2011.04.16

言いようのない敗北感──有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫)

来週(4/23)映画が公開になりますね(関西地区先行:他は4/29から)。
映画『阪急電車』公式サイト

文庫本が手元にあるので撮ってもいいんやけど著作権絡みで気が引けて、
さりとてアフィるつもりもないので書影は無し。
書影のない本の感想エントリいうのは、ほんま締まらへんな……(苦笑)
→とりあえず幻冬舎文庫の該当ページ


"2往復"読んだ後にamazonのレビュー全160余件とmixiのレビュー(文庫版)最新300件を一気読み。

沿線住民でも「空気感出てる(^^)」というひと、「あんなん嘘や!」と怒っているひと両方。うーん。

まぁ"沿線モノ"として見るなら(宝塚)ファミリーランドへの郷愁は入れとかなあかんやろ(さらにいえば西宮スタジアム(現・阪急西宮ガーデンズ)へのそれも)、という感想は持ったし、
良くも悪くも(執筆時点の)「今」の風景だけを切り取った感じがあるのが、人によっては違和感の原因だったのかもしれへんなぁ、と。

……違和感を感じたひとも塚口の「ビミョー」さには同意するんやないやろか、と、
過去にも現在にも生活圏であったことはないが知らない路線ではない、程度のわたしがいちばんウケたのがその部分やったけど(^^;;;。


あれだけの数の独立したストーリーを、しかしちょっとずつ重ねて、組み立てる。
アイデアはもちろん、それをやってのける"力量"はほんまに「凄い」のひとこと。

という外形の話はともかくとして……

あれだけ「突然に」
ほとんど「駆け引きもなく」
それでいて「両想いの」
恋愛が始まってしまう、って……しかも復路では幸せに続いてるし……

なんか、もう……いろいろひどい(笑)。
なんというか、言いようのない敗北感。大ダメージ(苦笑)。

過去十数年、ほとんど<推理小説のアンソロジー>だけを読んできた身には、
「これが・・・ラノベというものか・・・」なんて、あらぬ嫌疑をかけたくなってしまったわけですが(^^;。
(レビュー見てたらむしろ"有川ワールド"なんですか、ああいうベタに甘い進行は)


映画効果もあってかよく売れているようで、さっき行った本屋でも文庫ランキング4位に入っていましたが、
結構「読む層を選ぶ」本ではないかなと、自分がダメージ喰らったのもあるのですが(^^;;;。

そして、mixiのレビュー7690件(いま現在/単行本・文庫版合計)、というのが、
その「ウケる層」をすごく分かりやすく示している、ような気はしました。


・・・ああ、そうそう、あと1点、
引用はしないけど(文庫版)67ページ:
かりにも電車が舞台なんや、パンタグラフと架線間違えたらアカンでぇ~!


これは本とも映画とも全然関係のないことやけど、
『阪急電車には週刊誌(写真|ゴシップ|女性|ニュース等)の中吊り広告が存在しない(認められないらしい)』っていうトリビア、ホント話題にならへん気がするねんけど、なんで?



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2011.03.21

平時には、毛ほども影響感じてないのにね~え?

イザっちゅうときだけ「風評がー」「悪影響がー」って、ねぇ?
矛盾してるんちゃうの、それ。


記憶の限りでは、表紙が物議を醸すのは2回目かな。
(その前回がなんだったかはややこしいのが湧くと面倒なので書かない)

このたびのAERAの表紙(と中吊り)がひどかった、とかいう話。
まぁ、環境汚染問題には妙に高感度だから……


で、ネット民の皆様が珍しく、極めて珍しく反応しておりまして。

「悪影響わかってんのか!」「廃刊しろ!」とおっしゃる。
……へぇ、いままで影響を受けたことがございまして?

「絶対に買わん!」とおっしゃる。
……へぇ、いままで買ってたみたいな。
もとから、平時から、一瞥もしたことないんじゃございませんこと?

……何言うてますのん。


別に擁護するわけじゃありませんが(ただ「阪神」のすこし後からずっと定期購読してるのは事実ですが)、昔からあの調子と言えなくもないんで、それで今まで「なにかがどうにかなった」のかと。



たしかに少し前、ネット=世間ではない、と書いた。それもAERAを引き合いにして。
ネットは(まだ)「世間」ではない。ましてや、Twitterなど。(2011.02)

とはいえ。
直接はもちろん、そのメディアを読んだひとから間接的にも、何か影響を受けたこと、あるの?
あったら、平時、普段から、もうちょっとそのメディアに言及があってもいいんじゃないの?

