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2005.07.30

画面に吸い取られてゆく膨大な時間のこと

使えそうな言い回しなのでメモ。
Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのか-利用者個人の側に起こる問題など:

■このサイトは、たくさんのウィキペディア中毒患者を生み出しています。人々の時間は他のもっと有意義な活動に使えたのかもしれないと考えると、これは経済的損失です。

■人間性を持たない人に、辛らつなこき下ろしのはけ口を与えることで、彼らが人間嫌いやテロリスト、政治評論家などにならないようにしてあげています。そういう人にとってはウィキペディアはくだらない無意味な酷評をする楽しい場であることでしょう。

「このサイト」を「ブログブーム」に、「ウィキペディア」を「ブログ」に置き換えたら・・・

- * -

別に、パソコン通信@従量課金の時代から「ハマる」ことはあったわけですが、

ブログ以前と以後とでは「巡回サイト数×それらの更新頻度」に格段の差があるのではないでしょうか、
さらに「自分が発信するための(キーボードに向かう)時間」が加わったりしたら...
「画面を見る時間」が、ぽん、と跳ね上がっていないでしょうか。

個人個人でそんな状態である上に、"ブーム"で我も我もと入ってくるから、全体の和でみたら「画面に吸い取られる時間」がすさまじい加速度をつけて増え続けているのではないかと。


ちょっと立ち止まって考えてみないといけない局面になっているかも。社会的に「こんなんでいいのか?」と。
依存症からの更生とかそういう個々の対処ではなくて。


死語になりつつあるのか「休肝日」(←IMEに載ってる!)という文字も昔ほどは見かけなくなったこの頃ですが、ネットを休む日というか"画面に目を向けない"ことを、ちょっと意識的に(あるいは仕組み的に(笑))考えた方がいいかもしれません。

重いとか何とかで怒りのリロード→ストレス増大(かつ、さらに輻輳)、というのは(不幸にも)ありふれている話ですが、操作がうまく行かなくなるのはきっと、「画面から離れなさい」っていうサインなんですよ...(^^;

画面に向かってさえいなければ、世間に、はともかく(笑)、他人に/自分にとって「画面に向かっているよりは有意義な」時間になっていたのか、というと、まぁ...そんなことはないだろうけれども。




・・・えー、自分が悪の枢軸のうち2つ(FFとブログ)の虜囚なわけですが。

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2005.07.29

それを気にしなくなったのは、いつからだろう?


ふと振り返ってみると、いつのまにか、そんなことをまったく気にしなくなっていることに気付いた。
読む先が、コメント先が、トラックバック先が、「ココログかどうか」--というか、どこの事業者の(サービスを使っているブログ)か--なんてことを。

最初の最初は確かに気にしていたはずなんですが
ココログ内へと外へとではコメント/トラックバックする"緊張の度合い"も違っていたように思うし。
#うわ、今読み返したらトラックバックURLの数字16000台だって.....
#もう500台ですよ今!(笑)

いつからそんな「カベ」を意識しなくなっていたのかが分からなかったり。たぶん徐々に消えていったんだろうなぁ...


最初の頃はそんなこと気にしていたなぁ、ということを不意に思い出して。

・・・未だに「ブログ」を格納してるブックマークのカテゴリは<cocolog@nifty>だったりしますが。

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2005.07.27

うらやましいと思うこと:ニュースサイトの嗅覚

「個人ニュースサイト」というのでしょうか、日々膨大に生まれるブログエントリから気になったものを抜き取って列記するサイトが数多く存在し、かつ人気のようで。

ほんとに膨大なはずのエントリの中からどうしてそんなに鮮やかに抜き取ってくることができるのでしょう・・・

まぁ、どこかの調査が何百万だかとブログの総数を出しても、休眠状態のとか、いわゆる孫引きというのかニュースにせいぜい数行の感想をつけたものとか、純粋な生活日記とかを除けば、(観察対象となる)実数は何分の一かには減るだろうとはいえ。

好奇心の強さなのか、見つけ出す技術力なのか、はたまた"天性"か。
とにかくその"嗅覚"はうらやましいの一語に尽きます。

私にとって、ともすれば「自分のブックマークの巡回」だけにどんどん縮こまってゆく世界をいくらか押し広げてくれる、ありがたい存在です。



・・・ということでお世話になっていたサイトである(、そして数度ここを取り上げていただいた)BLOG界の出来事が1周年を機にお休みするとのこと。

思えばその前にお世話になっていたぴっくあっぷのめももおなじく1周年でお休みされたのでした。
勝手にうらやましがっている側の想像以上に、実際のところは相当な疲弊を伴うものなのかもしれません。


