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2006.02.27

維持のために必要な幻想

ekken♂:カウンターは廻る、されど読者は増えず

アクセスカウンターの回転を廻すだけなら、そんなに難しい事じゃありません。 ここで挙げた「トホホなアクセスアップ法」を使えば、誰にでも簡単に「見かけ上のアクセス」は増やせます。

しかし、この方法では、誰も「書かれた物に対する好印象」を持っているわけではないのです。

御意。
評価を上げるのは至難、下げるのは一瞬、といいますし、最初からリンク元にあるような「トホホな」やり方でのマイナス評価から始めてはどうしようもない、というのは、これは同意するとして。

数が第一義ではないとは言えど、
瞬間風速より固定客、という気持ちはあれど、
されど気になるアクセス数、というのもまた正直なところではないかなと思いますが・・・。


閲覧者と読者、私は読者が増える事を望む-ひとりごと/ウェブリブログ

閲覧数を増やす事で、読者数を増やすというのは一つの手ではあるけれど、見当違いの人が来ても意味が無い。(中略)ただカウンターが回る事よりも、中身を読んで、意見交換をしてくれる人が一人ずつでも増えていった方がどれだけ嬉しい事か。面白いと思ってくれて日々チェックしてくれる人が増えてくれる事がどれだけ嬉しい事か。

それは、(今となっては)切ないほどに感じるのですが・・・

実際には、
心理的障壁が低いと言われるソーシャルブックマークでのコメントですらもそうそう頂けるものではなく、
いわんや直接の反応など(アクセス数比)百分の一、千分の一あるかどうかの世界で、
どうやって「他の誰かに向けて書いている人」にとってのモチベーションの源泉たる『「受信してくれている人」の存在』を確認できましょうか?
となると、代替指標としてのアクセス数の存在は小さくないと思うし、それにすがることをそう悪しざまにもできまい、と。


いつかは砕け散るときが来るとしても、
カウンタの数は「YES!」の数という幻想は、特に初期のモチベーションの維持には必要なことではないかとすら思うのですが。

・・・そこまでして「ブログする」、続けることの是非は別にして。

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2006.02.23

それでも、「読みつ読まれつ」が理想でありたい。

tokuriki.comよりブログは誰かのためでなく、自分のために書けばいいと思う。

ビジネスパーソンはブログを書くのが無意味かというと、もちろんそんなことを言いたいわけではなく、「人に読んでもらうために」ブログを書くのはやめた方が良いと言いたいだけだ。

 要は、「自分のために」ブログを書けば良い。
(中略)
多分、書いているうちに自分なりのブログの価値というのが見つかると思うし、ひょっとしたら他のブログを書いている人との出会いやコミュニケーションが広がるかもしれないし、多くの読者に愛されるブログになるかもしれない。

 でも、仮にそうならなくても、仮に全く誰にも自分のブログを読んでもらえなかったとしても、自分のためにブログを書いている限り、少なくとも自分の考えが整理できたり、文章を書く練習にはなるはずだし。

正論だとは思うのですよ、思うのだけど...

<ブログはその読み手には依存しておらず、そのために、現在及び将来の読み手ニーズを意識することなく、ブロガー自身のためだけに努力すべきである。>
(JIS Q 9000:2000(ISO9000:2000)にある"八つの品質マネジメントの原則"のa)のパロディ)

書くことのモチベーションが維持できれば何だって良いのだろうとは思いますし、じゃぁ「顧客(=読み手と仮定)重視」で行くべきかというとそれも違う気もしますが、かように言い切るのも、何というか、切ないものが。

『「多くの人に読んでもらうのを目的に」ブログを始める』というのと『「人に読んでもらうために」ブログを書く』というのとはイコールではないと思うのです。

何かを書いてネットのどこかに置く、ということは、その-フォーラムならフォーラムの、ブログなら"ブログ界"という-コミュニティに「参加する」という気持ちでそうしているのですから、「自分のために」が前面に来るのは、むしろ「それってどうよ」と考えてしまうのですが。

