維持のために必要な幻想
アクセスカウンターの回転を廻すだけなら、そんなに難しい事じゃありません。 ここで挙げた「トホホなアクセスアップ法」を使えば、誰にでも簡単に「見かけ上のアクセス」は増やせます。しかし、この方法では、誰も「書かれた物に対する好印象」を持っているわけではないのです。
御意。
評価を上げるのは至難、下げるのは一瞬、といいますし、最初からリンク元にあるような「トホホな」やり方でのマイナス評価から始めてはどうしようもない、というのは、これは同意するとして。
数が第一義ではないとは言えど、
瞬間風速より固定客、という気持ちはあれど、
されど気になるアクセス数、というのもまた正直なところではないかなと思いますが・・・。
閲覧者と読者、私は読者が増える事を望む-ひとりごと/ウェブリブログ:
閲覧数を増やす事で、読者数を増やすというのは一つの手ではあるけれど、見当違いの人が来ても意味が無い。(中略)ただカウンターが回る事よりも、中身を読んで、意見交換をしてくれる人が一人ずつでも増えていった方がどれだけ嬉しい事か。面白いと思ってくれて日々チェックしてくれる人が増えてくれる事がどれだけ嬉しい事か。
それは、(今となっては)切ないほどに感じるのですが・・・
実際には、
心理的障壁が低いと言われるソーシャルブックマークでのコメントですらもそうそう頂けるものではなく、
いわんや直接の反応など(アクセス数比)百分の一、千分の一あるかどうかの世界で、
どうやって「他の誰かに向けて書いている人」にとってのモチベーションの源泉たる『「受信してくれている人」の存在』を確認できましょうか?
となると、代替指標としてのアクセス数の存在は小さくないと思うし、それにすがることをそう悪しざまにもできまい、と。
いつかは砕け散るときが来るとしても、
カウンタの数は「YES!」の数という幻想は、特に初期のモチベーションの維持には必要なことではないかとすら思うのですが。
・・・そこまでして「ブログする」、続けることの是非は別にして。
| 固定リンク
コメント