« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006.08.28

千・日・前。

(ここに入れるべき千日前商店街入り口の写真を撮ってくる予定でした・・・)



いまからちょうど1000日前、2003年12月2日。
ココログが誕生しました。


思えばいろいろありました。

まだ終わりは見えないようです、
まだまだ人の波は引かないようですから。

きっとこれからもいろいろなことが起こるでしょう。


私は開始翌日の登録なので、きょうで999日。
平均して3日に1エントリのペースを崩さず
(実際は月末で帳尻合わせるので月に10エントリ前後で〆)
よくもここまでたどり着けたものだなとしみじみ感じます。

という意識を持っていたので今月はがんばったのですが……

「999日で333エントリ」にはわずか届かず。


ちなみにこの記事のID(トラックバックURLに非ず)は「13777867」。
これが通し番号(ですよね?)だとすると、

始まりの日から今まで、
賑わった日もそうでない日も、
48時間メンテナンスだった日もすべてをおしなべて、

一日に約14000エントリが生成され続けたことになります。
約6.3秒にひとつ

100万トラックバックURLごとにその数字は計算するものの、見るたびにその凄まじさを感じます。
みんな・・・好きね・・・・・(笑)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おもろうてやがて哀しきネットの縁

「おもろうて」ではないのはわざとです。固定リンクのURLと絡めてニヤリとして頂ける方が居られると良いのですが。


北の大地から送る物欲日記 - ネットを通じて触れる世界は近いようで遠い

何かの縁で知り合うことができたのに、あっさり消えてしまって音信不通になってしまう寂しさ。

確かにそのときのその想いはものすごく感じるし、だからせめて別の場で繋がりを維持できたら、と思ったりしますが……
なかなか難しいですよ、という実感。


いくつかの経験から感じるのは、ウマが合ったのは『そのコミュニティでの(演じている)キャラとしての』あなた達と私、だったのではないかと。他のところでは「見つけたよ」の報告だけで終わってしまうんですよ結局。

『その世界以外の話』では話が持たないことが多くて。従っていわゆる"場が持たない"状態に。
……理屈から言えば当然ではあるのですが、だって現実世界の属性で見ると"てんでバラバラ"な集まりなのだから(笑)。
もう天気の話も通じないですからね。住んでる所違い過ぎて。

「(現実世界での)属性やら何やらを知られたくも知りたくもない」という自分の思いが原因でもあるのですが・・・

維持しようと思えばやりようはあるのかもしれませんが、一時期にバサッと切れてしまうか徐々にフェードアウトするかの違い、のような...書いてて切なくなってきましたけど。

ネットワークというと融通無碍なイメージですが、ほんとはそれぞれのケーブルをそれぞれの「場」というハブにつなぎこんでいるだけのようなもので。
で、いつもそのハブが無くなってから気付くんです。代えの効かないものだったんだ、と。


『さよならだけが人生だ』というか『keep dryin’』というか、長く居るほどいろいろ覚悟しなきゃならんことが増えて臆病になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.26

こころぐどっとこむ

アクセス解析を見ていたらなぜかココログトップページからのアクセスが。
http://www.cocolog-nifty.com/
なんかカテゴリ別ランキング(どのカテゴリが表示されるかはランダム)に載ったんですか?

ほかに1件だけ<http://www.cocolog.com/>というのがあったので「これは何?」と思ったら...
やはりココログトップページでした。そのままのURLで。

そんなドメインも取っていたのね。考えれば防衛上当然かもしれませんが。
今頃初めて知りました(^^;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.25

輝く画面に何思う?-朝のひとときに、仕事の合間に、一日の終わりに-

人が増えてきてどこかのソーシャルブックマークが衆愚化しつつあるとか、いやブログエントリも衆愚化の一途だとか。
という主張がいくつも見つかってリンク先をどれにしようか迷う…もとい、怖いので(苦笑)リンクしませんが。

嘆きの心中お察ししますが・・・


昔は選良だったか

一点目。これは素直な疑問。
○○化、というからには前(の、良かった)段階があったものと思います。
人が増えてきて衆愚化した、のであれば、
昔は「選良の使いしもの」だったのでしょうか?

すみません、勝手に『衆愚』の反対概念を『選良』と決め付けてしまいましたが、
嘆く方々の思うところの『衆愚』の反対概念とは何でしょうか。
繰り返しますが、これはいわゆる"素朴な疑問"として、です。


画面に向かうときのキモチ。

二点目。タイトル通りですが。

切羽詰まった訴え、もあるでしょう、
切羽詰まった検索、というのもあるでしょう、
そしてもちろん"業として、あるいは業の補助として、もしくは職を得るため"の方々もたくさん居られるでしょう。

ですが、圧倒的多数にとっては、Webを巡回する、あるいは何かを書くために画面に向かうのは、
たとえば朝のひとときにコーヒーを飲みながら、
たとえば仕事の合間に一服しながら、
たとえば一日の終わりに一杯ひっかけながらあるいは子どもをあやしながら、
(注:定時勤務前提なのは例示として以上の意味はないので念のため)
のもの、即ち、息抜きであり、余暇の一部であり、趣味であり、遊びの部分であり...

