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2005.12.28

「終わりなき日常を!」という強欲


意外と知らない静電気の注意事項-[Excite Bit コネタ]より
思い出したのがパソ通のやりとりのなかで出たエピソード:らぶらぶカップルが玄関前でお別れの…唇どうし放電して文字通りの「Kiss of Fire」、という(又聞きだという)話。

・・・あの人は今。


先日、ニフティ株式会社より入会9周年の記念メールが届きました。
パソコン通信事業者からインターネットプロバイダへと変わっても連綿と受け継がれている「お約束」なのに今回たまたま来るということをすっかり忘れていたこともあって、届いたメールに妙に感慨深くなってしまって。

・・・10年目のメールを受け取れるだろうか?


ただ終わりなき日常を、せめてこのまま続く日々を。
まぁ、すでに成功された又は成功した未来しか頭にないベンチャー系の方々あるいは伝統あるお勤め先でも「PRESIDENT」誌に載るような方々からは「退化」と蔑まれること間違いナシですが、これだけ動きの速い、いいかえれば何が起こるか分からない世の中で、「ただ、今が続くこと」というささやかなはずの望みが猛烈なインフレを起こして"手の届かない最高の贅沢"に駆け上がってしまっているのではないかと。

長年の愛読誌はあいついで休刊する、心地よさにはまっていたサービスは無くなってしまう、etc...
(自分が関わることの出来る期間からみれば、という勝手な前提の下に)"永遠"だと思っていた様々な"場"が、
自分が関わっている間に無残にも消えてしまう。
「諸行無常」の四文字で割り切れるはずもなく。


いつまで続けていられるだろう、
そして、
いつまで続けさせてもらえるのだろう?


10年目のメールを受け取れるだろうか、平穏な日常のひとこまとして。


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2005.12.27

「やさしい」JIS(小ネタ)

ぐぐったら結構既出な話ですが私はさっき知ったのだ(笑)

JIS(日本工業規格)に通称「情報アクセシビリティ」規格のシリーズがあります。
正式には「JIS X 8341:高齢者・障害者等配慮設計指針」という名称ですが、この「8341」という規格番号、なんと「やさしい」という語呂合わせでつけたのだとか。
「英断」というべきか「怪挙」というべきか...


これはさらに話題になっていると思いますが「JIS X 8341-3:高齢者・障害者等配慮設計指針-情報通信における機器,ソフトウェア及びサービス-第3部:ウェブコンテンツ」、通称「Webアクセシビリティ指針」という規格がありますので気になる方はご参考に。
日本工業標準調査会の「データベース検索-JIS検索」で「X8341」を検索、で閲覧専用のPDFファイルとして見ることが出来ます。



ああ、前世紀から放置中のホームページ、いろいろ変えないといけないのですが...
レイアウトに透明テーブル使ってるし、というのは些細なコトで、
文字装飾をCSSに置き換えるとなるとファイル肥大化してしまうのがねぇ。
たとえば<sup></sup>とか<sub></sub>が大量にあるもので、これを<span style="..."></span>に換装するだけで(苦笑)

下付きにしなくとも「H2O」と表記しても分からなくはないのだけど
10の何乗、ってのは...上付きにしないで素直?に「10^-6」と表記したほうがいいのですかね。

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2005.12.21

共通ミッション:「つよくなる」

琥珀色の戯言 - WEB日記を書き続けられる幸運
一読してなんだか切なくなったのはどうしてだろう?

