祈り~神はネットの闇にも宿る~
情報化時代の神はネットの闇にも宿る。人を煽(あお)るのではなく、声を聞くだけの神であってほしい。
今日の日経の春秋(1面最下段のコラム)がブログネタだったのでブログのネタに。
全体としてやや皮肉がかったように感じたのはそれが旧来のメディアゆえか。
中であまりにも「日経記事というイメージ」にマッチしたのが以下のくだり。
有名になりたいのか。自分に酔っているのか。(中略)答えは意外だった。「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。
「らしく」て、というのはマクラで...
近頃ブログ界を覆う(?)停滞感にからめてみたくなったのです:
何やらアクセスが頭打ちになってきているとかなかなか企業人が出てこないとか何とかで"ブログブーム"も終わりかなとかいう。
(考えた結果どこにもリンク/トラックバックしない)
・・・そういう視点、実はあんまり「その他大勢」は気にしてないんじゃないの?と。
アクセス、あるいはページビュー(PV)というのでしょうか、が頭打ちというのは、単に(ネットユーザーの中で)ブログの存在を知ったら巡回しはじめるだろう層、にブログという存在が浸透しきったため、ではないのでしょうか?
#しかしアクセスの伸びが止まったと嘆いているところがどちらかといえば"論壇系"に多かったのが可笑しかったというか「教育テレビが『楽しくなければテレビじゃない!』という局のエンタメ番組の視聴率を羨む、の図」のような^^;
企業人が云々、というのは...そういうテーマのブログ間で議論を活発にすることで「ビジネススクールのケーススタディ」のようなことでもしたかったのでしょうか?よく分かりませんが"一般大衆"レベルに関わる話じゃなさそうですが^^;。
これは"ブログブーム"より"ブロガーブーム"と表現した方が正確な気もしますが、上の春秋の例だけではなく、読まれることを前提にしていない(からアクセス数なんて気にしない)、と言い切る人も少なくないようで。
他のブログに興味を持つことも興味をもたれることもなく、"自分のための自分語り"がそのうち飽きるなり何なりで終わる、そういうブログが圧倒的なのではないでしょうか、実際のところ。
自己と、自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。エルサレムの「嘆きの壁」を引き合いに出して春秋はこう言うのですが、
「祈り」ですか。
精神世界ですか。
超越者=カリスマブロガーに異常な数のトラックバックが集まったりするのはさしずめ現世利益の追求ですか?(笑
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