2021.12.02

燃焼と不正の3要素

燃焼の3要素:可燃物-支燃物(酸素)-熱源
そのうちどれか1つを除去すれば、燃焼は止まります。


不正の3要素:動機-機会-正当化
同じことが言える(どれか1つを止めればよい)という言説がありますが、本当でしょうか?


さて企業不正というか組織事故というか、
それが品質不正であれ粉飾決算であれ何であれ、私利目的ではない"会社のために為す犯罪"であれば、
「動機」と「正当化」はイコールであり、不可分です──ニッポンのサラリーマンにとっては。
残る「機会」にしても、どんな不正も出来ない(はずの)システムを作り上げたところで、人間、切羽詰まれば、追い込まれれば、どんな悪知恵も思いつくものですし、目先の問題回避のためにはどんなことだってするでしょう──会社のために!


平時にいくら理念を説きコンプライアンス教育をしたところで、
"経済合理性の範囲で"不正ができない仕組みを作ったところで、
炎上中の現実を前にすれば、いとも簡単に無力化されるでしょう。


だいたいが、それら(試験成績書や決算書の書き換え)が「いけないこと」だというのは、わざわざ再教育するまでもなく、皆が理解しているはずなんですよ──理念としては、それ以前に道徳としても。
問題は、「それでもなぜ」そうせざるを得なかったか、そういう状況に追い込まれたのか?ということにあるはずで。
そこに踏み込まない限り問題は解決しませんし、不正は再発します──すると思います、ではなく、断言で。


 


虚偽の試験成績書や決算書などは、追い詰められた末に現れた<結果>のひとつにすぎませんから、
アウトプットのプロセスをいくら精査したところで、何の問題解決にもなりません。
企業不正を無くすためにはただ1点、「動機」を、<原因>を無くすより他にありません。


ですからそもそも、つねにルールを守った正しい判断だけを実行できるようにするには?ということで、
SDGsではありませんが、「誰一人追い込まない」ためにどうするのか、という話に尽きると思うところ。


組織も個人も、挑戦・背伸びしないと成長しないどころかイマドキ持続も危うい、というのが事実としても、
コンプラ視点で考える限り、身の丈に合わないことは組織事故のもと・100%のリスク要因、であって。


それが必要としても「健全なプレッシャー」で抑えておくためのリスクアセスメント/マネジメントというか、
成功者がそこらのインタビュー記事や御著書で煽りそれをイシキタカイ系が拡散するところの、
いつもいつでも前に前に前に!が正しいとは限らんですよ、というところ、そこは押さえておいていただきたく。


 


※個人の感想です


 

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2021.11.28

セクストーションはなぜジェントルであり続けているのか?

【注:2021年11月現在の話──未来への警告】

 

詐取メールの何が"ジェントル"だと、まぁ怒らずに……

セクストーション。
「あなたのデバイスを乗っ取ってあなたのアダルトな趣味とその反応を録画したからバラされたくなければビットコインで身代金払え」という、アレです。
初出から3年と少し、最初は300ドル相当だった要求額も、今では1700ドル超または20万円にまで吊り上がりましたけど。

うちにいままで着弾したのは100通以上1000通未満の単位かな、まぁ、昔に比べりゃ大した話ではなくてね。
参考→受けも受けたり三十二万通(2009.11)

さて。
そのセクストーション、件名や文面はいくつもの変異株?を産みだしても、
初出から現在に至るまで「全くのテキストオンリー」であって(*)、
「(マルウェア)添付ファイル」や「フィッシングサイトへのリンク」付きに進化したというセクストーションを、自身はもちろん、報告でも見たことがないのですが。
(*)数値文字参照で書かれたHTMLメールを含む

なぜなんでしょうか?
トリガーを複合させれば引っかかる確率は単純に上がるのでは?と、素人考えでは思うのですが。

……だから。
いまに至るまで、種々の迷惑メールと比べても、開封しただけでは何の被害も起こることのない、きわめて紳士的な迷惑メールだと思うところで。
件名で想像は付くので、安心して開いて──発生初期にパスワードが書かれていたという話があったのでその確認もありますが──ネタにできる(笑)。
どれだけTwitterネタの種として役に立ったか!(歪)。

 

しかし。
複合脅威にならないのはなぜなんでしょうか。
ダークな世界にも「マルウェアファミリー」「フィッシング社會」「脅迫メール組」みたいな厳しい棲み分けの掟があって、
ヨソのシマを荒らせば血の粛清が待っている……とか?

