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2006.03.29

ひとつの直接の反応までに…

今週の「プレジデント」誌を見て知った『(日産の)ゴーンさんは「Ghosn」と綴る』というトリビアを誰かに伝えたくて仕方ないTristar@管理人です。こんばんは。

さて、

304 Not Modified:目を合わせて会話ができない人達

ニュースサイトが生み出したアクセス解析の文化が、
はてブが生み出した間接的なコメントの文化が、
ウェブにおけるコミュニケーションの距離を遠ざけてしまったのかもしれない。

私も最初の頃は結構何度も『コメント(0)|トラックバック(0)の死屍累々』と書きましたし、まぁ多少は「直接していたであろう反応」を減らした、ということはあるかもしれないですが、出てきた文化は仕方がないじゃないですか、今さら「間接反応禁止!」とか言って実効性が伴うわけでなし(笑)。「無断リンク禁止!」と同じようなもので。
というのと、
もとから「距離」なんてそんなに近かったわけでもないと思います(というか、思うようにしています)、というのと。


乱暴な話ですが、ここのブログで今までに頂いたコメント+トラックバックを総アクセス数で割ると、だいたい五百分の一になります。
扱うネタ及び対象とする相手によって大きく違ってくるとは思いますが、「知人ではない誰か」に向けているにしては、まぁよく頂けているほうかな、という気もしますし。


だいたい、(メディアからだろうが個人サイトからだろうがすべてひっくるめて)日々受け取る情報のうちの大多数は、『1分かそこら「ふーん」とか「ほう!」とか思うけれども、そこまで』、そういうものでしょう?
「ちょっとした感想」を持つような話題って何十分の一で、
またその何十分の一かを「そこそこ長考」するような。

裏返して、「ひとつのニュース(とか、ブログエントリ)に対する"みんな"の反応」というのも、きっとそういうものでしょう。
ハインリッヒの法則ではないですが、
ひとりの直接の反応を頂けるまでに、
「ちょっとした感想」-それこそブックマークコメントですね-を持った何人(か、何十人)かが居て、
その何(十)倍かの『1分かそこら「ふーん」とか「ほう!」とか思うけれども、そこまで』のアクセスがある。それこそ冒頭に書いたようなトリビアへの反応のような。

その比率は人や事柄によってさまざまで、ある点で個性の実力ということになるのだろうと思いますが、ぱっと眺めて通過していくだけの人でも、1分かそこらは何か思ってくれてるさ、と...思いたいです(^^;。


えー、結局、
もとからその程度に「やりとり」という意味でのコミュニケーションにたどり着くにはしんどいものですよブログなんてのは、ということと、
だからなんだかんだ言ってもアクセス数は支えになるものだ、という、
「いつもの」結論に着くわけですけれども。

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2006.03.25

「トラ退治法」in Texas

素晴らしい。ひじょーに素晴らしい!

読売新聞(西部本社版:06/03/24)国際面の小ネタ欄に載っていたちいさな記事の元記事:
米テキサス州、バーで酔っ払っても逮捕(ロイター)

「公の場での酩酊(public intoxication)」の罪

GJ!
・・・しかしロイターのURL、ジャンル分類が"エンターテイメントニュース"っておい!


日本にも波及してくれませんかね?

トラ退治法は昔から存在することだし。


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2006.03.21

【毒】一次情報

「一次情報(を当たること)の大切さ」を説く方々は沢山居られますが、彼/彼女たちが本を紹介するときのハイパーリンクが揃いも揃って"http://www.amazon.co.jp/以下英数字ずらずら"なのは、なんていうジョークですか?
確かに検索ではオンライン書店の力が強すぎて私も毎回苦労するのですが、一次情報たる出版社サイトの該当書籍紹介のURLを見つけ出すのは。

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2006.03.19

長考の不幸

まぁ、不幸、ってこともないかもしれませんが。

あんたジャージでどこ行くの: ノンテリブロガーの主張

・しかし、彼らは多分、本心では「やっちゃったかな」とか「書きすぎたかな」、「誤解を受けるような事書いたな」とか思ってるんだよ。
・でも、インテリ故にそれを認めない。

いやそれはインテリでなくとも・・・
文章にしなくとも長考してしまったり、ましてや長文にしてアップしてしまったり、なんてことになると、どうしても自己愛というか何がしかのコダワリというか、そういうものから無縁でいられなくなると思うのですが(経験者談)。

で、異論反論、特にストレートにぶつけられるようなものをなかなか素直には受け取れなくなってしまう。
ネタがシリアスであればあるほど、あるいは自分が費やした時間や行数に比例するように。


本当に差し迫った話ももちろんあるだろうけれど、ネットでやいのやいのと湧き上がる「騒動」なんてものの多くは"ためにする議論"といってキツければ思考実験というか、まぁそういうたぐいのものであって、
だとすれば「ネットの良い点」として昔からいわれている「多様な意見を読むことが出来る」ということそのものを楽しむ(楽しむと書くと語弊があるような騒動がちかごろ多いけど)というか、まぁいろんな見方についていちいち素直にナルホドと目からうろこを落とすような、そんな読み方が本来なんだろうと。

