keep dryin'
ブロガーに限らずネットワーカーってのは潮解性があるかもしれないので。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
カタカタとキーボード叩いて
カチカチとマウスで「公開」の状態にすれば
「伝わる」ものだと思っていた
そんな無邪気さが粉砕され、
読まれて、はおろか見られてすらいないことに気付き
何をどう書けばせめて見られるのかと立ちすくむまでに
数十エントリ、あるいは数十日が経っている。
いつのまにか目的が「伝えたい」から「見られたい」へと摩り替わってはいませんか?
「伝わる」などということが、遥か、夢のごとく遠い目標であることに気付いたなら、まずはともかく「見てもらう」ことに目的が"すりかわる"のはごくごく自然な流れでしょう。
そして書けども書けども玉石の石として淘汰されることに気付くのに
ごく稀に幸運にも恒常的なアクセスを集めることに成功するのに
百の単位のエントリを必要とし、
読まれてさえも意図が思うように伝わることなどほとんど無いと気付くのに
さらに百の単位のエントリを必要とする。
訓練というなら、(それぞれの段階での)絶望に向き合う訓練であるとも言えるかも知れません。
書けなくなる(経験が書けなくする)というよりは、
書けていた昔が無邪気だった、ということなのだろうと、
そんな気がします。
それでも「読まれてナンボ」という想いに変わりはありませんが、
それは思うほど簡単に叶うようなものではないのですよ、と、せめてこれさえ伝われば幸いです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
この固定リンクのTrGrというのは Training Ground の略。もちろん略し方の元ネタはFF11の...
伝わる伝わらない・通じる通じないの話。
共感のつながりももちろんあるけれど、
おそらくリアルのつきあい世界と比べればお互いが「生きてきた世界が(お互い)あまりにも違うひとたち」でしょうから、極端なことはそれほどなくとも、どちらかといえば意図が伝わらない・常識が通じないという場面に多々遭遇することになるでしょう。
自分の理解を超えるようなすごい人が見つかるのがネットの面白さのひとつで、
自分の理解を超えるようなとんでもない人に見つかるのがネットのしんどさのひとつ。
たぶん表裏一体で、よい刺激ばかり、ということはない。
分かろうとする、
うまく避けようとする、
何とか伝わるようにする、
何とか受け流す、
なんであっても、『「通じない相手が居る」という事実を受け容れる』訓練、そして表現の訓練(ときに回避の訓練)になっているのだろうなと、パソコン通信の昔に考えていたことを思い出したのでした。
その「訓練の成果」が(ネットよりは振幅が小さいと思われる)リアルで役立った覚えもあまりないのが反省点。
まぁ口頭の会話と文章の会話ではやりとりにかかる(かけられる)時間が違いすぎますが。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
少々話題のこの記事。
ITmedia News:「ココログ」障害に募る不満 訴訟準備のユーザーも (1/2)
ひとつの「因果応報」という気がしなくもない。
ココログは大手プロバイダとして、だけでなく全体的に見ても最初期に始まったブログ(ホスティング)サービスのひとつ。
『ブログ』というものの(日本での)知名度を一気に引き上げ、そして発信者として越えるべき敷居を一気に引き下げた……
立役者か、それとも犯人か。
まさかこれほど広がるとは、そしてまさかこんなかたち(訴訟)で"報い"を受けようとは、まさに「想定外」の不幸なのでしょう、
(といってもまだ「訴訟を考えているぞ」という段階ですが)
そして(上記「II」でも書いたように)ニフティが始めなくてもきっとどこかが始めただろうし、だとすると「引き起こしたであろう未来」に大した違いは無かっただろうとは思えど、
「ブログを日本に広めた先駆者」にまつわるこうしたドタバタのニュースを見ると、浮かんでくるのは、
「因果応報」という言葉であり、
(今更どうしようもないと知りつつも)
ブログが(日本に)広まって本当は良かったのか?
事業者にとっても開設者にとっても本当に良いことだったのか?
