言いっ放し症候群
まともに投稿が出来ない(*)となると猛烈な怒りが殺到するのに、
たとえば長時間新着一覧が更新されないままだった(過去に何度もあった)としても、抗議が殺到するということはない。
べつに新着一覧(それもココログだけの)が情報源でなかろうが、「よそのブログ・あるいは記事」というものが眼中にあるのかどうか?
(*)正確には「管理画面にログインできない」であって、それが即ち新規投稿のためだとは言い切れないが、その時間を「読む」ことに振り向けても良かったはず。くどいようだが、閲覧はそれほど重くなかったのだから。
そしてどこかのサイトに書かれた何かを読んだとしても、離れたところでひとことの感想を述べるだけ、だったりする。
…という表現は曲解が過ぎるかもしれませんが...そもそもブログは更新することが前提のようなもので、それが「自分の」サイトである以上なにより更新に熱が入るのは当然のことであるだろうし、「直接コメントすること」の心理的障壁の高さも「自分(=コメントする側)の感想一覧」としてのSBMの使用目的も分かってはいるので。
それにしても。
やりとりを意識しない、前提としない、ただの「言いっ放し」ばかりがすさまじい勢いで増殖し続けているというのは、一体何なのだろう?
書いたことについて(の続きとなる)やりとりをすることには別に興味なんてないのか?
そもそも反応の有無自体にそれほどの興味はないのか?
公開していたとしても、その文章はあくまでも自分だけのためなのか?
やりとりの存在に価値を見出すなど、パソコン通信出の化石化した考えなのか。
雑談は難しいという見方もあるようですが、それぞれのテーマに沿って作られているはずのフォーラムにおいて結局一番賑わっている-その話の意味や内容はともかく-のは"もはやコメントツリーの長さに意味を見出すような"雑談部屋だった、というのは多くのフォーラムに共通する現象だったのですが。
「会話」は他のところ-SNSとか、掲示板とか、メールとか-でやっているのであって、ブログはそういうためのものではない、単にそういうことなのか。
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