それがそのネタについてなまじ自分"でも"あれこれ考えてしまうと、どうしてもそれに引っ張られて「多様であること」そのものを楽しめなくなる弊害が出てくるのかな、とも。


ワイドショー的というと道徳としては良くないのかもしれませんが、あえて話題に乗って考えたりせずに神の視点ネットウォッチ的な見方をするほうが後々の考えの広がりにつながるのかな、とか(^^;。

・・・ということを1日ほど考えていて、書こうかどうか2時間ほど迷って、文面作成に1時間ほどかけている私。

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2006.03.14

畏れよ、未来を

FF11をやっている人にしかニヤリとできないタイトルで申し訳ないです


たけくまメモ: 西村博之氏という存在

俺にとって、昔からどうにも不思議なのは、「実名」を晒すことを、多くの人が過剰に恐れすぎているんじゃないかということです。

私たちには『過剰に恐れる』くらいが実はちょうどいい塩梅、なのではないか、少なくとも「業として、あるいはその補助として、もしくは職を得るために、というような方々」と同列に考えていい話ではないはずだから。

私たちは充分過ぎるほど気付いているはずだ、
ひとたび公開された情報は、劣化、紛失することのない記録として、読みやすく、容易に識別可能で、検索可能な状態に保たれることに、
そしてそれが発掘につながることに。

実名だろうが匿名だろうが、他人に非難されるようなことを書かなければいいだけの話なんじゃないでしょうか。

それは常に守るべき基本だと思うが、「いつも、いつまでも」を保証はできまい?
プロとして、ならそんなことは許されないかもしれないが、あくまで「余暇のさらに一部分でのこと」である私たちには「気の緩み」や「想定外の反応」などいくらでもあるだろう。

「いま」何の気なしに、もしくは話を多少有利に進めるために出した個人(の特定につながるような)情報が、たとえば2年後や5年後にしてしまうかもしれない失言やトラブルのあとで、自ら暴露していたこれ以上ないような攻撃材料として使われるかもしれない、という恐怖に、もっと自覚的であるべきだろう。

『まあ、そんなものをわざわざ読むほどみんな暇ではないですが、読むかどうかではなく、読もうと思えば読めるということが危険なんです。』
──某ビジネス誌に載っていた某ネット系人気企業社長(CEO?)のインタビューのパロディ

その頃にブログがまだ存在しているのか、ということは問題ではない。
検索の「偉大さ」とその裏返しの「恐ろしさ」ということについてもまた、
私たちは充分過ぎるほど気付いているはずだ。


ネットで「日記」を公開するということは、ほとんどの場合、リスクがリターンを上回るだろう。-業として、あるいはその補助として、もしくは職を得るために、というような方々を別にすれば。
「実名か匿名か」などという単純な次元ではなくて。
いわゆる身辺雑記や昔語り-ネットなんてなかった頃の、リアルの-のひとつひとつが将来においてリスクになりかねないのだから。

思い出したように出てくる「実名主義者からの挑発」などに決して惑わされることなく、私たちはもっともっと個人情報のコントロールに注意深くなり、リアルの身辺に関わらないで済む題材にシフトすべきだろう。


もちろん最大のリスク排除は「読み手に徹すること」であり、「ブログしてる」時点で既にアウト、といえなくもないのだが、一度は書いてみたい、とりあえずブログなるものをやってみたい、というのであれば。

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2006.03.09

トラックバックURLから推測したココログ総投稿数の推移(900万編)

※あくまで「トラックバックURL末尾の数字が通し番号」と仮定して

ちなみに管理画面での記事ごとのURLやブログ本体のHTML内にはid番号が振られていて、それが本当の「通し番号」だと思うのですが、まぁ気付いたのは最近だし流れでこのままということに(笑)。ちなみにその番号ではすでに1040万くらい。
「ココログフリー」は番号別建て。そちらももうすぐTB-URL末尾で100万達成。記事idでは150万くらいだったかな。

サービス開始:2003.12.02
100万:2004.07.20(頃と思われる):約230日
200万:2004.11.18:約120日
300万:2005.02.19:93日
400万:2005.05.05:75日
500万:2005.07.17:73日
600万:2005.09.18:63日
700万:2005.11.09:52日
800万:2006.01.04:56日
900万:2006.03.08:63日

(末尾の日数は各100万区間に要した日数)
graph

*グラフの末尾数字サンプルは自分の全投稿(同一日に複数投稿した場合は最後のもの)

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2006.03.08

個性の実力-「理想のコミュニティ」改題

ちょっと長いけど引用。
ちなみに「オンライン書店」なるもので初めて買った本。たしかbk1

店というものは、結局は主人が客を選ぶのである。客が店を選んでいるように見えて、実は主人の個性がおのずとそこに集まる人を限定していく。もちろん来た客を追い返すわけではない。一見の客にも丁寧に応対しはするが、合わない客なら客のほうから来なくなる。
(中略)
いっしょにいて心地よい人間と楽しい時間を過ごしたい……という共通の思いを手がかりに、微妙なやりとりの中にたがいの距離感をたしかめあう。違い過ぎてはつきあえない。違わなくてはつまらない。それぞれの差異と相違はそのままに残しながら、そこにひとつの共感を見出して、さまざまの人びとがある空間に集うようになるのである。
玉村豊男『回転スシ世界一周』TaKaRa酒生活文化研究所/世界文化社:2000年
<強調部は引用者による>
(注:世界文化社サイトには紹介なし:光文社・知恵の森文庫版(2004年発行)へリンク)


