その文章の出荷先
あんたジャージでどこ行くの: 自分のブログの質とか価値を、なんで他人に決められなきゃならんのか。
この最後の段落の、LSTYさんの意見には同意なのだけど。
……その書き上げた文章は、ほんとうに自家消費向けなのですか?
『第一義として「自分のために」』書いているのです、という方は思いの外多く居られるようです。
存在は理解できますし、理屈を追ってゆくと、なるほどそうかもね、とそのときは思うこともあります。
ですが、どうしても本音の部分でその心情を理解はできないでいます。
自らの意思で公開している、ということは即ち、「読まれてナンボ」というのが根底にあるはず、とどうしても結論付けてしまいます。
だからこそ、
労多くして益少なしですよ、ということを、
ここにあるのは『"予選"に参加すれどもすれども99%は「石」としてよりわけられる』という絶望なんですよ、ということを、
そんな場で将来"発掘"されるかもしれない個人情報を積み上げて何をしているのですか、ということを、
(実体験として)伝え続けているのですが。
ブログの、あるいはエントリの「価値評価」というほどのことはなくとも、何処かの誰かに何かを感じてもらえてこそ浮かばれる、もとい報われる類のものではないのかなと、昔も今もそう考えています。
「見られてナンボ」ではないところがミソで、そして「読まれて」のあとには「反応されて」「やりとりが成り立って」と要求水準が上がっていった挙句「楽しみ」から遠く離れていたりしかねないのですが、
自分が書き上げた文章の主たる仕向地が自分自身、ということはないですね。
私にも自分のための覚え書きが無いわけではありませんが、基本はあくまで「外向け」ですし。
あ、そうそう、
「自分のため」である皆さんにおかれましても、
『将来"発掘"されるかもしれない個人情報を積み上げて』の部分は共通ですので、
これは警鐘として受け取っていただけると幸いです。
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