2017.05.14

よのなかにSNSのなかりせばひとのこころはのどけからまし

生活のためにブログ&ツイートしているわけでは断じてないし、
「営利目的のカキコミ」は禁止です。(2015.11)
ブログ&Twitterのために生活しているわけでもないのですが、
書くネタは日々の暮らしからしか出てこないのもまた本当のところで、
読んだニュースに、見聞きしたできごとに、「このネタいただき!」とごく自然に考えてしまうようになって幾年月。

一日を終えてやっと「自分のパソコン」でTwitterにログインしたあとで、今日ツイートするネタが無い(あるいはその時間にはきれいさっぱり忘れている──わざわざメモするのもアレだし)ことに焦るのもよくあることで……というのはある程度共感いただけるのではないかとささやかな承認欲求を吐露してしまうわけですが(笑)。


幸か不幸か"自分のリアル知り合い"と"自分のネット嗜好"が重なることがないので、
リアルで話せりゃ、ブログは書かぬわ。(2014.03)
そのぶん「承認されなければという焦り」や「ムリヤリでもいいね!する義理」からは縁遠いのですけれども、
世間一般──リアルとネットが直結しているひとたち──の、日々の焦りや負荷というものは相当のものなんだろうなぁ、と、街を歩けばちかごろのポスターによくある「とにかく単語の前に#つけてハッシュタグ化」を見るたびに思ったりするのであります。


表向きは喜々として自発的に──でもホンネでは頑張って無理をして──競ってプライベートをSNSに曝すことで、危険を買って、ビッグデータに無償協力をして。
『バカッター』よりも恐ろしいこと(2014.04)
「フツーの人」ほど、自分を高く売るべきだ。(2012.03)
その先に何が待っているのでしょうか?

これはどこまで続いていくのでしょうか。
どこかで反動がくるのでしょうか、
それともエスカレートしたままなんでしょうか。

SNSがなければここまでは……。
しんどい時代ですね。

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2016.04.23

「包丁が悪いわけではない」、けれど(Twitterと過ごした8年)

なにか災害が起こったりすると、ちかごろはもうTwitter社自身が「情報インフラであれ」と張り切るようになりましたが、
そこはアメリカのいち私企業の"私物"ですから。

使う側も「ちゃんとした情報」だという送り手の自負があるなら、「きちんとオーソライズされた組織しか取れないドメイン」の下で発信してくださいよ、そんなところで【拡散希望】していないで!


……さて、いくら「娯楽のプラットフォーム」だとしても、本邦の現行法規は守らないといけないわけですが。

あまりにもカジュアルに──かつ大量に──著作権の観点からは限りなくクロに近い画像ツイートがあふれるようになった、この一年でした。

日々もう、
放送かアニメソフトか知らんが画面のキャプチャも、
マンガ本のあるカットの写真(これも電子書籍のキャプチャ?)も、
溢れるように上げるひとがいて、
溢れるようにリツイートで拡散されておられる。

「実態にそぐわない悪法は既成事実で圧倒して空文化してしまえ」という意志があってのことなのか、
公式に、名指しで、警告受けたら悪態のひとつふたつと引き換えに止めてあげるのか、
みんなが(表面上問題なく)やってるから自分もしてるだけなのか知りませんけれども、
せめて本邦の現行法規に照らせばなにがしか後ろめたい行為、って自覚だけはあるんですよね?
なにも考えてないの?まさか。

おそらくは、道具は悪くない、いわゆる『「包丁で人を刺したからといって包丁が悪いわけではない」理論』で反論されるんでしょうけれども、
画像つきツイートという機能が、その道具が悪いわけではない、とはいえ、
ここらへんで相当に強力な警告を出しておかないと、なんか妙なとばっちり受けそうな気がするんですけど、ねぇ……。


──Twitterをはじめて8周年の日に。

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2015.04.23

ダークサイドに堕ちないで(Twitterと過ごした7年)

ったく、もう……
公式からして #統一地方選 のハッシュタグ作って、さらに #選挙に行こう ってかい。
アメリカ(生まれ)のいち私企業に、そんなこと指示されたくはない!
大きなお世話じゃ(Googleもやで!)。

