« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »

2005.09.28

とかくにネットも住みにくい?

なにかにつけ「リアルじゃこっぱずかしいほどの善意」や「諭す意図のわりには激烈な口調」や「剥き出しの悪意」がネットにあふれるのはなぜだろう。
「ネットは自由だ!」とばかりにホンネを、それも休憩室(喫煙室か、最近は)や給湯室や居酒屋談義のノリでアップしてしまう、からなのかも。


そしてそのピュアさや激しさゆえに(たまに図星すぎて)モメゴトも頻発する。


まぁ私も「ネット」と「リアル」は切り離して考えたい方ですが、
やはりたとえネットであっても「ホンネ剥き出しで」「マイルールを貫く」のは自らの居場所を狭めるような気がするのですが、
すくなくとも「日本文化の中で」「日本語で」だと。

かといってリアルでそうせざるを得ないようにネットでも「波風を立てない」ように、なんてのは御免こうむりたいヒトも少なくないんですかねぇ...


智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

夏目漱石『草枕』青空文庫へのリンク)冒頭の一節より~

有名な一節のわりには「とかくこの世は~」と覚えている人も...いや私がそうだったので(苦笑)冒頭のタイトルを思いついた訳ですが、「人の世は~」だったらモトからリアルだネットだという話じゃなかったと。


・・・かといって

どこへ逃げるというのさ。

かつて楽しんでいたソフトで"フォーチュンクッキー"を食べさせると出てきた言葉。


人と人とのあれやこれや、なかなか穏やかなことばかりではあり得ないものですね...
どこでも、どこまでいっても。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.23

「いいかね、ジョナサン」

と、説いてきかすような口調で父親が言った。
「まもなく冬がやってくる。ブログも少くなるだろうし、浅いところにいるネタもだんだん深く潜ってゆくようになるだろう。もしお前がなにがなんでも研究しなきゃならんというんなら、それは"つながり"のことや、それを手に入れるやり方だ。もちろん、お前のその、ブログ論とかいうやつも大いに結構だとも。しかしだな、わかっとるだろうが、攻撃的なルール/マナー論は相互コミュニケーションの足しにはならん。そうだろ、え? わたしらがブログするのは、"つながる"ためだ。ひとつ、そこんところを忘れんようにな。いいか」

<パロディ元の原典=リチャード・バック著/五木寛之訳:かもめのジョナサン(新潮文庫)>



原典の論旨(笑)からして、こんな部分を抜き出して元ネタに(ましてや諫言として!)するべきものではないかもしれません。

ただ、まぁ「退屈」はしないかもしれませんが、「恐怖」と「怒り」に自らの寿命を削るのは"群れ"のほうではないでしょうね、原典と違って。


たとえば、わたしはトラックバックするのに、事前の「~させていただきます」コメントなど必要ないと思っています。思っていますが、ふらふら彷徨っていてどうしても言及したい記事を見つけたとして、そのサイト主が事前コメントを欲しがっているのであれば、別に頑なに拒否して"無断で"撃ち込むほどのこともなかろう、という程度には考えています--いいじゃないですが、それでストレスがちょっとでも減るのなら。
確かにちょっと手間ではありますし、そういう「ルールの原理原則を上回るほどのキモチ」を持つことが実際にありえるのかどうかは分かりませんが。

その程度だと蹂躙されちゃうんですかねぇ?
・・・というか、原理原則にこだわるとするなら、「コミュニケーションがあってなんぼ」ということについて、ではないのかな?と。






原典へのたとえに戻って、「"つながる"ためにブログする」のではなく、「"ブログすることそのもの"を極める」って、どういう状態を指すのでしょうか(笑)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.09.21

世界が「弱気」でできていたなら


・・・きっとうまくいく。
という「あっま~い」理想論である...

