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2005.10.28

モメゴトは増えた。さて、ほのぼのは増えたか?

昔のようにことさらにバトルウォッチなどと追いかけなくとも、ブログ時代になってそこらじゅうでモメゴトを見かけるようになった、ような気がします。
だからといって「ブログ=モメゴト量産装置」と短絡するわけではないですが、発信する人が増え、発言の数も増えればいきおいモメゴトの「数」もまた増える道理ではあるだろうから。

ただ、どうなんでしょうね、同じように「ほのぼのとしたやりとり」の数も増えたのでしょうか?ブログ時代になって。


(無名のひとが)軽い気持ちで何か文章をネットに公開した。
それがどう反応されてどういう結果を生むかなんて、もう確率でしか予想できない世界。
同じようなことをきっとたくさんの人が書いてきたわけで・・・。

モメる「率」としては増えたのだろうか。
ほのぼのとする率はどうなのだろうか。


スルーされる率だけは間違いなく増えているでしょうが.....

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2005.10.25

せめて穏やかな引き際を

自分の属しているコミュニティから誰かが出て行く。辞めてしまう。

そのコミュニティ および/または 相手への思い入れによる悲しみの差というのも否定しないけれども、もっと大きいのは「抜け方」でしょう。

生活環境の変化によって惜しまれつつ引退あるいはいつのまにかフェードアウト、というのであれば悲しみも比較的浅いのですが、
追い出したり追い出されたり、あるいは唐突に(周囲には"伏線"が見えていなかった場合も含む)「やめます」と一方的に離縁宣言、となると「遺されたもの」の戸惑い、わだかまり、嘆き、というものははるかに大きくなるわけでして。

居心地を得てその賑わいに浸かっていると、それが<穏やかに 波風立てず どこまでも>永遠のものとついつい思いがちになるのですが、実際には(場の終わりと自分にとっての終わり、どちらが早いかはそれぞれとして)<あまり遠くない将来に>別れは来るもので。

それなら最後まで、せめて穏やかな別れ方であってほしいと...


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2005.10.18

関西人判定法

たとえば滋賀で「なにわ」ナンバーのクルマを見たとしましょう。
あるいは広島で「久留米」ナンバーのクルマを見たとしましょう。

それらのクルマのことを、何と表現しますか?


「他県」ナンバー、というのが非関西人。
」ナンバー、というのが関西人。

これ、わかりやすい関西人判定法。だと思う(笑)。


というか関西人たる私がヨソでの会話で「タケンナンバー」と言われて(文脈から)「他県」と理解するのにたっぷり数十秒かかったわけですが。

ところで都民以外の首都圏や東北地方では同じように「他都県」とか「他道県」ナンバー、という表現をするのでしょうか。

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2005.10.15

ブログが先か、ネタが先か


はてなRSS - むだな人の放浪先経由Blog向上委員会: 無料ブログはどこまで行く?

ブログをはじめても簡単にアクセスなんて稼げないし、反応も思うほど貰えない。アフィリエイトで稼ごうなんて夢のまた夢。世間に半ば強制的に促されてブログを開設したはいいが、何を書けばいいかもわからない。

まなめはうす(2005-10-15)経由死んでしまったら私のことなんか誰も話さない: ブログの魅力と可能性

人は皆それぞれ素晴らしいものを持っていて、それを表現したいという強い欲求を元々持っている


「ネタがあるからブログする」あるいは「"(簡単に)ブログできること"が元々心に持つネタを開放した」のか、
「ブログしてからネタを探す」のか。
ことの正邪はともあれ、どちらが"一部の人"に該当する(笑)のでしょう?

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2005.10.13

「みんな」と「ふつう」の中で

上方に目立てば妬まれる。
下方に目立てば蔑まれる。

「みんな」という名の準拠集団から外れることなく。

誉めそやされたいわけじゃない。
もちろん叩かれたいはずもない。

「ふつう」であることを絶対に守りつつ、「ネットでなければ知りあうこともなかった誰か」と、お互いのプロフィール=属性に曇らされることなく、「続く会話」をのんびりと楽しめたら。

ただそれだけのことが、日々、とてもとても難しいものになってゆく...

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2005.10.11

ブログは「老人力」に侵されている!