そしてそれは「ダークサイドへの第一歩」ではないのですか。


以前から何度も繰り返し繰り返し書いてきた(リンク先はほんの一例)けど、(リアル世界の)政治/選挙に関わろうとするなど、どうか踏み止まっていただきたい。
向こう側からの要請に対して場所を貸してあげる、ならまだしも、自らすり寄る・主体的に関わろうとするなど。

幸いなことに「いま現在は」かつて憂慮したほどには本職の側で本気で活用しようという状態にはないようですが……


十年ほどの昔になりますが、
「ウェブの希望」を語ったいくつかの著書で日本のネット世界を席巻したものの、「残念」の捨て台詞を遺してオープンな舞台からお隠れあそばされた"職業オプティミスト"さんが存在しておりまして。

その彼の御著書に曰く、
『ギークは"スター・ウォーズ"の世界観に依拠する共通言語を持っている』

とのことでしたが、それは嘘でしたか。
それとも「残念なウェブ」の技術者からは消え去ったのですか。

あの映画から──特にEpisode1~3から──導き出されるものがあるとするなら、政治に色気を出すというか、自分たちが主体的に関わろうとする野心、それこそが「ダークサイドへの第一歩」だ、ということではないのですか?
光明面を保つためには、ある程度浮世離れ(憂き世離れ)しておかないといけない、ってことではないのですか?


それぞれがいち私企業にすぎないウェブサービス各社に「無色透明であること」を求める、というのも過剰すぎる期待であるのかもしれませんし、ユーザーが無料で使えていることの意味を考える必要はあるのですけれども、
カジュアルに使っている、オープンを標榜している、それぞれのサービスが実はなんらかの党派性を持っちゃってたりするとか、特定のイデオロギーに深くコミットしている、もしくは排除している、なんていうのは、「見たくない光景」です...よね?


……ということで、Twitterのみならずネット業界の皆々様には、今一度、「政治との距離」というものをご確認いただきたく。


──Twitterをはじめて7周年の日に。

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2014.04.22

『バカッター』よりも恐ろしいこと(Twitterで過ごした6年)

周年とは何の関係もないかもしれませんけれども……


もちろん、ブログブームの昔から、どこに行きました、なに食べました、と逐一写真を上げるひとたちの存在は当たり前にありました。
いまも、不用意に自宅あるいはその周辺の写真を公開することへの苦言はたまに見られますが。


Twitterの時代になって、まぁその中でも変遷はあり、現在のわたしのTLでは『I'm at ○○○』と『○○○にタッチ!』が優勢ですが、総称してジオタグ(giotag)と呼ばれるサービスをカジュアルに使うひとが激増しました。

なぁ、あんたがた。
何がしたいの?襲われたいの?

いわゆる『バカッター』、犯罪告白系のそれを「公開の場でそんなこと書く愚か者」と嗤うそのひとが、片方ではせっせとその指でリアルタイムの位置情報を発信し続けている、というのは、どう考えても矛盾やろ、違うか?
『事件』が起こらないまま、ずーっとそれが蓄積されていく、っちゅう点で、『バカッター』よりよっぽど恐ろしいことやと、なんで気づかへんの?

それを、昨日今日ネット始めた──ということは、自分のツレとのみしかつながることを知らない──連中はいざ知らず、わたしよりもネット上のキャリアがはるかに長く、かつはるかに濃いひとびとでさえうれしそうに使っている、というのがどうにも理解に苦しむところ。

写真上げるならExifの日付とGPS情報は消しとけ、とか、
旅の感想書くなら時系列シャッフルしとけよ、とか、
いまの時代に「公開の場でなにかを書く」にあたっての危機管理の基本の基本じゃないんですか。

昨日今日のひとはともかく、ベテランならベテランの矜持として、そこらへんの意識を持っといてほしいんやけどなぁ。
なんでもかんでも座標つき、って流れ、考え直してくれへんかなぁ?




