「ブログによって救われました」という例
・・・おそらく今回の一件は【「週間!木村剛」の輝かしい歴史】としては"なかったこと"になりそうな^^;
(まぁ、だからこそトラックバック投げつけるんですけど(笑))
週刊!木村剛: ブログはマスコミに報いる庶民の一矢だ!:
ブログという頼りないけれども闘うための道具ができました。声なき声を多くの人に伝える環境ができてきました。叩かれっぱなしだった庶民が、弱々しい一刺しであっても、マスコミという強敵に一矢報いることができるようになりました。
というのとは全く違うのだけれど、
たぶん。。。
今まで我々下々の民一般ピープルと直接意見を交わすなどという経験があったのかなかったのかは存じませんが、
マスコミに殴られ続けてきた(本人談)木村さん、ブログに書けば書くほど好意(的な反応)が返って来ることがものすごく嬉しかった、それでずいぶん救われた思いがした、のでは。
せいぜい週刊くらいのつもりだったのが、ここまで完全に日刊になって燃えているのは、だから、ではないかと。
それで、この場にまで「既存メディア側」の人が批判しに来た(と感じた)ときに激高してしまった、のでは。
そうでなくても日本文化の中で「有名どころ」というのは得てして"信者集会"化しやすいと思うのですけれど、そうなることで誰より救われたのが主宰者自身だった、というのはどう表現すればいいものやら^^;
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...と「彼はお前が救われるために存在してるわけじゃないぞ!」という"ブランカ"のセリフを思い出して「BANANA FISH」(文庫版)最終巻を読み返したのは昨晩の話
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該記事がいうように「いち庶民がブログに(書いたことに)よって救われる」ことが起こるのかどうか。十分にありえるような気はするけれども、本当に最後の最後まで「救われたまま」で居させてくれることなど無いような気もする。
ともかく「週間!木村剛」に関しては歴史には残らなくてもこの一件で「うっかり批判したりすると返り討ちを喰らいかねない」恐れを"ウォッチャー"に広く知らしめる効果はあったと思うので、
該記事の末尾をひっくり返して
『ブログに対して、総合的な判断能力と倫理観に拠っているメディアが、健全な牽制関係を築いていくことを私は祈念しております。』
という言葉で締めてみる。わはは。
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