謎。

 

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2021.06.01

ゆでガエル神話の新解釈

いわゆるコンサルタント、客観の立場から組織改善を生業にする人たちが好んで使うたとえ話に「ゆでガエル神話」があるのは周知のところです。

あえて「神話」と書いた通り、
その話が実験的、科学的には【誤り】【嘘】だということが明らかになってもなお、
あくまで「ぬるま湯に浸かっていると~」「ビジネス環境の変化に対応することの~」という神話としての解釈に固執した講釈を垂れる連中ばかりであるように見受けられます。
どういうことでしょうか?
変化に対応できていないのはあなたがた講釈師の方ではないですか?

そうではなくて、ですね、

カエルなら水温が上がればすぐ飛び出すけど、人間は少々の無理や理不尽には──ましてや"ニッポンのサラリーマン"なら、なおさら──我慢や忍耐ができてしまいます。
そうやって我慢しているうち、徐々にその無理・理不尽がエスカレートして、やがてはあなたが"ゆで上がり"、再起不能になってしまいます。
だから無理・理不尽にはちゃんと声を上げるか、とっとと逃げましょう。

と解釈するほうが論理的だと考えますが。

みなさんどのみち本邦の組織人(サラリーマン)相手の講釈業なんだし、
いまメンタルヘルスが重要視される時代だし、
何も悪いことないんじゃない?と思いますけど。

いかがでしょうか?

あたしゃ講釈師でもなし、御代は頂きませんから、ご自由に。(連絡だけくれれば幸いです)

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2021.05.29

もういちど思い出しましょう:ここが「インターネットだ」、ということを。

こっちはそれこそパソコン通信の昔から「Networkの匿"顔"性」って書いてきたし、
ここでも繰り返し『「属性のしがらみ」からの自由』と書いてきたし、
それに特化したエントリも上げてきたわけです。

Facebookは滅びるべきである。 (2011.02)
ネットをリアルと地続きにしか使っていないのはあまりにもったいないよ、という話。 (2019.05)

みなさんも。
もういちど思い出しましょう:ここがインターネットであることを。
実名や所属は言うに及ばず、年齢性別学歴職歴、そして当然に顔や声も明かさないままでいること──いられること──が、ネットコミュニケーションの持つ、「他の何とも違う、そして最大の特性」だということを。

何が音声SNSですか。(Twitterの)スペースですか。
ありえないでしょう!

なんで新しく出てくるコミュニケーションサービスというものは、上に書いたネットコミュニケーション最大の特性を叩きつぶし、蹂躙しようとするのですか?
いいかげんにしてもらいたい!と、切に思うところ。


話を広げるとですね、たとえば、

「声優がアイドル活動を要求される」のも、
「ラジオDJ/パーソナリティが収録写真をSNSに上げている」のも、

それは違うんじゃないですか?と思わざるを得ないんですよね、同じ理屈で。


みなさんどう思われます?

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2021.01.11

まやかしの SDGsに さよならを

分かってるか?SDGsはタピオカではないぞ!

日本において、新聞雑誌ラジオ(テレビは見ないから知らん)いずれでも、SDGsの文字と17のゴールアイコンを見聞きしない日はありません。
すごく便利で助かっているのでしょう──「いいことをしている」感が簡単に演出できて。

だけどね、あなた方。
その「17のゴール」の下部展開、「169のターゲット」までしっかり読んでから目標アイコン使ってますか?
どうもそうとは思えない事案が多すぎて多すぎて。

日本国外務省仮訳の参考リンク:農水省のサイトですがpdfではないので紹介


一例ですが。

『「無人駅」はすでに全国の半数近くにのぼり増加の一途──障害者対応に課題』というニュースに対して、
あるいは『鉄道だけでなく公共交通の路線網がどんどん減っていく』というニュースに対して、
目標11

のターゲット11.2

2030年までに、脆弱な立場にある人々、女性、子ども、障害者及び高齢者のニーズに特に配慮し、公共交通機関の拡大などを通じた交通の安全性改善により、すべての人々に、安全かつ安価で容易に利用できる、持続可能な輸送システムへのアクセスを提供する。


に反するのではないか?という批判を、メディアから見聞きしたことがないんですよ。

各メディアとも、社としてSDGsに取り組む、取り組んでいます、といいながら、これは一体どういうことなんでしょう???
取り組み、というのは、あたらしく何かを始めることだけではなくて。
「維持する」というのも大事なことではないのですか。
なぜどこも誰も、SDGsに絡めて問題提起しないのでしょうか?

