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2011.01.14

懲りずにおいでよ!─この、少しおかしなひとたちの集いに。

ミウチではない「不特定のだれか」に読まれたくて書く、なんて、
いつまでたっても、どこまでいっても、
『少しおかしなひと』には違いない(笑)。

読まれたくて、見られなくて、それでもメゲない、変わり者。(2010.02)

でも、懲りずに続けている、こんな集いに、あなたを歓迎しますよ。


みんなでブログ書いて記事をつなげていこうず - 最終防衛ライン2
を読んで思ったこといくつか。

1.書くことのほかに、もうひとつ大事な条件

書くことが好きなのは絶対条件だと思います。
もうひとつ大事なこと。 それは、読むことも好きであること。

まずは「活字中毒」の気があること。それが、ブログやらTwitterやらを楽しめる条件。(2010.01)

ただ自分の書きたいことをわーっと書いて満足満足、ではね。
「つながろう」とするなら、なおさら。


2.何を書く、だとか、何のために書く、だとか。


漠然とした「世の中」に向けて書こうとするんだから、何か思うところはあるのでしょうが、
……最初からそんなに気負いなさんな(笑)。
正直なところ読まれるかどうかも怪しい状態で、あまり自分を、ましてや世間を変えよう、なんて最初から思わないほうがいいように思います。
幸いにしていっぱい反応がもらえたら、そこから考えても遅くはないでしょう。
もしちょっとしかもらえなければ、……とりあえず「知らないだれかと話をつなぐ」、そこから始めれば。

オープンにつながりを望む以上、迷惑(なるべくスパムとは言わない)コメント・トラバとの闘いは続きます(相手は商売、こっちは余暇、そりゃ必死さが違います)し、とくにネット論のようなものは激減して久しいなかで、つながり続けることは容易ではないですが……
残り福というか、残存者利益を望みつつ……


3.凹むこともあるけれど。

注目されない限り批判はされませんから、むしろそれ程アクセスを集めたと思うくらいの気構えがあっても良いかもしれません。
読んだひとから、はまだいい(もちろん凹みはする)けれど…… 「つながろう」と思って言及したその相手さんに、たまにうわーっと猛反論喰らったりしてね。
あるいは言及を断られたり(「一度は言及先に表示されたトラックバックが次見たときには消されてた」ことを指す:操作ミスかもしれないけれど)。
これは凹むやら申し訳ないやらで、しばらく萎縮したりして、ね……
で、たまにそのわだかまりを持っていた先からフツーに言及されて「え?」って思ったり(笑)。

といいつつ本質的に懲りてないからこうやって続けているわけでして。

そりゃ、あなたの書いてきた内容とこちらの虫の居所(笑)によってはレスポンス返さないことはあり得ますけど、
基本、あなたを歓迎しますよ。

知らないだれかのブログに言及しあう、なんていう、
この、少しおかしなひとたちの集いに。



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2011.01.11

これ、奥の深い、答えの出ない話かも。

まぁ、パソコン通信の昔からある話。
謙遜あるいは自虐で発言タイトルに(ゴミ)とつけるのが習い性のひと、
ゴミ「なら」書くなと怒るひと、
価値を自分勝手に決めるなと、ゴミ「と」書くのを怒るひと。

つまんないのに精力的にアウトプットする人達をどうにかしてほしい(はてな匿名ダイアリー)

直接には、
敷居がこれでもかと下がり続ける中で、質を求めるのは無理な話と気付きなさい。
一定以上の質を求めるならクローズな場にお逝きなさい。
という、いつもの感想ではあるのですが。

万人が『娯楽』と認める、その日まで。(2010.04)


……とはいうものの。
だいたい、『Garbage-in, garbage-out』って言葉、ほかでもないコンピュータ業界の"金言"じゃないのか、とも。

そして、ただジャマになるだけのゴミならまだしも、
非常に有害なゴミ、というものも現実にあるわけで。
よくTwitterで問題になる流言飛語の類とか。
で、そういうのに限って"クラスタ"を越えてものすごい伝播力を持っているのも現実で。