だって「繰り言」のメディアだし(笑)。

※老人力という言葉はもちろん赤瀬川さんの本(bk1へのリンク)から。読んでないけど。


ブログは記事単位で読まれるものだといいます。
まぁ個人的にはあまり認めたくはなくて「(残念ながら)記事単位でしか読まれないもの」と表現したかったりしますが・・・せめて「最近のエントリ」から気になるタイトルの2つ3つはクリックしてほしいと思うし自分は出来る限りそうしているので。

ともかく、それこそ繰り言のように同じような文章を何度書こうが、それが強く伝えたいことであれば別に構わないものなのかもしれません。あんたそれ前にも書いてますがな、と言われるようなこともあまり無さそうだし。


・・・いかにも「繰り言」だよなぁ、という思いから老人力という言葉を連想しただけなのですが(笑)、「気張らずに力を抜いて」というのは物事をうまくやっていく秘訣かもしれません。ブログとて例外ではなく。

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2005.10.06

残り25%

ポストに入っていました。
年賀状予約用紙


1年もあと残り4分の1「ある」のか「ない」のか。



年賀状素材に、よければどうぞ。

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2005.10.05

流れ去るネタたち

回転すしブームが終わったのか続いているのかよく分からないのですがそういう話ではなくて、

「ブログで議論」というのも反射神経勝負だねぇ、というを足して混ぜ合わせた焼き直しその5。



じっくり考えているとあっという間に過去ログに消えてしまう。


心に引っかかるエントリを見つけた。

まずあれこれ考えてしまう。

さらにコメントしようかやめようかで悶々。

・・・大抵ここでその日は時間切れに。
翌日(覚えていたとして)、

文章を考えるのに悶々。

また「本当にコメントしていいものか」で悶々。

・・・その頃には相手先のエントリは2つ3つ増えた後。
そうなると「もう相手にしてもらえないだろう」感に包まれて。
また無駄に時間を浪費しましたねアハハハハ...


実際見る限りでも、3日も4日も経って、時系列で「遥か下の方に沈んだエントリ」になってから1コ目のコメント/トラックバックがついて(かつそれから話が広がって)...というのはめったに見ない。昔の記事のコメント欄で話が続いていることはままあるようですが、それとて最初にコメントがついたのは「それが最新エントリだったとき」というのが多いし。

ほんとはどんな気持ちなんでしょう、特に1日数個~毎日1個ぐらいの更新頻度の方々。
やはり「過去の記事」=「自分の中では終わった話」なのか、それともいつまでも心中ひそかに(反応を)待っているエントリがあったりするのか。

自分(反応を期待する側(笑))にしても「もう(反応を)もらえそうにない」と見切りをつけて次のエントリを上げることもたまにあるわけですが。

亀レス化石レスなんてのも、死語というより存在が許される雰囲気にすらないような世界かもしれません・・・


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2005.10.01

誰かが拾ってくれるのをただひたすら待つ、ということ

おそらく他のあらゆることにおいて決して褒められたことではないそういう態度が、
ブログにおいては肯定的に受け取られるかも?


アクセスはエントリを更新したから来る、のではない。
たとえばいわゆるニュースサイトであったり、言及リンクありの"正統な"トラックバックであったり、それは決まってどこかで取り上げられたタイミングで来るもの。

そして拾ってもらえるかどうかなんてこと、基本的にはこちらからの関与が効くようなことでもない。
よくいえば「人事を尽くして天命を待つ」と言えるし、
悪くいえば「他の誰かの胸三寸で決まる」とも言える。サーチエンジン・アルゴリズムも含めて。

"相手がいかにも好みそうな"というのを狙って出来る人はまぁいいのかもしれませんけどね...
わたしがソレ(計算高いコト)をやると必ずどこかで計算間違いをやらかすという特技(しかもどこで間違えたか本人全く分からない)が・・・(涙

#これが最近のいい例。
  「個人情報付きの興味の履歴」
もう未練たらたら(自爆)。アップした時点で脳内でははてブ2ケタ(10 users)はゲットしたはずだった...

自分語りはともかく。
一般的に言ってそんな「拾ってもらえるのをただ待つ」などという態度はあまり褒められるようなものではなくて「自分から行かんかい、コラ!」と気合を入れられることになるはずだし、なによりそういうのに耐えられる人などそう多くはない。

地道に更新を重ねていれば、いつかきっと、誰かが拾って取り上げてくれる?そんなこと信じられない。じゃぁ一体いつまで待てばいいの?そんな悠長なコト言ってられない。
世間一般には「アピールするには自分から前に出る積極性が必要」ということになっているし...積極的なアピール?

・・・という理屈からするといわゆる「検索トラックバック」という手段に出るのも分かるような。もちろんほとんどの場合結果は逆効果であって、撃ち込まれた側にとって迷惑な存在であることもまた事実ですが。


書いたからには読んでもらいたいと思う。その感情を責められるいわれは無い。絶対に無い。
でも「大勢に嫌われないような積極的アピール法」となると絶望的かもしれない。
奥ゆかしく「いつかどこかで(肯定的に)拾われること」を夢見つづけるよりほかにないかもしれない--"群衆の中の孤独"に耐えながら。




誰かと話がしたいなら、ブログよりは...
まだフォーラムの利点を信じたい。
@niftyのIDを持っているのなら。

原点に立ち返る意味をこめて。

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