だいたいが公共交通を運賃収入での独立採算が大前提で運営させている先進国なんて日本くらい(空運除く)という話もあるみたいですが、それはまた別の話で。


"SDGs wash"という熟語があるようです。
"whitewash(ing)"=うわべだけ取りつくろううこと、という単語から派生して、
"greenwash(ing)"=うわべだけの環境訴求、という単語が作られ、
その延長線上にある言葉だといいます。

まぁ英熟語があるということは、それが日本に限らず世界中の問題であることを示しているとも言えますが、
17のゴールのアイコンに書かれた数文字の語感だけを見て自分の取り組みをアイコンに結びつけて満艦飾アピールするだけなら、
広義のコンプライアンス違反ですよ。

うわべだけなぞって「やった気分」にならないでほしい、と、切に思います。
繰り返しますけど,SDGsはタピオカじゃないんですよ。
日本国内の取り扱われ方見ていると、ほんと、いっときのブームとして消費する気満々にしか見えなくて。

 

※個人の感想です、言わずもがなですけど!

 

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2020.12.03

理念と多様性と

※個人の感想です

多様性を認めないといけない、といわれる時代になりました。
なんらかの属性で区別して門前払いすることは道徳に反しますし、その点では正論であるのでしょう。

他方で。
理念(Principle)、哲学(Philosophy)、信条(Credo)……表現はさまざまですが、「組織運営に通底させるべき思想」を浸透させることに、企業は多大な労力をかけます。
また、伝統的にも「一枚岩」「一致団結」というのは好まれるキーワードです。

であるならば、実際に認められうる"多様性"というのは「理念の範囲をこえない公差」、
悪くいえば「タコツボにぴったり収まる範囲の個体差」にすぎない、ともいえるでしょう。


さて、"自分ごと"として考えてみてください。
日本人──国籍ではなく、日本で生まれ育ち日本の学校教育を受けた、日本企業で働くサラリーマンというほどの意味です──が「受け容れ可能な多様性」の範囲など、たかが知れているのではないですか?
……営利企業のメンバーとして、あるいは使い使われる立場として。

均質どころか金太郎飴とさえ揶揄される今でさえ、みんなそれなりに苦労するのに。
「多様な考え方」に対して議論し、説得し、納得させて動かさねばならないとすれば、あなた方全員、現況とは比較にならないコミュニケーションストレスを抱えることになりますよ。
21世紀の日本企業に求められる「メンタルヘルス」と、それは果たして両立できるとお思いですか?


俗に「組織に新しい風を入れたい」と言いますが。
風が弱ければ、多勢に無勢、既存の組織文化に取り込まれなじんでゆくだけでしょうし、
風が強ければ、組織秩序の破壊者となって、今後も守ってゆきたかった組織文化までも吹き飛ばされるでしょう。

巷の雑誌記事が、もしくはコンサルタントが何と言おうと、「悪しき習慣だけが消えて、イノベーションが続々生まれる体質になりました!」などという都合のいい事態があなたの組織に起こり得る、というのは、確率的にまず無いと考えていいでしょうね。


※個人の見解ですよ、くどいけど

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2020.12.02

周年目前の大暗闘-ココログ17周年

ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、17周年を迎えました。

(一方的に)伝えたいことや見せたいことなんて、べつになかったんですよ。
はじめは、ただコミュニケーションがしたかった。

まぁそこは自分の実力の無さを、早々に絶望として感じたわけですけれど、
たまに個人ニュースサイト(ってのも死語かなぁ……)に拾ってもらえていたことが書く理由になっていたりもしました。

そうこうするうちに仕組みとしてのコミュニケーションも絶滅して今に至る……までの話はさんざん繰り返したことなのでいいとして:

仮死状態のブログにもかかわらず、日に3回は管理画面にログインし続けているのもおかしな話ですが……
今年後半くらいからかな、猛烈に外国語のスパムコメント( Hormel Foods に悪いのでこの表記は使いたくないが)が来るようになりまして。

一晩に多ければ50件以上。
でもアクセス解析に出るアクセスは、無い。

ウェブ周りの不正(というか迷惑)テクノロジーには疎いのでどういうカラクリかは理解の範囲を超えますけど、コメント全拒否にするのは自分のポリシーが許さない(笑)ので、ともかく毎日淡々と──とはいえわりと面倒──削除はしていたのですが。
ある日管理画面で「海外IPからのコメント」を拒否できるスイッチを見つけまして、これでコメント来襲は一件落着……したのですが、

なぜかそこからアクセス数が以前の数倍に(実数は秘匿)。
アクセスログを見た感想ではスパマーの攻撃失敗がアクセスとしてカウントされてるっぽかったり……(苦笑)。

ほんと、うちみたいなブログにコメントしてもコメント内リンク踏む人なんて居ませんから!
と、思わぬ闘いになっていたこの数か月。


ま、そんなこんなで、続いて……じゃない、17年、閉じないでいられています。

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2020.05.22

「ハッシュタグ・ポリティクス」の憂鬱

個別の案件には触れない。
未来の自分が見返したとして、たとえば「検察庁法」の文字列に「何だった?」と思うだろうし、むしろそうなることを望みたいから。

 

……だから、決して個別の案件云々ではなく。
ハッシュタグつき政治案件ツイートが何百万とされました、それがために現実の立法行政が方針転換しました、ということが実際に起こったとして、それが──そんなことが起こり得る社会が──本当に善きことなのか。

左方向で起こったならば右方向でも容易に起こり得るぞ、それでいいのか?
ただでさえ社会インフラたらんとはりきるTwitter(Japan)が、またまた全能感に拍車をかけるだろうけど、それでいいのか?

著名人であれミヂカリスマことSNS有名人であれ一般大衆であれ、意見表明そのものを悪いとはいえないだろう、道徳としては。
だとしても、現代日本のインターネット空間で、ましてやSNSなどで機微に触れる発言をしたらどうなるか、を分からないユーザーなどいないだろう? ふだん反応に敏感な──敏感でなければ生きていけないはずの──人気商売やってるなら尚更!

賛否双方から突撃を喰らい、
「誰が乗って誰が乗らなかったか」でレッテルが貼られ、
発言することの是非、という入り口論で沸騰する。

SNSで沸いたことが問題の中身に対する議論につながったことがあった、とでも?
中身の議論から遠ざかるだけじゃないですか、徹頭徹尾。
荒れが加速するだけでなんのメリットもありはしない。
……話の内容にとっても、あなた個人にとっても。

現代日本のインターネット空間──とりわけSNS周辺──の、それが現実じゃないですか?
いつまで無邪気に、あるいは分かっていてわざと、無節操なハッシュタグブームに乗るつもりなんですか。

 

政治の話をするな、と言いたいわけではない。
ただ、インターネットは、とりわけSNSは、政治について意見表明するにふさわしい場所では、断じてない。少なくとも現代の日本語圏においては。

 

……無論こんな願いもむなしく、これからますます不毛なハッシュタグ合戦が繰り広げられてゆくのでしょう。
そんないっときのノリで、立法行政が誘導されてしまうなんて……この憂鬱が杞憂で、ほんの瞬間的なブームで終わることを願います。

 


 

わたしは昔から今も変わらず、個人が個人の資格で発信することなんて趣味余暇娯楽の領分に留めておけ!と思っています。
インターネットを政治で汚すな、というのが本音です。

それは身勝手だとしても。

インターネットを政治で荒らすな

政治でインターネットを荒らすな

とは言わせて欲しい。もちろんインターネットの部分を各SNSに代入しても、同じく。

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2019.12.02

(無題)─ココログ16周年

もはやタイトルも思いつかないほどですが、一応……
ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、16周年を迎えました。

ちなみに中の人はリアルでの記念日は意識しない傾向が強いのに、不思議と「インターネット/パソコン通信を始めた日(←同時です)」と、この「ブログを始めた日」だけはずっと意識し続けていたりします。なぜ。


ネットにおける個人の身の上にはなにも変化のない1年でした。
これは「劇的なことはなにも起こらないように」生きてきた結果であって、達成率100%。
これって珍しくかつ難しいことだと思うんですけどね。

ブログやSNSの注意点とか(悪い意味での)魔力とかを表現するのに
「承認欲求」 のたった4文字で済む、と、
この世界が長いご同輩には一瞬でわかっていただけるはずですけど、
これに抗い続けるのは、ね……


