2011.05.18

やっぱり「敷居」は必要でした、というおはなし。

20年前後かけて、ずっと敷居を下げ続け、間口を広げ続けてきて。
これだけ「誰でもが」「オープンに」「フラットな」物言いができる世界になりました、
なってみれば、そこは、ろくでもない……は言い過ぎでも、決して"すばらしい世界"ではありませんでした、という。

『さるさる日記』終了と「閉じてゆくネットコミュニケーション」 - 琥珀色の戯言:

たしかに、ブログは「簡単で、つながりやすいツール」だったんですよ。
(中略)
しかしながら、その「つながりやすさ」は、諸刃の剣でもありました。
人気ブログでは、ちょっとした言葉のアヤで「炎上」してしまう事件が頻繁に起こり、その一方で、大部分の「閑古鳥ブログ」には、誰も訪れてくれないという状況は変わりませんでした。
(中略)
そして、「大手」や「有名人」は、「つながりやすくなったために、あまりにも増えすぎたコメントやトラックバック」に対応できなくなり、どんどんコメント欄は閉鎖され、トラックバックは承認制になっていったのです。
(中略)
「もっとたくさんの人とつながりたい!」とみんな思っていたのだけれど、実際にそれが可能になってみると、むしろ、「めんどくさいつながり」の割合が、あまりに高いことに気づかずにはいられなくなってしまった。

敷居が下がりきった果てにわたしたちが見たのは、そんな光景。

とはいえ。

どんなに技術的に進歩しても、「ネットコミュニケーションが、より閉鎖的になっていくという流れ」には逆らえないし、それに適応できるサービスのみが、栄えていくのでしょう。

閉じてしまったら腐ってしまうし、それ以前に維持できないんですよ。
そこに情熱を傾けられる期間なんてたかが知れてるわけで、一人抜け、二人抜けしてしまって。
だから"新陳代謝"は必要で、でもあまりに"初心者"が増えても困ってしまう。

敷居が必要だったんです……「適度に高い」敷居が。

しくみとしては誰にでも開かれているけど、よほど強い興味がないと入らない(入れない)、というのがいいのでしょうか、黄金期一歩手前のパソコン通信の頃のような。
そんな「ちょうどいい状態」が維持できた例なんて、歴史的(!)にもほとんどないのでしょうけれど。



「リアルが充実していないと、ネット上でも充実した生活が送れない」

それは違う、と思いますよ。

本当のリア充は、「リア充」なんて言葉を知りません。
ネット業界に居るなら別ですが、「アウトプットの場としてのネット」になんて、興味も関心もないですから(、たぶん)。

だから(という接続詞が正しいかどうか分かりませんが)。

あなたのような、そしてわたしのような。
こうやって絶望しながらも、未練がましくごしゃごしゃ続けている姿というのは、たぶん誰にとっても「反面教師」であるのかもしれないですけどね(苦笑)。

関連→そなたの画面に映りしは、足抜け叶わぬ我が姿(2006.05)



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2011.04.15

心の故郷

これは「ニフ者」として興奮せざるをえない。
あのとき、フォーラムで親切にしてもらっていなければ、今こうして"ネットに住む"ことはなかったはずだから。

NIFTY-Serve[ニフティサーブ] : ニフティ25周年記念
(注:期間限定だそうです)

1200のシミュレートじゃない?いう声があったけどROAD2ってもう2400bpsじゃなかったっけとか、
あの頃はもうNIFTY Manager(通称ニフマネ)がかなりのシェアになってなかったっけ(だから生のTTY画面見たひとって意外に少ないんじゃ)とかツッコミたくなった、1996年12月23日ニフティサーブ入会のわたしです。

手当たり次第に通っていたフォーラムのGOコマンド打ち込みまくりましたですよ、はい。

#どうせなら会議室タイトルも再現して・・・(笑)
こういう話題なのだ、語尾につけるべきは断じて「w」や「www」などではなく、「(笑)」や「(爆)」なのである……


『それでは、また画面のどこかで。』(*1)
当時フッタに使っていたこのフレーズはもう、単語登録していないけれど、

パソコン買い替えたいまも、なぜかスタートメニュー直下にNifTermを置いているわたしです(笑)。


楽しかったばかりではなくて、しんみりすると共に後悔する話もあって、バトルの記憶もあるけれど。

わたしにとってパソコン通信は、
ネットコミュニケーションの「原点」、
心の故郷。


(*1)当時のニフティ会員誌『See You ONLINE』のわたしなりの訳であり、同時に当時から『匿"顔"性』を意識していた

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2009.08.22

なんとなく、ノスタルジー。

タイトルに反応。

すごくどうでもいいことで本気になって喧嘩したい。(はてな匿名ダイアリー)

それ、ネットでならいくらでもできる……いや、できた、よ...

