「終わりなき日常を!」という強欲
意外と知らない静電気の注意事項-[Excite Bit コネタ]より
思い出したのがパソ通のやりとりのなかで出たエピソード:らぶらぶカップルが玄関前でお別れの…唇どうし放電して文字通りの「Kiss of Fire」、という(又聞きだという)話。
・・・あの人は今。
先日、ニフティ株式会社より入会9周年の記念メールが届きました。
パソコン通信事業者からインターネットプロバイダへと変わっても連綿と受け継がれている「お約束」なのに今回たまたま来るということをすっかり忘れていたこともあって、届いたメールに妙に感慨深くなってしまって。
・・・10年目のメールを受け取れるだろうか?
ただ終わりなき日常を、せめてこのまま続く日々を。
まぁ、すでに成功された又は成功した未来しか頭にないベンチャー系の方々あるいは伝統あるお勤め先でも「PRESIDENT」誌に載るような方々からは「退化」と蔑まれること間違いナシですが、これだけ動きの速い、いいかえれば何が起こるか分からない世の中で、「ただ、今が続くこと」というささやかなはずの望みが猛烈なインフレを起こして"手の届かない最高の贅沢"に駆け上がってしまっているのではないかと。
長年の愛読誌はあいついで休刊する、心地よさにはまっていたサービスは無くなってしまう、etc...
(自分が関わることの出来る期間からみれば、という勝手な前提の下に)"永遠"だと思っていた様々な"場"が、
自分が関わっている間に無残にも消えてしまう。
「諸行無常」の四文字で割り切れるはずもなく。
いつまで続けていられるだろう、
そして、
いつまで続けさせてもらえるのだろう?
10年目のメールを受け取れるだろうか、平穏な日常のひとこまとして。
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