ココログのトピックとしては何をおいてもトラックバックの廃止……と思いたいところですが、とりたてて話題にもならず淡々と告知され実施され日々が過ぎてきたのもまた事実で、ネットコミュニケーションを信じてきた身には、もう何と表現してよいか。

 

ブログ、って、何でしょうね。

(そこらへんの無名人が完全な個人の立場で)いまからブログ始める、ということには、デメリットを上回るメリットがなにも見つけられないんですよね、自分の想像の範囲内では、ですが。

 

……私?
そこはもう超越しておりますよ、
ただここに存在している──閉じるハメにはなっていない──こと、それだけが自負です。

 

 

 

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2019.09.29

そろそろ『Web2.0反省会』を出版してほしい頃

もう昔話のたぐいになりますか、Web2.0を喧伝したあげく、「"日本の"ウェブは残念」と捨て台詞を残して表舞台からお隠れあそばされた自称"職業オプティミスト"さんが居られました。
その後のさらなる残念さは、ここを読まれるような方々のほうがより詳しくかつ身に沁みておられるものと存じますが……
なんのことはない、太平洋の向こうでも、ネット上のフェイクニュースが力を持ち、あまつさえかの国の大統領選挙に影響を与えた、というではないですか。

2000年代以降、"Web2.0"と、あるいは"Wisdom of clouds"と書き散らし、「個人が個人の資格で雑多に発信すること」の集積をやたらに「価値あるもの」として喧伝されてきた皆々様にとっては、これら現実は"みんなの意見"は"意志をもって偏らせた意見"and/or"注目集めて稼げりゃなんでもあり"に勝てなかった、という「明確な敗北」であり、あなたがたが無駄に"ウェブの個人発信部分の価値"を高めてきたがゆえにそこを喰われた、という点で、価値を高めることに尽力したあなたがたはその共同正犯と言っていいでしょう。

「量が質に転化する」のは、たしかにある一定の閾値までは正しいのでしょう。
ただ、衰退させずその閾値を維持できた例も、閾値を超えて質を維持できた例も、わたしは知りません。


エンタメに徹してりゃよかったものを。
人が皆持っている「バカで暇な部分の発露」にとどめておけばよかったものを!


さて、そろそろ。
『失敗の本質』のように後世の視点から見た学者による研究ももちろん有用ではあるのですが、ここはひとつ、『海軍反省会』のごとく、
純粋に可能性を夢見たひとも、そこに稼ぎの鉱脈を見つけたひとも、みんな集めて、"Web2.0"を、"Wisdom of clouds"を喧伝し、必要以上に「個人が個人の資格で雑多に発信する場」の価値を高めることに尽くした皆々様自身による「敗北検証」をぜひとも出版していただきたく願うものであります。

……もちろん電子書籍など論外、ネット書店も排除した、リアル書店限定流通の「紙の書籍」として。

 

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2019.05.01

ネットをリアルと地続きにしか使っていないのはあまりにもったいないよ、という話。

昔なら全力で反論のトラックバック叩きつける話なのに送受双方からその機能が奪われて久しく、
せめて言及先が個人ブログならTwitterでもなんでも使って言及したと伝えたいところ匿名ダイアリーが相手ではどうしようもなく、
でも予定稿を予定稿で眠らせるのはもったいないから……

 

 

リアルとネットは別という感覚が良く解らない(はてな匿名ダイアリー):

おっさんおばさんの感覚なんだろうな。

 

若年、といってもアラサーくらいか、それ以下の世代は『「ネットとリアル」という分けた物言いが理解できない』などと上の世代に対して違和感を表明することがあるようですが:

 

そりゃまぁ、あなたがた、
ネットデビューが学校裏サイトかミクシィか、ともかく「リアルのつながりをネットに平行移動したもの」で、
その後もLINEで(リアルの)知人とキャッキャする(ことをホントは疲れてても演じる)ので精いっぱいだろうし、
少々意識が高い方面は本業か副業か起業かは色々あれど、かき集めた人脈を自分の銀行口座につなげるのに必死だろうから、
最初からネットはリアルに地続きで、他に知らないから、分けるという概念が理解できないのも分からなくはないです。

 

……というのは実年齢じゃなくネット歴短かけりゃたぶん同じで、同窓会連絡に便利だからと誘われて定年を迎えた5年前からFacebook始めました、なんていうひとたちにも「ネットとリアル」という分けた物言いは恐らく理解できないんだろう、と思いますが。

 

いや、いいんですよ、それはそれで平和……かどうかはさておき、リアル生活圏の範囲で止めてりゃ、
まぁ、想像を絶するような恨めしい出会いにぶち当たることはないだろうし。

 

 

でもね、何十回でも書くけれども、
それじゃあまりにも、もったいない、んですよ。
リアル知人で止まっていたら、「ネットコミュニケーションのみが持っている特性」の8割から9割を自ら捨てていることになる……って、気付いてますか???

 

昔書いたんだけど:

Facebookは滅びるべきである。(2011.12)

 

ネットコミュニケーションが他(のコミュニケーション)と大きく異なる点は何か、といえば。
<しらないだれか>と、<(リアルの)属性によるしがらみやフィルターを外して>話ができる、この点にあるはず。

 

 

今の時代、人脈を銀行口座につなげる努力みたいなものを全否定できるわけじゃありませんけど、

 

ネットを通じてコミュニケーションするのに「実名と所属を名乗れ」は控えめにしていただきたい。
リアルから──憂き世から──切り離したところで、
好ましくは政治経済や愛憎からも離れて、ただ自由に他愛なく、
実名や所属を名乗らずにいる、そこにこそ他の何とも違うネットコミュニケーションの特性があるんだ、ということに、どうか気付いてほしい、そう、パソ通上がりの古参兵は切に願うのです。

 

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2019.02.22

さよなら、トラックバック。

つらい。
そういうお前も長い間使ってないじゃないかと言われても、そのシステムごと消えるのは、やはり「つらい」としか。

「ココログ」全面リニューアルのお知らせ(2019/3/19): お知らせココログ:@nifty


・トラックバック機能の終了

※すでに受けた情報は保持します。

このココログからもトラックバック機能が消えてしまうそうです。
ついに来たか、という感じでもありますが、……


ほんの3カ月前に書いたし、何度も書いてきたことの繰り返しにはなるけれども。

トラックバックによるコミュニケーション機能を消したら、ブログをブログたらしめるもの、他の何とも違う「ブログの特徴」とはいったい何なのか。だれか教えてください。
前世紀、HTMLをちまちま手打ちしていた「ホームページの日記コーナー」と、変わるところがなくなるじゃないですか?


なにごとか言及したけりゃ相手構わずトラックバック撃てていた、なんて2010年頃まで、
ブログなるものが世に出てから10年足らずの、そっちのほうが「特別な時代」だった、というのもまた確かではあって、
考えずにそんなことできる"空気"ではなくなって久しく、ごくまれに言及したいと思った相手先のブログサービスからはすでにトラックバック機能が取り去られていて、あるいは最初から実装されてすらいなかったりして。

(おそらくは)ココログ内でも上記の発表は淡々と受け入れられて、ひっそりとその役目が幕を下ろし、むしろいままでよく残ってたな、と思われる、それこそがトラックバック機能の時代不適合さをよく表しているのでしょう、理屈としてのそれは分かりますよ、分かるのですが、……


あるコミュニティで和気あいあい、活発にコミュニケーションできていた「つながり」は、場を変えた途端に不思議と続かなくなるものです。
だから。
ブログが廃れたらほかの何かに移ればいいじゃない、ということではないんですよ。
基本ブログで得られたつながりは、ブログというシステムの中でしか続かないから。
これからはその維持すらも、ものすごく困難になるということでして。
言及したよー、と、わざわざTwitter辺りでメンション飛ばすの?なんか違うでしょう。


最後にひと花、せめてトラックバック送りあいましょうとか、できもしないし、
ただ静かにその日が来て、また過ぎてゆくのでしょう。


……さよなら、トラックバック。



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2018.12.02

言いっぱなしを、ブログと言えるか!─ココログ15周年

インターネット世界の中でこれだけ続くのは奇跡に近いと考えるのはマイナーなのか、
今日もココログトップページは通常運転のようですが……
ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、15周年を迎えました。


先祖返りしていますよねという話は10周年エントリでも書いたのですが。

ココログのシステム的にはかろうじて残っていますが、
最初からコメントやトラックバックの機能をつけなかったブログサービスもいくつか出てきて、
古参事業者でもトラックバック機能を取り去ったところがいくつかあるようで……

(ブログページでの、直接の)コミュニケーションがなくても、Webに残すLog──というのがブログの語源──に違いないと言われればそうかもしれませんけど、コミュニケーション機能を「システムとして」実装していないのなら、前世紀の「個人ホームページの日記コーナー」と選ぶところがなくなるんじゃないですか?

