繊細だった、あの頃を
思い返すときが必要なのかもしれません。
・・・おもいっきり前向きな記事を目にすると「絶対にあのようには考えられない(そしてウソでも書けない)自分」に落ち込んだりして。
さて。
さまざまなことを乗り越えてつよく--あるいは麻痺なのかもしれない--なってしまうと、たいてい、乗り越えられずにいた頃の気持ちを忘れるものなので。
コツだなんだとアドバイスをしてみたところで乗り越えられるかどうかは本人がなんというかヒラメキみたいなものを体得するしかない、というのはたぶん実技系科目に限らない真実で、
だから乗り越えられた人には乗り越えられない人の気持ちが分からないみたいだし、
乗り越えられなかった人には乗り越えられた人の気持ちは分からない、
そんなものだとちいさな頃に身に沁みて感じたわけですが。
まぁ、ネットワークコミュニケーションにおいては「やればできる」という命題が成立すると仮定しても、「まだ弱くて繊細だったあの頃にキツイと感じたこと」を「強くなった自分」がやっていないかどうかを、ふとしたときに再確認してみると、多少は平和裏にコトが進むようになるかもしれません。前段で書いたように「あの頃を思い出す」こと自体が結構難しいのだけど。
「つよくなる」のはまことに結構なことで、
ある程度強くならないと生き残れないのもまた冷厳な現実で、
結局は壊れる前に本人がいろんな意味で「ふっ切れる」ことが出来るかどうかにかかっているような気がするけど。
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