消えた(消された)人の声は見えない
そのコミュニティに入ったら、その存在がある限りずっと、細くていいから長くじっくり続けてゆきたい。
自分が、だけでなくほかの誰であっても、そこから円満でない抜け方をするのは、とてもとても悲しいこと。
人と人とのあれやこれや、なかなか穏やかなことばかりはありえないとしても、致命的リスクはできるかぎり避けたい。そのために護ることのひとつとして実名は隠すことを強く推奨したりするわけですけれども、
技術系サラリーマンの交差点:ネットで実名を名乗るための危機管理:
> ネットで実名を名乗るのはなんとなく怖い・・・と感じる人は多いと思う。
> では、実際、どんな怖いことが起こるのか?私も実名を名乗っているから、この点には興味がある。しかし、意外に「こんな怖いことがあった」の例は、あまり見つからないし、自分自身も経験がない。
たしかにコミュニティの総数からすればその確率は「無視しうるほど小さい」かもしれません。ましてや日々膨張してゆくウェブログの世界、ひとつのサイトへの関心度はどんどん下がってゆくでしょうから;-p
ただ、「怖いこと」があったとして、それが事件簿として記録に残ること自体が希少なことではないかと。(←それでも検索したら結構出てくるハズですが)
「怖いこと」がわが身に起これば、被害者がフツーの人なら、即、ネットから自分の痕跡を消そうとするでしょう。
また、状況は違いますが木村さんのところで言及されているような"制裁"が行われたりしたら、それこそ当事者は「消されてしまう」わけです。
ですから、ネットに存在する「声」は、まだ被害にあったことのない人たちと、被害をものともせず勝ち残ってきた人たちで構成されていることに注意しなきゃならないと、思います。
被害や圧力や制裁によって消えた、あるいは消された人は、もう(基本的には)ネットで声を上げることはないのですから。
画面の向こうの誰かが大丈夫だったからといって自分も大丈夫などという保障はどこにもないし、自分が大丈夫だったからといって他の誰もが大丈夫だということでもない。
細く長く大過なく、旅の終わりが来るまで通路故障なく楽しいままで続けようとするなら、書く内容に最大限の注意と警戒心を盛り込むことで、そのひとつとして「実名と所属を名乗れ」という立て札のある場所には近づかない、ことも基本のうちだと、やはり思うわけであります。
そしてそんなことを誰もが気にしない日が来ることが、私の夢であります。
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