コメントもトラックバックも受け付けない設定になったようで直接伝えることはできませんが、

お世話になりました、
ありがとうございました、
そして、おつかれさまでした。

で、次はどこを頼りにしてゆけば...(笑)

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2005.07.23

「ブログサービスやめます」という事業者がそろそろ出てきてもいい頃


では、と。

増え続けるエントリ、追いつかない負荷対策。
事業者のインフォメーションブログはお詫びの言葉が連なり、
コメント欄は激怒で埋め尽くされる。

そのサービスさえなければ存在することもなかったストレスと負の感情の連鎖という"自傷行為"を続けるのは提供側・利用側の双方にとって不幸以外のなにものでもないのでは?

もう充分でしょう。

そろそろ撤退する業者が出てきてもおかしくないと思うのですが。
ひとつ終わったら意外なほどにぽろぽろ追従してあっというまに「ブログ=歴史のヒトコマ」になるかも...

最近そんなに重くないココログで書くことでもないけど。

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2005.07.18

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(500万編)

*あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
(末尾の日数は各100万区間に要した日数)


*グラフの数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)


500万時点のグラフ


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社交でもなく、喧嘩でもなく。


もちろん言いっ放しでもなく。

「普通に」話をしたい、というのが実は一番の高望みなのかも。

巡り合わせを待つしかないか、"嗅覚"があれば狙えるものなのか。
ネットでの「会話」なんて実は成り立ってなんかいなくて、そこにあるのは一方通行の応酬だけだ、なんて、パソコン通信の昔から言われていることですが...

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2005.07.12

トラックバックの認知度

ブログの認知度が調査するたびに上がって「×割に達した」とか、いやそりゃまぁこの現状で認知度が上がるのは驚きでも何でもないはずなんですが(笑

さて『トラックバックの「認知度」』ってどれくらいなんでしょうか。

つい先日も「ブログ始めたのですがトラックバックっていったい【何ですか?】」と。
いやそれを1行チャットで伝えるのはとてもとても難しいミッションな訳ですが。
(※注:FF11やってる最中にそんな会話があった)

「んじゃ自分でちょっと調べてみます」と言われたので慌てて

「どこかのブログのエントリに触発されて何かを書いたときに、」
「そこに"関連したことを書きましたよ"とお知らせをする機能のこと」

と説明してみたのですが(間違いではないよね?ね?)。

いや、あの、調べるといってもですね、、、これだけ「トラックバックのあり方」論が百花繚乱の状態では、知ろうとすればするほど混乱の深みにはまるだけ、のような。
どこかのブログサービス業者を使うとして、その提供元の説明文くらいではイマイチ分からなかったとしたら、どうやって「トラックバック」なるものを理解すればいいのでしょう...「"正しい"トラックバック」の解自体が混乱の極みにある今。


まぁたぶん自己に対する自己の日記としてのみ機能している大多数には実際には使うことのないしくみと...一応調べてみたら送信経験者4割弱?(出典:第16回:Blog に関する調査-gooリサーチ:2005年6月の調査らしい)
・・・意外な多さ。

トラックバックとは?・・・「やってみたら分かる」というか「してみないとなかなか理解しづらい」概念のような気がするのですが、
ポリシー百花繚乱でなかなか気軽にはいかなくなりつつあるのかも。特にそれでなくても緊張する「最初の一つ目」においては。


比較的早期に始めておいて良か.....何もアドバイスできませんが(泣

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2005.07.08

その前提条件にどうやって持っていけばいいのか


反応し忘れていたのですが:

FPN-イントラブログが普及するためには

 社内BLOGが普及するためには、以下の条件を満たしている必要があると思います。

(1)社員がITメディアを使用して、情報発信することに慣れていること

(2)社員の意識がバザールを行うことが可能なレベルに達していること

(1)は、メールやWebなどを通して、不特定多数の人に情報を発信することのできるITリテラシやスキルを身につけていること。

(2)は、情報を公開することにに心理的な抵抗を持たず、労力を惜しまずに、ボランティア的に対応できること。

それって...『「IT関連」以外の"ふつうの会社"ではムリ』ってことですか^^;、裏を返せば。


個人で使う分には実質意味が無さそうですが、しこしこ記事を溜め込んだ後でのカテゴリ別一覧だの検索だのというのは有用な使い方ができると思うのですが、仕事の事例なんかだと。

そもそもの「情報を発信することのできる」までに「ITリテラシやスキル」をどうやって上げるのかと、それが本業でないのに(^^;;;。


その前提条件に持っていくまでの苦労話とか成功譚とか失敗事例とか、どんなキーワードで検索したら出てくるでしょうか(^^;
往生際は悪いのです(^^;<私

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2005.07.07

音声読み上げに「orz」を「がっくし」と読ませよう!