---

第一義的にも(迷ったときの)最終判断としても「自分がOKと判断して」コメント/トラックバックするのだとはいえ、それが誤解されたり曲解されたり門前払い(=削除)されるかもしれないという「不安」はどうしてもぬぐいきれない。

だって、基本的に、どこの誰とも分からないひとに向けるものだから、ね。
まぁ「分かったつもりになっていた」相手に送ってアテにしてた反応が外れて落ち込み、という方がタチが悪いかも知れませんが。いや自業自得なんでタチも何もないですが。


そして送られて来たものに対しても「(送り手が)逡巡したあげくに送ろうと決意した」ものかもしれないという想像をとりあえずはしてみないと。"マイルール"にそぐわないとバッサリ斬るんじゃなくて、ね。
リンク元を読めばそういう「必死の想い」で送られてきたものか「数打ちゃ当たる」で送られてきたものかの判断はある程度出来るでしょうし。


うまくいくために必要なことは、
「攻めの姿勢」や「自分のルールのみに従う強さ」ではなくて、

送る側の"弱気"(のなかの必死の想い)と、
双方の"相手のルールを慮る余地"(=切っていいのか?という弱気)。

・・・のような気がしてきています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.20

通過儀礼の後で


9月19日。
なにやらadultなトラックバックが2こ、来た。
656日目にして初。
これでやっと一人前の仲間入...【ウソ】

まぁ一度は通る道かつ想定内というか、ついにきたか、以上の感慨もなく淡々と削除。


明けて9月20日。
いつものように管理画面のアクセス解析で検索ワードランキングを見たら...
昨日のadultなTBタイトルが!!

いや、それ、昨日の昼に削除済ですから!(涙
おそらく検索エンジンのキャッシュに残っていたためと思いますが。

同じ「被害者」が見に来たのか、
それとも送信元が効果確認(苦笑)のために見に来たのか。

TB時点ではどうでもよかったのが一気に"気になるフェーズ"になったできごと。


さっき自分でぐぐったら"約20文字の一文"にもかかわらず15000件ヒット。ふーん。


※通過儀礼、というのはもっと崇高なものに対する語句ですね、ごめんなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.19

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(600万編)


*あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
600万:2005.09.18:63日

(末尾の日数は各100万区間に要した日数)


*グラフの末尾数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)

グラフ:600万


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.18

『「正しい」ルール』の勝たせ方

悪い子は放っておくと増長する、というけれど。
悪貨は良貨を駆逐する、という諺もあるけれど。
それどころかたったひとりに場をひっかき回されて"ジ・エンド"という例も多々あるけれど。

「それは悪いやり方だ!」とどなり込みに行ったとして、
「知らずにやっちゃった」人なら、怒られたら正しいルールを覚えるだろうけど、
「考えた結果としての行為」の人に、それを転向させるのはちょっとやそっとじゃ...

"正しい"人が"悪い"人のことをよく「あんなんじゃ信用を無くして自滅するぞ」と言う割には鬼の厳しさで個別撃破(笑)しようとするのは...?
"悪い"人が自滅するなら自然に"正しい"人が大勢になるだろうに。
"悪い"人の影響力を深刻に考えているのならそう言ったほうが...^^;

ともあれ"鬼対鬼のぶつかりあい"になっているような、そうでないような。


『最終的に』『大勢において』"正しい"ルール&マナーが浸透していればOK、ということになると思うのですが、個別に「それってど~よ」というのがある程度散在するのは不可避として。

どうするのが「より効果的で、より正統的で、好ましくはよりストレスに苛まれない」方法って、何かないのですかね。。。


・・・ええ、トラックバック論のことですよ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.15

それは『今まだ「ブログ黄金期」継続中』という証

焼き直しその3。

リンク/トラックバック論でワイワイやってて
どうにかして「正しいあり方」に絞ろうとして
精神注入棒を持った鬼の形相の門番が基礎スキル(と知識)の無い初心者を門前払いするがごとき風景。

なんという既視感!
そしてそれはきっと、黄金期であることの証。




・・・実効性を伴っているうちが華なのよ~(遠い目)

ふと「最近そんなことを書く必要がなくなってきた」ことに気付いたときにはきっと、退潮に歯止めがかからなくなってしまっていますから。
まぁ、その頃には門番の方がさっさと別のところへ逃げ出しているかもしれませんが、そもそも「場への愛着がゆえの行動」でなかったのだとしたら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.13