「多く」は望まないし望むべくもないです、
そんなに読まれるものでない、ということは身をもって分かっていますし、
『玉石混交から石としてより分けられるほう』であることも分かっていますから。

だけど、それでも、

<ブログ及びそのネタ元となるブログは独立しており、両者の互恵関係は両者の価値創造能力を高める。>
(上記"~原則"のh)のパロディ)

そうありたいと思うのです。少しでも。



マネジメントシステムになぞらえてみようと思ったのは
まなめはうす:2006-02-22:書きたい文章を書くためには
を読んで「継続的改善?」と反射的に思ったのがきっかけ。

そして、

北の大地から送る物欲日記:ブログを書くと言うこと。の図:
まさにPDCAサイクル!(笑

・・・そう、私のアウトプットが、誰かのインプットになれば嬉しいです。

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2006.02.22

一般名詞で言っとくれ

流行りなのはご同慶の至りなのだが。
数独 - Wikipediaナンバープレース から転送
キイィィ!

分からん!登録商標で言われても分からん!
どういうことだ!一般名詞からリダイレクトしやがるとは!

ナンバープレース(ナンプレ)と言われないとピンと来ないのである。
いまはそのURLに名前を残すのみとなった、かつてのパズラー(世界文化社)愛読者としては。


いまだに持っているぶっこん丸キーホルダー……

(以下数十行の思い出語り全削除)

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2006.02.15

αBRB、とか。(笑)

ちょっと思いついただけですよ?

「CSR」という流行り言葉(笑)がありますよね。企業の社会的責任、というやつ。
いまのところ何がそれに該当するかという明確な定義はなさそうですが。(ただしISO規格ができるとかできないとか)

ということでブログにあてはめてみました。

ブロガーの社会的責任。
いや【アルファブロガーのブログ界における責任】と「アルファ」をつけて全力で遠ざかっておく(笑)。
alpha-Bloggers' Responsibility for (the) Blogosphere、略してαBRBかな。英語に詳しい方よろしく(^^;。それによってタイトル変更の可能性も。


まぁアルファというか人気というか影響力があるというか、そんな人たちにだけ「責任」を押し付けて我々その他大勢は<気の向くままポチポチとキーを叩いたそのまんま>を適当に放り上げてもオッケー、とかいうつもりはないですが、
「こっち側」が2年かかって積み上げてやっとこさたどり着くようなアクセス数を1日かそこらでサクっと抜き去るような「あっち側」とではやはり、姿勢にしろ文章の重みにしろ、そういったものが等価であるはずはないし、また等価でいいわけでもないでしょう。


じゃぁその責任だのblogosphereへの貢献とやらは何を指すのかというとこれまたCSRと同じく明確な定義はな……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
でもまぁ、作法というのかブログ論的なところ、たとえばトラックバック論だとか反応への対応だとか、そういう場面での垂範みたいなものがあってもいいのかな、と。文章の内容そのものについては突っ込みどころ満載だの精度の高低だのがあってもそれこそ個性というか芸風というか、あるいは戦略だったりもするでしょうから善悪だの垂範だのは言えないにしても。

そういう人たちが、というかそういう人たちほど、「ツールの使い方がどうの」なんてこと、気にすることなんてなさそうですけどね...

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2006.02.13

さまよえる予定稿よ、安らかに

ブログを読むのは(大体において)楽しい。
楽しい、というのはオモシロオカシイのみならず。実用性があろうと無かろうと、目から鱗、考えもしなかった視点、という話はいっぱいすぎるほど。
ただし自分も書いたからといって即楽しみが増えるとは限らない。自分でウケたって仕方ないし、自分で自分(の持っていた知識見識)に驚くこともないだろうし。
まぁ、反応が見えれば「ただ読んでいただけの頃」とは何かが違ってくることはあるだろうけど。