(4)多少の理不尽な誹謗中傷に耐えられること。

(5)逆に、あるていどの「無反応」に耐えられること。

そう。
意識のあるなしを問わず、どんなテーマであれ、誰に向けたブログであれ、「それらに耐えて強くなる」というのが等しく課せられた(そして隠された)ミッションなんだろうと思う。「勁くなる」という字の方がいいかもしれないけれど、"終わりのないマラソン"を走り続けるために。


「ミッション」というにはせいぜい"続けられたこと"が証明になるくらいで明確なクリア条件が設定されているわけでもないし、
"ランク"が上がったからといってせいぜい(経験者談)として書けることが増えるくらいで特に報酬なり称号(笑)なりが得られるわけでももちろんないし、
そして得た"つよさ"が「ブロガー(もうちょっと広義にしてネットワーカー(死語?))という所属」を外れたところ-たとえば実生活-で有効になることもたぶんないけど。


あるいはどこかで「何でこんなことしてるんだろ?」と醒めつつも、頑張って画面に向かっているひと、少なくないのではないでしょうか、
ある人は中傷に負けないために、
ある人は無反応という空虚に負けないために。

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2005.12.17

当事者として得るもの、客観視して得るもの

私が思うようなコトは、きっと他の誰かが書いている。

何かを書く発信者として話題に参加して得られるものと、
それらをひたすらROM(Read Only Member=読むだけのひと)に徹して得られるものと。

発信者の一員になることでより多くのなにかを得られるだろうか?
前者と後者でどれほどの違いが出てくるだろうか?

疑問を感じ出すこのごろ。


話題に乗ってなにかを書いて投稿した、それだけで「参加している」実感を得られないとは贅沢な、という向きもあるかもしれないが、やはり(記事を)打ち上げたらはい終わり、じゃないでしょ、と。
それをキッカケとした会話という意味でのコミュニケーションができてこそ「参加」と言えるのではないかと思う私にとって、「いろんな人が書いたものを読む」ということと「自分も何か書く」ということの差異が縮まってきているのではないかと思えて。


と思いつつブログをすぐに止めるほどの潔さも持ち合わせず、だらだら書いてゆくわけですが...

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2005.12.13

画面ノムコウ

安直なタイトルで申し訳ない。って誰に謝っているんだか。

「画面の向こうにも人がいることを忘れてはならない」
よく目にするセリフ。
「画面に向かって」文字を打ち込んでいるから、ついつい「その向こうに人がいる」ことを忘れがちになってしまうわけで、ふとしたときに再確認しなければならない言葉ではありますが。


ハンドルネームなりゲームキャラなりという"別のもの"を操ってのコミュニケーションでありながら、結局は「中の人」同士でイロイロと起きたりしてしまうのよね、と...

どこであっても、どこまでいっても、「人と人」なんだ、という至極当たり前のことに改めて気付かされるキッカケが、ネガティブな話だった、ということにすぎないのだけど。

そう、「人と人」の場で、当たり前といえばあまりにも当たり前すぎることなんだけれど。

ネットでまで傷つきたくはないだろうに、
ネットでまで疲れたくはないだろうに、
誰だって・・・


うまくはいかないみたいです。

安息の地なんて...心のなかに生きる幻なのか...

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2005.12.10

どうしたものか

欲張ったところで
悲しいかな我々の文章など
思うほどに読まれてはいないし
多少あさましく頑張ったところで
もらえるアクセスなどたかが知れている

ということを
そうやって頑張るひとたちに
広く読まれたいと願う

この矛盾をどうしたものか。

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2005.12.08

言いっ放し症候群

まともに投稿が出来ない(*)となると猛烈な怒りが殺到するのに、
たとえば長時間新着一覧が更新されないままだった(過去に何度もあった)としても、抗議が殺到するということはない。
べつに新着一覧(それもココログだけの)が情報源でなかろうが、「よそのブログ・あるいは記事」というものが眼中にあるのかどうか?

(*)正確には「管理画面にログインできない」であって、それが即ち新規投稿のためだとは言い切れないが、その時間を「読む」ことに振り向けても良かったはず。くどいようだが、閲覧はそれほど重くなかったのだから。

そしてどこかのサイトに書かれた何かを読んだとしても、離れたところでひとことの感想を述べるだけ、だったりする。

…という表現は曲解が過ぎるかもしれませんが...そもそもブログは更新することが前提のようなもので、それが「自分の」サイトである以上なにより更新に熱が入るのは当然のことであるだろうし、「直接コメントすること」の心理的障壁の高さも「自分(=コメントする側)の感想一覧」としてのSBMの使用目的も分かってはいるので。


それにしても。

やりとりを意識しない、前提としない、ただの「言いっ放し」ばかりがすさまじい勢いで増殖し続けているというのは、一体何なのだろう?
書いたことについて(の続きとなる)やりとりをすることには別に興味なんてないのか?
そもそも反応の有無自体にそれほどの興味はないのか?
公開していたとしても、その文章はあくまでも自分だけのためなのか?