麻痺--いつかすべてがルーティンワークに

忘れもしない、
はじめてウイルスバスター2000のウイルス検出ダイアログがPOPしたとき、
画面の前で自分がフリーズしたことを。

有名どころ(笑)の大部分のウイルスメールを経験し、
最大200通/日(*1)を経験した今、

たまにニフティのIDあてに来るメールで
ウイルスバスター2005のウイルス検出ダイアログがPOPしても、
何の感情も持たず「閉じる」をクリックしている自分がいる。

こんなメール

ウイルスメールが(ひところに比べれば)激減したのと入れ替わるように、大量に来るようになった「いかにも罠な♂向けメール」も、驚くこともなく淡々とまとめて「ステータス:既読」→Delete(*2)の日々。

いちど桁外れの経験をすると麻痺してしまうのは必然といえども、

一切何とも思わなくなったのは
いいことなのか悪いことなのか...

#かつてマメにしてたIPAへの報告も長い間してないしなぁ

---

その機能を使い始めて約1年半、
このブログのアクセス解析画面を見に行くのは完全に日課と化している。

そこで示される数字の小ささに、自分で自分のブログを見に行くのも測定誤差(!)になる、と、更新確認以外では管理画面からしか見なくなってしまった...のは余談。

アクセス解析

今はまだ、
たまに数字が跳ね上がることに驚き、
リンク元からニュースサイトなるものの存在とその影響力の大きさを知り、
今日も「平均アクセス数」を上回れた、と安心(笑)していたりするけれど、

数週間前に桁外れの数字があってからは一喜一憂の度合いが薄れたような^^;


・・・そしていつか、
同じように感情を失くしてしまうのだろうか、
そしてそれはいいことなのか悪いことなのか...?


(*1)その頃にはメインプロバイダが有無を言わさずチェックするようになり"添付を剥ぎ取りました"報告が一通毎につくので受信数は倍
(*2)一旦既読にしないと「未読を削除していいの?」とダイアログで問い詰められるので^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.12

何より精神衛生上好ましくないのは


ネタがなくて画面の前で悶々とする時間(苦笑

時間の浪費そのものより、ストレスになるから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.09.06

臨機応変・安全第一


えー、安全を第一に考えるならそもそも「ブログしている」時点でアウトかも^^;


さていつのまにかトラックバック論の周期に入っていたようで。

約半年前にこう書いていたのですが。

迷ったらもう自分で決めたルールに従ってみるしかないでしょうね。

取消し。というか大転換。

マイルールに従うより相手先に受け容れられそうかどうかを判断基準にしよう。

半年前の件は「トラックバックを貰ったときに」どう対応するかの話だったのでちょっと違うのですが、


【何かとても言及したい記事を見つけた】

特に異論反論の場合、多少なりともしていいものかどうか悩むものだと思います。
だからこそあちこちでトラックバック論が出てきているのだと理解していますが、

※例:むだづかいにっき♂:反論・異論を唱えるトラックバックは邪道?

いや自分のポリシー(送る際の)を決めるのは結構ですが、まず相手に受け容れてもらえそうか見極めませんかと。
なにより相手のあることなのですから。

【こんなことを書いて送っても大丈夫そうか?】

相手先にポリシーの表明を見つけられなくても、「最近のコメント」なり「最近のトラックバック」なり、またそれらへの反応なり、何か判断材料になりそうなものを探してみるのもいいかもしれません。
大丈夫そうだと判断して実際の行動に移す。
ダメそうだと判断したら言及を知らせない、あるいはそれについて書くことを止める。

もちろん読み違いは「絶対に」起こるでしょう、何よりこんなことを書いている私がそういう"空気を読む"ことを何よりの不得手としますから(笑

10%の(場の空気を読む)才能、
20%の(不愉快にさせない)努力、
30%の臆病さ、
残る40%は、まぁ...運かもしれませんが。

#ということでゴルゴ13は"ムラビト"と(違

でも多少なりとも不愉快は減ると思うのですが、
不愉快と思われることも、
不愉快と思われたと不愉快に思うことも。


...ということで例示先へ"OKと判断して"トラックバック(^^;

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2005年8月 | トップページ | 2005年10月 »