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2013.04.23

入口の、「作法の議論」が、消えた場で。(Twitterと過ごした5年)

……せめてわたしたちの余生をお互い楽しく過ごしましょう、なんてね。


わたしのTwitter歴もまる5年になりまして。
累計6000ツイート強。ちょうど3年で3900だったことを思えば結構なペースダウンではあります。

今年は周年記念でなにを書こうかと思ってふと考えると……

『「Twitterつまらない」というグチに対して「そのTLを作ったのはおまえ自身の選択の結果だろうが」という批判』

という、何度も何度も繰り返された様式美(笑)も近頃はめっきり観測範囲にでてこなくなったなぁ、ということに思い至りまして。

最近になって始めるひとはそれをしっかり自覚して始めるようになった?
そんな馬鹿な。


ブログが"ブログ作法"で盛り上がらなくなってはや幾年、SNSも。
入口の「作法の議論」が消えたということは、すなわち新規参入が減ったということにほかならず。
そういう意味で、誰がどう取り繕おうとしても、成熟・衰退期に入ったと結論づけられます。

現時点で「次」がそれほど話題になっていないこともあり、急に閑古鳥が、ということにもならず、来年のこの日もまた似たようなことを書いているかもしれませんが──ただし、わたしがアクティブでいられれば、ですが──

ひとの情熱は長くは続きません。
やがてTLから一人抜け、二人抜け、
いまは"ウザくない絶妙なペース"で挿入されるプロモーションツイートと、
そして今夏からは選挙運動絡みのツイートに席巻されていくのかもしれません。

コトが決まってしまった今となっては昨年のような調子で書く気にもならず、つまりは自身の衰退期でもあるのですが(苦笑)、

TLに「居心地」を見つけたわたしたち同士、せめて穏やかに残りの日々を過ごしたいなぁ、と、そんな心境の5周年エントリであります。

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2013.04.20

そんな議員を選んだ覚えはない!

基本的にリアル世事のことを持ち込みたくはないのですが、これはひどすぎる。

(NHKニュース)ネット選挙解禁 改正法が成立

ましてや衆参ともに「全会一致」だという。

近年は──ぶっちゃけ選挙ネタ書く資格として──投票には行くようにしていたわけですが、
こんなことに賛成するような議員を選んだ覚えはない!!

悲しすぎる。
誰ひとり「インターネットである」ことの意味を分かっていなかった?
そんなことはないでしょうに……


未成年は選挙運動禁止?
なりすましや中傷にはプロバイダ責任制限法で対応?
違反者は公民権停止に処する?

寝言は寝てから言え。

発信元が「公民権を停止されていない成年」であると、いちいち誰が担保できるの?

「賞賛」と「ホメ殺し」を誰がどう区別して、後者だけを確実に規制できるの?

プロバイダ責任制限法ってあんた、日本国外開設のサイトに対して誰が何の権限で削除命令を出せるの?

公民権停止がどうした、日本国籍でない者に何の意味があるの?

特定近隣アジアの、政府から庶民に至るまで、本邦を都合のいいように操ろうとする意志も技術も充分にあると日々警告されていらっしゃるのではなかったんでしたっけ、ネットにあふれる(自称)愛国者のみなさん?)

空文にもほどがある。

繰り返しますが「インターネットである」ことの意味をこういう時だけ綺麗に忘れるとは、揃いも揃ってなんという愚か者か!


見るもおぞましい罵詈雑言にあふれたサイトが林立し、
なりすましの中傷もしくはホメ殺しメールが大量に降りそそぎ、
それらに釣られてさらに吹き上がる、

そんな未来を誰も、誰ひとり想像しなかったとでもいうのでしょうか?


どんなひどい状態になっても、それで──さらに、その危機に乗じて──儲ける組織と人がいる限り、
「道具は悪くない、悪用する人が悪いのだ」論法で、もう元に戻ることはないのでしょう。

(日本の)ネットコミュニケーションの世界が、こんな形で政治に蹂躙されるようになるなんて、本当に思ってもみませんでした。

あまりにも情けなくて、
あまりにも悲しい節目。

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2012.05.22

一酸化二水素にも一分の理、の巻。

まとめを見た限りでは「本気で」釣られていたとは思えない……のはわたし自身の願望が投影されたからか(各人のその後(のツイート)を確認してはいない)。

各地の水道水から一酸化二水素が検出されましたw - Togetter

まぁ、でも、ねぇ。
『リテラシー』を国語力と狭義に解釈すると、これは釣られた側にも一分の理がありませんかね、という。

だって、『検出』という言葉の意味はですね:

微量の成分などを検査して見つけ出すこと。
by デジタル大辞泉

(微量の物質・成分などを)検査して見つけ出すこと。
by 大辞林

となっていることからして、
主成分を、まして圧倒的な主成分を「検出」と表現するのは通常の日本語として絶対的な誤りでありまして。
#分析化学の表現としても主成分を「検出」はありえないですよね>その道のみなさま

