちのその性根をもう一度考え直すべきだと思います。


関連:
そういう使い方、大っぴらに言うたらアカン思うねん、やっぱり。(2009.06)
「うつつをぬかす」、それこそが正統。(2009.08)
失笑を通り越して、これはもはや恐怖。(2009.12)


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