という問い。
いま現在で某(他社の)ソーシャルブックマーク(注)において自分史上もっとも注目されたエントリ:
「ブログサービスやめます」という事業者がそろそろ出てきてもいい頃
から約1年。
そういう事業者があったという話が記憶にないというのは……
(続けることに、事業者として)どんな魅力があるというのでしょうか。
わたしたちがどんどん書き続けることで生まれる(わたしたちの知らない)収益があるのでしょうか?
(注)まぁ、「はてなブックマーク」なんですが、ニフティクリップもできたことだし、前にも増してはてなの名前を出すのは気が引けるというかなんというか
| 固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)
母校発展の捨石となるべくなんたら、というフレーズをどこかで見た記憶がある。
まず間違いなく<應援團>のスローガンだと思うが実在のものか物語なのかも思い出せない。調べてみてもヒットしないし。
どうあがいても玉石で分ければ「石」でしかない私たち(たち、って言うのはダメですか)ですが、
石は石でもせめて捨石であればまぁ意義はあるかな、とか(苦笑)。
『ネットワークコミュニケーション発展の捨石となるべく・・・(以下自由文)』
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
【炎上】
経済的には非常に低コストで、かつ強烈な異文化経験を体験できる仕組み。自分にとっての「普通」や「常識」が通じない人の存在を認識するきっかけ。
但しあまりに一方的に燃やされるため、しばしば再起不能になってしまい経験は活かせない。
……"悪魔の辞典"風に。
そんな言葉など無かった頃のネットバトルでも同じですが、至極普通だと思っていたことが通じない、否定される、というのがあって、いつしか「存在を賭けた闘い」の泥沼にはまり込んでゆくわけで。
いづれにせよ「次はもっと上手く(理解されるように)立ち回ろう」なんて殊勝な行動ができることは極めてまれであって、
思ふこといはでぞただにやみぬべき伊勢物語より
我とひとしき人しなければ
となってしまいがちですが...。
昔のような喧嘩であれば、5年もすれば「あの頃はアツかったなぁ」なんて苦笑いで振り返ることも出来るかもしれないけれど、今のような"炎上"だとどうなんでしょうか。やはり3年5年経てば「苦笑いの過去」レベルに消化(消火じゃないよ)できるのでしょうか?
そんなことをふと思ったのでした。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
絶望を勝ち抜いた先に待つのは、希望か、さらなる悲劇か。
デジモノに埋もれる日々:「炎上」発生のメカニズム - 責任の発生と納得の獲得:
自分自身でどんなに「しがないイチ市民」を自称していても、
何かの拍子に注目を受けてしまった時点で、「責任」は発生してしまいます。
ネットの中で度々発生する、
「小規模ブログが、はてなや2ちゃんねるの特攻を受けて炎上する」
といった悲劇(?)はここから生まれます。自分自身は注目されていないつもりでも、
注目に値する存在だと他者から思われてしまった時点で、影響力が自然発生します。
影響力が発生すれば、そこには責任が発生するのです。(本人が望むと望まざるとに関わらず)
ここひと月ほど
<『"予選"に参加すれどもすれども99%は「石」としてよりわけられる』という絶望>
という表現を使ってきました。
(再度問いますが、件の本を自分に引きつけたときになぜ「希望」と捉えられるのですか?)
引用したような現象は、その先、
絶望の屍を踏み越えて『「玉」と認められた』と思ったら、それは『("みんなの意見"として)寄ってたかって討伐されて然るべき禍々しい光を放つ玉と判断された為』であった、という、救いようのないストーリー。
運良くか、奮闘努力の甲斐か、ともかく「玉」と見做されたとしても、それが必ずしも清らかな光を宿す(と受け取られる)とは限らない。
確かに極論です。最悪のシナリオです。
そして実際にはそれほど心配するほどのこともないでしょう(繰り返しますが、99%はその前に淘汰されるのですから)。
ですが、このストーリーはフィクションなどでは断じてないのです。
ネットで日々現実に起こっていることなのです。
それでも、叶わぬ夢を追う私たちの列に加わろうとしますか。
ROMだけの自分から飛び立とうとしますか。
PNR(Point of No Return=帰還不能点)は、思うより遥かに目の前かもしれませんよ。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
いつものように管理画面のアクセス解析を見ていたらリンク元に変わったモノが。
開いてみるとわがブログを英訳したものが出てきました。
Googleの検索結果が英語ページだと[このページを訳すBETA]リンクが出来ていてクリックすると七転八倒したような(笑)日本語の羅列を見せてくれますが、その逆。
能力がないので訳の精度についてはコメントできませんが;
いくつかおもしろい訳を紹介。
「ブログ」は [burogu] のまま訳されないらしい(訳せないものは[]内にローマ字読みが入る)。
「ココログ」はなんと Coconut log になっていました!…甘いのか?
