せめて穏やかな引き際を
自分の属しているコミュニティから誰かが出て行く。辞めてしまう。
そのコミュニティ および/または 相手への思い入れによる悲しみの差というのも否定しないけれども、もっと大きいのは「抜け方」でしょう。
生活環境の変化によって惜しまれつつ引退あるいはいつのまにかフェードアウト、というのであれば悲しみも比較的浅いのですが、
追い出したり追い出されたり、あるいは唐突に(周囲には"伏線"が見えていなかった場合も含む)「やめます」と一方的に離縁宣言、となると「遺されたもの」の戸惑い、わだかまり、嘆き、というものははるかに大きくなるわけでして。
居心地を得てその賑わいに浸かっていると、それが<穏やかに 波風立てず どこまでも>永遠のものとついつい思いがちになるのですが、実際には(場の終わりと自分にとっての終わり、どちらが早いかはそれぞれとして)<あまり遠くない将来に>別れは来るもので。
それなら最後まで、せめて穏やかな別れ方であってほしいと...
| 固定リンク
コメント