my turn, your turn - 不平等でミスマッチで運任せの世界で
もちろん個性の実力というのもあると思いますけれど。
『斬(ざん)』 時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない:
ブログはやはり生モノ。たとえ、いつ読んでも素晴らしい記事だとしても、生まれたての旬な時期というものがあるはずです。その時期を逸して、注目されずにいるという不幸、不運。そして、その代わりとまではいかないけれど、注目を集めてしまったオレの記事。
(中略)
本当の一番は別にいる(いた)のに、自分が間違って一番になってしまったような罪悪感を感じることって、ないのだろうか?
この弱肉強食の世界でそのやさしさは、自殺行為に等しいかもしれなかったり……
とはいえ、書き上げた(公開した)ときの自己評価と結果としての注目度は反比例まではいかなくともミスマッチがほとんどゆえに、軽い気持ちで書いた文章が予想外に注目されたときなどはそういう申し訳なさを感じることもあったりします。
ただ・・・
その「彼我の注目度の差」って、その裏返しの感情もあったりしません?(^^;
同じ時期に(またはちょっと前に)こっちも似たようなこと書いてるやん、なのにあっちだけ注目されてなんでやねん、という方向の、自己評価と結果のミスマッチ。
アクセスというのは結果や目的などではなくて読まれるためのスタートライン、との思いゆえに、選別淘汰によってそのスタートラインにも立てない(ことが圧倒的多数である)という「機会の不平等」を常々うらめしく思っているわけですけれども、その一記事・一回単位の注目度の差も、あえて上で書いたような表裏一体のものとして全体で考えてみると、(絶対に均等では有り得ないにしても)割と"運による采配"でのバランスというのはとれているかもしれません。今回は私の番(my turn)、つぎはあなた(=自分以外のだれか)の番(your turn)、というように。
まぁ、たいていは瞬間風速であってスタートラインにはまだ遠かったりするのですが。
souryuusei0401さん(えっと、数字つけた方がいいのでしたっけ)は運ではないと仰いますが、自分の番が来るかどうかというのは運でしかないと思います。
『斬(ざん)』 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね:
ポジションとか立ち居地みたいなものが左右されるでしょ。大手(中堅)個人ニュースサイターやアルファクリッパーなんて呼ばれてる人達の巡回先に居るか居ないかでも変わってくるわけで
その巡回先に入るか否かイコール(入る時点での)運、ではないでしょうか。
「自分の番」が来る前に寿命が尽きてしまうブログのほうがきっと多いのだと思いますし、
最初に書いたように、ときに申し訳なさを感じることもあります。
とはいえ、たかが瞬間風速の後で何をしてあげることができるのでしょう?
決定的に不平等でいつもミスマッチだらけで
書きたいことを書きたいように書いて注目されるかどうかは運任せでしかない世界で、
「自分の番が来た」ことを素直に喜べばいいのではないですか、
ほかにできることなどないのだから。
関連:
問題の根本にある皮肉(2005.11)
それは時間と知恵を賭けたギャンブルに似て(2006.04)
| 固定リンク
コメント