(但しカテゴリーの【ウェブログ・ココログ関連】は related to [ueburogu] [kokorogu] だったり「ココログフリー」は [kokorogufuri] だったりします)
「トラックバック」は track/truck back に。「トラック」と「バック」で分断して訳している?
「門前払い」が Monzen payment って。まんまやがな(笑)
【ネタ】と書いておいたものが <news item> に訳されてました。ニュースアイテムという言葉のイメージからすると意味が逆転しそうですが。
日本語環境から検索した日本語の結果を英訳できるのかどうか存じませんが、
http://www.google.com/translate_c?hl=en&langpair=ja%7Cen&u=(ここにターゲットURL(http://から全部))
と直接アドレス欄に入れると試せるようです(2,3のブログしか見なかったけど)。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
あんたジャージでどこ行くの: 自分のブログの質とか価値を、なんで他人に決められなきゃならんのか。
この最後の段落の、LSTYさんの意見には同意なのだけど。
……その書き上げた文章は、ほんとうに自家消費向けなのですか?
『第一義として「自分のために」』書いているのです、という方は思いの外多く居られるようです。
存在は理解できますし、理屈を追ってゆくと、なるほどそうかもね、とそのときは思うこともあります。
ですが、どうしても本音の部分でその心情を理解はできないでいます。
自らの意思で公開している、ということは即ち、「読まれてナンボ」というのが根底にあるはず、とどうしても結論付けてしまいます。
だからこそ、
労多くして益少なしですよ、ということを、
ここにあるのは『"予選"に参加すれどもすれども99%は「石」としてよりわけられる』という絶望なんですよ、ということを、
そんな場で将来"発掘"されるかもしれない個人情報を積み上げて何をしているのですか、ということを、
(実体験として)伝え続けているのですが。
ブログの、あるいはエントリの「価値評価」というほどのことはなくとも、何処かの誰かに何かを感じてもらえてこそ浮かばれる、もとい報われる類のものではないのかなと、昔も今もそう考えています。
「見られてナンボ」ではないところがミソで、そして「読まれて」のあとには「反応されて」「やりとりが成り立って」と要求水準が上がっていった挙句「楽しみ」から遠く離れていたりしかねないのですが、
自分が書き上げた文章の主たる仕向地が自分自身、ということはないですね。
私にも自分のための覚え書きが無いわけではありませんが、基本はあくまで「外向け」ですし。
あ、そうそう、
「自分のため」である皆さんにおかれましても、
『将来"発掘"されるかもしれない個人情報を積み上げて』の部分は共通ですので、
これは警鐘として受け取っていただけると幸いです。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (1)
改変元:
化学物質ハザードデータ集:評価シートリスト-財団法人 化学物質評価研究機構【CERI】中のリストから;
「トルエン」の項
-中略-
多少ネタを散りばめてみましたが基本的なところは改変せずとも通じるような気がしました。以上。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
情報処理推進機構:セキュリティセンター:トップに載ったウイルス・不正アクセス届出状況について(2006年5月分)で気付いたのですが、
情報処理推進機構:プレス発表:「情報セキュリティ標語2006」の入選作品決定
大賞が
ネットで繋がる無限の世界 明暗決めるはあなたの手
と思ったので紹介。
しかし、この大賞以外の入選9作品が小中高全部「五七五調」なのは……
「これぞニッポン」ですねぇ(笑)
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント