for MY luxury-(満たされぬ)居心地を求めて
・ そもそも何のためのブログ論なのかそれが明確ではありません。時には、「何のためにそんなこと言っているの?」と思うこともあります。どうせ結論なんて出るものじゃあありませんし。
「何のため」でもありません。
それ自体が目的だから。
→関連:ブログの目的?ブログ「が」目的、もうそれで十分。(2005.8月)
あるいは、それを書く個々人の(アンテナにかかる範囲が)自分にとって居心地良いものであれ、という願いの発露かもしれません。
こういうのがいい。
ああいうのに憧れる。
……というのは書く原動力に乏しいので実際にはあまり無いでしょうが、
ああいうのはおかしい。
こんなのは問題だ。
……それらが影響力をもつことによって、自分にとっての居心地を侵されるかも、と感じたときに、その憂いや怒りが原動力となって"攻撃的な"ブログ論が書き上げられる、そんな気がします。
自分にとってよりよい居心地を作る(守る)ということ。
趣味の領域であればなおさら、その追求は際限のないもの、常に満たされることのないものになるのでしょう。
リンクやトラックバックについて、といってブログ作法的なものの乱れの蔓延を憂う記事を目にするたび、そもそもブログなるシステムがいつまでメジャーであり続けると思っているのか、などとかなり揶揄してきた私ですが、個々人(の目にする範囲)の居心地の悪化に対する危機感のあらわれであったか、と思うと、表現にも考え直す点があったかもしれません。
| 固定リンク
コメント