ネットの情報は「玉石混交」とよくいうけれど、全くの珠玉や全くの石ころは滅多に無い。そんなデジタルなものではない。


対象となるサイト(コンテンツ)の存在なくして、検索エンジンやソーシャルブックマークや(個人)ニュースサイトは成り立たない、とかどこかで読んだ気がするけれど、
「あなたの・私の」サイトが無くたってそれらは存在するけど、それらの存在なくして「あなたの・私の」サイトは誰にも見つけてもらえないわけで。
個々のサイトから見れば、やはりそれらの存在は一方的に伏し拝む(まぁ、たまには迷惑なコトもあるでしょうがw)ような位置関係なんだろうな、と。



以上、寝かせていてもこれ以上ふくらみそうにない予定稿なのでまとめて放り上げてオヤスミ。

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2006.02.10

1往復やそこらで終わらせたくない:ましてや片道で"言ったきり"など。

という叫びと受け取りました。

煩悩是道場:トラックバックを受け付けないテキスト系ニュースサイトとの向き合い方

私は-あくまでも私見であると敢えて強調させていただきますが-ウエブログは相互にコミュニケーションが出来る場であって欲しいと思っています。

「質問」の3.への答えにもなりますが、私もそう思っています。そしてそういう考えが「間違って」はいないと思っています……そう信じたいです
まぁ私にとって重要なのは「話が続くこと」それ自体、だったりしますが...


ですが私はそれを多少諦めかけてもいます。あまり期待しすぎると辛くなるだけだとも思います。

関連:
コミュニティなんだけど、コミュニケーションは前提じゃない?:2004年6月
「"話が続く場"への愛着」ということ:2004年7月
仮題:コミュニケーションツールだと思うと寂しくなるから:2005年2月

いまは何であれ"それなりのアクセス"があれば十分、というか何とか気持ちを保てていますし、どこかで紹介され、あるいはブックマークコメントがついたなら「一段上の喜び」になっています。

(それぞれの"自分"に合うようなカタチで)自分と話が続くひと、あるいは場、というのはきっとあるんだと思います。
ただし、それはブログ/ブログ界ではないかもしれません。たとえばフォーラムとかフォーラムとかフォー・・・やめとこ(笑)。


さて、僭越ながら質問へお答えしてみます。
1と2共通:(個々の反応に)表立ってなにかを書いたことはありません。たぶん。
たとえ相手方が「ブログ型」だったとしても、「反応を返したいと思った反応」の全てに反応を返す訳でもなければ返せる訳もありませんよね?気後れだとか単純に時間的制約だとか、理由はさまざまでしょうけど。
書こうと思って書きそびれたこと、そんな文章はいっぱいあるわけで、それと同程度に考えています、技術的(?)制約、といったところでしょうか。まぁあまり切羽詰まった経験がないからですが。
「メールするのは違うと思う」というのは同意。

3(上述以外):「言いたいことを言うだけ」でスッキリしたいだけ、というのもあるでしょうね。周囲の一人の意見(笑)ですが、「なんか反応を貰ったりしたら返事書かないといけないじゃん?そういうのが面倒」とか。
何年か前にニフティがフォーラムのバナー広告を作っていましたが、キャッチフレーズが「言いまくり。」
なんか違うだろ、と思ったことを今でも覚えていますが、まぁそういう風潮でもあるのかもしれません。

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2006.02.07

「誰かのオススメ」からの離陸を

しないといけない時期かもしれない。

気がつけば、
巡回先の「はてなブックマーク」でブックマークユーザー数(xx users)が多いものだけを見ていたり、
巡回先の『他人のはてなRSS』を愛用(笑)していたり、
巡回先のニュースサイトで紹介されているURLを上から順にクリックしていたり。

・・・自分のブックマークを増やすこともなく。
(ちなみにはてなID未取得ですしRSSリーダー使用歴もなかったりします)


私よりはずっと"嗅覚"に優れているはずで、実際(リンク先の)ハズレも少ない、そういう感性への信頼と共感があるからこその巡回先ではあるのですが・・・<「誰かのオススメ」を片っ端からクリックしている>という状態でいいのか、と。

繰り返し出てくるリンク先、というのが少なからず有るわけで、それなら自分のブックマーク(またはRSSリーダー・以下同じ)に入れてしまえばいいはずだから、
過去に巡回していたニュースサイトの更新休止で"難民気分"になったことも一度ならずあるのだから、
美味しんぼ』の常套句ではないが「自分の感性で確かめようともせずに、有名だというだけでありがたがる」ようになってしまっている気もするから...