何かしら微量の成分、と解釈する方が合理的、むしろ日本語としては正しいのですから(笑)。


それに……
おいらも理系のはしくれ、みんなそれくらい知っといてーや、と思いますけれどもですね、
「水はH2Oですね、Hは水素でOは酸素ですね」まではともかく、
それと「(水素の)酸化物」という表現(および理解)との間には相当の高い壁があるような気もいたします。

そこまで知っとけ、というのはもしかしたらこっち側(理系)の傲慢かもしれなくて。


これ単独の話であれば日本語として破綻していますので「下の下」ですけれども、たぶん世の中にこのレベルの詭弁(?)はあふれているような気がしなくもなく、またこの類の発生も爆散も「予防」は出来ないわけで(だからネットで選挙運動なんて断じて(以下略))、
むずかしい時代に生きているなぁ、と思うわけでして。


おもろうて やがて哀しき ネットデマ。

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2012.05.17

静かに眠れ、ノスタルジー(と破れた夢)を抱いて。

ネットがかつて「(自分にとって)有益、かつ真実の」情報を受け取る場であった頃へのノスタルジーと、
もう来ることのない"ネットの未来"への破れた夢を抱いて、いまは静かに眠りなさい。

そして目覚めたら、この惨状に向き合いなさい。


どこにリンクしようかと思っていたらこんなまとめが。

試される虚構新聞: やまもといちろうBLOG(ブログ)

発端の嘘ニュースへの是非はどちらもそれなりに"ごもっとも"ではあるわけですが、
言っちゃ悪いが"たったこれしき"のことで3日もネットが沸騰してる、ということは。

このままネットを「情報源」として扱うかぎり、
たぶん次の大災害のときにはネット情報が元で相当悲惨なことが起こってしまうだろうねぇ、と。
そりゃまぁ、ネットで救われるひとも1000人くらいはいるかもしれませんが、
それと同時に、混乱の中で数万、数十万がニセ情報の"犠牲"になるかもしれません。

あなたとあなたの周りは前者だなんて、なんでそんな無邪気なこと思えるんですか???

虚構新聞は風刺サイトじゃないよね - novtan別館:

それを無条件に許容するのはウェブの将来にとってマイナスであると

『ウェブの将来』なるものは、あきらめるべき時です。

先月書いた通り、わたしもわたしの手の届く範囲では個別撃破を試みることもあります、だから本件においても「虚構新聞けしからん」と声を上げることが全くの無意味であるとは申しませんが、
かといって"ネットの未来"といったような大きな話であれば、もうどうしようもないわけですよ。

前稿でTwitterに限定していた話が、1か月もないうちにソーシャルメディア全体の話として言い換えないといけない事例が出てきました。

ホントいいかげんこの惨状に向き合いなさい
そしてネットとの向き合い方を考え直すべきです。


そしてこの騒動の中でまた意を新たにしたことは、
ソーシャルメディアは選挙活動には断じて、絶対に解禁してはならない、ということ。

"たったこれしき"のことでネットが沸騰するんですよ?

ネット選挙解禁を叫ぶ夢想家連中は「デマは厳罰で規制すればいい」なんて寝言を簡単に言いますが、
公選法違反で実際に動き出すのは絶対に投票時間が終わった後なんですけど?(ポスター破り以外は)
実影響が出る前にどうやってそれを削除するんですか?
ネットに国境は(ほぼ)ないのに、どうやって規制するんですか?
誹謗とホメ殺しをどうやって線引きするんですか?
投票結果に影響が出てからいくら厳罰に処したって遅いんですよ!!!

どこかの新聞のコラムで解禁派が
『未来永劫解禁しないわけじゃあるまいし、こんなことすら変えられなくて何が政治か』
みたいなことを書いていましたが、冗談じゃありません。

寝言は寝てからにしてほしいと、心底思います。

もう来ることのない、来てはならない、ネット選挙への破れた夢を抱いて、いまは静かに眠りなさい。

そして目覚めたら、この惨状に向き合いなさい


……冷笑家は何も生まない?
そうかもしれません。

だけど、「変えなくていいものを変えることによって起こる不幸」を生み出すよりはマシです。

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2012.04.23

「デマッターでいいのか!」って?…答えはYesだ。(Twitterと過ごした4年)