やりとりの存在に価値を見出すなど、パソコン通信出の化石化した考えなのか。
雑談は難しいという見方もあるようですが、それぞれのテーマに沿って作られているはずのフォーラムにおいて結局一番賑わっている-その話の意味や内容はともかく-のは"もはやコメントツリーの長さに意味を見出すような"雑談部屋だった、というのは多くのフォーラムに共通する現象だったのですが。


「会話」は他のところ-SNSとか、掲示板とか、メールとか-でやっているのであって、ブログそういうためのものではない、単にそういうことなのか。

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2005.12.03

初心へ-ココログ2周年-

ココログがサービス開始2周年を迎えました!

と、ココログトップにそれらしき記述が見つからないのは
さすがに自粛ムードか、
単にそれどころではなかったのか。

ともあれお疲れ様です>ココログの中の方々


そしてこのブログも2周年。

(この記事を上げる前までの)データ:
記事数:234
コメント数:96
トラックバック:49

プラン:プラス
利用可能ディスク容量:5,000メガバイト
使用ディスク容量:6.51953メガバイト(0.13%)

最初の頃に容量集計していたところを久々に覗いてみたら最終更新が05年8月でした(涙


平均3日に1記事のペースが2年も続いたことに誰より自分自身が驚愕ですが(苦笑

・・・続けてしまった、というか。

自分なりに『こうしてウェブの大海に向かって「ひとりが、独りづつバラバラに」発信を続けること』の難しさや徒労感といったことを多少の皮肉も交じえつつ書き続けてきたつもりだったのが、
そう書いている自分がブログの魅力ないしは魔力に取り込まれているのかも知れなかったり...これだけ続いているというのは。


初心へ。
「ブロガー」という状態になってしまわないように。
<コメント(0)|トラックバック(0)>の死屍累々を、そのつながりの薄さを。
だから『その@niftyIDは(ココログではなく)フォーラムで発言するために!』ということを。


・・・"怒りのリトライ"を繰り返してまで投稿する必要のあるほどの文章ではないことを自覚しつつ・・・

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2005.12.01

イライラしたって


すぐには解決しませんし
何よりカラダに毒ですから

もちろん
やっとこさひねり出した"画面に向かえる自由時間"が
その限られた時間帯にしか作れない人も少なくないはずで
それどころか
"いま"アップしなければ実生活に何らかの支障が出る人だって
居るかもしれないですが

大多数の予定稿にとって
"怒りのリトライ"を繰り返してまで
今すぐのアップを必要とするほどのものかは...?


重い中無理からねじ込んで
途中でビジー画面に飛ばされて
焦りまくったのは一昨日の私

おそらくフリー版の出現とは関係なく
事態が認識されていないわけでもなく
怒りの声が届いていないわけでもない以上

待つよりほかにできることのあろうはずもなく

画面遷移が重いと感じたら
すっぱりあきらめて「ではまたあした」にしてしまうのも
自分のためのひとつの賢明な判断
そのリトライは事態を悪化させこそすれ...


幸い閲覧にはそれほどの支障はなさそうなので
「発信に必死になること」に使う時間を
「他のブログを読むこと」に使ってみれば
新しい何かを見つけることができるかもしれません
その"何か"が幸か不幸かは
関知するところじゃありませんがね...



FFでの例からみてDDoSアタックでもされてるんじゃないの?という(そろそろ今日くらい書こうかと思っていた)推測は見事に外れたのでした...

古河建純 インターネットBlog: ココログに対するお叱りの声について

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