覚悟-その行為の前にII
おおもとは「不快なリンク」についての話題だったのですがそのおおもとが探せない。
今回見つけた「it1127の日記 :■リンクにまつわるエトセトラ PART3」から飛んでいった「「ホーム」ページという快楽 - SOUL for SALE:」にトラックバック。
■リンクにまつわるエトセトラ PART3 より:
>単純に「観て欲しい人だけに観られたい」というだけの理由。
>我儘以外の何物でもない。
現実から考えればワガママかもしれないですが...
ネットでまで傷つきたくはないというのはおそらく大多数の気持ちだと私は想像してみるわけでして、それからすると、ぬるい、というか、自分にとって心地よい反応のネットワークだけで繋がっていたい、という感情も無理もないと思うのです。
日に何百や4ケタもカウンタが回る"雲上人"ならいざしらず、[コメント(0)|トラックバック(0)]の死屍累々に日々くじけそうになりながらも「特定の誰かではない、多くの誰か」に何かを言いたくてキーボードを叩いているその他大勢--たとえば私のような(笑)--であれば尚更。
現実には、人と人との関わり合いなのだから、痛い反応もきつい反応も来るだろうし、どんなに言葉を選んだつもりでも誤解されたりするし、、そもそも「反応がこないこと」にへこんだり傷ついたりすることだって大いにあり得るわけですけれども、表現は悪いですが"無邪気に"始めてみたりすると、その幻想との落差ゆえに受ける傷も深くなるのではないかと。
サービスを提供する側はいわば商売ですから美辞麗句を並べ立てるわけですけれども、それだけに護ることとか傷つくかも知れない"覚悟"はあるかい?ということを声高に言ってみたかったりするのです。
イイことばかりじゃない(かもしれない)よ、って。
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