誰かが薦めた記事を見に行くことから離れて、自分の判断としてサイトを巡回するような方向に進むのがいいのだろうな、と思うし、自分もまたそうされたい、と思う。おこがましいけど。

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2006.02.06

投稿マニアは人気ブロガーの夢を見るか?

ネット以前に"一般ピープル"が意見なりネタなりを開陳できるところといえば、新聞の投書欄・雑誌の読者(の感想)欄・ラジオ番組へのおたより/投稿(の各々で採用される)、くらいだったと思う。

それぞれにマニアというか常連さんは居た(*)し、今もそういう方々はきっと居るでしょう。

さて、
いつのまにかネットが社会に根付きました、
"ホームページ"で「誰でも」発信できるようになりました、
今はブログがブームだそうな。

かつての、あるいは現役の投稿マニアの皆さんはこっちの世界でもバリバリやっておられるものなのでしょうか?
ネット時代になって、あちら側の投稿数は減っているのでしょうか?

いわゆるオピニオンであれ感想であれギャグネタであれ、ネットでも有名人--ブログだと有名ブロガーということになります--が居たりしますが、羨望を抱いたりするのでしょうか、もしくは「元・投稿マニア」の出自をもつネット有名人、なんて方も既に居られるのでしょうか。

こちらには「採用」という関門が無いわけです、自サイトの場合には、ですが。
その関門をこえてこそ、というのであれば、あったとしてもこっち側にはボツネタ置き場以上の興味は無いでしょうし、投稿原稿なんてものはたいていが初出かつオリジナルであることが前提条件ですから、投稿と同時UP、というわけにもいかないでしょうが...


ふと「(庶民が庶民として)世間に意見(あるいはネタ)を公開する」という点において共通項があるようにも思えたのでそういう疑問が浮かんだだけ、です。



(*)だから逆にいえばそれ以外の「普通の人」にとって"特定の誰かに向けない何かを書くこと"など考えることも無かったし今も自分のこととしては考えられない、それがメールの先にある壁なのかな...と最初は書こうとした:タイトルは「ボクらはみんな"変人"なのだ」(笑

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2006.02.03

恵方(中略)巻

節分である。
コンビニ業界の強力なプッシュ(笑)によって、巻きずし丸かぶり(通称:恵方巻)もあまねく全国に知れ渡った昨今である。


とあるスーパーにて。


恵方生春巻き

ありえない。絶対に何か狂っている。

身辺雑記からは出来る限り距離を置くポリシーのこの私が、
一瞬でブログネタ♪と全力で釣られるなど、
絶対に何か狂っている...

ええ、おいしく頂きましたよ。






江戸時代に起源をもつとはいえ、今のブームは海苔業界が頑張った成果(以上Wikipedia-節分より)、という商業イベント感が強いにしても、一応は、(巻きずしの)具は七福神に因んで七種、とか、具もたとえば高野豆腐は"高野山のご利益がありますように"という意味が込められている、とかですね、それなりの理由が存在するわけで、もうちょっと、伝統といいますか、そういうものをですね、.....(苦笑)


しかし、こうなると……"巻いてたら何でもOK?"のノリで、どこかのスイーツ屋さんが「恵方クレープ」とか出してたりするんでしょうか。既に。
情報希望。
現認報告関係に限り"関連仲間文化圏的トラックバック"も可とします(笑)。

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2006.02.02

いつか。


ネットはお前が救われるために存在してるわけじゃないぞ!勝手な奴め!!』

パク…もとい、インスパイア元は
吉田秋生:BANANA FISH(リンクは小学館文庫版)

誰かに向けた言葉ではなく。
いつか、自分が言われそうな気がする・・・


(以降ぐだぐだ書いて削除。なんとなく。)

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