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2004.03.24

「ブログする自分」を棚卸ししてみた

一つ前の記事にコメント&TB頂いた謝意といくつかの「?」にお答えする記事です。

昨日はおそらくぴっくあっぷされたためと思われるのですがまぁすさまじいアクセス数でして、寂しいだの虚しいだのと書いたら(瞬発であれ)アクセス爆発、という皮肉な状態になりましたが(^^;

まずはコメントいただいた順番からは相前後しますが、あずみ さんからの;
自分の書いたものを(知り合いも含めてですが)20人とか30人とかの人が毎日見にきてくれているなんてすごい数だな、と感じ、その数に満足しています。

あぁ、しまった。これは反省点。
まずその方たちを大事にしなければ後が続かないですね。いや決しておろそかにした意図は..と言っても後の祭りで、この点素直に反省。

さて、ryyo さんからの;
Tristarさんは「自分のブログを読んで欲しい」んですか?

はい。(キッパリ)
自分のための記録という意識は(少なくとも優先順位の1位では)ないです。

でも、過去にも何度か書いたのですが、公開するというスタイルを選んでいる以上、(その優先順位の前後こそあれ)読まれたいと思う気持ちがそれぞれの心のどこかには必ず存在するはずだ、としか、正直私には考えられなくて、
さかさま さんからのコメントにあるように「つながりがあるのを見る(見つける)」こと、つながっているという意識こそが続けていけるチカラだと、で、「コメント(0)|トラックバック(0)の死屍累々」などと表現してきたわけですけれども。
(ありがたくもゼロ行進ではなくなった手前、もう今後はこういう表現はできませんけれども)

ただし、まずアクセス数ありきという志向もまた、ないです。
自分に書けるだけのことを自分が書けるだけの言葉で書くこと以上のことはしないし、できない。

・・・「数を稼ぐ努力」もなしに"寂しい"って、こいつアホか?という方向に思われるとちょっと違うのですけど;


>Tristarさんがしたいことがブログに向いていないのなら、無理にブログでやる必要はないように思います。

う~ん、自分という存在がブログに向いていないことは確かかもしれないです。
なまじ平等なスタートラインで機会を与えられたために、「力なきその他大勢」はどこまでも「力なきその他大勢」であることはもう充分再認識できましたし、「ひとりの個性ではなく、皆で持ち寄ってできる」フォーラムの価値--いうなれば個人成果主義(実力主義)ではなく、協調(CONCORDE)による"結果の平等"ですね--もまた再認識できましたので。

それを伝えたい、というのが「今したいこと」といえるでしょうか...ブログの外で言ったのではそれこそ「負け犬の遠吠え」ですからね。
あとは単に今尻尾を巻いて逃げるのはシャクだ、という(笑)。

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