募るほどに 知りたくなるのは 必然
反応を知りたくて探しに行ってしまうのは--待っていてもなかなか貰えるモノではないから--自然な気持ちではないでしょうか、
自分に向けての文章ではないのであれば。
アクセス解析を見ていくうちにいろんなことがわかった。
(中略)
気づいたら、そのようなサービスでの 自分のサイトへの反応を気にするようになっていた。私はどう思われているのだろう。
私の書いたことばどう思われているのだろう。反応ばかりを、気にするようになってしまった。
知らなければ何も気にならなかったのに…。
私はどこで間違ってしまったのでしょうか?
私はそもそも間違っているのでしょうか?
ブログを書く時間より、自分の書いた記事への
反応を探す時間の方が多いような気がしてなりません。
[コメント(0)|トラックバック(0)]の日々に斃れそうになるからせめてアクセス数を知りたくなる、
アクセス数を眼前にしたらどうしても「昨日より今日、今日より明日」という右肩上がりの呪縛に囚われる、
たとえ「被検索ワードから察する限り七割方はどう考えてもリピーターにはなってもらえなさそうなアクセス」だと分かっていてさえも。
(自分向けの文章でなければ)反応を期待する、
待っていても来ないので探しに行っては一喜一憂する、
たまに(アクセス解析から)読まれてさえいないことを知ってガックリ来る(苦笑)。
運良く「記事への興味」を持ってもらえたなら「サイトへの興味」という"固定客"になって欲しい(*)と願うのだけど・・・
その道があまりにも遠すぎるから、
その壁があまりにも高すぎるから、
過程であったはずの「アクセス数チェック」や「反応探し」がいつしか目的化してゆく。
「志」からすればまぁ間違っているのかもしれませんが、
それらを知らなければきっと[コメント(0)|トラックバック(0)]の日々に斃れていただろうと思えば、
それらが継続の糧になるのも無理はない...と...この部分かなり自己弁護(^^;
#そもそもの存在価値を問われると答えに窮するのでそのツッコミはしないように
「未来予想図」を描けたことはないのですが、今までも今も、眼前を流れるネタをどうしようかということにかかりきりで(もちろん殆どは考えている間に時の彼方へ流れ去った)。
きっとこれからもおなじように...いつか誰かの心に響くことを夢見ながら。
(*)但しその先の「中の人への興味」はちょっと...
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