要するにエンターテイメントとして、ではないのでしょうか?
……ええ、ただの感覚であって統計を取ったわけではありませんが。

言い方を変えれば「なにをどう表現したところで受け手にはまず間違いなくエンターテイメント扱いされる」ことへの覚悟や諦めを送信前から持っておいた方がいいのではないかと思いますがそれはともかく、

そういうキモチでやっているもの(と、その集合体)を指して衆愚と憤られてもなぁ、という考えはだめですか。


・・・嘆きの心中お察ししますが、ちと本気/マジメ過ぎやしませんか。

という表現は気分を害するかもしれませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.24

再チャレンジブログ連盟

……というのはまだありません。
思いつきでキーボード叩いた。今は反省している。って書くのがお約束なんでしたっけ...


消えた(消された)人の声は聞けないと、(不本意な)発信の終わり方をして(させられて)しまったなら再起なんてとても、と想像していたのですが。

たとえば炎上して"焼け落ちた"ブログを書いていた人が別の場所で再建を果たす(といえばおおげさですが、また書き始める)ということは、実際にはどれくらいあることなのでしょう?

たぶん以前のことにはあまり触れないだろうし、まさかわざわざヒントを与えるはすもないですからタイトルはネタなんですが(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.21

次の空へ。

…ってANKの広告コピーだったような(うろおぼえ)。それはともかく。



煩悩是道場 - はてブが衆愚だと思う奴は、良記事をクリップし続ければ良いのにから思ったこと。

最初「その題名はどうなの?」と感じて、『徒手空拳、ということ』という題名を考えていたのですが。

衆愚かどうかはさておき、「ひとりやふたりでは抗えない"濁流"になってしまった」ことへの嘆き、ということなのだと思います。それに対して嘆いてねぇで流れを変えて見せろや、と言うのは酷な話だと思ったので。
そういうふうに変わってしまったことへの嘆きは「あり」というか許されないことではないと思いますし。


ただ、

はてなブックマークのトップページで物足りないなら、はてブサジェスタやはてブニュース、複数のニュースサイト、にちゃんねるニュースナビゲータ、テキスト系ニュースサイト、自分がアルファだと思うブロガー、興味のあるキーワードから生成したRSS、そういったものをRSSやアンテナにつっこんで巡回しろよ。

これは同意なので、

離陸というか、もう、その"濁流"には見切りをつけてですね、どこかへ新しい"流れ"を探しにいくなり作っていくなりするのが吉かと。』

というのがアドバイスとして良いのではないかと。


そりゃー愛着もあるでしょうし、「なぜ自分の方が去らないといけないのか」というような葛藤とか悔しさもあるかもしれないですし、他人事だからそんなこと言えるんだろ、というのは認めますけれども:私は虜囚になるほうだし(笑)、なにかと帰属意識は強いし、おまけに未練がましいし。

でも、こういうことは繰り返されてきた話だと思うのです、雰囲気が変わってきたことに嫌気して去っていく人がいて、それがまた変化につながって、というようなことは。


なにかと依存心が強いことへの自省でもあるのですが、そういう"ホッピング"の軽さみたいなものをどこかに残しておかないと苦しくなる世界なのかな、と思い始めています。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.20

炎上こえてかがやけますか

流行語「24時間たたかえますか」を作ったあのCMソング『勇気のしるし~リゲインのテーマ~』復活だそうで。

ということで改変ネタ。



トラックバックは勇気のしるし
24記事ネタ書けますか
ブログ ブログ
ぼくらのブログ

言及リンクに勇気のしるし
はるかアルファとたたかえますか
ブロガー ブロガー
ジャパニーズ・ブロガー


投稿ボタンに希望をのせて
はてな ココログ goo livedoor
ブログ ブログ
ぼくらのブログ

アクセスアップに希望をのせて
Yahoo! So-Net 楽天広場
ブロガー ブロガー
ジャパニーズ・ブロガー


小遣い稼ぎは勝利のしるし
アフィリエイトでほほえみますか
ブログ ブログ
ぼくらのブログ

めげずに書くのは正義のしるし
炎上こえてかがやけますか
ブロガー ブロガー
ジャパニーズ・ブロガー



「改変ネタ」カテゴリ作ろうかな・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.19

Can we see the rainbow?