以前も引用しましたけれど、
冤罪とTwitter - novtan別館:

99%の善意を1%の嘘が台無しにする、というパターンですね。そして、正義を遂行する側は、1%の嘘は99%の正義のためなら些細なことだと感じてしまう、という点でも大変危ない。

たしかに有用な面は多々あって。
敷居が高いままでは新しい輝きは出てこなくて。
だけど、
敷居を下げたら、確実に(全体の)質は下がるし、ときに有害ですらあって。
そして、
敷居と質の「ちょうどいい点」なんてこと、絶対に保つことは出来なくて


……さぁ、どうする?
嬉々としてなんでもアウトプットし続ける、ほんとうにそれでいいの?

いわゆる『トロッコ問題』程度には。
奥の深い、答えの出ない話かもしれません。




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2011.01.08

命名:日本小金持ちクラブ

物欲のおもむくままに。
次々とデジタルガジェットやら本やら家電やらを買い替えては感想をネットにアップするひとたちのことを、
『日本小金持ちクラブ』
と命名しよう。

ケツの赤い小動物は嫌いではないかもしれないけれど、
好きな色が赤(血の色)と黒(罪の色)だという美人秘書はついていないかもしれないけれど。

……ここまでヒント書いたら元ネタはきっとわかる。はず。


というか、モト取れてるんですかね。
それともほんとにお金持ってるひとはそんなの気にしないのか。


モバイルパソコンが欲しいなぁと思い始めて幾星霜、絶対にモトは取れないと分かっているので手を出せないわたし。
ホテルのレンタルパソコンか、なければネットカフェがあるし。
FirefoxPortableを入れたUSBメモリさえ忘れなければそれで事足りるから。
まして年に10泊もしないとなると、いわゆるネットブックでさえ絶対にモトは取れないから……


……ああ、うらやましい……

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2011.01.07

改めて、何のための文字列か、ということ。

余暇としての、趣味としてのネットコミュニケーションにおいては、ということなのですが。

個人ブログの現在、そして、たぶん未来 - 琥珀色の戯言
を読んで思ったことなど。

ブログの斜陽というのは……先般来書いているように「不特定多数にモノ申す」というスタンスの廃りが出てきているのかなと。
もとから知り合い、ミウチの数人向けであれば、いわゆるソーシャルネットで十分に事足りますし。

ただ、「泡沫と超有名の二極化」も「評論家然としている」のも、今に始まった話ではないような。

とくに後者→君も社説子 我も社説子(2007.03)

それと……

それでも、僕自身は、今後、個人ブログが生き残る道があるとすれば、それはまさに「自分のことを書く」しかないと思うのです。

うーん。
「自分のこと」が、ほんとうに『プロフィールに因んだあれこれ』を指すのなら、そんなもの、書きたくはないし、あまり知りたくもないんですよね、わたしは。

白紙のプロフィール-唯一、読み手に強制できること(2006.01)

そうではなくて、『わたしから見た(ネットの)景色』であれば、これは歓迎ですし、というかそれしか書けないですけれども(笑)。

ネットではネットのことを/ネットのことはネットで(2008.06)


……で、
ブログに限らず、個人のネットコミュニケーションの未来を考えるなら。

『あなたがその文字列をネットに上げるのは何のためですか?』という振り返りを。

「ミウチの数人に向けて」であっても。
「画面の向こうの知らない誰かへ」であっても。
商売そのものとか人脈とかいった経済的な実利が目的ではないはずのわたしたちにとって、ネットコミュニケーションというのは、「話を続ける」ことそれ自身が目的なんだ、というシンプルな原点に立ち返ってみるといいかもしれません。

純粋になろうよ。(2009.03)

そのために何をしなければいけないのか、
何をしたらいけないのか、ということを。


人も場も永遠ではありませんし、
熱意はいつまでも続きません。

でも、というか、だからこそ、というか、
あなたが、あなたと気の合う誰かさんと、少しでも長く「話を続ける」ことができますように、
そして願わくば、そのどこかに私が入っていますように。

……新年最初のエントリを、この願いとともに。




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