いいかげん諦めろよ、おまえら。

いつまで「正しく教導できる」なんて夢見てるわけ??
ましてや、意志を持ってヘンテコな言説を流す奴らに。

……もちろん、触法事案はダメですよ。
脅迫も名誉棄損も侮辱も、リッパな刑法犯ですぜ、旦那。


「デマッター」「馬鹿発見器」という蔑称が定着して相当の時が過ぎました。
『Twitter事件簿』というにはあまりにも多い事案が生まれました。

(あいつらを)なんとかしろ、という声は高まる一方ですが。

……なんともなるわけがないでしょう。
犯罪告白はともかく、デマといわれるものの多くは(少なくともその発信源は)、それなりの意志を持ってツイートされたものじゃないんですか。
誰がどうやって「正しく教導」できる、というのですか?

常々「発想を変えろ」って言ってるでしょう。

むしろ、「真顔を排除」したらええやん。(2011.06)

具体名を出して悪いけど。
『東スポ』や『ゲンダイ』の見出しを(電車の中なんかで見て)真に受けちゃって騒ぐひとはどうしたって一定数出ますけれども、
だからといって「なんとかしろ」だの「リテラシー向上が望まれる」だの言うの?
そんなの真顔で言ったとしたら、そっちの方が嗤われるでしょうが。

同じように考えればいい、それだけの話なんですよ。

そこを見るすべてのひとが、そこの信頼性を"タブロイド紙程度のもの"と心得る、そうすることでしか、(意志を持って為された)デマを無力化する方法はありません。
「デマッター」でいいんですよ。……正確にいえば、よくはないけど、今更どうしようもないんだから。
(繰り返すけど、触法事案はダメよ!)

だから、
"フツーの人"にとっては、もう、バカで暇な部分の発露(『バカと暇人』じゃないよ!)にしか使えないし、
"公的機関の中の人"がこんなところで発信することで自身の信頼を汚す必要はないことに早く、一刻も早く気付くべきだし、

(ほかのソーシャルメディア含めて)こんな代物を選挙活動に使うなんてことは、断じてあってはならないんですよ。

ブログやTwitterを「選挙運動」に使うことには、明確に反対します。(2010.04)
夢想への反論(2011.08)


念の為申しておきますが、わたし自身のタイムラインはデマRTなども飛んでくることのない、非常に平和なものにございますので、誤解なきよう。
(清く正しく美しく、かつ楽しい、かどうかについては、微妙だけどね(暴言))


──Twitterを始めて4年目の日に記す

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2012.04.17

競馬は常に美しい……のか?

公営ギャンブルを俗に三競オート(競馬・競輪・競艇・オートレース)と申しますが、中央/地方/ばんえい競馬はそれぞれの持つ"空気"が全然違いますので、「五競オート」と表現した方がいいんじゃないかと個人的に考えているところでありますが、

さて。

従来の一般マスコミにおいてもまたネット上の個人においても、競馬──とくに中央競馬──に対する扱いが良すぎる、あまりにも美しすぎるような気がして仕方がないのでございます。

それぞれの馬の、あるいは騎手の物語、そして想いというもの、
それを理解できないわけではないのですが。

それがギャンブル、賭けの対象なんですよ、ということがキレイに、あまりにも綺麗に拭い去られているような気がするのです。
なぜそんなにも一様に扱いが美しいのでございましょうか?


法的には同列には扱えないと申しましても、実質的には「ギャンブルのもう片方の雄」といえるパチンコの、とくにネット上での扱いとの、そのあまりの差は一体……。
まぁ、ネット上でのパチンコ叩きは、いわゆる「特定アジアへのヘイト」が乗っかっておりますゆえ、その点でも別格というか別問題なのかもしれませんけれども。


ギャンブルであり、酒タバコ等と同じく本質的には「のめり込んではいけない対象」であるはずにもかかわらず、「アツく語る」ことがこんなにも受け入れられている、ということが、どうにも不思議なのでございます。


なおフォローしておきますと、
当方としても首記「五競オート」すべてにおいてライブ観戦経験があるのみならず、
とくに中央競馬においては開催全10競馬場を完訪した程度には興味を持っておりますし、

カップルと家族連れとを問わず、ギャンブル抜きで「競馬場にピクニック」に行くのは、とくにこれからの季節、なかなかのお勧めだと思ってはいるのでございますが。

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