そう、
居心地のよさ、が根本にあって。
異論反論を表明するにしても、なんというか、普段の共感がお互いのベースとしてちゃんと認識されていた上でのもの、というのがありえるのではないか、というか、あったらいいな、というか。

・・と、後段を<理想のコミュニティのあり方>として強く共感するところがあって長い間予定稿としてとっておいたのですが、取り置いて読み返すうちに前段が気になって。

主人の個性に合う客がどれだけ残るか、残ってくれるか。
主人の下に集う・・・ブログをはじめとする個人サイトでも同じことが言えるでしょう。集客はすべて主人の個性ひとつにかかっている。
人気(にんき)であれ人気(ひとけ)であれ、集まるも集まらないも、それが「個性の実力」なんだろうな、と。シビアなものです。

そういう見方からすると、『多くの「読者」を得よう』なんてことがいかに無謀、というか分不相応なことであるか、ということになるのかもしれません。
もし文章ひとつで「共感する者」が百や千の単位で集まってくるようなら、我々はとっくの前に文筆業として食べていけているか、何かのカリスマなどと呼ばれているだろうから。
我々はそんな者たちにはなれないし、逆にいえばなれないからこそ彼/彼女らの存在が成り立つのでしょう。べつにそのことで卑屈になることはないのであって、このフィールドでは彼/彼女らに分がある、というだけのことで。
「いつも読んでくれているひと」がもし二桁に届いてくれたらもう充分に幸せを感じるべきなんだろうと、我々にとっての「伝える」「伝わる」というのはそういう範囲のことなんだろうと、そんなふうに思い始めています。
『大きい数への夢想』から自由になったわけでは、もちろん、ありませんがね。(苦笑)

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2006.03.06

さよならパソコン通信


・・・なんだそうです。
ただし通信方式(TTY接続)の終わりであってフォーラムの終わりではない(はず)なので誤解のないように。

「ワープロ・パソコン通信」サービスの終了について|ニフティ株式会社

ということで、「予定された臨終を泣き笑いで看取る」オフがあるそうです。

(遊): さよなら、ありがとう、パソコン通信オフ

年度末最終日ですが、東京近辺の方で興味のある方が居られましたら直接上記ブログの人へご連絡くださいませ。

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2006.03.03

意外とタフ?

ある編集者の気になるノート : あなたたち著者は、アマゾンなんか見ないほうがいい。

普段そういうことは考えない私ですが、これは読んで20秒で「あなたたちブロガーは、はてブなんか見ないほうがいい。」というテンプレ芸を思いついた...のですが、迷った末やっぱり書くのはやめておきます。
原著者に悪い、のもありますが、それよりなにより、「はてな」ではないところで、丸々一エントリを「はてな」のコンテンツ論に費やすのはどうにも据わりが悪い、というか、こっちの事業者(ここでいえば、ニフティ)に失礼に当たる気がして書けない。

さて、リンク先の結びにこうありますが:

精神的にタフで、レビューの玉石を見分けられる著者以外は、やっぱり、アマゾンなんか見ないほうがいいと思います。

ということは...
そもそも反応なんて滅多にないし、来たと思えば厳しい反応だったりすることに慣れている私たち(たち、と言っていいと思う)ブロガーというのは、並み(失礼!)の文筆家よりはタフなんでしょうか(^^;;;

・・・とりあえずアウトプットの質は考えないとして。

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2006.03.01

ITの中心で、スローライフをさけんでも

※なんでブログがITの中心なんだ、とかいう類のベタなツッコミは却下!



「つまるところ、正当なアクセスアップには、地道な更新より他に無いと思いますよ」

私にもそうとしか言いようがないのですが・・・この世界とは相容れない概念ですよね・・・。


効率至上主義。成果主義。
趣味の世界にそれを適用するなどちゃんちゃらおかしいと、
「既に(アクセスを)得ている側」が発言したら反感を買われるだけ。
「得ていない側」が発言したら負け惜しみの強がりに読まれるだけ。

効率よいやり方をすれば即時に成果が得られる、いや、すぐに成果を得なきゃいけない、今のこの時代の、ましてやここはネットなんです、そりゃー普通にそう思っても不思議じゃないでしょう。
(そうやって集めたアクセスの「中身(の無さ)」に気付くときが来れば、またそれはそれでヘコむのでしょうけれど)

「アクセスアップ術」がはびこるのも、成果主義の時代背景が原因のすべてなのですよ。

・・・で終わるのもアレなので。


<「会話を求めるひと」にとって、ブログとは、『成果主義の中で「コツコツじっと我慢の子」ゲームを演じること』である>
とか。

私?ええ、すでに悦びに目覚めて...(ばきっ

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