パソコン通信の頃なら。


Webでいうところのページデザインもなく、文字飾りも一切無い、ただひたすら文字だけで。
「すごくどうでもいいことで本気になって喧嘩」は行われていました。
毎日毎日、いくつもの場所で、
あきれるほどの長文の応酬で、
コメントツリーが延びてゆきました。


いまでもたまに読み返しますけれど、いまのレイアウトやスタイルに慣れてしまった目には正直"きつい"(笑)。
なんであんなことができたんだろうね、と。

もちろんブログでもトラックバック何往復も撃ちあって、ということがあるけれども、せいぜい年に一度もできればいい方で。
「こうして何往復もやりとりできる奇跡に感謝」みたいなことを言われたこともあるし"いまの"基準で言えばこちらこそ感謝、と同感なんですけれども、……

あのころは至極当たり前だったことが、ねんで"奇跡"になっちゃったんだろうね、と思うのも正直なところ。

いいことばかりだったわけでもないので単純に「戻りたい」ということはないのですが、パソ通への郷愁拭い難く。


……言及元へ戻って。
ん?コント?
ってことは「音声会話」?
んー、それは知らない(をい

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2008.07.16

SPYSEE、じゃなくて、SpiSeeのおもひで。

話題のサービスのようで。

あのひと検索 SPYSEE [スパイシー]

フォーラム上がりのニフ者としては一気に過去の思い出に引き戻されるネーミングでございますね。

ニフティがかつて提供していたフォーラム全文検索「SpiSee」

今だから書けますが。
SpiSeeの存在って最大の恐怖でした。

前世紀。今から思えば考えられないくらいの牧歌的な世界観の中で。
ネット(パソ通)デビュー当初に無邪気に書いていた居住地やら(以下略
あるいは長年の(平和だった)実績が仇になって自ら踏み込んでしまったアレコレ。

とあるキーワードひとつで集約されて表示されてごらんよ!

未だおそらく、万の単位のローカルディスクに過去ログが保存されているわけですから結果的には同じこととはいえど、
ネットから一撃で検索可能、っていうのはものすごく怖かった。
怖い、ってことすら書けなかった。


いちど晒してしまった情報は、整理され、関連付けられ、いつでも「発掘」されうる、という、使い方(使われ方)によっては恐ろしい個人情報検索ツールが、
似たようなネーミングで新たに登場したのは偶然でしょうか、
それともかつてのSpiSeeへの追慕でございましょうか……
(ちなみにSpiSeeはニフティ株式会社の登録商標)

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2008.04.01

まだ、一周忌だった。

フォーラム@niftyのサービス終了から。
まだ、一年しか経っていなかったなんて。

もう、何年も前のことのように感じる。
遠い過去のように。


悲しい。
何が悲しいといって、
『「失った」ということ』に、いつのまにか慣れすぎてしまっていた自分が。
なにか、ものすごく義を欠いているような、悪いことのような。

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2007.03.02

弥生三月お別れの月

拝啓

「弥生三月春遠からじ」などと申しますように、時候の挨拶では希望を感じさせる文例の並ぶ時季となりましたが、
既報の通り、今年、2007年3月は、ついに、「フォーラム@nifty」の終わりの月となりました。

パソコン通信「NIFTY-Serve」として始まってから二十年、ネットにおける先達の方々におかれましては、思えば「フォーラム」がこの世界への第一歩であったなあ、という懐かしさを感じられる方も決して少なくないのではないかと存じます。

私のささやかな巡回先の現状を眺めますに、悲しいかな、その(閉鎖の)方向性の正しさを示すがごとき静けさのままで終わりのときを迎えようとしておりますが、「ニフティのフォーラム」に書き込めるのは今月が真に最後となります。

私がそうであるように、必ずしも良い思い出ばかりではないと申される方々もまた少なくはないのではないかと存じますが、もしその「ニフティのフォーラム」という言葉に何某かの郷愁がお有りであれば、ぜひとも"最後の足跡"としてご参加いただければと存じます。

春とはいえ、まだまだ寒い日も続きます、皆様にはご自愛のほどを。

草々

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2006.12.23

ノスタルジー:「横レス」「亀レス」「こん**は」

五・七・五の調子で読んでくだされ>タイトル

もとは『斬(ざん)』 コメントにおける「はじめまして」について考える

ついでに「おはようございます」、「こんにちは」、「こんばんは」は、相手がいつ読むかで、返答に迷う場合があるので、こちらも極力しないです。

 「やー」とか「どうも」というのもいいかなとも思いますが、なんか馴れ馴れしさもあるんですよね。いつでもどこでも誰にでも使える適切な挨拶ってなんかないでしょうかね。

を読んでいてつらつら思い出したこと。
リンク先と話がずれるのでTBはしませんが。


コメントを入れるときの挨拶ですか……。
パソコン通信時代の標準は
『(コメント先)さん、皆さん、こんばんは。(自ハンドル)です。』
ってしていました。
なじみが薄い場/相手に対する初回のみ『~(自ハンドル)と名乗っている者です。』に変えて。
今は大体いきなり本題から書き始めることにしているかなぁ(めったにコメントしないけど)。