「ゆにばーさるでざいん」を論じるのではありません。気にはしつつも「・・・」や「...」を多用する自分にその資格もないでしょうし。
小ネタとして扱ってくださいませ。


インプレスINTERNET Watch-2005/07/06:ブログの記事やコメントなどを読み上げるソフトウェア「しゃべログ」というのを見つけて、
そういえばやじうまWatchでorzの読みをネタにしていたのを読んだ記憶が、と(01/26付け-半年も前だったのか)いうのにつながって。

音声読み上げソフトあるいは読み上げブラウザというのを使ったこともなく身近に使っている人もいないので伝聞ですが、
パソコン通信の昔から基本的な顔文字(『(^^;』とか)なんかだと「かお」や「かおもじ」と読む(か、あるいは読み飛ばす)仕様になっているものもあるそうで、
「顔文字の乱用は読み上げに迷惑なだけだ」とか「いやそれも含めて楽しんでいる」とか論争もあったと読んだことがあります。

複数行にわたるようないわゆるアスキーアートは論外としても、あの頃のことを思えば顔文字も相当に複雑化・多様化して、いまはどういう仕様になっているのかは存じませんが・・・たとえば「orz」(○| ̄|_でも)を特定の読みに関連付けたりしたら、ニュアンスが伝わる楽しみがひとつ増えたりはしないだろうかと、ふと。

たとえば「がっくり」とか、そこだけ声色が変わったりして。
かつて流行ったパチンコ「大工の源さん」ばりに「がっくし」が希望(笑)


・・・普段なんとなく「おるず」と読んでしまう私ですが。

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2005.07.06

果てしなき一発勝負


予定稿を途中で放り出して寝たら"第三のブックマークとして使わせていただいているとある方のオンラインRSSリーダー"の更新順リストの一番下に落ちていたのに加えて別の方のエントリ(下記引用元^^;)に書きたかったことズバリの表現を見つけて二重に沈みつつ。

* * *

私はアクセス数を気にする方ですが(苦笑)、「アクセス数を気にし始めたら続けられなくなる」、わりとよく見かけたし言われたこともあるフレーズが今ごろになってよく分かってきたような気も。

検索ワード(からフレーズとしてまとめた数を引いた)数とアクセス数がこの数ヶ月、ほぼイコール。
どこかで取り上げられてアクセスが増えても、リンク元のパーセンテージ合計と上記検索数を足せばほぼ100%。
自分の過去の記事に文中リンク、というある面浅ましい試みを最近多用してみたのですが全然効果なし(苦笑
要するに、検索でもリンクでもどこか経由で来て頂いているうちは、そこから別のエントリをクリックしてくれることは【とてもとても】稀。

検索で「情報」を探している最中にいちいちヒット先のあれこれなんて見ない、という想像はつくのでそれはともかく、コメントなりトラックバックなりどこかのサイトで取り上げられた興味のある記事タイトルなりから飛んでいった先で、そこの「最近のエントリ」他から興味を持った題名の2つ3つはクリックするのですが、私は...


・・・数自体が第一義ではない以上、そんな「少々のことでは絶対に一過性以外にはならないアクセス」の増減を気にしても不毛なのは分かっていてもやはり、昨日より、先週より減れば穏やかならざるのが正直な気持ちでもあるわけで。

Blog向上委員会:ブログの過去ログはなぜ参照されないのか

過去ログは読まれないとなると、そのブログの書き手は休む事なく情報を発信しなければいけなくなる(少なくてもアクセスを求め続けるとなると)。終わりのない更新作業。

そう、蓄積性がないから毎回毎回が(どこか取り上げてくれないかとの邪心(?)を抱きつつの)一発勝負。
更新しないと読まれないが更新することで言いたかったことを自分で過去に押し流してしまう矛盾。


瞬間風速と炎上ばかりが目立って(苦笑)、アクセスを(周囲を気にすることなく平穏なままで)地道にコツコツと記事を積み上げることで増やすというのが一番難しい、というのが昨今の社会事情に切ないくらいマッチしているというか.....

「長期の視野」よ再び。
「結果の平等」を再び我等に!...ちょっと違うか。

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