一人は万人のために
万人は一人のために

というのは協同組合方面でよく出てくる標語ですが。


「一人で万人に向けて、万人が一人に向けて」と改変してみるとブログそのものだなと思ったり。

前段は言うに及ばず。
後段はまぁ、スクラムと言うんですかイナゴと言うんですか、書き込みの実人数は少ないかもしれないので"万人"ではないかもしれませんが、"炎上"時には見た目そういう状態になるわけで。

ひとりひとりに出来ることはちいさ』くても、
心をつなぎ合えば『You can see the rainbow♪』とコープでは歌い上げるわけですが(*)、

リンクをつなぎあって見えてくるのは……
虹でしょうか?闇でしょうか?



(*)店内でたまに流れる(オリジナルソングらしい)歌の一節。震災直後はちょっと泣けました。
例によって著作権問題がこわいのでリンクなし(そもそもコープこうべサイトでは歌詞みつからず)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.16

早期発見・早期駆除?-ITの中心で、スローライフをさけんでもII

そのIとは内容的にあまり関連はないがこのタイトルしか思いつかなかった。



対象がプロか素人かということにはあまり関係なく、『腐ったミカンの方程式』ではないですが(って分かる層も限られるか(苦笑))、問題がありそうなところは早期発見、晒して騒いで早期駆除、というのがこの世界の"空気"というか暗黙のルールというか、そういう方向に加速をつけて進んでいる気がします。

H-Yamaguchi.net: プロだと思うからいけないのではないか

「先輩」であるネットユーザーの皆さんがよってたかって袋叩きにするのはちょっとかわいそうではないか。


要するに、彼らを特別視するのはやめよう、ということだ。(中略)もし彼らを「同列」と考えるなら、初心者なんだから多少は大目に見てやろうよ、という方向で考えることができるのではないか。

そういう許容度のようなものは加速度的に狭くなってきているような感覚があります。あえてその理由は考えませんが。

私としては、ご不満の向きもあるだろうが、当面見守ってはどうか、と提唱しておく。ほら皆さんも、他にもっと有益なことはたくさんあるのでは?ということだ。

有益無益はともかく、やはり炎上はネットの華ですから…という冗談はともかく、「長期の視点で」「見守る」とか「育てる」とか、そういうことには縁遠い世界なのかもしれません。ここは"桜中学3年B組"ではありません、というか。

あるいはものすごい数の、情熱を持って更生に奮闘する"金八っつぁん"が寄ってたかった結果、なのかもしれませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.10

「ブログ界」のテーマソング

昨日上げたエントリはその固定リンクのURLが示す通り"TOUGH BOY"(TOM☆CAT)の歌い出しを改変したものですが。

その一週間前に上げたエントリとあわせると何か『北斗の拳』にかなり影響されてそうですが別にそんなことはなくて。

#でもモヒカン族って言葉、あったな...


ともあれ歌詞を調べていたら(くどいですが著作権が煩いのでリンク不能)、結構『「ブログ界」のテーマソング』にふさわしいかも、と思ったり(笑)。いや世紀末じゃないのですが。


で、その昨日の言及先である<ekken♂ ネットから離れるのがベストな選択かも>に同じくトラックバックしている、
明日は明日の風が吹く - ネットから離れるのがベストな選択かも(from ekken♂)
を読んで浮かんでくるのが"TRAIN-TRAIN"(THE BLUE HEARTS)

これもまたふさわしいかも。

あるいは"The Sound of Silence"(Simon & Garfunkel)とか・・・

いづれも"Blogosphere"の、ではなく、日本(語文化圏)の「ブログ界」の雰囲気をうまく表すような。
少なくとも楽観や希望や幸せ一辺倒ではない点において。

……ふと思い出したり街角で耳にしたりするたびに他にもふさわしく思えてくる歌があって増える一方かもしれないですが(笑)



・・・べ、別に、募集ネタじゃないんだからねっ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.09

Welcome to this crazy world

タイトルの元ネタである"TOUGH BOY"がうたまっぷ未収録だったのはちょっと意外。歌詞などは権利関係が煩いので探す場所にも気を遣います。


ekken♂:ネットから離れるのがベストな選択かも

(すでに)傷ついてしまった人をどう救えば?という話の派生であるリンク先の本題からはずれますし、
これだけ広がりきった後では、という感もありますが、

傷つく危険性に対して治療より予防を、ということをもっと真剣に考えたほうがいいのでは、と(ケアする当事者以外は)。

善意を装って近付いてくる悪魔の存在は防げないのだ。
(中略)そうした悪意に寛容になれとは言わないけれど、可能性として認知していたほうが良いと思う。
それくらい強くならないと、何か意見を述べるブログの運営を続けるなんて出来やしない。

いままで過ごしてきた世界とはたぶん異質で相当に極端だから、
コスト的技術的にはお手軽な趣味だとはいえ傷を負ってしまっては元も子もないから、
「始めてみよう」と思っても"顕名"で何かを書くのはしばらくは-雰囲気がすこしは分かるようになるまで-控えた方がいい時代なのかもしれません。

それでもなお、というならきっと歓迎してもらえるでしょう、
この(愛すべき)ろくでもない世界にようこそ、と(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.06

どんな言葉で探されたい?

ほとんど考えることなく書き散らした、そしてたいていは自分がメインにしているテーマではない方面の文章に限って妙にSEO効果が高くて想定外のアクセスを得てしまって、というのはあちこちでネタとして出てくる話なのできっと多くの皆さんに共通の『苦笑話』だと思うのですが、

では自分はいったいどんな検索語によって探されてたどり着いて欲しいのだろう?と考えて少し止まってしまった。
「どんなことをテーマにしていますか?」と問われて返せる「文章」なら書けても、「単語(の羅列)」を取り出してしまうと非常にありきたりな、つまり、とても自分の如きが検索上位に来そうにない言葉(の組み合わせ)でしかなかったりして。

どんな言葉で探されたいですか、
自分が思う自分のブログに相応しい検索ワードって何ですか?

結果は希望通りですか、外れていますか、
そのギャップは問題ですか、楽しんでいますか。

とりあえず「業として」のブログである方々は除外して。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.08.03

そんな時代もあったねと

自身のしていることに対して「意味」や「生産性」を本気で考え始めたら、さめるのは驚くほど早いものかもしれません。
趣味とはそういうものなのでしょう。

ブログする、というのはもしかしたら『いつか「あの頃ブログにアツかった自分」を振り返るためのもの』かもしれません。
私たちにもきっと(*)来るであろうそのときが、せめて本人の笑顔とともにありますように。


Blog向上委員会 | 閉鎖のエントリに接して。

ひとますお疲れさまでした。

エントリ本体では初使用になる(と思う)、このフレーズを贈ります。

<それでは、また画面のどこかで。>




(*)「人生の終わり」は「ブログの終わり」よりはずっとずっと後でありたいので

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.02

Do Survive!

「Web2.0に耐えられる人、耐えられない人」という題名を思いついたがさすがに実行できず。

今週('06.8.7号)のAERAに載っていた『対談 茂木健一郎×梅田望夫』のなかの梅田氏の一節:

だから本に対しても、ネガティブな反応、ポジティブな反応、両方がちゃんとあって、それが全部検索エンジンから引っかかってくるというのが、健全な状態です。負のリアクションに対する耐性をつけることが、すごく大事になってくるんです。

だからといって耐性の低さが主因として責められることには釈然としない部分があるにせよ、改めて、そうですよねぇ、と。
『負のリアクションに対する耐性をつけること』
ネットのなかで発信者として"生き残る"ための、もしかしたらたったひとつの条件なのかもしれません。





……あ、もうひとつありました。
「ノーリアクションに対する耐性」。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.08.01

でも、その「正常化の偏見」で社会が動いているような。

「安全意識」を持たせる、ということの困難さを改めて感じる話。

「自分だけは大丈夫」,セキュリティ対策を妨げる「正常化の偏見」:ITpro

交通事故に遭って死亡する確率は,宝くじの1等に当選するより高い。にもかかわらず,会社からの帰りに車にはねられると考えている人はほとんどいない。一方で,宝くじには当選を期待して,多くの人々が人気の売り場に行列を作る。

そうですよねぇ、ということなんですけれども・・・


23ヶ月前に書いた「それでも常に警戒は怠りたくない・・・と書こうとして。」より再掲:

目的地の天候がどれだけ悪いという情報が入ろうと、自分の乗った飛行機は"当然、何事もなく"定刻に着くと信じて皆乗るのでは?
いわんや自分が"本当に"事故に遭うなど露ほども思っては乗るまい。事故の可能性を知識として知ってはいても。
実際、離陸前のエマージェンシー・デモなど文字通り上の空で皆さん新聞雑誌に没頭していらっしゃるわけでして。

クルマの運転でも似たような感覚ではないかと想像してみるのですが。多少、免許の更新講習やら高速道路のSAやらで"衝撃写真"を見せられたくらいでは揺るがない"確信"があるのでは?

本題のネット上に流す/流してしまう情報についても同じことが言えるのでは、と。「利便性と危険性を秤にかけて」ということを(自分のこととして)考える人がどれだけ居るだろうかと。

でも、ねぇ・・・
皆が皆意識を持って、言い換えればびくびくしながら、であったなら、世の中のさまざまな「活動」というのがこれほど"元気"ではないでしょうね、とも。特に「文明生活度」が強ければ強いほど。

難しいですよね、と溜め息が出るだけで答えが出ない話……

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »