意識-その行為の前に。
「ココログ」はじめてみました、さて、読んでもらうにはどう進めれば?という記事を起点に、異論やら感想やらで少々にぎやかなことになっているようです。
元記事:Tokyo Forum:ココログで発信するという行為・その1[個性]
異論(といっていいのかな?):異空間==お花畑:個性?んなもん笑い飛ばせ
元記事の続編:ココログで発信するという行為・その2[テーマ]
ふむふむ。。。記事自体への感想は後回し。その前に。
アドバイスなら、そう、それ以前の段階のことから。
ココログに限った話じゃなく、もちろんブログをする上で、でもなく、「ネット上に何かを公開する」という行為の前に...
「護るべきこと」を常に意識しないと。"現実生活"とか、"ココロ"とか。
たとえば身辺雑記を書くとしたら、あまり詳しく書いてしまって行動範囲とか最寄り駅とか家族構成とか部屋の間取りとかを(記事の蓄積から)類推されることによって引き起こされる(かもしれない)結果についての意識、だとか、
またたとえば何かについての(厳しい)意見を書くとしたら、(それ以上に厳しい)コメントが来る(かもしれない)ことについてのココロガマエだとか。
快く思わない誰かの個人情報を晒すなんてのは論外ですけれども。
一旦公開して誰かに読まれて(あるいは見られて)しまえば、もう「なかったこと」にはできないのですから。
#著作権がどうの、より先にそういうこと書いておけよな>ココログのココロエ
ココログに戻って言えば、何割かの皆さんにとっては新たに月額いくらだかのショバ代を払ってまでこういうことを始められるわけですから、まずそういう意識(あるいは覚悟といってもいいかもしれません)を持って、それぞれの「何か」を失なったりということのないように、と思うわけでして。
#実際はというとそれほど気にするほどのことは確率的にはそうそう起こらないものですが
個性とかテーマとかは、それから考えればいい。どんなことをどのように書いても、きっと誰かには気を引かれる"シグナル"だし、その他の誰かにはただの"ノイズ"、でしかない。そのS/N比でいうとどうもネットというのは。。。あ、脱線(^^;
え~っと、ですから、まずは何か始めてみて、ピンと来た誰かからまた帰ってくるであろう"シグナル"を見て、方向を修正するなりそのまま進むなりするのもいいんじゃないかな、なんて思います。というのが元記事自体へのコメント。
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