世界が「弱気」でできていたなら
・・・きっとうまくいく。
という「あっま~い」理想論である...
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第一義的にも(迷ったときの)最終判断としても「自分がOKと判断して」コメント/トラックバックするのだとはいえ、それが誤解されたり曲解されたり門前払い(=削除)されるかもしれないという「不安」はどうしてもぬぐいきれない。
だって、基本的に、どこの誰とも分からないひとに向けるものだから、ね。
まぁ「分かったつもりになっていた」相手に送ってアテにしてた反応が外れて落ち込み、という方がタチが悪いかも知れませんが。いや自業自得なんでタチも何もないですが。
そして送られて来たものに対しても「(送り手が)逡巡したあげくに送ろうと決意した」ものかもしれないという想像をとりあえずはしてみないと。"マイルール"にそぐわないとバッサリ斬るんじゃなくて、ね。
リンク元を読めばそういう「必死の想い」で送られてきたものか「数打ちゃ当たる」で送られてきたものかの判断はある程度出来るでしょうし。
うまくいくために必要なことは、
「攻めの姿勢」や「自分のルールのみに従う強さ」ではなくて、
送る側の"弱気"(のなかの必死の想い)と、
双方の"相手のルールを慮る余地"(=切っていいのか?という弱気)。
・・・のような気がしてきています。
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