« 『ぼくの動物園日記』 | トップページ | 巡回とは、見世物小屋を探すが如きものなり。 »

2006.10.13

「斜め読み禁止」ということ、あるいは「きちんと読まれた」と実感できること

同じソーシャルブックマークでも、たとえば「ニフティクリップ」や「livedoorクリップ」のユーザーは馬鹿にはならないのなら、そちらを使えばいいのに;-p
(→関連:それぞれのIDの下で

304 Not Modified: はてなブックマーカがドンドン馬鹿になっていく

読み手からしたら、自分でブログを読むことも、あるブックマーカが登録した記事を読むことも、ホッテントリに入った記事を読むことも変わらないかもしれない。しかし、読まれる側は違うと思う。直接見てくれる人とは向き合っている、お気に入りから見に来た人は体を背けたまま読んでいる。ホッテントリに至っては人ですらない。見られている感覚が無いにもかかわらずカウンタだけが回るということは非常に怖いことなのだ。

もちろん、ホッテントリやお気に入りを批判しているわけではない。ただ、ブログを読むときは、書き手と向かい合っていて欲しい。

要するに、「斜め読みなんてしないで!」と。

・・・無理だと思います、


「無断リンク禁止」だとか、「批判や反論はいらない、共感だけが欲しい」と望むことと同じくらいに。

50のコメント(2 of 2)より再掲:
---
ぶっちゃけお互い様。自分が見て回る全てのサイトを熟読しているわけでもできるわけでもなく。

問47.にも重なりますが、頑張っても頑張っても圧倒的に斜め読みされてしまうものだという覚悟は持っておかないと。
---
→さらに関連:輝く画面に何思う?-朝のひとときに、仕事の合間に、一日の終わりに-


もしくは、どこ経由かなんてことはどうでもいいから、とにかく「きちんと読まれた」んだ、という実感を(好ましくはアクセスに比例して)持つことができれば問題はないのだろう、と。

それをどう得るか、というのがそれがモチベーションになる『「読まれてナンボ」と思うブロガー』にとっては、大げさに言えば永遠の課題なのかもしれません。

直接コメントをもらえたり、ましてや言及されたりということはそうそうあるわけでなし、「読んだらクリック!」なんてのは何より自分が絶対押さないし(笑)、となると「クリップされたユーザー数」が増えていたりすると「ああ、読まれたんだなぁ」という気にはなるのですが。

ココログのアクセス解析ではページごとの滞在時間がある程度分かったりするのですが、累計で「1秒」とかいうページがあって凹んだりする一方で、移動履歴で1時間とか留まっていたりされても「画面放ったらかして別の用事してたんやろなぁ」なんて寂しくなったりしてね(苦笑)。

実態を知りたい気もあり、カウンタの数は「YES!」の数なんて妄想しているほうが幸せなのかもしれないという気もあり。

実感は欲しいですが。
難しいです。

|

« 『ぼくの動物園日記』 | トップページ | 巡回とは、見世物小屋を探すが如きものなり。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「斜め読み禁止」ということ、あるいは「きちんと読まれた」と実感できること:

» [ネット]CONCORDE: 「斜め読み禁止」ということ、あるいは「きちんと読まれた」と実感できること [明日は明日の風が吹く]
 アクセス数とブクマ数ぐらいか、判断の基準は。それがじわじわ増えていると、ああ、見てくれてる人がいるんだなと思える。ありがたいというべきか残念というべきか、私の所は低空飛行安定型なので、読まずにブクマしてるだろって人がいないように感じられる。見た上で、感... [続きを読む]

受信: 2006.10.14 00:45

» トラックバックにお返事 [304 Not Modified]
先日のはてなブックマーカがドンドン馬鹿になっていくへのいろいろな反応ありがとうご [続きを読む]

受信: 2006.10.16 23:01

« 『ぼくの動物園日記』 | トップページ | 巡回とは、見世物小屋を探すが如きものなり。 »