輝く画面に何思う?-朝のひとときに、仕事の合間に、一日の終わりに-
人が増えてきてどこかのソーシャルブックマークが衆愚化しつつあるとか、いやブログエントリも衆愚化の一途だとか。
という主張がいくつも見つかってリンク先をどれにしようか迷う…もとい、怖いので(苦笑)リンクしませんが。
嘆きの心中お察ししますが・・・
昔は選良だったか
一点目。これは素直な疑問。
○○化、というからには前(の、良かった)段階があったものと思います。
人が増えてきて衆愚化した、のであれば、
昔は「選良の使いしもの」だったのでしょうか?
すみません、勝手に『衆愚』の反対概念を『選良』と決め付けてしまいましたが、
嘆く方々の思うところの『衆愚』の反対概念とは何でしょうか。
繰り返しますが、これはいわゆる"素朴な疑問"として、です。
画面に向かうときのキモチ。
二点目。タイトル通りですが。
切羽詰まった訴え、もあるでしょう、
切羽詰まった検索、というのもあるでしょう、
そしてもちろん"業として、あるいは業の補助として、もしくは職を得るため"の方々もたくさん居られるでしょう。
ですが、圧倒的多数にとっては、Webを巡回する、あるいは何かを書くために画面に向かうのは、
たとえば朝のひとときにコーヒーを飲みながら、
たとえば仕事の合間に一服しながら、
たとえば一日の終わりに一杯ひっかけながらあるいは子どもをあやしながら、
(注:定時勤務前提なのは例示として以上の意味はないので念のため)
のもの、即ち、息抜きであり、余暇の一部であり、趣味であり、遊びの部分であり...
要するにエンターテイメントとして、ではないのでしょうか?
……ええ、ただの感覚であって統計を取ったわけではありませんが。
言い方を変えれば「なにをどう表現したところで受け手にはまず間違いなくエンターテイメント扱いされる」ことへの覚悟や諦めを送信前から持っておいた方がいいのではないかと思いますがそれはともかく、
そういうキモチでやっているもの(と、その集合体)を指して衆愚と憤られてもなぁ、という考えはだめですか。
・・・嘆きの心中お察ししますが、ちと本気/マジメ過ぎやしませんか。
という表現は気分を害するかもしれませんが。
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