前稿の裏返しみたいなものですけどね、
平時にな~んの影響力も感じてない、その「力」を信じてない相手に対して、
イザというときには「ネガティブな影響を発揮する能力」が「充分に備わっていると信じてる」、ってのは、
あんまりにも矛盾が過ぎるのと違いますか?



まぁ雑誌のひとつやふたつで済めばいいんですが(暴言)、
「普段一瞥もくれてないもの」に対しても"空気"に乗って叩く、なんてこと、ずっとずっと繰り返していると、いつか自分への災いになって還ってくるかもしれませんよ・・・?


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2007.11.13

『ネット』と『生きる糧』との距離

「いんたーねっとのあかうんと」を取ってから、この年末でまる11年になります。
実際にはコミュニケーション目的としての場は長い間(インターネットには出ずに)パソコン通信の中に留まっていましたが、当時から今に至るまで、
「発信すること(および相互コミュニケーション)を、現在もしくは将来の(経済的な意味での)"生きる糧"につなげる」ことを考えませんでした。
……どころか、相当注意深く忌避し続けてきました。余暇娯楽の領分を踏み外してはならないと思い続けてきました。



ということをなぜわざわざ書いたかというと。

梅田望夫・著『ウェブ時代をゆく』(ちくま新書:2007)を買って、読んだのです。
が、
自分でも驚くほどに心を【動かされなかった】のです。
それでは777円出した自分が悔しい(笑)ですが、でも「まぁそういう考えもあるんだろうね」のひとことを心の中から搾り出すのが精一杯だったのです。
『ウェブ進化論』『~人間論』ではそれなりに考えるところはあったのに。
(一応エビデンス→光と、闇と、「その他大勢」(2006.12))


どうしてだろう?と考えて。
自分の中に「ネットで発信することを、現在もしくは将来の生きる糧につなげる」思いが皆無だから、ということに行き着いたのです。
(ブログに広告を貼るとかいう話ではなくて、書く中身で(生業まではいかなくとも)稼ぎにつなげる発想が、という意味で)

だから、まぁ、「『ネット』と『生きる糧』との距離」が近い/近づけたい層には示唆に富む話なんだろうな、と……

他人事では居られなくなるのでしょうか。否応なく。

距離を近づけた生き方をすれば(それこそひとつ前のエントリに書いたような)傷だ何だというようなことからは遠くなる(そんなことに構うヒマはなくなるだろうからね)のかもしれませんが、別の息苦しさが支配するようになると思うんですよね……。

願わくば距離を離したままで安らかにネット人生を全うせんことを。


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2007.01.08

NOT Jonathan, but Jedi -『光と、影と、「その他大勢」』追補

昨年末に『光と、影と、「その他大勢」』(以下前稿)を書いた後で、やっと『ウェブ進化論』を手元に取り戻して。
この本が好意的に売れた、という表現はヘンですが、結構多くの人が内容を自分のこととして考えても希望が持てたらしい(何度か書いていますがわたしには絶望としてしか読めなかった)、というのは何故かなぁ、ということを、もう一度考えるために読み返してみました。


で、もしかしたら、と思いついたことを前稿の追補として。



表紙カバーにさえ『不特定多数無限大の良質な部分』という抜き書きがあるように、「玉石混交の玉」が大前提の話のはずであるにもかかわらず、なのですが(但しうしろ1/3くらいには玉石の話は出て来ないのがミソかも)……

梅田さん(の"熱くてオプティミズムに彩られた"語り口)に、
自らは純白に輝いていながらも「学ぼうという意志をもって『練習にほんのわずかの時間を費しさえすれば自分の力で』わたしと同じように飛べるのだ」と説く、『かもめのジョナサン』の主人公、ジョナサン・リヴィングストンの幻影を見たのかもしれない、と。

……もちろんそれは玉石の選別というのが前提である以上幻影でしかないのですが、『ウェブ人間論』にあった[スター・ウォーズの世界観]という例えになぞらえて言えば、あれは「ジェダイ・マスターが現在and/or未来のジェダイに語りかけた」ものであって、辺境の酒屋でまったりしている(そして時にはクダを巻いている)がごとき大多数のわたしたち"フォースを持たぬ者"にとっては少なくとも「我が事」ではない


ということで結論は前稿に同じ。

願わくばさらっとした『犠牲者が出ますよね。』の一言のもとに斃れるようなことがありませんように、

ここだけ再掲。
そういえば『スター・ウォーズ』というと、エピソードIVだったかで惑星ごとデス・スターに消されるシーンがあったように記憶していますが。

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2006.12.20

光と、闇と、「その他大勢」

『匿「顔」性』というフレーズが出てきて思わずニヤリ。
前世紀から使って来た言葉がやっとメジャーデビューしたかと微妙に先発明権を主張しておく……というのは冗談ですが。

『ウェブ人間論』、読みました。

話題になった梅田さんの前著(『ウェブ進化論』(以下同じ))のときはあえて<件の本>と表現したのですが、
(ちなみに→ニャンコはニャンコ(2006.05)、およびそれ以降のいくつか)
(今確認したらリンク先の筑摩のページ消えてら・・・)
今回はちゃんと書名を出して感想などを。


パソコンを保有してネットにつないでからあと数日で丸10年になりますが、時が経つほどに平野さんの視点に近づいてきた、そう思います。
特に「話題のパワーの行く先」(p.86-87,187)やネガティブな評判に接したときの感情(2章全般)、そして人脈のリンクの序列が『人間観そのものにまで拡張されること』への危惧(p.57)だとかいう辺り。

逆に3章全体では梅田さんの説になるほどと思える部分が多かったし、2章の『ネットの魅力の感じ方って、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思うんですよ。』(p.70)というのは、もう図星すぎて・・・(泣

ただ、全体的に、ひとつひとつの話題が平野さんの出した疑念を梅田さんが楽観論で"軽くかわした"ところで打ち切られている、ように見えてしまったのがなんとも。特に2章の話などは自分が一番興味があるところでもあるし、平野さんの視点と梅田さんの視点の違いが際立っていた部分だと思うので、そこで違いをぶつけ合って終わっているような感じを受けたのが物足りなかったかなと。
計16時間もの対談ということですので、実際はそこで終わっていないのでしょうし、だとしたらそこで切っているのはなにかを意図してのものなのでしょうけれども。

加えて、どうも話がかみ合っていないような印象もあったことについて。
思ったのは、お二方の見ている(気にしている)世界が実は全然違うのではないか、ということ。

梅田さんは"玉石混淆の玉の方"ということを前著から言い続けています。
手元に前著が無いのでうろ覚えですが、前は"大学の五百人くらいの大教室で面白い(ことを書く)五人"というような表現で上位1%あたりのことを、また今回は『十人に一人くらいの層』という表現で。
まぁ1%と1割ではえらい違いかもしれないですが、ともかくその程度に『ハイエンドで読むに値する』レベル(の集合体)というのが大前提に有るのではないか、と読めたのです。残りの(石として淘汰された)90~99%というのはまさに視界の外、即ち「存在しないのと一緒」。

翻って平野さんはその残りの有象無象も含めて、というよりむしろそちら側のことを重きにおいている、そんなふうに思えたので。

だとしたらそりゃぁすれ違った話になるはずだし、そして私が平野さんの方により共感できるはずだわ、と(苦笑)。


そして、ひとつ前著から感じていたことを再確認できた、というか確信が持てたこと。
梅田さんが語るような「"さわやかな刺激とオプティミズム"に彩られた希望の未来図」は、そういった上位1%だか1割だかの光る「玉」(と、その光の強さゆえにダークサイドに堕ちた者)のみに関わりのある話でしかないのだ、ということ。
著書や著者の批判ではないので念のため。そういう層を見てそういう希望を発信する、という生業にケチをつける意図では断じてないので。
前著を我が事のように読んで勇気づけられたとか感動したとか、そういう受信側の90~99%にとってあの本の世界は決して「我が事」などではないのだ(まぁ、稀に多少の恩恵に浴する可能性はあるかもしれないけど)、ということ。


わたしたち「その他大勢」にとっては、そのそれぞれのささやかな営みがたいした変わりばえもなく続くことがすべて。
願わくばさらっとした『犠牲者が出ますよね。』の一言のもとに斃れるようなことがありませんように、
そしてささやかな楽しみがネガティブな刺激を多少なりとも上回れますように。

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2006.10.10

『ぼくの動物園日記』

某SNS内のニュースで知ったというのがなんとも。
そしてそのまま連携で書こうとした予定稿を迷った末こちらで。

「動物賛歌」の“カバ園長”西山登志雄さん死去 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

久々に名前を見たと思ったら...。
ご冥福をお祈りいたします。


ジャンプコミックスに、<『ぼくの動物園日記』(飯森広一:著)>という、この方をモデルにしたマンガがあります。
(集英社サイトには記述見つからず:よってリンクなし)

