ひとつの直接の反応までに…
今週の「プレジデント」誌を見て知った『(日産の)ゴーンさんは「Ghosn」と綴る』というトリビアを誰かに伝えたくて仕方ないTristar@管理人です。こんばんは。
さて、
304 Not Modified:目を合わせて会話ができない人達:
ニュースサイトが生み出したアクセス解析の文化が、
はてブが生み出した間接的なコメントの文化が、
ウェブにおけるコミュニケーションの距離を遠ざけてしまったのかもしれない。
私も最初の頃は結構何度も『コメント(0)|トラックバック(0)の死屍累々』と書きましたし、まぁ多少は「直接していたであろう反応」を減らした、ということはあるかもしれないですが、出てきた文化は仕方がないじゃないですか、今さら「間接反応禁止!」とか言って実効性が伴うわけでなし(笑)。「無断リンク禁止!」と同じようなもので。
というのと、
もとから「距離」なんてそんなに近かったわけでもないと思います(というか、思うようにしています)、というのと。
乱暴な話ですが、ここのブログで今までに頂いたコメント+トラックバックを総アクセス数で割ると、だいたい五百分の一になります。
扱うネタ及び対象とする相手によって大きく違ってくるとは思いますが、「知人ではない誰か」に向けているにしては、まぁよく頂けているほうかな、という気もしますし。
だいたい、(メディアからだろうが個人サイトからだろうがすべてひっくるめて)日々受け取る情報のうちの大多数は、『1分かそこら「ふーん」とか「ほう!」とか思うけれども、そこまで』、そういうものでしょう?
「ちょっとした感想」を持つような話題って何十分の一で、
またその何十分の一かを「そこそこ長考」するような。
裏返して、「ひとつのニュース(とか、ブログエントリ)に対する"みんな"の反応」というのも、きっとそういうものでしょう。
ハインリッヒの法則ではないですが、
ひとりの直接の反応を頂けるまでに、
「ちょっとした感想」-それこそブックマークコメントですね-を持った何人(か、何十人)かが居て、
その何(十)倍かの『1分かそこら「ふーん」とか「ほう!」とか思うけれども、そこまで』のアクセスがある。それこそ冒頭に書いたようなトリビアへの反応のような。
その比率は人や事柄によってさまざまで、ある点で個性の実力ということになるのだろうと思いますが、ぱっと眺めて通過していくだけの人でも、1分かそこらは何か思ってくれてるさ、と...思いたいです(^^;。
えー、結局、
もとからその程度に「やりとり」という意味でのコミュニケーションにたどり着くにはしんどいものですよブログなんてのは、ということと、
だからなんだかんだ言ってもアクセス数は支えになるものだ、という、
「いつもの」結論に着くわけですけれども。
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