コミュニケーション以前にエントリ書いてもいない私が何かを言えた義理ではないのは棚に上げて、
どのみち自分だってネットの向こうのだれかとコミュニケーションしてないですけど、

システムとしてコミュニケーション機能切ったら、それは前世紀への退化でしょう。
いやまだ掲示板機能がついていただけ個人ホームページのほうがマシか。
個人が勝手にただただ言いっぱなし、一方方向の世界をブログといえるか?それは望んだ未来か?


……『ブログというフォーマット』に対する帰属意識、みたいな話がどこまで伝わるのか分かりませんが、
ともかくグチるしかない周年エントリでございます。


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2018.11.17

腕組みと陶酔のあいだ

ライブやフェスというものに行ったことがない。
人生の何割か損をしているのかもしれないが、別にいい。
ウォークマンの昔から「音楽を持ち歩く」ということをしたこともなければ、"NO MUSIC, NO LIFE"なる某チェーンの煽り文句には違和感しか感じないのだから。

──とはいえ前居所では今は亡きSt.GIGAとMTVを、現居所ではM-ON!スペシャを視聴できる環境にあるので、一応はJ-POPシーンを追いかけるようにはしているのだけど──

そういう音楽チャンネルの中では当然ライブやフェスの映像も流れてきて、それらを見ていると。

どれだけ歌手(アーチストといわないといけないんでしたっけ)が、千に届かんとする観客を陶酔の境地にまで高めたとしても、かれら歌手の一番近いところにいるのは……

舞台袖で腕組みしているエライサンであり、
音符ひとつも耳に入れないで走り回るスタッフであり、
客席最前列のさらに前で盛り上がればその分だけ客に険しい顔を向けている警備役、だ。


"中の人"に是非聞いてみたい。

あなたがたは、その「腕組みと陶酔のあいだ」に立つことについて、自身の中でどう折り合いをつけているのか。最初からその落差を受け入れることができたのか。

はた目には尋常な精神力では耐えられないと思うのだけど。


ライブやフェスというものに行ったことがない。
人生の何割か損をしているのかもしれないが、あの陶酔の中に身を置けるとは思えないから。
……袖で腕組みさせてもらえるなら、行くけど(笑)。

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2017.12.02

あしたの平穏のために─ココログ14周年

数日連続で来襲したマルウェア誘導メールの後で、「セキュリティに注意を」という題名のマルウェア誘導メールが来る、という事態に、あらためて"インターネットの光と闇"ということを考えたTristarです、こんばんは。


ココログと、1日遅れで始めたこのブログは、14周年を迎えました。

意味のあるなしはともかくも、ずっと(移転なしに)続いているブログがどれだけあるのだろう?と思いますが……
手芸や園芸の方面だと、それこそネットのない頃から(リアルの)展示会-ホームページ-ブログ、そして今や動画、と続いている方々も少なくないのだとか。
ネットに頼らないのがいちばん強い、ということでしょうか(笑)。


話は変わって。

本邦に限らず、政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースが、オープンなインターネットにあふれる時代になってしまいました。

"わるい熱狂"に塗りつぶされて、
極端をエスカレートさせていって、
ただただ増幅させた自分のヘイトを一方的にぶちまけるだけで、
「他愛無いことで普通に話をすること」がどんどんできなくなってしまいました。


……さて。

先日来、どこかで「冷笑的な態度は何も生み出さない」なる批判がホットワードになっていました。
たしかにそうかもしれませんね。

でも、そうだとしたら。
政治的・思想的に極端な物言いと、それを助長するためのデマニュースに対しては、声高にアツく反論するのではなく、
冷笑的な態度で接することが、わるい熱狂を生み出さない唯一の方法であるかもしれません。

極論には、皆で冷笑的に接しましょう。そして積極的な冷笑の声を。

これ以上わるい熱狂を生み出さないために
これからもわたしは、世事批評に対して、冷笑的なスタンスに立ち続けたいと思います。


明日も「平穏なインターネットで、平穏に」あなたとコミュニケーションができますように。




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«投票に関する「いい子発言」圧力と、危険な棄権デマに震える。