中学のころだったか、病院の待合に置いてあったのが出会い。面白くてねぇ。
それから数年、古本屋を見つけるととにかく入って探し回ってました。
"高架下"にはしょっちゅう通ったもんです(遠い目)。
結局全10巻を揃えられなかったんですけどね・・・

そうこうするうちにデラックス版という名の復刻版(ちょうど復刻版がブームになっていっぱい出だした、その始めのほう)が出て、そっちはもちろん全6巻買ったんですが(両方とも震災のゴタゴタで消えたかも)...

連載/単行本当時は昭和40年代後半なんでいわゆる差別表現てんこもりなんですね。
それが復刻版@平成前後だとぜーんぶ置き換わっていて。
あるいは話ごとカットされたのもあったような。
字数が違うのを無理に上書きしてるからそこだけ字間と字体が違うんですよ。
元を知っているだけにおかしかったですね。

そのマンガの中に(詳細略)主人公がブルドックブルドックと騒ぐのがあって、横から「ソースかよ・・・」ってツッコミが入る場面があったんです。
こっちは関西人でしょ、「ブルドックソース」なんて存在、知らんわけですよ。
長いこと意味分からなくてねぇ(^^;。
(⇒関連:CONCORDE: 複数のソースを!

そんな思い出。

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2006.05.10

オフにまつわるミステリー

本来『これからオフる予定の方へ』というタイトルだったがさすがに止める。
でも一読をオススメ。と言ってみたかったり。
※あ、読後についての一切の責任は持てませんので念のため

<日本推理作家協会編:ミステリー傑作選48『殺人の教室』(講談社文庫:2006)>所収の

緑川聖司『見えない悪意』


かりにもミステリーなので「一対一のオフでの話」という以外一切申しませんが、最後のひっくり返し方はさすがに想定外でした。
でもこれは十分ありえるよねぇ、と...

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2006.03.21

【毒】一次情報

「一次情報(を当たること)の大切さ」を説く方々は沢山居られますが、彼/彼女たちが本を紹介するときのハイパーリンクが揃いも揃って"http://www.amazon.co.jp/以下英数字ずらずら"なのは、なんていうジョークですか?
確かに検索ではオンライン書店の力が強すぎて私も毎回苦労するのですが、一次情報たる出版社サイトの該当書籍紹介のURLを見つけ出すのは。

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2005.11.20

もっと「ブログ事件簿」を白日の下に!

かつて量販店の1フロアを占めていたこともあるパソコン書籍コーナーも今では隅っこの方で肩身が狭そうで。
パソコン/ネットの普及も飽和状態に近くなってきたとか常時接続が主流になって大抵のことはネットに頼れるようになったとかで、かつてほど書籍に頼る必要もなくなったのかもしれませんが。

それでも「ホームページ作成」コーナーにはウェブデザイン/配色指南とともにブログ関連本がかなりの面積(体積か)を占めていました...もちろん「始めよう!」的ハウツー本と成功譚らしきものばかり。

そうやってプラス面だけを喧伝するから、無邪気に始めたあげくにいろいろと・・・


古代(笑)の話でアレですが、パソコン通信全盛期には結構「事件簿」というかトラブル/トンデモ事例をおもしろおかしく綴った本もいくつかあったし、ハウツー本の中でさえそういうエピソードが散りばめられていたような記憶があるのですが。

まぁ今のハウツー本でも箇条書きにした注意事項くらいは最後辺りにちょこっと載っているのかもしれませんが、単純な「べからず」の列挙より事例(ことさら特定できるような表現さえしなければ特に問題はないハズ)を載せておいた方が遥かに説得力および"予習"として効果的だと思うのですが。本を買うような層になら尚更。

ブログサービス事業者が"啓蒙"を、という意見も見かけるし書いたこともありますがどうもそれは期待薄だとしたら、そういうアプローチで知らせるのも多少なりとも効果が期待できるんじゃないかと・・・このエントリのURLである"no_utopia"-ブログは理想郷ではない-ということを。

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2004.09.23

アフター・ダーク

ふと見るとそういう名前の本が平積みになっていたのですが...

アフターダークといえばコレでしょう。

フライングトースター@アフターダーク

かつて一世を風靡した(らしい)スクリーンセーバー、"After Dark"。

・・・そうです、私は古い人です。

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