パソコン通信の頃は「こんにちは」「こんばんは」両用の意味で「こん**は」なんて表記、結構多かったのですが。
いかにもネット独特、の薫り高き(笑)表記ですが、いまや死語ですねぇ。
私も一時期使っていましたが、なんとなく「自分の書いた(又はアップした)時間」を優先させたくなって止めました。

で、死語つながりで思い出したのが、「横レス」「亀レス」とか。
(レス、というのは(おそらく)"レスポンス"の意味かと)

「亀レス」。
時間が経ってからのコメント、およびそれをすること。「化石レス」等の発展形もあり。
反対語は「即レス」。(もしかしてこれは死語じゃない?)
『即レスできないことを卑屈に思う必要は無いんじゃないの?』という批判もなきにしもあらずでしたが、ブログ時代になって流れが速くなった今、あえて亀の歩みで話をする猶予もしくは寛容が欲しいなと思ったり。

「横レス」。
会話の流れの当事者以外が話に加わること、およびそのときにひとこと断りを入れるあいさつ。
レス、というのが死語なだけで、「横入り」という表現に変わって生きているかもしれません。
ですので『かりにもオープンな場で話をしているのに(以下同文)』と憤る意見を今でもたまに読むことがありますが、ブログのコメントにおいて、『(オーナー)さん、皆さん、こんばんは。』などとそのオーナー以外の読者にも意識を向けて書いていますよ、と言える人って、どれくらいいるのでしょうね。

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2006.07.18

フォーラム@nifty、終了

発表(下記記事の投稿日時)が15時ちょうど。
19時前に会社で眺めた某SBMには出ておらず、帰宅してフォーラム巡回の中ではじめてそれを知ることができたのは個人的には救いの一つ。


フォーラム@niftyからのお知らせ: 「フォーラム@nifty」は、2007年 3月31日をもって終了します。
http://forum.cocolog-nifty.com/info/2006/07/nifty2007_331_2e69.html

…そうですか。

今はその言葉を出すだけが精一杯。


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2006.06.16

揉め事すんで日が暮れて

【炎上】
経済的には非常に低コストで、かつ強烈な異文化経験を体験できる仕組み。自分にとっての「普通」や「常識」が通じない人の存在を認識するきっかけ。
但しあまりに一方的に燃やされるため、しばしば再起不能になってしまい経験は活かせない。

……"悪魔の辞典"風に。

そんな言葉など無かった頃のネットバトルでも同じですが、至極普通だと思っていたことが通じない、否定される、というのがあって、いつしか「存在を賭けた闘い」の泥沼にはまり込んでゆくわけで。


いづれにせよ「次はもっと上手く(理解されるように)立ち回ろう」なんて殊勝な行動ができることは極めてまれであって、

思ふこといはでぞただにやみぬべき
我とひとしき人しなければ
伊勢物語より

となってしまいがちですが...。


昔のような喧嘩であれば、5年もすれば「あの頃はアツかったなぁ」なんて苦笑いで振り返ることも出来るかもしれないけれど、今のような"炎上"だとどうなんでしょうか。やはり3年5年経てば「苦笑いの過去」レベルに消化(消火じゃないよ)できるのでしょうか?


そんなことをふと思ったのでした。

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2006.04.27

主人と読者で|読者同士で|みんなで

304 Not Modified: 読者間コミュニケーションへの憧れを読んで図が浮かんだので。

1.コメント数がある程度多くないとダメ。

必ずしもコミュニケーションの矢印が双頭とは限りませんが。
世間一般に思い描くところの"人気ブログ"ですね。

…もうすでに至難の業。コンマ何%の存在(^^;。


3.管理人-読者から、読者-読者へ。


望むのは、「ブログ主の個性に惹きつけられて集いし者」同士のコミュニケーション。

…雲上人が更に見上げる存在、のような。


・みんなでコミュニケーション

管理人はネタを提供し、読者はそれについてあーだこーだ盛り上がる。(中略)そんなブログを提供できたらいいなと思い、そんなブログに読者としても参加してみたいと思う。

と言って思い浮かぶのは(場の所有者の存在をことさら意識することもなく)場に集う者でワイワイ、という図。

こういうコミュニケーションを望むならブログでは却ってその形式が邪魔をするかもしれません。
凡百の掲示板(失礼)のほうが機能を果たせるでしょうし...そういうかたちのコミュニケーションを望むなら、そのココログ(フリーを除く)が開設できる@nifty IDがあるならフォーラムのほうがはるかに適しているはずで、という久々の繰り言はともかく。

下2つは「多対多のコミュニケーション」の2形態、ですが、雲上人ならぬわたしたちが(稀にでも)話のネタを振る立場になることが出来るのは現実には後者の形態だけですから、"みんなでお喋り"を望むなら向かうべき場所はブログではないのではないか、と書き続けること約2年半。
ブログはまだまだ増え続けているようです。

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