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2006.01.26

それより、あたらしい遊び場を。

むだづかいにっき♂:関連仲間文化圏が多数派になると、ブログは死滅する

読んでもいないブログに読まれもしないトラックバックをひたすら送りあうな(少なくとも送ってくるな)という趣旨ですが、

彼らが自分の仲間内で馴れ合いトラックバックを送りあう事に対しては、僕も文句はありません。

というのに関しては、ココログが重かった件の事情説明を見たりするとトラックバックというものは受ける側のシステムにとっては相当に負荷のかかることのようで、めったやたら撃ちまくるのは文化がどうのという以前に考え直す必要はあるかもしれません。

が、それより何より、

憤ってもブログの将来を憂いても詮無いことのような気も。


啓蒙といってもエスカレーターの自動放送のようなもので、「良い子の皆さん♪……」って良い子なら最初からそんなことせぇへんし悪い子が端(ハナ)からそんなもん聞きまっかいな、といったムード。
それにコミュニティの規模(+経過時間?)が膨らむにつれて質の低下だの内部での意見の食い違いや諍いだのが問題になる、というのは「経験則」でもあることですし...


ブログ(のコミュニケーション機能としての部分)が死にそうになれば、(やりとりを求める部分はそれが出来るような)「別の何か」に移ってゆくだけでしょう。それが「今は想像もつかないような何か」なのか、もうすでにある何かなのかは分かりませんが。

そりゃぁ愛着もあれば未練も残るでしょうが--私がフォーラムに対してそうであるように--、まさか「ブログに殉じる」わけでもないでしょう?

個々のブログが、というのもさることながら、ブログそのものが「追憶」になるときもきっと来るはずですし。

考えるほどに「今を楽しむ」より他に無いんじゃないかな、という気がします。まぁ"空気"がおかしくなったと見るや放り出して次の遊び場、と表現すると下流な考えかもしれないとか道徳的にどうなのか、とかいう気もしなくはないですが...

もっとも、その「楽しむ」ということには、当然「ブログ論を読む/書くことで」というのも含まれるわけですが(自己弁護込み)。

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